5話 許嫁、吉法師くんと会いまして
***
むかしむかし、あるところに、ひとりのお姫様がおりました。
みんなにかわいがられるように、と、「蝶」の名前をつけられたお姫様は、その名のとおり、とてもうつくしく成長しました。
ところが、成長したお姫様はとてもわがままで、気に入らないひとにはいじわるばかりする女の子でした。
お姫様のわがままに困り果てた王様は、お姫様をお嫁に出すことにします。
この国では、お姫様を同盟国へさしだす決まりがありました。
しかし、同盟をむすんだとたん、王様はお姫様のとつぎ先の国をせめ、ほろぼしてしまいました。
結婚相手が死んでしまったお姫様は、もとのお城に帰ってきました。
戻ってきたお姫様は、やっぱりかわらず、わがままばかり。
しかたなく、王様はお姫様を別の国の王子様のところへお嫁に出すことにしました。
もちろん今回も、同盟のためです。
お姫様は不満でしたが、王様のいうことにしたがって、お嫁に行きました。
「ほんとうは、だれかたったひとりでいい、ちゃんとあいされたかっただけなのに」
今度は王様にせめほろぼされることなく、嫁いだ国で、お姫様は王子様とずっと暮らしました。
おしまい。
***
私の婚約者(仮)の吉法師くんが訪ねてきたのは、私が前世の記憶を取り戻してから10日後のことだった。
あとから聞いた話によれば、普通、結婚前に成人していない男女が会うのは珍しい、というかあり得ないことらしい。
ところが、私が会いたがっていると聞いた吉法師くんは、同じく私に興味を持ったらしい。会いに行こうと習ったばかりの馬を走らせるなどしたので、慌てて家老や側近たちが止め、日程調整をして連れて来てくれたのだそうだ。このあたりから、すでに吉法師くんが変わったお子さんであることが伺える。
私はその日、父と家臣の皆さんがなにやら大事なお客様と会見をするというので城内がざわつく中、庭の鯉を見てぼんやりとしていた。
勉強部屋で墨をひっくり返すほど暴れた兄妹喧嘩の日から、侍女や乳母達は完全に私達兄妹をはれもの扱いし、あからさまにピリついていた。
そのため兄も私も多少は反省し、表面上は仲良く勉学に励むこととなったのだ。
廊下で足をかけられたり教科書(とはこの世界では言わないみたいだけど)に落書きをされたりという小さい嫌がらせはあるけど、鈴加や周りに迷惑がかからない範囲なら、しょせんは子供のいたずら。
こっちは精神大人ですから。
もう以前のように癇癪を起こして兄につかみかかったり、侍女に当たり散らしたりなんてしない。
そうやって兄達と小さい喧嘩をしながら勉学に励んだおかげでようやくわかったのだけど、私の結婚相手である吉法師くんの苗字は「オダ」というらしい。
オダが小田か尾田かはたまた織田かはわからないが、相変わらず該当する作品が出てこない。
前世の記憶は実は抜け落ちている部分も多くて(なにしろ自分の死因が思い出せないのだ)、そのせいもあるかもしれないけど。
案外、まだ死んでなくて長い夢を見ている可能性もあるな、と思ってきた。
夢か、それとも本当に異世界転生か、どちらにしても今の生活は安全だし、この池の鯉たちのように、与えられた餌を食べ、囲われた環境の中で生きて行くのも良いかもしれない。なんて思いはじめていた。
「うまそうな鯉だな」
「ひえ!?」
突然頭上からかけられた声に、気の抜けた声が出てしまった。
見上げるとそこには派手な格好をした男の子が、私の横に座るところだった。
10歳くらい……私と同じか、ひとつ上くらいだろか。
女の子が祝事の時に着るような、綺麗な色の着物を着ている。
アーモンド型の目が大きくて可愛い小奇麗な顔なのに、ツンツン立った髪と着物の着方が、女の子には見えさせなかった。
少年はその見るからに上等なその着物に土がつくのも気にせず、地面にべったりと腰をおろし、錦の鯉を覗き込む。
「色のついてるやつって、うまそうだよな。あの赤いのとか」
「うーん、私は、赤と白と黒の、三毛猫みたいなやつが好きかな。ここにはいないけど」
