第198話 50日目⑩邂逅
今はまだ空に残照が残っているので林道もなんとか歩けるぐらいの明るさはあるが、帰りは完全に真っ暗になるから帰り道が分かるように林道におよそ20㍍間隔で設置してある
ちなみに手に持って歩き回る時に使う携行用松明も別にあるが、そっちは
今の俺たちが足元を照らすための灯りとして携行しているのは、ブリキとガラスでできたランタンの中にロウソクを灯してある徳助氏の遺品のキャンドルランタンだ。松明に比べればだいぶ暗いが足元を照らすぐらいなら十分だ。
林を抜け、今は倉庫となっている砂浜の拠点まで歩いていく。最初の頃は自作の釣り道具で釣りをしていたが、徳助氏の遺品を引き継いでからはちゃんとした釣竿とリールと仕掛けが使えるようになったので穴釣り以外にも出来る釣りの幅が広がり、投げ釣りなんかもできるようになった。
拠点で釣り道具一式と餌をピックアップして砂浜に近づけば、当然の如くゴマフが俺たちに気付いて出せ出せと柵の中で騒ぎ始める。
「キュイ! キュイキュイ!」
「ガクちゃんどうする? 出したら邪魔すると思うけど」
「かといって出さないとずっと騒ぎ続けるだろうしな。とりあえず出して、危なくないように見とくしかないだろ」
「まあそうだよね。いいよ。あたしが目を離さないように見とくから」
「いつもすまんのぅ。おまいさん」
「それは言いっこなしだよぉ。あんた」
「……それはそうと、昼間に感じたって視線は今はどうだ?」
「んー……今は感じないね。やっぱり鳥だったのかなぁ」
「キュイ!」
「あー……はいはいゴマフ、今開けるからね~」
美岬が柵を開けるとゴマフがご機嫌で飛び出してきて砂浜の上をひょこひょこと美岬に着いてくる。
大潮の満潮なので水位はかなり上がっており、昼間に俺たちが潮干狩りをしていたあたりはおそらく2㍍ぐらいの深さがあるだろう。引き潮の間は深みに行っていた魚たちも満ち潮と共に戻ってきてその辺を悠々と泳いでいるはずだ。大物が釣れるといいな、と期待しつつ釣りの準備をする。
今回使うのは、伸ばすと3㍍ぐらいになるシーバスロッドと5号のナイロンラインが巻かれたスピニングリール。竿にリールを取り付けて、ラインをガイドに通して竿の先端から引き出し、投げ用の
針にイソメを刺し、リールのペールアームを上げ、糸を指で押さえながら竿を振りかぶり、振り下ろすと同時に糸を押さえていた指を離せば、シュルシュルと仕掛けが飛んでいき、やがて陸から30㍍ほどの海面に落ちて水しぶきを立てる。
錘が着底するのを待ち、リールのハンドルを何回か巻いて糸の弛みを取り、ピンと張る。
そのへんで拾った木の棒2本をXになるように砂に刺し、交差するところに竿を立て掛けてアタリが来るのを待ち、しばらく待ってアタリがなければ竿をシャクって海底の仕掛けを移動させ、再度糸の弛みを取ってしばらく待つ……というのが投げ釣りの基本なのだが……如何せんここは人間の手付かずの縄文の海。魚がまったくスレていない上に大潮の満潮の
「おわっ! 一投目からいきなりか」
竿を一度大きくシャクってフッキングすればしっかりと針が掛かったようで確かな重みと逃げようとする魚のビクンビクンとした振動が竿越しに腕に伝わってくる。
「おお、いきなり本命かな?」
「いや、エラ洗いがないからたぶん違うな。あまり走らないし」
本命のセイゴ──シーバスは針に掛かるとそれを外すために水面を跳ねる習性、いわゆるエラ洗いをするのですぐ分かるし、右に左に泳ぎ回るが、今掛かっている魚は重さからそれなりに大きいと思われるが、泳ぐ力はあまり強くない。
抵抗虚しく波打ち際まで引き寄せた魚を波に合わせて一気に砂浜に引きずり上げれば、平べったい魚体がびったんびったんと跳ねる。それを見て美岬が納得の声を上げる。
「あー、なるほど。カレイかぁ~。そりゃいるよね」
「前にも潮溜まりに取り残されてたやつを捕まえたことあるもんな。ここには結構な数が棲息してるんじゃないか」
「本命じゃないけど十分アタリだよね」
「勿論。普通に釣れたら嬉しい魚だ」
釣れたカレイはおよそ40㌢。薄暗いので特定は難しいがおそらくマガレイかマコガレイだと思う。いずれにしても旨いカレイだ。
カレイを手早く
仕掛けが着底すると、待ってましたとばかりにアタリが来る。まさに入れ食いだ。
そのままカレイが3匹連続で釣れて、小さめだった1匹はそのままゴマフのおやつになった。その後、ちょっと引きがカレイと違うなと思いながら釣れた5匹目はハゼを上から押し潰したような平べったく細長い魚体のマゴチだった。カレイと同じく砂地の海底に棲息するメジャーな魚だが、歯が鋭く、毒はないが刺だらけなので素手で暴れる奴を触るのは危険だ。
