第65話 7日目⑤おっさんは甘やかす

 葛の処理が終わってようやく空いた大コッヘルにムール貝を入れ、ヒタヒタの水で火にかけて下茹でしていく。沸くのを待つ間にハマダイコンの芽カイワレとハマヒルガオの葉を採りに行く。

 ハマヒルガオは、直径5㌢ぐらいのほぼ円形に近いハート型の葉とアサガオに似た薄紫の花が特徴の海浜植物で、近縁種のアサガオやヒルガオには毒があるがこちらは無毒である。

 ハマボウフウなどの香味山菜はすでに旬を過ぎて固くなっているが、ハマヒルガオは夏の今でも成長を続けているので柔らかい若葉も多くあり、サラダにも使える。


「……ってゆうかハマヒルガオって食べられるんすね。確かに毒は無いっすけど、かといって特に生薬としての使い途もないっすから、あたしにとってはただの人畜無害植物程度の認識だったんすけど……」


「まあ薬用植物という観点で見るとそうなるよな。だが、こいつは食ってみると旨いぞ」


 そう言いながら俺がむしったばかりのハマヒルガオの葉を1枚食べてみせると、美岬も同じように1枚口に入れた。


「……もぐ。……あれ? ホントだ。なんというか、青臭さとかぜんぜん無くて、ちょっとほろ苦さはあるっすけど、癖が無くて食べやすいっすね。んー……似てるものを挙げるとすればサラダ菜?」


「そんな感じだな。毒は無いってことだから食えるかな、と昔試しに食ってみたらぜんぜん変な癖が無くて驚いたんだよな。そのくせ一般的には食材としてまったく認知されてないのがちょっと不思議だけどな」


 当然のことだが、毒がない=食用に適している、というわけではない。大抵の雑草は毒が無くても苦かったりエグかったり青臭かったりとそもそも不味くて食えたもんではないし、固すぎて食べにくいというのもあって食用に不向きなものが多い。

 そんな中で癖が無くて柔らかくて生食可というのはけっこう貴重だと思うんだが、ハマヒルガオはなぜか食用にするという話をほとんど聞かない。同じヒルガオ科の空芯菜は食用なのに。


「確かに。パクチーなんかよりずっと食べやすいっすよね。いや、むしろ個性が無さすぎるから無視されてるんすかねー?」


 そう言いながらも気に入ったようで次々にハマヒルガオの葉をむしってはもしゃもしゃと食べていく美岬。


「つまみ食いはそれぐらいにして、ちゃんと食材集めもしてくれよ?」


「おぉ、なんか食べやすいからついつい食べてしまったっす。もうこれ浜野菜ってカテゴリーでいいんじゃないすか?」


「よし採用。戻ったら学会で報告しよう」


「なんか大事おおごとになってる!?」


「それはさておき、ハマヒルガオは蔓も食えるけど、ちょっと固くて下処理が面倒だから今回は無しで。柔らかい葉と花が咲く前のつぼみを集めていくぞ」


「あ、はい。了解っす」


 カイワレとハマヒルガオの葉と蕾を採って戻ってくるとタイミング良くムール貝の下茹でをしているコッヘルの湯がちょうど沸き始めているところで、熱が通ったムール貝の殻が次々に口を開き始めていた。

 煮すぎると旨味が流れ出して身も固くなってしまうので、コッヘルを火から下ろして茹で汁を捨て、換わりに水を入れてあら熱を取り、すぐに水を切る。

 十分に冷めて素手で触れるようになったところで殻から身を取り出して剥き身にしていく。今回は茹でる前に足糸そくしを取り除かなかったが、剥き身にする時についでに除去するから問題ない。


 昼は簡単に生牡蠣と、ムール貝の野菜炒めで済ますことにする。


 岩牡蠣はあらかじめ、岩場で殻をこじ開けて、中の身を取り出して海水を入れた小コッヘルに浸けた状態で採ってきてある。こうしておけば食べる直前まで活きているから鮮度が保たれる。

 全部で6個分採ってきた牡蠣の身を牡蠣殻の皿に3個ずつ盛りつけ、刻んで叩いてペースト状にしたカイワレを大根おろし代わりにスプーン1杯分ずつぐらいかけるだけで生牡蠣の調理は完了する。

 採ってきたそのままで丸ごと生食できて栄養価にも優れている牡蠣は実に優秀な食材だな。


 残りのカイワレとハマヒルガオの葉と蕾を鉄板代わりのスコップで炒めてしんなりさせた所にムール貝の剥き身を加えて軽く火を通し、ハーブソルトで味を付ければムール貝入り野菜炒めも完成する。それを牡蠣殻の皿に均等に盛り付けて昼飯の準備が整う。


