第196話 50日目⑧貝を料理する

 仮拠点に戻り、いつもの夕方の日課作業である洗濯物の片付けと風呂の準備を二人で一緒にする。今日は一緒に料理をする予定なので分業はしない。小川で水を汲み、風呂桶と湯沸かし釜に水を張るまではするが、すぐに入るわけではないのでまだ火は点けない。


「……普段は風呂の準備をみさちに任せっきりだけど、水汲みもなかなかの重労働だな」


 風呂桶と湯沸かし釜にいつもの量の水を入れ終わったところでちょっと一息つく。美岬が額に浮かんだ汗を拭いながらへらっと笑う。


「まあね~。でも、あたしが料理をしてガクちゃんにこっちをやってもらうよりも、あたしがこっちをやる方が、夕食の満足度のことを考えると絶対に正解だし。それにしっかり労働してほどよく疲れた状態で、旦那さまに用意してもらった美味しい晩ご飯とその後の温かいお風呂という幸せの大技コンボを食らってノックアウトされたい系女子のあたし的には今の役割分担に不満なんて全然ないよ?」


「なにその限定されすぎたシチュエーションへのフェチ」


「こうでも言わないと嫁を甘やかすことに生き甲斐を見いだす系男子のガクちゃんはあたしからお風呂の準備という仕事を取り上げそうだし」


「言 い 方 ! ……でもあながち否定できないところに嫁の俺への理解の深さを実感する」


「ふふん。どれだけ一緒にいると思ってるの」


「…………今50日目だから2ヶ月弱だな」


「…………そうなんだよね。なんかもう何年も一緒にいるような気がしてるけど実はまだあたしたちってそんなに長い付き合いじゃないんだよね」


 振り返ってみれば思った以上に短い付き合いにお互いにちょっと驚いてしまった。


「……でも、一緒に過ごした時間の濃密さは相当なもんだぞ。たまに別行動するとはいえ基本的に一日中一緒にいるからな。週に1回しか会えないカップルに比べれば7倍以上の時間を一緒に過ごしてるわけだし」


「確かに! 週に1日しか一緒に過ごせないカップル換算で計算すると50日×7倍で350日。つまり約1年付き合ってるのに相当すると!」


 相変わらず暗算速いな。


「しかも、会うのが週1だったら相手には自分の良いとこだけ見せるよう取り繕うこともできるけど、いつも一緒にいる俺たちはお互いに良いとこも悪いとこも全部見せてしまっているからな」


 美岬がチベットスナギツネの表情でスンとなる。


「……最初の出会いがあたしのゲロっすからね。出会いからやり直したいよ」


「はは。そういうこともあったな。……その時の彼女が今の妻です」


「うわぁ……ななれ初め話だね」


「なれ初めはともかく、お互いに最初から取り繕わない素の状態を晒し合ってて、それでも惹かれ合って、今は心から愛し合えてるんだからいい関係だと思うし、普通に1年付き合ってるカップル以上にお互いへの理解と信頼と愛情は深いと思うぞ」


「あは。そこは間違いないね。ガクちゃんがいない人生なんてもう考えられないし」


「俺もだ。みさちと二人で幸せに生きることが今の俺の一番の望みだよ。……なぁ美岬、俺に対してちゃんと言いたいことは言えてるか? 言いたいことを言えずにストレスを溜めたりしてないか?」


 急に真面目なトーンになった俺に美岬が一瞬きょとんとするがすぐに満面の笑みになって抱きついてくる。


「なぁに、そんなこと心配してるの? 大丈夫だよ。あたしはガクちゃんがあたしのことをどれだけ大事に想ってくれているか知ってるし、あたしが何を言ってもちゃんと受け止めてくれるって分かってるから遠慮なんてこれっぽっちもしてないよ。むしろガクちゃんの優しさに甘え過ぎて普段から好き放題に言い過ぎてないかなって逆に心配になるぐらいだし」


「そっか。それならいいんだ。俺もどっちかといえばコミュニケーション能力が高い方じゃないから、独り善がりで突っ走ってないかたまに不安になるんだ」


「ガクちゃんは何をするにしてもちゃんと説明してくれるから、あたしもちゃんと納得してついていってるから安心して。異義がある時はさっきのお昼寝の時みたいに遠慮せずに言ってるから」


