第66話 7日目⑥おっさんは怒る代わりに甘やかす

 昼食は簡単に済ませることができたので、片付けが終わっても午後1時を少し回ったぐらいだった。潮はかなり引いているが、干潮のピークはもう少し先、午後2時頃になるはずだ。

 太陽が真上に来ているので、日陰の無いかまど周辺はかなり暑くなっている。 こういう時こそ水浴びして涼むのは最高だろうな。


 俺と美岬は上下ラッシュガードに着替えて裸足になって砂浜に下りた。さっそく水に入ろうとする美岬を呼び止める。


「泳ぐ時に使う筋肉は普段と違うから、水に入る前にちゃんと準備体操しとかないと足って溺れるぞ」


「おふ。そっすね。もうこれ以上ガクさんの前で溺れるわけにはいかないっす」


 素直に立ち止まってストレッチを始める美岬。俺がラジオ体操の順番で体を動かし始めるとすぐにそれと気づいた美岬が合わせてくる。


「ふーん♪ ふーん♪ ふんふん♪」


 お馴染みのラジオ体操の曲を調子っぱずれの鼻歌で歌いながら体を動かす美岬。くぅ……なんだこの可愛い生き物は!

 悶えそうになりながらも美岬の鼻歌をBGMにラジオ体操第一を終わらせ、追加でアキレス腱やふくらはぎの筋を伸ばすストレッチを行って水に入る前の準備体操を終わらせる。


「こんなところでいいかな」


「わぁい! さぁ、ガクさん行きましょ♪ 行きましょー♪」


「お、おう」


 美岬が俺の手を取って引っ張っていこうとするので、抵抗せずにそのまま手を引かれながらついていく。

 砂浜の波打ち際から20㍍ほど先まで干潮で干上がっているので、その範囲を駆け抜けてばちゃばちゃと水に入っていけば、近くを泳いでいた小魚の群れが一目散に散っていく。

 だが、水の深さが膝上ぐらいになったところで美岬が足を水に取られて思いっきり転んでしまい、手を引かれていた俺も踏ん張れずに巻き添えで海面に顔からダイブしてしまった。


「あきゃっ!?」

「ちょ、おまっ!?」


――バッシャーン!!


 派手な水しぶきと共に体が水に沈む。水中で目を開ければ大量の泡が激しく踊り、真上から差す光がゆらゆらと水面の波に合わせて乱反射しながら浅い水底を明るく照らしていた。


「……っぶはっ! みーさーきー! お前なー!」


 水底に手をついて上半身を起こしつつ美岬を睨む。


「げほんっ! げほげほっ! ご、ごめんなさいぃ!!」


「…………」


 思いっきりやらかした自覚のある美岬が泣きそうな顔でアワアワしている姿に、一瞬だけ上がった怒りのボルテージがスッと下がっていく。

 まあ、美岬にこういう粗忽な所があるのは今に始まったことではないし、こういう所も含めて美岬のことが好きなんだから、痘痕あばた笑窪えくぼと思えばそう腹も立たない。


「…………ったく。楽しみにしてたからってはしゃぎすぎだ」


 怒られる、とシュンとしている美岬のおでこを指先でツンッと軽く突いて仕舞いにする。


「あぅっ」


 俺は先に立ち上がって美岬に手を差し出した。せっかくの美岬が楽しみにしていた時間をこんなことで台無しにしたくない。

 おずおずと伸ばされてきた美岬の手をぐっと握って立ち上がらせ、そのまま俺の方に引き寄せて抱きしめ、頭をなでなでしてやる。


「え? は? あれ? ちょ……なんで?」


 わけが分からずに混乱しまくっている美岬にかまわず、抱きしめたまま頭をなで続けて落ち着かせる。

 最初こそ取り乱していた美岬だったが、すぐに力を抜いて無抵抗になり、されるがままになる。心なしかうっとりとした雰囲気を醸しているので猫だったらゴロゴロと喉を鳴らしていることだろう。


 やがて、美岬がぽそっと口を開く。


「…………あたし、怒られると思ったんすけど、なんで甘やかされてるんすかね?」


「ん。まぁ、悪意があってのことではないし、あんな泣きそうな顔されたら怒れないから甘やかすことにした」


「……怒るかわりに甘やかすって、理解できないっすよ」


「そうか? 俺の中では辻褄は合ってるんだが」


「説明お願いプリーズ。このままじゃなんかモニョるっす」


「んー、まず、美岬が粗忽でアホ可愛いのは今に始まったことじゃないし、そういう所もひっくるめて可愛いと思ってるからそもそも俺は怒っていない。もうそういう仕様だと諦めてる」


「……おふ、なんかめっちゃディスられてる気はするっすけど、アホの子なのは自覚してるっすから、可愛いと多目に見てもらえてるならヨシとするっす」


「でも俺が怒らなくても美岬は自分で自分を責めて凹むだろ? 俺としては美岬が失敗を反省して次に活かしてくれさえすればいいと思ってるからあまり凹んでほしくないし、美岬が楽しみにしていた今のこの時間を台無しにするのも嫌だから甘やかして慰めてる。今ここ」


 俺が優しく頭をなでながらそう説明すると、美岬は感極まったようで俺の背中に両手を回して抱きついてきた。


「…………もぅ、好きぃっ! 大好きっ!」


「おぅおぅ美岬は可愛いなぁ。よしよし」


「ごろごろごろにゃーん♪」


「よーしよしよし」


 なんかお互い変なテンションになってしまったが、嫌な空気は解消できたのでよかろうなのだ。



 それから、もう少し深い場所に移動して、泳いだり水を掛け合ったりして小一時間ほど遊び、すっかりリフレッシュすることができた。ただ遊ぶだけという時間もやっぱり大事だな。


 疲れすぎない程度にほどほどで切り上げて二人で手を繋いで寄り添って砂浜に向かってザブザブと歩く。

 美岬の要望で恋人繋ぎした手がどうにも気恥ずかしいが、美岬が嬉しくてしょうがないというのが丸わかりの満面の笑みで繋いだ手をにぎにぎしてくるので、美岬ファーストの俺としては握り返す以外の選択肢はない。


「楽しかったな」


「えへへ。楽しかったっす」


「美岬と一緒に作業してるのも楽しいが、こうして遊ぶ時間も大事だな」


「そっすよぅ。公私混同はダメっす。仕事は仕事、遊びは遊びで分けなきゃ」


「そうだな。……ここでの暮らしを少しでも快適にしようと思うと、やらなきゃいけないことはまだまだ山積みだが、それでもちゃんとリフレッシュの時間は取り分けなきゃな」


 美岬がいたずらっぽく笑いながら俺の顔を下から覗きこんでくる。


「ふふ。大変なことも、楽しいことも二人でシェアしていきましょうね? ダーリン」


「そうだねハニー。苦楽を共にしてこそのパートナーだからね。……ぶふっ」


「あはははっ」


 美岬に合わせてイケメンボイスを意識しながら甘いセリフを囁いて、さすがにキャラじゃないと二人揃って吹き出して笑い合う。その時、何となく、今すごく幸せだなーと実感した。

 願わくば、これから先もずっと、こういう他愛のないやりとりで笑い合える関係でいたいものだ。



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