第202話 51日目②木舞掻き
起き抜けからお腹をぐうぐうと鳴らしている可哀想なあたしのためにガクちゃんが朝からボリュームたっぷりの海鮮鍋を作ってくれた。秋も徐々に深まりつつある10月、それもまだ朝日が差していない早朝ともなればそれなりに肌寒いから温かいお鍋は最高だ。
「は~……あったまるぅ。幸せぇ……」
骨から
「旨いものを食った時の幸福感を言葉で表現するのは難しいよな」
「ホントにそうなんだよね。口から始まった幸せが身体中に広がっていって、全身が幸せに満たされちゃうこの感じは体験しなきゃ分かんないよね」
「……って、なんか普通に上手いこと表現してるじゃん」
「いやいや全然足りないよ。あたしが感じてる幸せの半分も表現できてないよ」
「んー、言葉が足りてない分はその表情がだいぶ補完してると思うけどな」
「…………む。そんなに緩みきった顔してる?」
ちょっとそれは大好きな人の前で女子がする表情としては看過できない状態ではないかな? と思ったけど、ガクちゃんの返しは一枚上手だった。
「すごく幸せそうな顔をしてるからこっちも嬉しくなるよ」
ずるい。そういう言い方されるとそれ以上ネガティブなこと言えなくなっちゃうじゃない。
そのまま話題は今日の予定に移っていく。
「この後、朝の日課作業を終えたら、今日のメイン作業は昨日できなかった新居の
木舞掻きというのは太めのしっかりした木材で組んだ骨組みの間に
木舞掻きの細かい格子を骨材としてその上から土壁用の練り土を塗りつければ、土がしっかり格子の隙間に張り付いて剥がれにくくなり、練り土が固まった後は埋まった格子がコンクリートの鉄筋のように内部から支えてくれるので丈夫な土壁になる。……というのはガクちゃんからの受け売り知識。
「三角屋根は
「トイレや風呂小屋の屋根はそこまで重要じゃないからな。今だって大雨の時とかポタポタ雨漏りしてるけど使う時間が短いからあまり気にしてないってだけで。でも、寝室があんな風に雨漏りしたら困るだろ?」
「確かに」
「骨組みにいきなり葦を被せて茅葺き屋根にする場合、雨漏りしなくて十分な断熱性があるようにしようとすると屋根をかなり分厚く作らなくちゃいけなくなる。乾いた葦は軽いけど、雨が続いて湿気を吸ったら重くなるから、当然厚い茅葺き屋根の重さは相当な物になる。となると屋根を支える骨組みにはかなりの強度が必要になるわけだが、今の骨組みに使っている木はそこまで太くはないからあまり分厚い茅葺き屋根にはしたくないんだ」
「うん。屋根の重さで潰れたら困るもんね」
「そういうこと。で、今手に入る材料で軽くて断熱性と防水性に優れた屋根にするためにはどうすればいいか考えたんだが、屋根の骨組みに木舞掻きをして、その格子に
「なるほど。土壁じゃなくてハリボテの土台にするための木舞掻きってことなのね」
「そう。屋根全体を葉っぱのハリボテで鱗みたいに覆ってしまえばそれだけで雨は通さなくなるだろ。だがそれだけの屋根だと薄くて強度がないし、断熱性もないから、そこを補うために上から葦を被せてあまり厚くない茅葺きにすれば、十分な断熱性と防水性と強度と軽さを兼ね備えた屋根ができるんじゃないかと考えてるんだ」
「うんうん。いいと思う。じゃあさ、お試しに屋根全体の1/3ぐらいそのやり方で完成させてみるのはどう? それで良さそうだったらそのまま全体をそのやり方で進めればいいし、何か問題があってもやり直しは1/3だけで済むと思うんだけど、どうかな?」
「……ふむ。それいいな。それでいこう。その端から順に屋根を作っていくやり方なら屋根の内側から作業が出来るから、屋根の外側に足場を組んで作るより簡単で安全だし、先に出来上がった屋根の下は雨に濡れると困る道具や素材の一時保管場所にも使えるから便利そうだ」
なるほど。そこまでは考えてなかったけど言われてみればその通りだね。
「上手くいくといいね」
「だな。まだ本格的に寒くなるまでは時間はあるし、今しばらくはテント暮らしでも不便はないから、焦らずに無理のないペースで進めていこう」
