秋の夜長のホラー短編集

雪車町地蔵

保護フィルム

 こつん、かつん。


 ……またあの音がする。


 スマホの画面を叩く音。

 内側から、タップする音。


 怖くて枕元に置いた〝それ〟を見ることも出来ない。

 頭から布団をかぶり、耳を塞ぐ。

 それでも――


 こつん、かつん。


 タップ音は、鳴り止まない。



§§



 中古でスマホを買うなんて、今時珍しいことでもない。

 SIMフリーを大手三社が打ち出してからは、わざわざ定価で買う物好きも減った。

 リサイクルショップで見かけたアイポンは、新しい型のくせにずいぶんと安かった。

 迷わず購入し、一緒に保護フィルムも買い物籠に入れる。

 まえの持ち主は、どうやらその手のアクセサリーをつけない主義だったらしい。


 持ち帰って、さっそく記念の撮影をした。

 スマホを新調したことを、友人連中に自慢してやろうと思ったのだ。

 パシャリと鏡を使って自らとスマホを写し、グループチャットに画像を貼り付けようとして――はたと気づいた。


 ストレージに、撮った覚えのないフォトが入っている。


 それは、見覚えのない男の写真だった。

 ガリガリに痩せ細った男。

 頭髪は縮毛で、綿埃のように汚らしいのに、肩の辺りまでもあって。

 眼窩は落ちくぼんでいて、生気のない眼がこちらを見詰めており。

 その節くれ立った指が、緩く曲げられて、こちらを指差していた。


 そんな写真が、数枚。

 どうやら、前の持ち主が写したものらしい。消されずに残っていたわけだ。

 店の管理はどうなっているんだと、責任者の神経を疑いながら、すぐに削除する。

 薄気味悪かったのだ。


 いらだちを覚えながら、保護フィルムを貼っていないことを思い出す。

 ぺたりと、気泡が入らないように気をつけて、しっかりと固定する。


 うん、我ながら綺麗に出来た。

 満足しながら、スマホを枕元に投げ出し、眠りについた。


 翌朝。

 フィルムが、白くなっていた。


 気泡だ。

 あんなにも丁寧に貼り付けて、見栄えだって確認したはずなのに、フィルムと画面の隙間には空気が入って、白く濁ってしまっている。

 腹立たしく思いながら、帰りにもう一枚、フィルムを買ってくることにして、仕事へ出た。


 思えば、このとき手放してしまえばよかったのである。

 そうすれば、少なくともいつもどおりの生活を送ることが、出来たはずなのだから。



§§



 こつん、かつん。

 音がする。

 浅い眠りを妨げる、不快な音。


 こつん、かつん。

 なにか硬いものを、指先で叩くような音。


 ――ああ、スマホかな?


 どうしてだか、そう感じて、枕元から引き寄せた。

 寝ぼけまなこを擦りながら画面を見て。


 驚きに、目を見開いた。


 画面が、白く濁っていた。

 違う。

 保護フィルムの中に、また空気が入っていたのだ。


 ……おかしい。

 これは寝る前、つい数時間前に張り替えたばかりだ。

 そのときは綺麗だった。間違いなくうまく張れた。

 だが、実際はどうだ?


 濁っている。

 画面が見えない。


 おかしい。奇妙だ。

 しかし、このままにしておくわけにもいかない。

 また、フィルムを剥がそうとして。


 ――こつん、かつん。


 スマホが、タップされた。

 こちらからではない。

 画面に触ってなどいないのだから。


 では、どこから?


 こつん、かつん。


 音は。

 フィルムの内側、スマホの中から、聞こえた。


 ワッと叫んで、スマホを放り投げる。

 ベッドに落ちる。

 音が、止まる。


 心臓の音がうるさい。

 耳の裏で、血潮が轟々と鳴っている。

 呼吸が荒い。


 震える手を一度握りしめて、スマホを拾い直す。

 フィルムを、剥ぎ取る。

 もしかしてという予感は、こんなときばかり的中した。


 あの痩せ細った男の写真が、スマホの中に甦っていた。



§§



 音は、フィルムを貼るたびに聞こえてきた。

 気に食わないのだろう、そういう主義なのだ。


 持ち主のことを調べても、画像を検索しても、当然なにもわからない。

 以前の持ち主はこのスマホを握ったまま交通事故に遭って死んだ――なんてわかりやすい回答は用意されていない。


 ただ、フィルムを貼ると、今日もタップ音が聞こえてくる。


 ……何度もフィルムを貼るのは、おかしいと思うだろう。

 けれど、そうしなきゃいけない理由がある。

 だって。

 せめて出口を封じていないと。


 いつ――あの男がスマホから這い出してきてしまうか、わからないのだから。


 今日も、無駄になるとわかりながら、俺はフィルムを張り替える。



 白く濁った、指紋だらけの保護フィルムを、剥がしながら。

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