 確かに今までもオーバーワークになりそうな時は止めてくれてるな。


「ああ、そうだな。みさちがブレーキをかけてくれるから助かってる。これからも頼むな」


「あい。おまかせられ」


 それから炊事場に移動して料理に取り掛かる。

 今日の食材はタイラギ、アワビ、アカニシ、アサリ、キサゴ。それとモズク。

 キサゴは美岬に任せるとして、アサリとモズクはスープ、タイラギとアワビとアカニシは刺身にしようと思っている。

 ただこれだけだと主食がないので、乾麺状にしてストックしてある葛切くずきりをスープに入れてバランスを取ろう。


 かまどの火を起こしてダッチオーブンで多めの湯を沸かし、美岬に大コッヘルでアカニシの下茹でをしてもらい、それを待つ間にタイラギとアワビを刺身用に捌いていく。


 殻の長さが30㌢ほどある大きな二枚貝のタイラギは、蝶番ちょうつがいを切ってから殻の中にナイフの刃を差し入れて貝柱を切り離して殻を開く。殻の大きさの割に身は少なく、刺身用の可食部位は大小1つずつの貝柱だけだ。こんなに大きいのにこれだけしか食べる場所がないのだから高級食材なのも納得だ。

 

 アワビは殻から身を少しずつ剥がしていき、外れた身に付着した内臓を切除して残った部分はすべて生食できる。さらに内臓のうち一番大きな肝をすりつぶして醤油と混ぜることで貝の刺身と相性抜群の肝醤油が作れるからほぼ捨てる場所はない。

 以前に仕込んだ醤油はまだ出来てないが、煮干しと干し椎茸を煮出した出汁だし塩麹しおこうじで味をつけた濃厚な液体調味料──俺たちは旨味出汁うまみだしと呼んでいる。があるので、それとアワビの肝を混ぜて肝醤油モドキを作っておく。


「ガクちゃん、アカニシの下茹ではこれぐらいでいいかな?」


「おう、いいな。じゃあそいつを水で冷ましてから中身をくり抜いてくれるか?」


「あいあい」


 美岬が大コッヘルの茹で汁を捨て、そのまま大コッヘルを小川に持って行き、しっかり冷ましてから戻ってくる。

 アカニシのいう巻き貝は、口が大きく広がっているので一度熱を通したものなら中身を引き出すのがすごく簡単な貝だ。入り口付近の軟体にフォークを刺してくるりと殻の巻きの方向に回せばつるりと大きな身が殻の先端部まで綺麗にひっこ抜ける。


 美岬が抜き出してくれたアカニシの剥き身から渦巻き状の先端部──肝を切り取り、軟体内部にある謎の黒い内臓(脾臓か?)を取り、頭にあたる部分を左右に切り開いて消化器官を取り除いて可食部位だけにする。


「みさち、アワビとアカニシの身はこのままだとまだヌメリが残ってるから、塩揉みして水洗いしてヌメリを落としてもらっていいか?」


「あい。おまかせられ」


 可食部位だけになったアワビとアカニシを美岬に渡し、それを美岬が塩揉みと水洗いでヌメリを落としてから俺に戻す。それを食べやすい厚みに切って皿に並べれば刺身の完成だ。アカニシは生食もできるが、熱を通してもあまり硬くならない貝なのでこのように一度茹でてから刺身にするのも旨い食べ方だ。

 取り分けておいたタイラギの貝柱もスライスして盛り付けて、貝のお造り三種盛りが完成する。


 アカニシの下茹でに使った大コッヘルにアサリと水を入れて火に掛け、沸騰してきて貝の口が開き始め、湯が白く濁り、灰汁アクが浮いてきたらお玉で掬い、灰汁が出なくなったらモズクと乾燥葛切りを入れ、塩麹で味を調え、薬味にミツカドネギの葉を刻んだものを入れたらアサリとモズクのスープも完成だ。


「さて、あとはキサゴだな。どうするんだ?」


「うん。キサゴはシンプルに塩茹でが一番なんだけど、そのやり方にコツがあるんだよね」


 美岬がキサゴを小コッヘルに取り分けて塩をまぶし、ダッチオーブンでぐらぐらに沸騰している湯を掬ってキサゴに掛けるようにして小コッヘルに注いでいき、キサゴが全部ヒタヒタに浸かるぐらいまでで止める。

 菜箸さいばしで全体を軽くかき混ぜてから蓋をする。


「はい。これだけ! キサゴは殻が薄くてあっという間に火が通るから、茹でるというより、塩を利かせた熱湯を注いで自然に熱が冷めるまで浸けておくぐらいがちょうどいいんだよね」


「なるほど。簡単だな。食べる時が楽しみだ」


「このやり方だと絶妙の柔らかさで最高なんだよ」


「それはいいな。じゃあ、メニューも一通り揃ったからさっそく食べるとしようか」


 



◻️◻️◻️???視点◻️◻️◻️



 ゆっくりと流れる潮流に乗り、彼は長い洞窟を出口の明かりに向かって泳いでいた。洞窟は入り口こそ狭かったが内部は十分な広さがあり、泳ぐには不自由しない。ただ、追い潮に乗っている今はいいが、これほど長い距離を潮の流れに逆らって戻るのは彼にとっても簡単ではない。ましてや仔を連れてでは無理だろう。しばらく待てば潮の流れが止まり、逆方向に流れることを海に生きる生き物の本能として彼は知っている。ゆえに潮の流れが変わってから戻るつもりであった。



