第177話 閑話4:女子大生たちの憂い

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 いつもの常連客にいつもの挨拶をかける。レジ待ちの客がいなくなったタイミングで手早く店内の棚を見回り、減った商品を補充し、在庫切れの商品は隣の商品のフェイスを広げることで売り場を整える。

 コンビニの防犯上、売り場を綺麗に保つことは非常に重要。売り場が整っている店での万引きはバレやすいから減る傾向にある。逆に言えば売り場の管理が悪い店は万引きが増える。

 あと、売り場の整理に頻繁に店員が店内を巡回している抑止効果も大きい。


 一通り店内を回ってレジに戻ってくると、レジ横の壁に店長が今まさに貼っているバイト募集のポスターが目に入る。募集時間帯は、あの子が入っていた時間帯だ。


『すいません。今回ちょっと長めに帰省するんでシフト調整でご迷惑をおかけするっす』


『いいよいいよ。これまでずっと働き通しだったし、今回が高校に入って初めての帰省なんだろ? ゆっくり羽を伸ばしてきなよ』


 30代の小太り店長とぽっちゃりのあの子が交わしていた会話が脳裏をよぎる。羽を伸ばすどころかホントに羽が生えて天使になったとかマジ笑えない。


「……この時間のバイト、募集するんすね」


「ミズキちゃんか。……うん。やっぱりこの時間はもう1人いないとキツいからね。美岬ちゃんが戻ってきてくれるなら多少無理しても空けとくんだけど……ぐすっ……いい子だったのになぁ」


 涙声になった店長が鼻をすする。店長、あの子のことめっちゃ気に入ってたんだよね。ホントはルール違反だけど、生活に困窮してるあの子に販売期限の切れたFFファーストフードや廃棄弁当をこっそりあげて餌付けしてたじゃんね。


 あの事故から1ヶ月。ようやく少し立ち直ってきたけど、あの子が海難事故に巻き込まれて行方不明になったってことを最初に知った時は、パニックで何も仕事が手につかなくなって、下手したら海まで探しに行きかねない状態でエリアマネージャーに本気で止められてた。


 あの子──美岬は、クラスメイトとはあまり上手くいってないようだけど、サークルやバイト先では先輩や上司から可愛がられて高く評価されてたからね。

 同級生より年上の方が付き合いやすいって言ってたのは紛れもない本音だったんだろう。


 実家からの仕送りが少ないとかで平日の夜帯にほぼ毎日シフトに入ってくれて、仕事ぶりも真面目でサボらず、よく気が利く上に、特に年配の客への対応力がずば抜けていたから店長からするとすごくありがたいスタッフで、頼りにしてたんだよね。

「近頃の若いもんは!」が口癖の近所の面倒臭い年配客でさえ、美岬が対応してる時だけはニッコニコしてるし、実際に気難しい要注意客からのクレームも減ってたし、そりゃ店長も可愛がるじゃんね。ただ、美岬が太ったのは絶対店長のせいだけど。

 そんな美岬目当ての年配客たちも事故のことを知ってみんなガックリ落ち込んでいる。気持ちは分かるじゃんね。あたしもそうだし。


 あたしはあの子が所属するサークル『有用植物研究会』の先輩でもあり、コンビニバイトの先輩でもあるのでなんだかんだで一緒に過ごすことが多く、かなり懐かれていたと思うし、ヲタバレしてからはヲタ活を共にする同志としてますます親しくなっていた。

 あたし自身あの子のことはもう妹みたいに思っていたから、あの子が帰省途中の事故で行方不明になって、おそらくもう死んでるだろうという現実は頭では理解してても、まだ心が受け入れられない。

 テレビでインタビューを受けてた美岬のお父さんも「神隠しだ! きっとどこかで生きてる!」って力説してたけど、僅かな希望にでもすがりつきたいのは分かる。あたしもそうだったらいいじゃんねって思うし。


