第146話 14日目⑨おっさんは海竜を看取る
シーラカンスや三葉虫まで棲息しているのだ。それより後の時代に生きていたプレシオサウルスがいてもおかしくはないのだが、それでも生きたプレシオサウルスを目の当たりにした感動はちょっと言葉にできない。
「うわぁ……やっば。本物の恐竜っすよ」
「ああ。ちょっと自分の目が信じられんな。……本当に生き残っていたんだな」
白亜期末期の大量絶滅はメキシコ湾とロシアに墜ちた二つの巨大隕石が原因とされているが、その影響は陸地に比べれば海はまだ限定的だったので、首長竜のような海洋性爬虫類なら生き残っているかもしれないという説は昔から唱えられてきた。
そして、太平洋にあるこの島は、メキシコ湾ともロシアとも大陸によって隔てられているので小型のプレシオサウルスが生き残れる可能性も比較的高かったのだろう。
ただ、残念ながらこのプレシオサウルスはすでに死にかけていた。
俺たちが近づくと威嚇するように顎を噛み合わせて見せたが、もはや逃げようとする素振りすら見せず、地面に横たえた頭を持ち上げることさえできないようで、ただ目だけが俺たちをじっと見つめていた。
「あぅ……ガクちゃん、どうするっすか?」
「……それなー。どうしたもんかなぁ」
困ったように俺を見上げてくる美岬。確かに俺も困惑している。ただのウミガメだったら迷うこともなかったが、いくら瀕死状態とはいえ、こんな稀少な古生物に止めを刺して食肉にするのはさすがに躊躇いを覚える。
個人的には生かせるものなら生かしてやりたいと思っているが……。
俺は改めてそのプレシオサウルスの状態を確認する。
アーモンド型の背中は青みがかった緑色で腹部は白い。ウミガメと似たような形のヒレだが、胴体がウミガメよりも細い分、相対的にかなり大きく見える。ただ、後肢は両方とも原形を留めないほどに食い千切られ、骨が露出している。
比較的無事な前肢も咬み傷だらけで、この状態でよくここまで逃げきれたものだと思う。ここに繋がるトンネルが狭すぎてサメが入れなかったのか、あるいは警戒して追ってこなかったのか、外洋に比べて水温の低いここをサメが嫌がったのかもしれない。
皮膚はウミガメの甲羅以外の部分と同様にウロコはなく、硬質化した皮膚がタイル状に全体を覆っているが、やはり腹部が比較的柔らかいようで咬み裂かれた腹部から腸がはみ出し、それも咬み千切られていて欠損しており、明らかに致命傷だった。
「うーん、内臓まで欠損してる状態じゃあどうやっても助けようがないな。むしろ今まだ生きているのが奇跡だ」
「……うぅ、可哀想っすけどどうしようもないっすよね。せっかく逃げ切ったのに結局助からないのはやるせないっすけど」
「こんな稀少な古生物にまた遭遇できる機会があるかは分からないから、本音としてはこいつを助けたいし、元気になった姿も見てみたかったけど、もうこれでは手の施しようがない。シーラカンスと同じようにせめてきちんと記録を取りながら解体して、こいつが生きた証を残してやるぐらいだな。サメに食われたらそれすら無かったわけだし」
その時、プレシオサウルスの身体がブルッと痙攣し、口を限界まで開いて小さく叫ぶ。
「……ギャゥッ」
直後、血の匂いが強くなり、見れば短い尾の裏にある総排泄口、人間にとっての肛門にあたる部分からドロリと血まみれの塊が排出されていた。
便かと思ったのは一瞬で、次の瞬間にそれがモゾリと動いたことですべてを悟る。なぜ
「あ、赤ちゃんを……産んだ?」
「……我が子を生かすために限界を超えてここまで逃げてきたってわけか。まさに母は強しだな」
今の出産で最期の力を振り絞ってついに力尽きたようで、力なく横たわった母竜の荒い呼吸が次第にゆっくりになっていき、ついには止まる。
目から光が失われ、身体から力が抜けて弛緩していき、彼女はもうそれ以上動くことはなかった。
「……もしかするとまだ生きた子供が胎内に取り残されてるかもしれない。確認のために腹を裂いてみるぞ。美岬、こいつを仰向けにするのだけ手伝ってくれ。そのあと、その子を連れてちょっと離れてくれるか? その子を海水で洗ってやってくれ。理解はできないだろうが、母親の身体を切り裂く様子は見せたくない」
「……ぐすっ。ぞっずね。了解っす。辛い役割をざせて申じ訳ないっす」
二人で力を合わせて急速に体温を失いつつある母竜の身体をひっくり返して腹を上にする。そして、美岬が生まれたばかりの血と粘液まみれの子竜を抱き上げて水際に向かうのを見送ってから、サバイバルナイフで母竜の総排泄口から腹部を切り開いていって胎内に取り残された子竜がいないかを探す。