鈴加と父以外でまともに会話をしてくれた人は久しぶりで嬉しくて、そのまま思ったことを口にする。
この数日で、女中のみなさんは日常会話くらいはしてくれるようになりはしたが、まだまだ友好度は低め。
墨をかけられたことで多少同情票が集まった為だと思うけど、今は鈴加5、他の女中さん2ってところかな。ちなみに百点満点中。
少年は鯉をまっすぐ見ているので、私も鯉に視線を向ける。
地味な色の鯉の中で目立っていた赤の鯉は、会話を聞いていたのかスイ、と奥へ逃げて行った。
「わかるぞ!それもいいよな、白いとこがうまそうで!」
なんで食べる気満々なんだろう。これってたぶん観賞用よ。前に抗議の鯉投げをしたことがある私が言うのもなんだけど。
「お前、小蝶か?」
「……そうだけど、なんで私を」
そこまで言って、気付いてしまった。今日は父から珍しく「まともな格好をして大人しくしていなさい」と言われた。いつもならこんなことは言わない。
私に格好のことで指図を出したことがない父が、外聞を気にする相手、もしくは私に会わせたい相手が来るということだ。
子供の私に合わせたい客なんて、今思いつくのは一人しかいない。
「あなた、吉法師ね!?」
「おお、すごいな、なんでわかったんだ?」
「わかるわよ!だって……」
私の乏しい情報収集能力で集めた吉法師くんについての噂。
あまり出来はよくない。女ものの着物を好んで着る変わり者。毎日城下の子供と泥んこになって遊んでいる。
とは聞いていたけれど、きちんと向き合って見れば目の前の少年は、出来がどうこう、勉強が出来るかどうかなんて関係なくなるくらいに、見た目に華があった。
鯉を見ていただけなのに、その水面のようにきらきらと光を宿す瞳は、人を惹きつける。
目が離せない。
「……綺麗な着物ね、似合ってる」
そう言った途端、瞳の光が大きくなった。ように感じた。
瞳から溢れた光は、炎から舞う燐のように彼の周りに散ったかと思うと、男児はその中心で少年らしくニカっと笑う。
「そうか!お前も似合ってるぞ!」
「ありがと」
まあ、今日はよそゆきの服を着ておめかししてるしね。
「ところで吉法師くん。私、あなたに会ったらどうしても聞きたいことがあったの」
「おう、なんだ?」
「成人したら、なんて名前になるの?」
こんなことを聞かれると思ってなかったのだろう。吉法師は丸い目をさらに丸くして、きょとんと私を見る。
「オダ・キッポウシ」は幼名だ。この世界の人間は、
成人したあとの名前は、幼名とはほとんど関係ない名前をつけるらしい。
名前を聞いたら、もしかしたらそっちの方が有名で、なんの作品か、せめて世界観がわかるかもしれない。
「うーん、それはオヤジがつけるからな。ちょっと聞いてくる!」
「えっあ……」
吉法師、ものすごく速い。
子供は絶対入るなと言われていた離れへ向かって走り去っていく背を、私は見送ることしかできなかった。遠くでお付きの人らしい男性が止めに入る声が聞こえた。
私は知らないぞー。
会見というのが具体的に何をするのかは知らないが、おそらくとても大事な会なのだと思う。
そこに子供の吉法師を連れて来たってことは、吉法師の父親か、城主の父上と会見するくらいには偉い人が来ているのだろう。そんな場所へ、まだ子供の彼がそうやすやすと入れてもらえるとは思えない。
「おーい、小蝶!」
吉法師、ものすっごく速い。
池の見える縁側で腰かけて待っていた私の前まで、相変わらずキラキラを失わないオーラを纏って駆け寄ってきた。
彼がもし前世に生まれていたらアイドルになるべきだ。ウインクされたら推してしまうかも。
「聞いてきたぞ!なかなか教えてくれないから、明日元服するって脅したら教えてくれた!俺は
「……え?」
「三郎信長」
「おだ、さぶろう、のぶなが?」
「おう!」
織田三郎信長。
って、
織田信長じゃん。
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