 その点、店長は泣きながらだけどちゃんと現実を受け入れて切り替えできてえらいと思う。あたしにはまだ無理じゃんね。

 また涙腺が弛みそうになるのを堪えながら今日も仕事に打ち込む。

 夜のコンビニの外は雨。駐車場のあちこちにできた水溜まりを雨粒が波立たせ、水しぶきが車のライトに反射して光る。



ーーーーーー



 雨上がりの週末。うちはフィールドワークの為、近くの公園内の雑木林に来ていた。キノコって人の手が入ってない原生林より、適度に管理の手が入ってる里山とか公園の方がよく生えとるんよね。

 特にうちのメインターゲットであるイボセイヨウショウロ──トリュフは木の間隔がまばらで適度に木漏れ日が地面を照らしている陽樹ようじゅの林によく生えとるし。この公園で採れるキノコではトリュフ以外にもヤマドリタケ──ポルチーニなんかもイタリアンレストランなんかに持ち込めばそこそこ良い値が付く。


 見つけるにはコツがあるけど、そこは仲間内ではキノコオタクと呼ばれてるうちにかかればちょちょいのちょい。

 いかにもありそうな場所で空気の匂いを嗅いでみれば微かに香るトリュフの匂い。これは確実にあるやん。

 地面を這う木の根の周辺の落ち葉を退かして探せばすぐにいいサイズのトリュフが連続で見つかる。このサイズの天然トリュフなら今の数分で採った分だけで1万円ぐらいの稼ぎになる。


「ふふん。うちにかかればざっとこんなもんやね。どや美岬、ええサイズや……」


 ついいつもの癖でフィールドワークに付き合ってくれる後輩に呼び掛けそうになる。もちろん返事はない。


「…………なんだよぅ。せっかくええサイズのが採れて売上期待できそうやから美味しい店で奢ったろって思ったのにさぁ……」


 うちの頬を熱い液体が流れる。うちの可愛い後輩はもうどこにもいない。悲しみを紛らすためにフィールドワークに来たのにこれじゃ本末転倒やん。


──ぽた、ぽた……


 足元の落ち葉を滴が濡らし、視界が滲む。


 一歩歩くごとに足の下で砕けるドングリ。残暑が落ち着いてずいぶん涼しくなり、葉が色づき始めた雑木林を秋の風が吹き抜けていく。



ーーーーーー



 フェンスに絡み付いて成長している小さな蔓植物が目に留まる。去年までのあーしにはただの雑草でしかなかったけど、今なら分かる。


「ナナミ、なに見とん? ああ、スズメウリな」


「あは。まだ実もついてないのにヒヨリもよく見分けつくじゃんね。まあ、あたしも分かるけどさ」


 一緒にいたツレのヒヨリとミズキもあーしの目線の先を見て納得する。


「ちょ、あんたら、いくら有植研だっつってもこんなドマイナーな雑草を瞬時に見分けるとかおかしくね?」


「いやだって、去年散々あの子に布教されたから嫌でも覚えるじゃんね」


「それなー。あれだけ推されるとこっちまで影響されて可愛く思えてくるやんなぁ」


「ま、あーしも嫌いじゃないけどな。スズメウリたん」


「スズメウリたんて……ムッツリーニ、何気にめっちゃ気に入っとるやん」


「ムッツリーニ呼びやめーや! キノコオタク」


「いや、極限状況下における安全なエッチのやり方についての研究成果を堂々と発表するあんたはやっぱりムッツリーニにふさわしいじゃんね」


「断じて違うっ! あーしはムッツリスケベじゃない。オープンスケベだ! エロ話は堂々と大きな声で! これがあーしのポリシーだし!」


「ツッコム場所そこかい! このエロサイエンティスト!」


「むしろムッツリーニはミサキにこそ相応しい称号だし!」


「あーまぁ、そこは同意するけどな」


「サークル部屋にあった誰かさんのエロ研究レポートを顔真っ赤にして真剣に読んでたじゃんね。まぁ、高校生頃ってそういうことに一番興味ある年頃だから気持ちは分かるけど」


