666─《スリーシックス》─

モーニングあんこ(株)

第1話 雌狼の悪魔

 「ん、ふ……」


 ふわふわと浮遊感のある意識の中、目を開けると銀色の髪をしたアンニュイ顔の女がいた。あぁ、あいつと似てるなぁ。女は満足そうに笑い、赤い瞳にさらに熱を孕ませる。分厚く熱い舌が何度も入っては唾液と血が混ざり合わせてきた。漏れ出た吐息は唆るものだったが、死にかけの俺にとっちゃそれを堪能する頭も持ち合わせていない。ただ、頭の中まで唾液の音が響いて意識が遠のきそうだった。


「好き」


「あー……俺も好きだぜ」


 何となくそう答えなければならない気がした。こんな馬鹿な幻覚があるだろうか。赤々と燃える部屋の中で濃厚なキスまでして、告白されてる。おまけにかつて愛していた女によく似たやつが最期に現れるなんてな。


 炎が舞う密室に置かれていた鏡には腹から大量の血を流して、虚ろな目をしている自分が見えた。だからめんどくせぇ女は嫌いなんだ。遠のく意識の中、目の前にいた女が狼に似た何かに見えたが、おそらく気のせいだろう。


 ───────……

 遡ること数時間前……


六村一色ろくむらいっしき、お前に頼まれて欲しい案件がある。この女を殺してこい」


 黒い机に置かれたのはいかにも水を売ってそうな安っぽい女だった。あー、また殺しか。逆ハニトラって所か。契約書を眺めるばかりで、こちらを見もしない依頼主は銃を手渡してくる。


「殺しは初めてではないだろ?」


「もちろん。情報の為なら拷問も殺しもハニトラもやってきた。んで、報酬金は? 俺は前払いしとくれないと仕事はしねェ」


 舌打ちをしながらも差し出したのは桁の多い小切手だった。まぁ、妥当な額だな。ここで増やせと言うと、リピーターにはなってくれないだろうから今は仕事を完璧にこなすか。


「んじゃ、成立ってことで」


 女の写真と頂いた小切手を貰い、煙草臭い部屋から出る。本拠地ではないにしろ、俺をこんな古ぼけたビルに呼ばれるのはいい気分はしねぇなァ。スーツのコワイコワイお兄さん方に睨まれながらも仕事用の黒い車に乗る。ふと見たスマホには嵐のような通知が次々と送られてきていた。


「会いたい、か……そもそもこいつ誰だァ?」


 連絡先交換したってことは気に入ったんだろうけど、なにせ多くてなァ。忘れちまった。まぁ、でも名前も忘れてんだから喘ぎ声がうるさいか彼女面してきてウザかったんだろうな。通知拒否を押し、連絡先も消し、女がいるというマンションまで車を走らせた。


 プルルル


 プルルル


 プルルル


「ッ───! 何度も何度も電話してくんじゃねェよ!!」


 走行中にも関わらず、鳴らし続ける相手に腹が立って電話に出るが、声の主は珍しく女じゃなかった。


「六村、僕だよ。水無月」


「水無月? 随分と懐かしいなァ。んで、汚職警官がなんの御用で?」


 何年も前に男児殺害事件の犯人を知りたいと乗り込んで来たな。結局、犯人は政治家の息子だったな。普通なら殺せない相手だが、この通話の男、四肢をもいで目を抉って死にたいと懇願するまで殴った挙句、焼却炉に投げ込んだという噂だ。世の中恐ろしい奴ばっかだぜ。


「今来れるかい? 最近、変死体が増えててね」


「は? 俺がたかが死体にわざわざ会いに行くと思うのかァ? そんなもん毎日俺がつくってら」


 ゲラゲラという笑い声が車内に響いたが、もちろん水無月はなんの反応も示してくれねぇから一人すべったみたいで何だか気まずい。


 すぐホテルだというのに、タイミング悪く信号は赤くなる。ブレーキを踏み、返事を待つ。


「……ウロボロスのマークが変死体に刻まれていた」


 ピタリと時が止まったかのように感じられた。ウロボロス、ここ2年間の間に見つかった変死体全てにウロボロスが刻まれていて、未だ未解決事件として処理されている。


「確か、君の婚約者もウロボロスが刻まれてたね」


「水無月サンよォ……そんな煽んなくても俺は行くぜ? 位置情報送れや」


 電話越しに小さく笑い声が聞こえた。


 ─────────……


 合流した水無月に案内されたのは寂れた公園だった。ブランコに滑り台、シーソー……全部ガキの頃に遊んだものばかりでちょいとばかし懐かしい気持ちにもなる。だが、こんなジャングルジムは見たことねぇ。


