チェスキークルムロフへ行かない

 高知の夜は穏やかに過ぎていき、ここ数年会っていなかったことを感じさせないくらい心地良い時間となった。


「楓、チェスキークルムロフには行ったの?」

「まだだよ。一番行きたい場所へ行ってしまうと、その後の目標を見失いそうな気がして怖いからさ。若い頃は、行きたい場所がいくつもいくつも出てきて、時間もお金も足りないくらいだったのに、ここ数年、全く他に思い浮かばなくなっていて、初めて自分の心の老いを感じたの。だからチェスキークルムロフにはこのまま行かない方が良いんだと思ってるとこ」


 私は数年前に見た楓の虚な瞳を思い返した。もしかしたら、彼女の心は今も閉じたままなのかもしれないと思った。


「楓、私は仕事人間だし、在職期間中は長期で休み取ることはなさそうな気がするけど、定年退職したら、二人で数ヶ月地球を豪遊しない?その旅でチェスキークルムロフにも一緒に行きたいと思ったんだけど」

「いいけど、旦那さんを数ヶ月も放ったらかしにしておいて大丈夫なの?」

「そうねー。その時になってみないと状況はわからないけど、きっと何とかなるでしょ。数ヶ月が無理なら、1週間でチェスキークルムロフ周辺だけ旅しても良いんだし」


 私は楓と約束がしたかったのだ。何にも縛られず、いつの間にかどこかへ行ってしまいそうな彼女が心配だった。そんな私の心に気がついてなのか、楓は本当に嬉しそうに微笑んだ。

「いいね。豪遊できるよう、それまでしっかり働いて貯蓄しておかなくちゃだね」

 それから程なく私は結婚式を迎え、楓や友人たちに囲まれながら、最高に幸せな時間を過ごした。


 長く放浪を続けていた楓は、その年の末、東京へ戻り、私が女児を出産した後も、時々顔を出してくれるようになった。

「楓、チェスキークルムロフはまだ先の話だし、来月沖縄かどこか、近場で旅行しない?旦那が出張でいない間に旅行したいなって思って」

「いいね。それなら八重山諸島にしない?久々に島巡りしたいなって思ってたとこなの」


 沖縄本島より更に南にある八重山諸島は4月でも泳ぐ人がいるほど暑かった。

 娘はまだ歩けなかったが、東京の海とは違う鮮やかな色のビーチを見て至極上機嫌だった。

 旦那抜きで楽しんでいることを少しだけ心苦しく思いながらも、この平和な光景がずっと続けば良いのに…と私は願った。娘は幼すぎてこの旅の記憶は残らないと思うが、いつの日かこの時の写真を見せながら、思い出話に花を咲かせることだろう。


 やはり人間は一人でいるべきではないと思うのだ。一緒にいるのが家族であれ、友達であれ、大切な人と一緒にいる時間はこんなにも輝いているのだから…。

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