「分っかるんだー! ムッツリ先輩店員」


「うっさい! 小学生レベルの煽り方するな! エロサイエンティスト!」


 ひとしきりやいのやいのの騒いでから不意に訪れる沈黙。夏前まではこの3人にミサキを加えた4人で過ごすことが多かった。

 いつも通りに振る舞っていても、ふとした拍子にミサキのことを思い出してしまって、そんな時は決まって残りの2人も同じような感じで、急に黙り込んでしんみりしてしまう。


「ホントにいい子だったのにな。なんでこうあっさり死んじゃうかなー」


「そやな。それに付き合いのいい奴やった。うちのフィールドワークにもよう付き合ってくれたし」


「うちのコンビニの常連客たちもしょんぼりしてるよ。一番ショック受けてるのは店長だけどさ」


「えー、やばっ! 店長ってJKのバイトにガチ恋勢だったわけ?」


「それはどうかわからんけど、この前、泣きながら美岬が働いてた時間のバイト募集のポスターを貼ってたじゃんね」


「あー……気持ちは分かるけどね。あーしらもミサキロスから立ち直れてないし。あいつ、けっこう可愛いのに自信無さすぎだったからもっと色々教えたかったんだけどなー」


「エロサイエンティストがあたしの可愛い妹に何を教えるつもりだ? 不健全な内容なら許さんじゃんね」


「いやいや、あーしもそのへんはわきまえてるし。まぁ、簡単な化粧の仕方とかヘアアレンジとか服選びとか? 多少太ってても化粧とか服で印象変わるから第一印象を良くするような感じ?」


「あー、それぐらいならありか。あの子もコンビニでの接客で人見知りがだいぶ改善したから、あたしもそのへんはそろそろ何とかしてあげたいとは思ってたとこじゃんね。オドオドと人見知りのままで見た目だけ可愛くしても面倒ごとにしかならないから今まではあえて口出ししないようにしてたけど、あの子にはあたしらとは違ういい恋をしてほしいじゃんね」


「あたしらって一緒にすんなし。毎回ろくでもない男に引っ掛かってるのはミズキだけだし。でもまあ言いたいことはわかる。今のミサキならさ、ぶっちゃけちょっと痩せて、背筋伸ばして、目元を隠さなくなるだけでマジヤバいレベルでモテると思うんだよ。でも、それで変なヤリチン男に目をつけられてほしくないし」


「それな。でも、今だって粗削りだけど普通に可愛いじゃんね。あんないい子をハブるとか美岬の同級生ってマジで見る目無さすぎ。……つっても、原石の潜在能力を見抜く目もない節穴連中が美岬が可愛くなった途端に手のひら返ししやがったところで、このお姉ちゃんが許さんけどな」


「うわぁ……ミズキ姉ちゃんの愛が重いし! 重すぎだし!」


「…………なー、あんたらさっきから何イマサラなはなししとん? 美岬ありきの話しとるけどあの子はもう……帰ってこやんのやに? そのへんちゃんと分かっとる?」


「……そう、だったね」


 ヒヨリの冷めたツッコミではっと我に返る、と同時に凄まじい喪失感に襲われ、堪えきれずに涙がぶわっと溢れてくる。滲んだ視界の中で、2人も同様に涙を流しているのが分かる。

 美岬と一緒にしたいこと、してあげたかったこととかがいっぱいありすぎて、あーしらはまだ当分ミサキロスから立ち直れそうにないってことだけはよーく分かった。



ーーーーーー



「あ、あった。ガクちゃんこの木っすよ」


「へー。こんな木にトリュフが」


「キノコオタクのヒヨリ先輩は木のそばで匂いを嗅げばトリュフがあるかどうか分かるって言ってたっすよ」


「すげーな。トリュフ犬かよ」


 と言いつつも俺も試しに目を閉じて空気の匂いを嗅いでみる。……ああ、意識してみれば確かにトリュフの匂いを感じるな。この林はあまり風がなくて空気が滞留しているからだろうが案外分かるもんだ。

