第124話 13日目①おっさんは関白宣言する

 昨夜は日付が変わってからもかなり長いこと真剣に話し合っていたので、結局寝たのは3時近くなっていたと思う。眠りに落ちる寸前の記憶は曖昧だが、それでもすごく幸せな気持ちだったのは覚えている。目覚めた今もまだその幸せの余韻が残っている。


 避妊の目処めどがつき、美岬とのセックスが現実的な話になった。もうすぐ美岬と一つになれるのが嬉しくて、美岬もまたそれを強く望んでくれているのが嬉しくて、美岬とこれからもずっと一緒にいたい、家族になりたいという想いが強くなりすぎて、それがついプロポーズの言葉として溢れてしまったことに関しては正直やらかしてしまった自覚はある。だが美岬がすごく喜んで承諾してくれたから後悔はしていない。


 もちろんあのプロポーズと美岬の承諾が日本の法律的にはなんの意味もないのは俺も美岬も重々承知しているが、ケジメまた一つの区切りとして、俺たちの意識の上での恋人と夫婦の境目をはっきりさせておきたかったんだ。


 当初の予定通り、来年の春から初夏頃にこの島を脱出して無事に日本に戻ることができるなら、いずれは正式に結婚できるから今は恋人という関係のままでもいいのだが、もしなんらかの理由でこの島での滞在が長引いたり、結果的に永住することになってしまったら、二人の関係が恋人なのか夫婦なのか曖昧なままズルズルと関係が続いてしまうことになりかねない。

 日本でもライフスタイルの多様化に伴い、結婚せずに同棲を長年続けるカップルも少なくないから、そういう気楽な関係を望む人間もそれなりにいるのは理解しているが、少なくとも俺はそういうなし崩し的にいつのまにか事実婚になってるっていうのは嫌だな。

 美岬と生涯を共にすると決めた以上、あくまで意識的なこととはいえ、いつでも解消できる曖昧な関係ではなく、どんな時でも苦楽を共にする家族でありたいと思うんだ。


 プロポーズの後、俺がそういう正直な気持ちを伝えたら、美岬もまたそうでありたいという自分の気持ちを正直に話してくれたから、俺たちにとってはこれで良かったんだと思う。

 この先何年経っても、日本に無事に戻れていずれ正式に結婚したとしても、俺たち二人にとっては今日が結婚記念日だ。



 

 さすがに夜更かしし過ぎたのでしっかり寝過ごしてしまい、外はもう完全に明るく、時計を見たら8時を回っていた。今なお幸せそうに熟睡している美岬はこのまま寝かせてやるとしても、今日もやることはたくさんあるから俺はさすがに起きねばならない。

 可愛い嫁を起こさないようにそっと寝床を抜け出して外に出る。


 朝の太陽がすでに崖の上に昇っており、日射しによって朝霧が急速に払われつつある。晴れてはいるが雲が少し出ているから徐々に天気が崩れてくるかもしれないな。


 いつものようにトイレで用を足してその足で向かった小川で顔を洗い、昨日から木陰で干してあるゼラチンをチェックしてみれば、まだ乾ききってはいないものの水分はかなり少なくなり、ソフトビニールっぽくなっている。これはもう少し乾かせばいい感じの板ゼラチンになりそうだ。


 昨日から干しっぱなしの葛緒くずお葛藁くずわらを回収して拠点に戻り、炊事場のかまどの火を起こして大コッヘルで湯を沸かしつつ、美岬が起きてきた時のために伝言サインを残して、葛の群生地に葛の採集に行き、ついでに薪も集めて拠点に戻ってきたところ、まだ美岬は起きていなかった。

 そのまま採集してきたばかりの葛蔓くずつるを木灰を混ぜた湯で茹がき始め、茹で上がるのを待つ時間を利用して、葛緒を繋いでって生糸に加工する作業と、葛藁をミサンガ織りでリボン状の真田紐さなだひもに加工する作業を同時進行で進めていく。


 まだ秋の気配はほとんど感じられないが、もうすぐ暦では9月になる。そろそろ涼しくなってくるから布を織って服を作ることも後回しにはできない重要な作業だ。一応、いつも寝る前に葛緒と葛藁の加工作業はしていたのだが、昨夜は作業そっちのけでずっとしゃべってたからな。


 そろそろ乾いたはずの土器も焼いてみなくちゃいけないし、水耕栽培で芽が出てきた玄米を植えるための場所も準備しなくちゃいけない。今日からは発酵調味料の仕込みも始めていく予定だ。

