第195話 50日目⑦大きく弱く賢き者


 腕枕をしてくれているガクちゃんの身動みじろぎで意識が浮上し、髪を優しく撫でられて覚醒する。目を開くと至近距離でガクちゃんと目が合う。


「……んぁ。……もう、起きるの? いま……何時?」


「……うん。ちょうど3時ぐらいだな。今から早めの晩飯の支度と風呂の準備とかしたらいい時間になるんじゃないか?」


 だいたい1時間半ぐらい寝てたみたい。それにしても目覚まし時計もないのによくこんな短時間で起きれるもんだね。


「そうだね。でもガクちゃんはちゃんと寝れたの?」


「おう。ちゃんとぐっすり寝たよ。今は夜にきちんと睡眠取れてるから、よっぽど疲れてる時でもなければ昼寝だったら1時間から1時間半ぐらいで自然に目覚めるな」


「……はー、あたしはねぼすけだから起こしてもらえなかったら昼寝でも余裕で数時間寝ちゃうよ」


「ま、そこは個人差だな。そもそも俺は元々ショートスリーパーだから繁忙期はんぼうきは1日4時間しか寝れない日が続いててもなんとかなってたし」


「……うぇえ、4時間で大丈夫とか人間辞めてない?」


「その代わり眠りは深いけどな。急速潜航からの急速浮上だな」


「……あー、そういえばガクちゃんってそんな感じだよね」


 あたしより先にガクちゃんが寝落ちするのはそう多くはないけど、一度眠りに落ちた彼は声かけや軽く揺すった程度では絶対起きないぐらい深く眠る。そんな無防備すぎる姿を見せてくれることこそが彼からの無意識の信頼の証だと思うので彼の寝顔を見ることがあたしの密かな楽しみだったりする。


「……さて、そろそろ目も覚めて頭も冴えただろ。ぼちぼち起きて活動再開しようか」


 そう言いながらガクちゃんがむくりと身を起こす。もうちょっと寝転がったまま駄弁だべっていたかったけど、疲れは十分に取れたし、頭もスッキリしているのであたしも寝床から起き上がって伸びをする。


「んん~っ!……ふぅ。ちょっと休憩するだけでだいぶ身体が軽くなるね」


「だな。そろそろ貝の砂抜きも終わってるだろうし夕食の準備にかかるとしよう。……見せてもらおうか! 漁師の娘のキサゴ料理の本気とやらを!」


「やりますっ! 舌の肥えたガクちゃんだって唸らせてみせます!」


「バカな! そんなに旨いと言うのか?」


 いつものように小ネタの応酬でじゃれ合いながらテントを出て砂浜に向かう。潮はだいぶ満ちてきているけど、それでもまだわずかに干潮で干上がった砂地が残っている。


「キュイッ! キュイキュイ!」


 あたしたちに気づいたゴマフが騒ぎ始めるので囲いから出して遊び相手をしてやる。朝と昼にエサはあげたからさすがに今はあげないけど、ゴマフ自身もさほど欲しがる様子は見せず、甘ったれの構ってモードであたしにじゃれつき、砂に両膝をついたあたしの前でお腹を見せてコロコロ転げ回る。


「もぅ~可愛いなお前は!」


 柔らかくてすべすべのお腹を喉元まで撫でてやればうっとりと目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らす。


「クゥゥ……クルルル」


 故郷の島では海ガメを子亀から飼ってる人もいたから、それなりに人に懐く姿も知ってるけど、ここまでべったりではなかった。

 卵生ではなく胎生で、生まれた時から一匹で生きていく海ガメと違い、親に育ててもらうプレシオサウルスの生態は爬虫類よりもイルカやクジラに近いのかもしれない。

 学習能力も高いから、一般的な爬虫類よりはずっと高い知能を有しているように思う。まあうちの子が特別賢いだけかもしれないけど。


──……クエッ


「……?」


 何かどこからか鳴き声が聞こえた気がして周囲を見回す。ゴマフにも聞こえていたようでヘソ天 (ヘソはないけど)状態からコロンと転がって腹を下にして周囲をキョロキョロと見回し始める。

 しかしそれ以上声は聞こえず、声の主は分からない。もしかしたら崖に営巣している海鳥の鳴き声だったのかもしれない。

 ……でもなんだろう? なんか落ち着かない。この感じは、学校で孤立していた時に似ている。どこからか見られてる?