「よし。手抜き飯だができたな」


「……手抜きって。シンプルではあるっすけど、十分手間かけてると思うっすよ。さっきからお腹が鳴りまくりっす」


「めっちゃ鳴ってたな」


「……もう、ガクさんのえっち」


「なんでっ!? 言うに事欠いてなんでそうなる!?」


「あは。冗談っすよ」


 そんなやりとりをしつつもクーラーボックスの上に出来上がった料理を並べて食事の支度が調う。

 俺と美岬はクーラーボックスを挟んで向かい合って座り、手を合わせた。


「「いただきます」」


 まずは生牡蠣から。上にのせてある薬味のカイワレペーストをかるく混ぜてまぶし、大ぶりの身を箸で摘まんで口に運ぶ。

 プリプリの牡蠣の身の濃厚なクリーミーさとカイワレの辛味が絶妙で思わず唸る。


「おぅっ! ぅんまっ!」


「おふっ! 生牡蠣それだけでもめっちゃ美味しいのに、このカイワレのピリ辛さと爽やかさがヤバいっすね!」


「薬味だけでここまで変わるか」


「料理って奥深いんすねぇ」


「そのとおり。料理は深淵であり沼だからな。ほどほどにしておかないと抜け出せなくなるぞ」


「大丈夫っす! あたしは食べる専門っすから!」


「……料理を教えてほしいんじゃなかったのか?」


「やー、最低限はできるようにはなりたいっすよ? でもこれだけ美味しい料理を作れるダーリンがいるなら、一緒にいる時はあたしはお手伝い程度でいいかなって思うんすけど」


「……そっかぁ。俺は彼女の手作りを食べられないのかぁ」


「え? ええと……その、食べたいっすか?」


「彼女の愛情のこもった手料理を食べたくない男がいるだろうか?」


「ふえっ? うう……頑張って美味しい料理作れるようになるっす」


 美岬が眉をへんにょりと困り顔になって、絞り出すように決意を口にする。よっぽど料理が苦手とみえる。

 そもそも美岬の場合、別に味音痴ではないし、頭もいいし器用だし真面目な性格だからちょっと基礎を教えればすぐに上達すると思うんだけどな。


「そもそも、美岬の料理に凝ったものは求めてないからな。それに俺にとっても、俺の料理で美岬に幸せそうな笑顔をさせるのが楽しみなんだから美岬にばっかり料理させる気はないぞ。でも、それでも彼女の手料理を食べたいというのは……そうだな、男のロマンだ」


「男のロマンっすかぁ。なら叶えてあげなきゃっすね」


 美岬が困り顔のままちょっと笑う。そのうち美岬の手料理が食べれるのを楽しみに待つとしよう。


 ムール貝と浜野菜の炒め物の皿を持ち上げて美岬が楽しそうに笑う。


「ムール貝のオレンジと野菜の緑と花の蕾の薄い紫の色のコントラストが綺麗っすね。この牡蠣の殻の皿も含めてなかなかインスタ映えする見た目っすよ」


「インスタ映えを狙うならハマナスの花を添えるのもありだな。花は生食できるし」


「おぉ、ハマナスいいっすね。あの赤は確かに見映え良さそうっす」


 料理の見た目ではしゃぐ美岬にやっぱり女子だなーと思いつつ、見映えを良くするだけでこんなに喜ぶなら、これからの料理はあえて見た目重視にしてみるのもありだな、と密かに考えながら野菜炒めに箸を伸ばし、火が通って鮮やかな緑色になっているハマヒルガオの葉でムール貝を包んで一緒に口に入れた。

 シャクッとした葉の歯応えに続くパツンッとしたムール貝の歯応え、次の瞬間、身に閉じ込められていた旨味が口の中で一気に弾けて広がる。


「あ、それ美味しそう! あたしもやるっす」


「おう。これは旨いぞー。あれだ、焼肉を包むサンチュの貝バージョンだ」


「…………うー、上手く巻けないっすよう。ガクさぁん」


 美岬が箸を使ってハマヒルガオの葉でムール貝を包もうとするがなかなか上手くいかない。まあ、箸での食材加工こういうのは調理師なら必須技能だが、やり慣れてない人間にとっては案外難しいよな。

 俺は美岬の皿に箸を伸ばして、ハマヒルガオの葉でムール貝をちょいちょいと包んでやる。


「ほわぁ。上手いもんっすねー。あ、せっかくなのでそのまま食べさせてもらえると……」


「それが狙いか」


「えへへ。いや、別に狙ってたわけじゃないっすけど、今ふとそれしてるガクさん見てチャンスかな、と」


 期待で目をきらきらさせている美岬に俺は包んだばかりのムール貝を箸で摘まんで差し出す。


「仕方ないな。ほれ、あーん」


「わぁい! あーん……はふっ。うまっうまっ」


 嬉しそうにムール貝を頬張る美岬。なんというかいちいち仕草が小動物みたいで可愛いからつい甘やかしてしまうな。でも、美岬もよく頑張ってるからご褒美と思えば問題ないな。

 そんな言い訳じみたことを考えながら、俺はさらに美岬を甘やかすべく、美岬の皿のムール貝をせっせと包んでいくのだった。


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