 この島は周囲を切り立った崖に囲まれているが、海面下にこのような洞窟はいくつも存在しており、そのうちの一つが彼らの群れの営巣地だった。

 その洞窟は最奥が天井の抜けた広い行き止まりになっており、小さいながらも砂浜があり、その場所で代々仔を産み育て、仔がある程度育ったら外洋に出て回遊する生活をし、季節が巡って出産の時期になれば再び営巣地に戻るというサイクルを彼らはずっと繰り返してきていた。


 しかし、出産と仔育てのために久しぶりに営巣地に戻ると、近くに狡猾で厄介な敵が住み着いていた。初めのうちはその存在に気づけず、単独で餌取りに出た若い個体や身重の雌が戻って来ないということが何度かあったが原因は分からなかった。

 群れで行動している時や戦士であるオスが一緒にいる時は敵は一切姿を見せず、襲撃してこなかったので、敵の存在に気づくことができなかったのだ。故になるべく単独行動を控えるという以外に対策の取りようがなかった。


 そして先日、彼が出産を間近に控えていた彼のつがいと共に餌取りに出ていたところで、番が敵の襲撃を受けた。その時、彼は番とは少し離れた場所にいたので敵は番が単独行動と判断して襲ってきたらしい。番の助けを求める声を聞いてすぐに現場に駆けつけるも、番はすでに酷い傷を負い、腹を食い破られていた。

 無我夢中で敵から番を引き剥がし、必死で戦って敵をなんとか撃退したものの、戦いが終わった時に番の姿はどこにも見当たらず、営巣地にも戻らなかった。


 ようやく姿を現した敵の存在が群れに知らされ、その後、さらに1頭の若い個体が犠牲になったことで長はもはや安全とは言えない営巣地を捨てる決断をした。

 新たな営巣地を探す旅に出たところで敵の追撃を受け、既に我が仔を殺されていた戦士が敵を足止めするために殿しんがりとして単身で残って群れを先に進ませ、ようやくここまで逃げ延びてきた。殿となった戦士は結局戻らなかった。

 そして、この洞窟の奥から仔の声を聞いて今に至る。


 彼らは一度番になるとどちらかが死ぬまでパートナーを変えることはなく、一緒に仔育てを行う。ゆえに親子の絆は強く、その関係は出産前から始まっている。胎生であるので出産前にはすでにかなり育っており、母親の番である父親の声を仔は知っているし、仔もまた産まれる前から声を発することができるので父親が我が仔を間違えることはない。

 ゆえに彼は確信していた。この先にいるのが我が仔であることを。もしかしたら行方不明の番もそこで生きているかもしれない。彼は焦りを感じつつも慎重に洞窟の出口へと進んで行き、隠れてその先の様子を伺った。そして見つける。見慣れない生き物と戯れる我が仔の姿を。


 一目見た瞬間に我が仔であると分かり、発する声で確信を強める。しかし、そこに番の姿はなく、仔は親に向ける甘えた声を見慣れない生き物に対して発している。仔は完全にその生き物を親と認識しているし、その生き物も親として仔に接し、餌を与えている。

 いったいどういうことなのか、と彼は混乱した。

 仔に対して一度呼び掛けてみるも、仔は困惑した様子だし、親役の生き物は露骨に警戒した様子で仔を安全な場所に避難させ、自分たちも陸の木々の間に隠れてしまった。


 これは本当にどうしたものか、と彼は途方に暮れる。番はどうなったのか? あの生き物は敵なのか味方なのか? 

 あの生き物を親と認識している我が仔はこのままでは群れに戻ることはできない。無理に引き離しても仔は親と認識しているあの生き物の元に戻ろうとするだろう。


 彼は長の判断を仰ぐために一度群れに戻ることに決めた。我が仔の無事は確認できたし、見たところこの場所に危険はなく、仔を守ろうとする生き物もいる。しばらくはこの場所に残しておいても問題はないだろう、と。




【作者コメント】

 色々と島にまつわる秘密も明らかになりつつあります。

 コウテイペンギンって父親が営巣地で卵を温めている間に母親が遠くの海まで餌取りに行って、その間に卵が孵化するそうですが、戻ってきた母親は見知らぬ我が子を声で判別できるそうですね。自然の生物には我々には理解しがたいコミュニケーション手段があるようです。作中のプレシオサウルスの生態はそんなペンギンのネタを参考にしています。

 楽しんでいただけたら応援や★評価、作品フォローいただけると嬉しいです。感想も喜びます。

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