 あたしがゴマフと遊んでいる間に、海中に沈めてあった貝を活かしておくための篭からこれから食べる分の貝を取り出していたガクちゃんが戻ってくる。手に提げたバケツには砂抜きの終わったアサリとキサゴに加え、タイラギやアワビの姿が見えている。


「食材回収してきたぞ。……なんかあったか?」


「……いや、気のせいかな? なんかどこからか見られてるような気がして妙に落ち着かないんだよね。さっきもなんか鳴き声が聞こえたような気がするし」


 ガクちゃんが周囲を見回し、崖の上にも視線を向ける。


「……うーん、鳥じゃないか?」


「んー、そうかも」


「俺は特に違和感は感じないし、まあ気にしてもどうしようもないんじゃないか? とりあえずゴマフを囲いに戻して俺たちも戻ろう」


「……そだね。ゴマフ、おうちに戻るよ」


「キュウゥ……」


 ゴマフを抱き上げて囲いの入り口に連れていけば、今ではすっかり自分の巣として認識しているので抵抗せずに素直に中に入り、お気に入りの寝床スペースで丸くなる。

 それを見届けてからあたしもアカニシの入った大コッヘルを片手にげてガクちゃんと一緒に砂浜を後にする。

 でもやっぱりなんか落ち着かない。視線に敏感になるのは苛められっ子だったからかもしれないけど、絶対に見られてるという確信がある。


「…………」


 林に入る前に一度振り返ってみたけど、砂浜もその先の内湾もいつも通りの静かな状態だった。夕方近くなり、太陽は箱庭上空から姿を消しているので谷底の箱庭はすでに陰って薄暗くなりつつある。

 崖の影が映り込む鏡のような凪いだ海。普段はそんなことは思わないのに、何故か今日に限っては妙に不気味に思えるのだった。




◻️◻️◻️???視点◻️◻️◻️



 仔の声は岸壁に穿たれた洞窟の向こうから反響しながら聞こえてきた。しかし、その洞窟に入ることを群れの誰もが躊躇していた。本能に刻み込まれた恐怖。この先には恐ろしき敵が棲んでいると本能が警告を発しているのだ。


 大きく弱く賢き者。彼らはその臆病さと慎重さにより、永きに渡って種を存続させてくることができていた。鳴き声と水中で発する音により、簡単な意思の疎通が出来る彼らは、危険な目に遭った場所を記憶し、仲間全体で共有し、本能に刻み込んで代々継承する能力があった。


 そして、かつてこの洞窟の先で多くの同胞が殺され喰われたという記憶は本能に恐怖という形で刻み込まれ、一族の者をこの場所に近づけさせない抑止力として作用してきた。実際にこの先がどうなっているのかを見て知っている者はいないが、これまで誰もこの場所に近づこうとはしなかった。


 ずっと昔から世代を越えて連綿と受け継がれてきた近づいてはいけない危険な場所に、今まさに同胞の仔がいるという事実が群れの者たちを当惑させる。怖いから近づきたくない。しかし、仔を見捨てることは出来ないという葛藤。弱き者であるがゆえに彼らの仲間意識は強い。


 そんな中、群れの若い雄の一頭、数少ない戦士である者が単身で洞窟に入り、できるなら仔を連れて戻ると群れの長に申し出た。その者は先日はぐれた雌とつがいであった。番を失って以来、ひどく落ち込んでいて仲間たちを心配させていたが、本来は群れの仲間想いの勇敢な戦士であるので、長は彼が行くことを許した。


 潮が満ち始め、外海の水が洞窟に流れ込み始める。その流れに乗って洞窟に入っていく若い戦士の姿を群れの仲間たちは黙して見送り、彼が仔と共に戻るのをその場で待つことにした。







【作者コメント】

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