 目を閉じたまま、トリュフの匂いが濃い方に向けて足を踏み出し、近づいたところでしゃがみ、地面に顔を近づける。ここか。

 目を開けば積もった落ち葉が目に入る。


「ここ掘れワンワン」


「あはは。あたし花咲じいさんじゃないっすよ。そう簡単に見つかるはずが…………って、あったっすね。マジっすか。ガクちゃんすごっ! そしてデカッ!」


 落ち葉を退けた下に、ピンポン玉サイズのかなり立派なトリュフがあった。


「なるほどなー。トリュフってこんな感じに生えてるのか」


「さすがにこんなにでかいのはヒヨリ先輩でもなかなか採ってないっすよ。でも、豊作だった日はいいレストランで奢ってくれたんすよね。……先輩、今もキノコ狩り行ってんのかなぁ」


「いい先輩だったんだな」


「そっすね。バイト先とかサークルの先輩たちにはホントに良くしてもらったんで、せめて無事ってことだけは伝えたいなって思ってるんすよね。……だいぶ心配と迷惑をかけちゃってると思うんで」


 美岬がこずえの隙間から見える空を穏やかな表情で見上げる。

 そろそろ9月半ばに差し掛かり、澄んだ蒼い空の高いところにヒツジ雲が浮かんでいて俺たちの暮らす島にも秋の気配が漂い始めている。


 あの事故から1ヶ月が過ぎ、俺たちは特別失踪扱いで捜索もとっくに打ち切られ、世間もそろそろ事故のことを忘れ始めている頃だろう。まさか俺たちがこんなところで多少の不便はあれど自由に楽しく暮らしているとは誰も思うまい。

 別に悪いことをしているわけではないのだが、捜索に携わってくれた人たちに対してはちょっと申し訳なく思う自分もいる。かといって今の俺たちには外部に無事を伝えることもできないのだからどうしようもないが。


「まあ、何とか冬を無事に乗り切って、元気に社会復帰できるよう頑張るしかないな」


「あい。それまで夫婦水入らずで楽しく過ごしましょうね。旦那様!」 


 幸せそうに笑いながら美岬の方から手を繋いできて、指を絡めて握ってくる。その手を握り返して微笑み返す。


「そうだな。さしあたってはこのトリュフを使った美味しい料理でも愛する嫁に作ってやるとしようか」


「……あ、じゃああたしあれ食べたいっす。白身魚をトリュフと香草と一緒に葛の葉で包んで蒸したやつ」


「ああ、あれな。お安い御用だ」


 まだ日中の暑さは残るものの朝晩はすっかり過ごしやすくなった箱庭。美岬のお気に入りのスズメウリにも小さい花が付き始め、スダジイの新しいドングリも大きくなり、ヤマイモの蔓にはムカゴもでき始め、エビヅルにも小さな実が付き始めている。

 箱庭の実りの秋はもうすぐそこまできている。











【作者コメント】

 前話のモブ男子Aとは違い、ちゃんと名前のある女子大生たち。登場順にミズキ、ヒヨリ、ナナミ。以下キャラ設定。


◻️ミズキ

 美岬がバイトしていたコンビニの先輩。サークルの先輩でもある大学2年生。明るい茶髪のセミロングソバージュ。一人称あたし。三河訛り。ゲーヲタでアニヲタであり、美岬のヲタ友。男運は悪い。


◻️ヒヨリ

 美岬のサークルの先輩で通称キノコオタク。大学3年生。服装やおしゃれには無頓着で長い黒髪を後ろで雑にくくっている。一人称うち。三重訛り。キノコを愛し、フィールドワークと称したキノコ狩りで生活費を叩き出している猛者。美岬のフィールドワーク師匠。男と付き合ったことはないというか興味がない。


◻️ナナミ

 美岬のサークルの先輩で通称ムッツリーニ、エロサイエンティスト。大学2年生。金髪ギャル。一人称あーし。しゃべり方もギャルっぽい。男好きでけっこう遊んでいるが、男を見る目はあるので意外と男運は悪くない。研究に関しては真剣に取り組むがテーマがエロ専門なので周囲からの評価は真っ二つに分かれる。美岬の性知識の師匠。



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