23、言葉を描く


「兄貴にへんな入れ知恵したでしょ」

 クリスマス。ひばりが買ってきたケーキをプラスチックのフォークで食べていたら、不機嫌そうに言われた。

「してねえよ」

 俺はすっとぼけてスポンジケーキを押し込む。クリームの中に桃が入っていて、子どもの頃食べたホットケーキのケーキをなんとなく思い出す。記憶が美化されているのか、あの時ほど美味しくは感じない。

 永野はあれからしばらくして、ひばりのところに転がり込んだらしい。家が決まるまでは居候だそうで、「あいつ邪魔なんだけど」とひばりはしきりに文句を言っている。

「その割に嬉しそうだな」

「……まあ、家で死んだようになってるよりはいいじゃん。兄貴、今年は休学して、来年から復帰するってさ。同じ学年になるね」

 今度は俺が露骨に顔を渋めた。永野の絵は俺の中で別格だった。同じ土俵に立つことが憚られるぐらいには。すごい顔、とひばりがけらけら笑う。AV出演の件については、ひばりからは何も言われないし、俺も依然として知らないふりを続けている。

 つい先日、進級課題が発表された。今年度最後の作品のテーマは「概念」だった。なんだそれ、と思わず突っ込みたくなるほど抽象的で、とらえどころがない。絵画でも立体でも、作品の素材も表現の仕方も自由。選択肢が多すぎると、人はかえって身動きが取れなくなる。

 概念、という概念がそもそもよくわからない。美術という「目に見えるものの」で表現するには、形もなければイメージもない。辞書で意味を調べてはノートに書き留めたが、どれもインスピレーションを与えるには及ばなかった。

 美術館や図書館には課題のたびに通っていた。写真撮影やコピーはできないし、画集なんて高くてとても手が出ない。だから俺は、スケッチブックにひとつひとつを模写して回った。構図も技法も、予備校時代の下積みはあっても、俺には引き出しが少なすぎる。スケッチブックのページを埋めるたびに、先人たちの背中が遠いものに思えた。通える範囲で、無料で入れる美術館の絵はだいたい網羅した。

 知識を身に着けても、どう生かすか、というところまでは教えてはもらえない。俺の絵は自分では進んでいるのかどうかもわからない。昔の方がちゃんと描けていたのではないかと思うことも少なくない。

 指でいたずらにページをめくる。こんな時でも絵に執心の俺に、ひばりは少し不満げに、退屈そうに画面を眺める。

「あ、またタカト出てる」

 ひばりがテレビに向かって独りごちた。週末の音楽番組。例の路上ライブの青年、もとい羽山タカトは、あのオーディション番組以来、順調に露出を増やしつつある。彼の歌は挑戦的だがブレがない。浮ついた世相と共に浮かれた歌ばかりが流行る中で、彼の歌は前向きな言葉ばかりではなかったが、ひとつひとつのフレーズに血が通っていた。ずっと形にならなかった曖昧な違和感を、彼はわかりやすく言語化して歌に紡ぐ。

 これは自分の歌なんじゃないかと。そんな馬鹿げたことすら思えるほど。

 ふらりと外側に踏み出せば落ちてしまう危ういところで、彼の言葉は、ほんの一歩だけ踏みとどまらせる力があった。そのほんの少しの連続が、ずるずると俺を生かしていた。

 タカトは哲学者の言葉を好んで引用する気障なところがあって、彼の歌もまたそれらに大きな影響を受けていた。私大の神学部に在籍していたらしい。「言葉ってあらゆる概念の入れ物なんです」ヴィトゲンシュタインという哲学者の言葉を枕に、タカトは静かに語る。

「この人、キリスト教のひとらしいね」ひばりが興味なさそうにケーキを頬張る。

「なんかさ、赤ちゃんの時に、教会の前に捨てられたらしいよ」

「へえ。出だしから難儀な人生だな」

「信じてんの? 馬鹿だな、どうせ嘘じゃんそんなの。キャラだよキャラ」

 あたしこの人嫌い。まっとうに愛されて育ったって感じがするから。ひばりはどこかささくれた様子で、チャンネルを変える。



 自分の身体より大きなキャンバス。足元には筆と刷毛の束。ピロティーのコンクリートに、息の淡い白色が浮かぶ。屋内で描けないサイズに手を付けるのは初めてだ。

 最初は刷毛ではなく粗い布で絵の具を乗せる。その方が直感的に描ける気がする。緑、黒、藍色、紫。エスキースのイメージにあわせて、明暗をつけながら下色を置いていく。メリハリと、構図、画面の力を意識して。画面が大きければそれだけ迫力が生まれる。それに頼りすぎないように、けれど最大限生かせるように。色と構図、タッチ、全てが引力を生み出せるように。技法はずっと手探りだ。

 大判のキャンバスだけあって、初めの色を置くだけでも一苦労だった。手はあっという間にかじかみ、鈍く痛む。いつの間にか、爪と指先の間に血が滲んでいた。汚れてがさがさに節立った手。今から描こうとしている手とは、まったく違う。

 俺の念頭にあるのは、中学生の夏の日、夜闇の中で藍色の水を掬っていた木立の手だ。白くてすんなりとした綺麗な手。手のひらから零れた水が、青白く光る飛沫となって滴り落ちていた。

 中学時代の記憶は、ふわりと蘇るたびに苦味が伴う。自分の未熟さと青さと取り返しのつかなさに。だるくなってきた腕を振りながら、顔に飛び散った絵具を作業着で拭う。

 概念、というテーマは複雑で難しい。タカトは言葉を概念の入れ物だと言った。言葉はまったくの同義語ではないが、そう換言すると少しは掴みやすくなった。

 言葉は便利である一方、不完全なものでもある。完璧な正円を描くのが不可能であるように、いくら言葉を尽くして説明しても、どこかでニュアンスが零れ落ちていく。本当に伝えたいことがあるときほど、的確な語彙を見つけられなくて、もどかしくなる。あの時なんと言うべきだったのか、後になって何度も考える。

 手から零れ落ちる水の感触、質感、冷たさ。指先に神経を集中させながら、実際に、水に手を浸しているような気分になる。

 

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