 毎日ちまちまとタスクは処理しているが、それでもまだまだやることは多くて焦る気持ちもある。ただ、焦ってもどうにもならないことは分かってるから優先順位の高いものから着実に一つずつこなしていくしかないんだけどな。



 背後から砂を踏む足音が聞こえて振り返れば、俺のTシャツを寝間着にしている美岬が襟から肩と鎖骨を覗かせ、目を眠そうに擦りながら拠点から出てきてノソノソと近づいて来るところだった。


「おはよう美岬」


「ふわぁ……おはよっすダーリン。あんなに遅くまで起きてたのに、普通に起きれるってすごいっすねぇ。あたしまだ眠いのにぃ……」


 そう言いながら俺の背後に立った美岬がそのまま俺の背中に抱きついてきて、両手を肩越しに前に回してぎゅっと抱き締めてくる。密着した胸の双丘が背中でふにょんと潰れる感触が気持ちよすぎて、賢者モードから一瞬で臨戦態勢に戻されそうになる。

 美岬がそのまま俺の肩に顎を乗せ、俺の頬に頬擦りしてくる。


「え……へへ。ダーリンの髭がだいぶ伸びてきてチクチク感が無くなってきて気持ちいいっす」


「2週間近く髭剃りしてないからなー。剃刀はあるけど、正直ここでは毎回きちんと剃るってのも現実的じゃないからな。せいぜい見苦しくない程度に整えるぐらいか」


「おひげも似合ってるっすよ。むしろ見慣れちゃって、無くなったら物足りなくなるかもっす」


「そうか。ヨメちゃんがいいって言うならいいか」


「ふわぁ! 嫁ちゃん! ふへへ……あたしも旦那さまって呼んだ方がいいっすかね?」


「そこは好きに呼んでくれていいけどなー、ただ日本語って基本的に夫婦に関係する言葉が男尊女卑的な考えに由来するものが多いから、男女同権時代の今だと微妙なものもあるんよな。美岬は気にならないか?」


「あ、そう言われてみれば旦那とか主人とか亭主って字からしてまさにそんな感じっすよね。あたしは嫁とか奥さんっていう響きは可愛くて普通に好きなんすけど、一応は夫の家にとついで奥に入って出しゃばらないってニュアンスっすよね」


「そういうことだな」


「んー、でもでも、あたしは別にガクさんと同等じゃなくていいかなって思うんすよね。あたしよりずっと歳上だし頼れる存在だし、あたしは普通に尊敬してるんで、もし誰かに紹介することがあったら、あたしはなにも抵抗なく『うちの旦那さま』とか『うちの主人』って言うと思うっすよ。むしろ『岳人』って呼び捨てにしたり『夫』とか『パートナー』って紹介する方が抵抗あるっすね」


「そういうもんか」


「そもそもうちの実家の島とか今も亭主関白ていしゅかんぱくが普通っすし、だからといって嫁たちが不自由で不幸ってわけでもなく、普通にのびのび暮らしてるっすし、男たちも何だかんだで嫁を大事にしてるんで夫婦の幸福度高いと思うっすよ。最近はなんでも男女平等って訴えてる人がいるっすけど、ああいう活動家の人って本当に男女平等を望んでるんすかねぇ?」


「ん? どういうことだ?」


「性差別を撤廃するって言っても、あたしとガクさんって体格も体力も全然違うじゃないっすか。同じことやれって言われても無理っすよ。職業的にもやっぱり男性向けの仕事、女性向けの仕事ってあるからそれは差別じゃなくて区別だと思うんすよね。ガクさんはあたしの限界に配慮していつも大事にして甘やかしてくれてるっすけど、同じように男性優位の社会って、女性を守るべき存在としてある意味優遇してて、女性もそれをある意味当然のこととして受け止めてるとこがあって、男性と張り合うよりむしろ守られる存在でありたいって思ってる女性ってけっこう多いと思うんすよ。本当に男女平等社会になったら、女性だから今まで免除されてたこととか優遇されてたことが逆に不平等として撤廃されるかもしれないってことを本当に分かった上でそれを望んでるんすかね?」