「あい了解っす。……ふぅ、ご馳走さまでした。朝から満ち足りてしまった」
「それはよかった。鍋の残りはちょっと味変してから次の食事に回そう」
これからの家作りの具体的な方針を話し合いながら大満足で朝食を終える。
ダッチオーブン一杯分の海鮮鍋を一度の食事で食べ切れるはずもないから、残った分は大コッヘルに移し代え、そのまま次回以降の食事に持ち越しになる。スローライフはとにかく食事の仕度に時間がかかるから、こんな風に一度でたくさんの量を作って何回かに分けて食べるようにすればそれだけ多くの時間を別の作業に当てることができる。
使った食器を洗って片付け終われば時間はだいたい7時頃になっていた。箱庭にはまだ陽は差してないけどすっかり明るくなっている。いつもと順番は前後したけど朝の日課作業をするために二人で一緒に林の外に向かう。まずはゴマフに餌をやって運動をさせてから、あたしは畑作業、ガクちゃんは葛素材の採集に別れる予定。
小川沿いの林道を歩きながら海に近づくにつれて思い出すのはやはり昨晩のこと。
「それにしてもびっくりしたよね。ノアとの遭遇」
「あれは寿命が縮んだなー。俺たちが取り逃がしたシーバスを一瞬で捕食してそのまま砂浜に向かってきたからな。シャチのオルカアタックが来るかと思って背筋がゾワッとしたよ」
「あたしはあの瞬間、ガクちゃんに惚れ直したけどね」
繋いだ手をぎゅっと握りながらそう囁けばガクちゃんが首をかしげる。
「え、なんで? あの時にそんな要素あったか?」
「あの時ガクちゃん「波打ち際から離れろ!」って叫びながら迷わずあたしの手を引いて走ってくれたよね。あと、ノアがあたしたちを襲いに来たんじゃないって分かるまであたしを背後に庇ってくれてたよね」
「……そんなことしたっけ? ごめん。あの時は本当に必死だったから自分がどう動いたか全然覚えてない。とりあえず槍を拾ってノアと相対したことだけは覚えてるけど」
「ふふ。知ってるよ。だからこそ嬉しいんだよ。ガクちゃんが咄嗟の無意識の行動でもあたしを守ってくれたのが。……もちろん、ガクちゃんがあたしのことを大事にしてくれてるのは常々実感してるけど、ガクちゃんの愛情の証明を目の前ではっきり示してもらえたのがすごく嬉しかったんだよね」
ガクちゃんがちょっと照れたようにそっぽを向いて小鼻を掻く。
「……そうか。覚えてないけど、咄嗟に美岬を守ろうとした過去の俺よくやった! おかげで嫁の信頼を失わずに済んだってわけだ」
「信頼を失わずに済んだどころか、嫁の旦那さまへの信頼度はカンストを天元突破して天井知らずだよ。結果的に何事もなかったけど、あれが本当にオルカアタックだったらあたしはまたガクちゃんに命を救われたってことだよね。あたしだけだったらあの時、咄嗟に逃げるなんてできなかっただろうし」
「嫁の信頼のハイパーインフレが怖い。……まあ冗談はさておき、確かに美岬が1人のタイミングで本物のオルカアタックだったら危なかったな。最近ここでの生活が順調すぎて俺自身も危機感が薄れてたから、この機会に少し危機感を上げておくのはいいかもな」
「まさか、外の海からあんな大きな
「そうだよな。ノアとは一応友好的にコンタクトが取れたからいいものの、戦う可能性もあったわけだし、ゴマフの母親に致命傷を負わせた敵のこともある。たぶん鮫だと思うけど、そいつがここに入ってくるようなことがあってもゴマフを守れるように俺たちも戦う備えをしておかないとな」
「戦う備えって? 何するの?」
「昨夜、ノアと相対した時に、こんな短い石槍ではプレシオサウルスとはまともに戦えないって思ったよ。やっぱりリーチの長さはそのままアドバンテージになるから、自分より大きな相手と戦うなら相手の攻撃範囲より長い武器、あるいは飛び道具は絶対必要だ」
「あー確かに。あの石槍だとかなり近づかないと鎌首をもたげたノアの頭にも届かないもんね」