釣ってすぐに〆てクーラーボックスに入れられたカレイと違い、マゴチは〆るのにちょっと手間取ってしまい、なんとか事を終えた時には日没の残照も消えてすっかり暗くなってしまっていた。
キャンドルランタンだけでは仕掛けを調整したりする細かい作業をするには暗すぎるので、追加の焚き火をすることにする。
砂浜の拠点には乾いた薪や着火用の松ぼっくりのストックも置いてあるのでそれを取ってきて、キャンドルランタンの火を松ぼっくりに移して火種にして組んだ薪を燃え上がらせる。
赤々と燃え上がる焚き火の炎が周囲を明るく照らし出す。
「落ち着く明るさだね」
「キュイキュイ」
「あ、ゴマフはあんまり火に近づいちゃ駄目だよ」
「キュッ」
前に一度火に近づきすぎて、はぜた火の粉痛い目に遭っているゴマフは焚き火に近づきすぎない程度の距離で砂にうずくまって寛ぎ始める。
「よし。じゃあもうちょっと釣るかな」
「まだ本命来てないもんね」
「だな。明日から家作りと寝間着作りに専念できるように今日は釣れるだけ釣っておきたいしな。ただ、もうそろそろ満潮のピークで潮止まりになるから釣れにくくなるかもだが」
そんなことを言いながら新しい餌を付けた仕掛けを投げて糸の弛みを取って置き竿にする。さっきまでは置き竿にするまでもなく入れ食いだったが、魚が一番活性化する時間を過ぎてしまったのでやはり入れ食いとはいかない。
美岬の隣に腰を下ろす。
「
「かもな。でも、シーバスは夜中でも釣れるし、同じく夜行性の珍しい魚も釣れるかもしれないぞ」
「シーラカンスとは別の古代魚とか?」
「ちょっと見てみたいけど食用としてはいらんなー」
「シーラカンスも美味しくないもんねぇ。ランプの灯油とか石鹸の材料としては使えるけど」
「ちょっと前に釣った3匹目のおかげで灯油も石鹸も余裕はあるから今はいいな。あいつら脂っこすぎてまな板もベットベトになって後始末が大変だし」
「あはは。確かにー。じゃあ釣ってもリリースだね」
駄弁りながらも竿先を見ていると、さっきからピクン、ピクンと小さくアタッている。小魚がつついているのかな?
「…………竿先、アタッてない?」
「うん。さっきから小さいアタリだから様子見なんだが、イソメが食われて無くなってるかもだから一度上げてみるか」
竿を一度ぐっと振り上げると、根掛かりしたようなゴンッとした重みがあり、その後、いきなり激しく引きがくる。
「うわっ? なんか大きいのが掛かってた! しかもなんか初めての引きだぞ」
「ほほう。それは正体を見なきゃっすね。重い引きならエイかな?」
「いや、エイならカレイの引きをもっと強くした感じでいきなり持っていくけど、そんなのとは違うな。なんか、グイッグイッて強い引きと無抵抗が交互にくるぞ」
「…………あ、分かったかも! それアナゴじゃないかな」
「あー、なるほど。……見えてきたぞ。長いやつがのたくってるから当たりっぽいな」
浜になんとか引き上げると、俺の手首ぐらいの太さで70㌢ぐらいの長さの立派なマアナゴだった。こんなデカいアナゴは初めて見たな。大型種のクロアナゴならこれぐらいになるのもざらにいるらしいが、マアナゴでこのサイズは珍しい。美岬曰く、アナゴは餌をその場で食べる
「このでっかいアナゴのせいでクーラーボックスがいっぱいになっちゃったね。まだやる?」
「んー、じゃあラスト一回ってことで」
針に残っていたイソメをまとめて
ゴンッと大きなアタリが来ると同時に糸が横方向に高速で走り出す。
「お! きたか!」
竿をシャクって合わせると、直後、バシャッと大きな魚体が海面で跳ねる。
「あは! エラ洗いだ! 本命来たっすよ! でもあのサイズだとセイゴじゃなくて完全にスズキだね」
「でかかったな! それにすごい引きだ! ちょっと相手が疲れるまでは寄せられそうにないぞ」
無理に寄せようとすると糸を切られかねない。リールのドラグを弛めて、一定以上の負荷が掛かると糸が引き出されるように調整する。
魚が横方向に走り、キリキリキリとリールから糸が引き出されていく。相手の力が緩んだ隙に一気にリールを巻き上げる。相手が再び暴れるとリールからキリキリと糸が引き出される。力が一瞬だけ緩んだ隙を見逃さずにリールを一気に巻き上げる。そんな駆け引きを繰り返しながら少しずつ浜に近づけていく。
「さすがにこのサイズだと砂浜に引きずり上げようとしたら重さで糸を切られると思うから、波打ち際近くまで寄せたら、手に軍手をはめてから下顎を掴んで引き上げてくれないか?」
「あい! お任せられ!」
美岬がさっそく軍手をはめて裸足になって波打ち際に下りていく。
──バシャッ! バシャバシャ!