「……へぇ。美岬は本当にちゃんとそのへん分かってるんだな。確かに男女の雇用機会均等と男女平等はよくごっちゃにされるがまったく別物なんだよな。雇用機会均等は男性社会への女性進出が主な目的だからどちらかと言えば女性優遇の部分が多いが、男女平等は権利の拡大に伴って責任も増えるから必ずしも女性にとってメリットばかりではなくなるんだよな。俺も昔、男女格差が少ないオランダに行ったことはあるが、ぶっちゃけ今の日本の社会構造には合わないかな、とは感じたよ」


「どういうところでそう感じたんすか?」


「んー……まず、女性だからといって特に気遣ってはもらえないな。例えば、日本の家庭だと大工仕事とか車の整備とか高所作業とかって基本的に男がやることと思われてるし、重い荷物を男が持ったり、車道側を歩いたり、ドアを開けてやったりとかって日本だと紳士的な行動って言われるけど、そういうのは一切無いし、女性だからって優しくするのはむしろタブーっぽい」


「おぅふ……そんな胸キュンな行動がタブーって少女マンガとか乙女ゲー好き女子にはそれだけで無理っぽいっすね」


「そのかわり、女性たちもそれぞれ社会的にもメンタル的にも自立してて大工仕事とか車の整備とかなんでもやるんだよな。むしろ自分でやるのが当然と思ってるぐらいだ。俺が見かけたお婆さんはでかい木のドアを一人で直してたし。……正直、あれを日本に取り入れようと思ったら国が主導しての男女双方の根本的な意識改革をしないと無理だと思う」


「うーん、あたしはそんな男女平等社会は嫌っすね。あたしはガクさんの下でいいんで、たっぷり甘やかして可愛がって大事にしてもらいたいっす。ビバ! レディーファーストっす」


「奇遇だな。俺も嫁に頼られて甘えられたいし、たっぷり甘やかして可愛がって大事にしたいから、男女不平等でいいと思ってる派なんだよな」


「おぉ! じゃあここは一つ関白宣言かんぱくせんげんいっちゃいます?」


「……また古いネタを。……お前を嫁に貰う前に言っておきたいことがある。俺より先に寝てかまわない。俺より後に起きてかまわない。メシは基本的に俺が作る。外見がすべてじゃないが可愛くあろうと努力してくれ。できる範囲で構わないから?」


「あはは! なんすかそれぇ! それじゃあ関白宣言じゃなくてスパダリ甘やかし宣言じゃないっすか! ……でも、それがリップサービスじゃなくて本心っすもんねぇ。旦那さまのそういうとこ大好きっすよ」


──チュッ


 俺の頬に軽くキスして美岬が俺の背中から離れて立ち上がる。


「さて、ずっと引っ付いていたいっすけど、あたしも寝坊しちゃったんで急いで自分の仕事始めなきゃっすね! とりあえず畑作業に行ってくるっすね」


「おう。また後でな」


 名残惜しいのは俺も同じで、軽くなった背中に若干の寂しさを感じつつ、俺は畑に向かう美岬の背中を見送り、自分の作業を再開したのだった。







【作者コメント】

ギフトありがとうございます。近々秋らしいサポーター記事を投稿しますのでお楽しみに。


関白宣言ネタが分からない人は是非、ようつべあたりでさだまさしの関白宣言をチェックしてみてください。この曲を聴いて『わかるわー』となるか『ないわー』となるかで男女平等社会に対する本音が明らかになるかもしれません。専業主婦が多いうちの母親ぐらいの世代の女性たちに聞いてみると、男女平等にはどっちかといえば反対でむしろ自分は旦那の下にいる方がいいって意見が多いんですよねー。もちろんこの話で扱っているのはジェンダー問題全般ではなく、日本の家庭内に限ったことなので、それぞれの夫婦で話し合って決めればいいと思っています。


さて、デリケートな話題はこれぐらいにしましょう。実はうちに2匹目のお猫様をお迎えすることになりました。友人の家の近くに捨てられていて衰弱していた毛長の女の子で、現在は友人宅で療養していますが、だいぶ体力が回復してきたのでうちで引き取ることにしました。うちの先住猫は甘ったれで穏やかな雉猫の男の子なので仲良くなってくれたらいいなと思ってます。ちなみに、この雉猫の名前が『かるちぇ』なんですよね。そして新しく来る子には友人が仮で『とと』と名前を付けてますが気に入ったのでそのままいこうと思ってます。トトカルチェええやん。私の目下の最大の悩みはこの機会にペンネームをトトカルチェに変更しようかどうしようかという……はい、どうでもいい悩みですね。

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