奴隷商館編

第1話


初めは、マンホールに落ちたかと思った。



その日の俺は、かなり酩酊していた。ようやく追っ掛けていたヤマが終わり、打ち上げでしこたま飲んだからだろう。

デスクからの偉そうなお説教を聞いたからか、ムカついてさらに酒量が増えた。てめーの言うこと聞いてたら、記者なんてやってられねえんだよ。

暴れ出さなかったのは、まだ何とか理性が働いてたからかもしれない。というか、俺がチキンだからか。


明日は久々の休みだ。でも、仕事は週明けから山のように降ってくる。この土砂降りの方が、まだマシだ。

心底うんざりだ。人様より給料貰ってなかったら、こんな仕事辞めてるわ。


俺は、近くにあったバケツを蹴ろうとして、盛大にスッ転んだ。……クソが、スラックスがびしょ濡れになったじゃねえか。

明日はどうすっかね。スロットでも行くか?彼女がいればいいが、こんな稼業だから作る時間もねえ。風俗という手もあるが、そんな体力が残ってるかどうか。

この分だと、また夕方まで爆睡だな。……全く、うんざりだな。



立ち上がり、一歩踏み出す。その先に、地面はなかった。



「うおっ?」



暗闇の中を落ちる感覚。工事の穴か、たまたま開いていたマンホールに落ちた?

10秒……20秒……こんな下まで落ちていくなら、まず即死だろう。どれだけ痛いのだろうか。痛みも感じず、あっという間に死ねることを、ただ願った。



実に、しょうもない人生だった。……俺は結局、何者にもなれなかった、というわけだ。



ドスッ



軽い衝撃。そして、目の前は……底抜けに青い、晴天。



「……何?」


痛みは、ほぼない。ただ、あまりにあり得ない光景に、目を疑った。

俺は土砂降りの夜を歩いていたはずだ。だがこれはどうだ?完全に真逆だ。


慌てて身体を起こす。……草原、いや街道?しかし、砂利道で舗装はされていない。向こうには山が見える。人の姿は、ない。

酔いは、まだ残っている。ふらつく脚で、どこまで行けるのか。いや、そもそもこれは、アルコールによる幻覚じゃないか?


「……いてっ」


脚がもつれ、俺はまた転んだ。……痛い。膝を擦りむいたかもしれない。そしてその痛みは、これが現実であることを如実に物語っていた。


「……何だってんだよ」


俺は起き上がり、もう一度辺りを見渡す。アフリカか南米の田舎みたいな風景だ。空気が、少し濃く感じられる。

どう考えても、俺はまだ生きている。ならば、これは何だ?


1:これはマンホールに落ちた俺の走馬灯である。所謂「邯鄲の夢」に近い何かだ。


2:実は酔いつぶれた俺の夢だ。痛みは、きっと気を失った時に怪我でもしたのだろう。


3:異世界に俺は来てしまった。出来の悪いラノベやなろう小説の、アレだ。


4:ワームホールに入った俺は、アフリカか南米に瞬間移動した。


1でないことを、俺は願った。ただ、2にしてはやけに現実味が強い。

まさか、3か?25にもなって、厨房や工房が夢想するようなファンタジー世界にいるなんて、かなりお笑い草だ。

かといって4も、同じぐらい荒唐無稽だが。とりあえず、スマホの電波は圏外だ。


まあ、道があるってことは向こうに行けば何かあるんだろう。町か村か、着いたらそこには人がいるはずだ。そうすりゃ、何とかなるはずだ。とりあえずは、眠る場所が欲しい。


フラフラと5分ほど歩いていると、向こうから馬車がやって来た。いよいよ3の可能性が高くなってきた気がする。

まあ、異世界転生モノならお約束としてチート能力があったりするかもしれねえな。そうでなくても、文明レベルはきっとこちらが上だ。

ま、どうとでもなるだろ。まずはコンタクトを取ることだ。


馬車に乗っているのは、中年のおっさんだ。農夫か何かだろうか。


「おーい」


「×★○○!!?」


手を振った俺に、おっさんは変な叫びを上げた。聞いたことがない言葉だ。とりあえず、英語やスペイン語じゃない。

アフリカの地域言語?ただ、おっさんは白人っぽい顔立ちだ。じゃあやっぱり、ここは異世界ってわけか。


「あー、言葉が分からないか。とりあえず、乗せてくれねえか?」


身振り手振りでも、意思は大体は伝わるはずだ。大学生時代に半年間バックパッカーをやった経験上、意志疎通には自信がある。


……ところが、おっさんの取った対応は、全く予想外だった。


「▲▲×○◎!!!」


怒ったような声で俺を指差すや否や、踵を返して元の道を逆走し始めたのだ。


「おい、ちょっと待てよ?」


馬車は猛スピードで走り去った。あんなに馬車って、速く走れるものだったか?

まあいいや、人がこの近くに住んでいるっぽいのは分かった。きっと、乗せられない理由があったか、おっさんが嫌な奴だったかだろう。


さらに5分ほど歩く。彼方に、洋風の城と城壁が見えてきた。

なるほど、いよいよ異世界ファンタジーっぽいな。ちょっと楽しくなってきたぞ?酔いもなぜか抜けてきた。もうちょい頑張るかね……



その時だ。



ドドドドドッッ



地鳴りが聞こえてくる。すぐに、それが騎馬隊のものであることに気付いた。何かあったんかね?



そんな暢気な俺の思考は、すぐに消えた。



「◎◎×▲★★!!!!」



10人ほどの騎馬、そして1台の馬車が俺の前で止まる。そして隊長らしき髭面の男が、俺に長剣を突き付けたのだ。



「……は?」



「×▲★!▲◎○◎……」



何言ってんだこいつ。叫ぼうとした次の瞬間。



バシュッッ!!!



剣の先から、何かが迸る。そして同時に俺のすぐ横の地面が30センチほど抉れたのが分かった。

全身の毛穴という毛穴から、冷や汗が吹き出た。これが武器なのか、魔法とやらというものなのかは知らない。確実に言えるのは……



これは、脅しだ。



俺が何をしたと口に出そうになったが、こいつらに言葉が通じそうもないのを思い出してやめた。

中米で身ぐるみ剥がされそうになった経験から分かる。こういう時に、下手に抵抗してはいけない。


俺は両手を上げ、抵抗の意思がないことを示した。髭面の男は何か部下に指示をすると、俺の手を後ろ手に縛り、乱暴に馬車に乗せた。



……これは一体、何なんだ?ほぼ犯罪者扱いじゃねえかよ。



犯罪者ならまだよかったと知るのは、すぐだった。馬車はしばらく走ると、急に止まった。


「★○◎!!」


騎士に、乱暴に降ろされる。目の前にあったのは、小汚ない建物。

そして、その前には……



「う、ううっ……」



無気力な呻きを上げる、3、4人の人間。そしてその首からは、文字らしきものが書かれた板がぶら下がっている。

俺は、思わず唾を飲み込んだ。……これに似た風景を、アフリカのどこかで見たことがある。



そう、ここは……人身売買の現場。恐らくは、奴隷商人の館だ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る