「頭どころか、あの石槍でノアの胴体に攻撃できる距離まで近づく前に、あの自由に動く長い首から繰り出される変則的で長いリーチの噛みつき攻撃に一方的に曝されることになるな。あのでかいシーバスの骨を容易く噛み砕く、あの噛みつき攻撃を一度でもまともに受けたらアウトだ。となると、もし戦うなら噛みつきが届かない距離からのアウトレンジ戦法一択。使える武器は3㍍以上の長柄の得物か、飛び道具となるわけだ。これは対プレシオサウルス限定じゃない。医者がいないこの島で大怪我をするリスクを避けるためにはどんな相手と戦う場合でも可能な限りアウトレンジ戦法に徹するべきだろう」
「なるほど。じゃあ弓矢とか作ってみる?」
「うーん、弓はまともに当てようと思ったらかなり練習が必要だから、それならいっそ扱いやすいクロスボウにした方がいいだろうな。作るのもそこまで難しくないし。あとは、今ある石槍を
「ほほう、槍投げ器。そんなのも作れるんだ」
「以前、オセアニアを旅した時にアボリジニーの村で実物を体験させてもらったから作れると思うぞ。単純な構造だけどそれを使って投げた槍の威力はかなりヤバいからな」
「ヤバいってどれぐらい?」
「昨夜のノアと相対していたあの距離だったら、たぶんノアでも一撃で仕留められる」
「……うぇ。それはホントにめっちゃヤバいやつだね。結局のところ、道具を使っていいなら人間が一番危険な生物ってことだよね」
「それな。だから俺たちが取り逃がしたシーバスを横取りできたのにそうせずに、分け合うことで友好的な関係を築こうとしたノアはやっぱりかなり賢いよな。ノアの方が先に歩み寄ってきて俺たちがどう反応するかを見極めようとしていた感じだったもんな」
「確かに。たぶん自然界では、一度戦って序列をはっきりさせるのが普通だと思うんだけど、いくら徳助大叔父さんとのことがあるとしても最初から仲良くできる相手か探りにきてるあたり、弱肉強食のルールで生きてる一般的な野生動物とはぜんぜん違う気がするよね」
昨日の遭遇はどちらかといえば恐怖の感情の方が強くてノアへの警戒心を解くことはできなかったけど、今改めて思い返してみれば、ノアは一貫してあたしたちと仲良くなろうとしていたように思う。次にノアがここに来た時は怯えずにちゃんと仲良くなれたらいいな。
………………と思ってた時期があたしにもありました。
「…………いや、ちょっと待って。これは聞いてない」
「…………おぅ。マジかぁ」
あたしたちが砂浜に出ると、目の前に広がる内湾のやや沖の方にプレシオサウルスの群れがいて、首と背中を海面上に出した浮上状態で悠々と泳いでいた。パッと見でも10頭以上はいる。
一番小さい個体でもゴマフの母親と同じぐらい。それ以外はだいたい4㍍前後ぐらいが多く、特に大きい目立つ個体が3頭いる。
群れの先頭にいる一番大きい個体がノアだ。つまり、ノアがこの群れのリーダーで群れの仲間たちを連れて来ちゃったってことだよね。
目立つ残りの2頭はノアより一回り小さい5㍍級ぐらいで、サブリーダー的なポジションなのかもしれない。
「クアッ!」
あたしたちが砂浜に現れたことに気づいたノアが一声鳴くと、群れの全員が一斉にこちらを向く。自分に集中する視線に思わずビクッとなる。そしてノアを先頭にまっすぐにこちらに向かってきた。
「いやいやいやいや! ちょっと待って! ちょっと待って!」
あまりの急展開にちょっとパニックになる。
そりゃ、次にノアがここに来たら仲良くしたいとは思ったけど、いきなりこんな自分よりもずっと大きい首長竜の群れと対面とか怖すぎるんだけど! 群れの全員が友好的かどうかも分からないし!
【作者コメント】
今回は頭の中のイメージを文章で上手く表現できず、書いては消し、書いては消しを繰り返すうちに時間ばかりが過ぎてしまいました。
プチスランプ気味の作者にどうぞ引き続き愛ある応援をお願いします(*´・ω・)
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