だいぶ浅い所まで引き寄せて背中が海面から出ているシーバスが最後の抵抗と暴れているところに美岬が近づいていき、大きく開いた下顎を掴んで一気に砂浜に引き上げる。
「とったどーっ!」
「おう! さすがだな!」
リールを巻きながら近づくと、美岬が80㌢近くありそうな大物のシーバスの口から針を外そうとしていた。
「よし。取れた! うわわっ?」
針が外れた瞬間、それまで観念したように大人しくしていたシーバスがビッタンバッタンと大暴れし始める。美岬が慌てて押さえようとするが不安定な体勢だったので尻餅を着いてしまう。その間にシーバスは波打ち際まで戻ってしまう。
「まずい! 逃げる!」
「嘘嘘嘘!? 待って待って!」
陸に上げられたせいで多少は弱ってはいるものの、まさに水を得た魚。バシャバシャと尻尾で水を叩いて沖の方へと逃げていく。俺たちの足では追いつけない。
「あー……やられた」
「ガクちゃん……ごめんなさい。あたしが不用意に針を外しちゃったせいで」
「……いや、もうこれは奴の方が俺たちより一枚上手だったと思うしかない。詰めを誤った俺たちの負けだ」
ヨタヨタしながらも離れていくシーバスの後ろ姿を呆然と見送る。しかし次の瞬間、海面スレスレを泳いでいたシーバスが突然何者かに捕食されて海中に没する。
「「はぁっ!?」」
今見たものが信じられずに美岬と揃って唖然とする。80㌢のシーバスを捕食するっていったいどんな化け物だ!? しかもシーバスを捕食したであろう大きな影がこちらにまっすぐに近づいてくる。
「ヤバい! 波打ち際から離れろ!」
シャチは海岸にいるアザラシを捕まえるために勢いをつけて陸に乗り上げてくることがあるが、瞬間的にその光景が目に浮かび、とっさに美岬の手を引いて砂浜の上まで駆け上がり、そこに置いてあった石槍を拾い上げて身構える。
まず丸みのある背中が海面に浮上し、波を蹴立てて近づいてくる。しかし、浅くなったところで停止し──
──ざばっ……ざばばば……
ぐったりとしたシーバスを口に咬えた頭が波間から覗き、次いで長い首によって3㍍ぐらいの高さまで持ち上げられた。プレシオサウルス! しかも大きい。全長3㍍ぐらいだったゴマフの母親の2倍はありそうだ。
もしこいつが敵対的だったらなかなか厄介そうだな、と内心思いながら石槍を握る手に力を込める。だが、こいつが何を考えて近づいてきたのか意図がまだ分からない。ゴマフを間近でずっと見てきたし、徳助氏の手記にも記述があったからプレシオサウルスがかなり賢く好奇心も強いことは分かっているが。
俺がプレシオサウルスと目を合わせたまま出方を窺っていると、そいつはゆっくりと俺たちの方に首を伸ばしてきて、咬えていたシーバスを俺たちの前に置き、そのまま首を引っ込めて俺たちの反応を待つような様子を見せた。
「え? 返してくれるの?」
明らかに人に慣れているその様子にもしやと思い、徳助氏の手記に記されていた、誤って彼の魚網に掛かって一度捕まったもののリリースされ、その後も彼に懐いて
「ノア……なのか?」
【作者コメント】
ちなみにシーバスことスズキは成長と共に名前が変わる出世魚で地域によって呼び名は変わりますが関東だとセイゴ(20~30㌢)、フッコ(40~60㌢)、スズキ(60㌢~)。関西だとセイゴ(20~30㌢)、ハネ(40~60㌢)、スズキ(60㌢~)といった感じですね。
作者が住む伊勢は関東風の呼び方ですが、フッコとスズキの間にマダカ(50㌢前後)という呼び名もあります。
岳人たちの本命がセイゴだったことを考えると、二人は串焼きにしやすい30㌢前後のものを釣りたかったということですね。
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