「なんだァ? この臓器がぶちまけられた死体。いや、肉塊か?」


「血の臭いとアンモニア臭が最悪だろ? ジャングルジムに大腸、小腸を巻き付けるなんて最低な趣味してるよ」


 ジャングルジムはあらゆる臓器が巻き付いており、赤黒い肉塊がジャングルジムの中央で山となって積まれていた。辺りは血の池となっており、近くにあった遊具にも血が飛び散っていた。そして、直角に曲がったジャングルジムの棒にはどこかの部位であろう肉塊が刺さっている。


 背中の部分、だろうか? 血色を失った皮膚にはナイフでウロボロスが刻まれていた。


「目撃者はいない。監視カメラにも写っていない。今、鑑識に回してるところだよ」


 微妙な長さの黒髪を1つに結んだ水無月がため息をつく。黒い瞳は相変わらず光はないが、厳しい瞳をしていた。それにしても低身長ってのは可哀想だなァ。警官のくせになんの威厳も感じられねぇ。


「君は相変わらず見下ろすのが好きみたいだね。いつかその綺麗な水色の瞳ごと抉ってやろうか?」


「あんたが言うとマジに聞こえるからやめて欲しいもんだね。んで? 俺にして欲しいってのは?」


「あぁ、君ならこの死体が誰か知ってるかと思って。ほら、この写真が落ちてたんだ」


 見せてきたのは男と今回のターゲットである安い女だった。目を丸くさせたのが分かったのか、水無月はずいっと写真をさらに近づける。


「知ってるんだね?」


「知ってるもなにも今回のターゲットだ。なんでも知られちゃいけねぇ秘密を持ち逃げしたらしくてなァ。おい、生かす変わりに金出せよ?」


「分かってるよ。あ、でも金の出処は聞かないでね?」


「金に綺麗も汚いもねぇから気にしねぇよ。使えたらいいんだよ血濡れの金だってな」


 ウロボロスをあんまり見たくない気持ちもあったから、煙草片手にすぐに車へと乗り込んだ。血の臭いなんざ嗅ぎなれてるが、ウロボロス付きとなると嫌な事も思い出す。


『一色』


 そう名前を呼んだあいつの声はもう思い出せない。火遊びのし過ぎか。


 車を走らせながらも自嘲気味に笑う。すると、後ろで女の声が聞こえた。


「六村一色、私を殺そうとしている人ね」


 ルームミラーに、例の女が平然とした顔で座っていた。最後に停めたあの公園から距離はもう離れている、さっきまで後方確認もしていたが女なんていなかったぞ!

 あの公園以降、どこにも停めてねェ。どういうことだ?


 久しぶりに冷や汗が背中を伝った。


「顔はいいのに残念。ちょっと、気絶してもらうわね」


 赤信号で止まったその時、何もされていないのにとてつもない眠気が襲い、視界がグラグラと意識もふわふわと堕ちていく。今日に限って、赤信号ばっか、じゃねぇか……


 ─────────……


「ここまでが数時間前、いや、昨日の記憶であの後、燃える室内に放置されてたはずだよな? じゃあなんで生きてんだ?」


 とてつもなく痛む頭を押さえながらも昨日の出来事と、霞む意識の中で熱烈なキスをされた出来事を思い出す。目の前のアンニュイ顔した女はニコニコと笑う。

 待て待て待て、ここはどこなんだ?


「おい、ここはどこだ?」


「家」


「誰のだよ」


「一色の」


 周りを見渡すと確かに俺の部屋だった。この女誰だ?


「お前、誰なんだ。燃える部屋からどうやって出た? あとなんでキスしたんだよ」


 女は銀色の髪を揺らし、嬉しそうに笑う。その時、女はなんの前触れもなく姿を変えやがった。黒色の狼のようだが、背中には鷲のように逞しい銀の翼、蛇のような尻尾がゆらゆらと動いていた。大型犬よりも少し大きめなサイズをした化け物がそこにはいた。


 それが口を開くと赤い炎が燃えているのが見えた。


「マルコシアス。六村一色は私と契約を交わして生きながらえた。死ぬはずだったその運命は私と運命共同体となること、そして人間の魂を3日に一つ喰らうことを条件にあの炎の中から生き延びた」


「……は?」


「私は雌狼めろうの悪魔。一色は悪魔に魂を売った契約者だ」


 狼の顔でニタリと笑うそいつは悪魔だった。理解し難い状況に乾いた笑いが出てしまったが、それもすぐに止まってしまった。撃たれたはずの腹部は綺麗に塞がっており、傷口には正三角形とその中に円が描かれていた。三辺には見たこともない文字が書かれており、異常であることなんてすぐに分かった。


「悪魔と、契約しちまったのか……?」

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