結局、胎内に他に子竜は残されておらず、ほっと一息つく。母体のサイズに対してかなり大きめの子竜だったし、過去に胎内に胎児を1匹だけ宿したまま化石となったプレシオサウルスが発見されていることから胎内に子竜が残されている可能性そのものは低いとは思っていたが、それでも双子の可能性も無くはないし、今ここで確認せずにあとで手遅れの子竜が胎内から見つかった場合にするであろう後悔を考えれば確認しておくに越したことはない。
この母竜が文字通り命懸けで産み落とした子竜は、これも一つの縁だから、自力で生きていけるようになるまでは育ててやろうと思う。
そのかわりと言ってはなんだが、死んだ母竜の素材は俺たちでありがたく利用させてもらうとしよう。
とりあえず、まずは最優先は血抜きだ。すでにかなり失血しているとはいえ、まだまだ体内には多くの血が残っているし、血抜きができていないと肉が生臭く、また腐りやすくなる。
スッポンやウミガメの場合、生きたまま頸動脈を切り、まだ動いている心臓の鼓動によって血を体外に排出させることで血抜きをするが、すでに死んでいるこの海竜にはその方法は使えない。
ならば、射殺された鹿や猪から血を抜く方法の応用だな。一応ジビエの料理店のオーナーとしてそのあたりの経験もそれなりに積んでいる。
射殺されてすでに心臓が止まっている獣の場合、速やかに頸動脈を切り、頭を下にした状態で逆さまにしてしばらく吊るしておくことで体内に残った血を抜くことができる。
海竜も同じ方法で一晩吊るしておけば十分に血抜きはできるだろう。
問題はそれをする場所だが、ここは満潮になると海に沈む干潟だし、今は姿は見えないとはいえ、この海竜をこんな状態にしたサメを誘因する血をなるべくここの海には垂れ流したくない。
となると吊るせる木と洗える真水のある小川に運ぶのがこの場合は最適解だろう。さて、どうやって運ぶか。
全長約3㍍といっても、胴体はそこまで太くはないし、首から頭は細いのでそんなに重くはなさそうだ。それはさっき仰向けにひっくり返した時にも感じていた。せいぜい俺と同じかもうちょっと重いぐらいか。多めに見積もっても100kgまではないと思う。
それぐらいなら背負っていけるか?
ものは試しだ。砂浜に戻って服を脱いで上半身裸になってから海竜のところに戻り、前肢のヒレを両肩から担ぐようにして背中から前に回し、腹部を俺の背中に密着させ、首はヒレと同様に肩越しに前に回した状態でしゃがんだまま試しに背負ってみる。
背中に当たるプレシオサウルスの皮膚の感触はすべすべゴツゴツしていて、感覚としてはワニ革に似ている。
この重さならいけそうだと判断したのでそのまま立ち上がる。
後肢と尾はどうしても引きずってしまうが、なんとか一人で運べそうなのでそのまま砂浜に上がり、葦の群生地の横を通り、普段は葛緒を洗ったり干したりしている場所まで移動した。
小川の端の地面に海竜を下ろし、これからどうするかを考える。普通なら頸動脈を切って逆さ吊りにするのだが、クレーンや滑車も無しに3㍍の高さまで吊り上げるのは大変だし、そもそも頸動脈の位置も分からない。
となると首と胴体を境目付近で分割して、あと胴体部からは内臓を抜いて軽くしてからそれぞれで吊るすのがいいだろう。
なんにせよここからは美岬の手助けが必要になるから、俺は海竜の体を一旦そこに置いて美岬を呼びに浜に向かった。
【作者コメント】
プレシオサウルスは化石の記録から卵生ではなく胎生であり、母体に比べてかなり大きめの子供を1匹だけ産んでいたらしいということが分かっています。また、現代に生きている生物でそのような産み方をする種は基本的に産みっぱなしではなく群れの中で子育てをすることから、プレシオサウルスもそうであったと考えられています。ただ、現代の爬虫類で卵胎生のタイプは子育てはしない(それどころか普通に子食いする)ので、プレシオサウルスの実際の生態は爬虫類よりもクジラやイルカに近かったのかもしれません。
プレシオサウルスについて調べるほどに現代のウミガメやワニのような水棲爬虫類よりも洗練された生き物に思えるのですがホントになんで絶滅したんでしょうね? 地上の恐竜ほどはデカくないですし、形状的にも遊泳能力高そうですし、餌も魚やイカやクラゲなのでそこまで不足したとも思えませんし、産卵のために砂浜が必要だったわけでもないですし。……といった作者のモヤモヤがこの作品に反映されております。
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