けものフレンズリベレーションズ
クロフク
プロローグ
金色の草原。
明るく照らす太陽。
生い茂る草が互いを撫でて、吹き抜ける風があとに続く。
「ハッ、ハッ…!」
その草原の中を今、僕は走っている。
足が震えてきた。息もそろそろ上がりそう。
元々速く走ることはあんまり得意じゃないし、周りに危ないものなんて何もない。
でも、今は走らなくっちゃ。
だって―
「うみゃみゃみゃみゃみゃー!」
元気一杯のいつもの声が後ろから追ってくる。
昔は草むらに隠れればちょっとは見失ってくれたけど、今日はそうもいかないみたい。
声が段々大きくなって首筋をくすぐってくる。
捕まっちゃダメなのに、今すぐ声の元に飛び込みたい。
「そこだぁー!」
お日様が引っ込んだ。かと思うと、そのまま僕の方へ飛び込んできた。
疲れているからか、足からあっけなく力が抜けて、そのまま地面に倒れ込む。
僕に覆いかぶさるように、声の主も両手を地面につける。
暖かくて、柔らかくて、どくどくしてる。
僕は今、お日様を抱いている。
「たっ、食べないでください!」
「食べないよ!…フフッ、アハハハハッ!」
昔のことを思いだしたのか、それともこの状況が面白かったのか、サーバルちゃんが吹き出した。弾むような笑い声につられて、僕もまた笑い始める。
「すごいねサーバルちゃん、僕が隠れてたところ、どうやって探したの?」
「そこからかばんちゃんの匂いがしたんだ!最近ずっと一緒に寝てるし、かばんちゃんからどんな匂いがするかはばっちりだよ!」
「ぼ、僕ってそんな匂うの⁉」
「うん!じゃぱりまんみたいな甘い匂いがするの!やっぱりかばんちゃんっておいしいのかなー?」
目を薄めて口元を押さえるサーバルちゃん。悪戯したいときの、ちょっと悪い顔。
「…少しだけなら、食べていいよ?」
「わわっ、食べないよっ!」
ビックリしてるサーバルちゃんの顔が、なんだかとっても可笑しくて。
思わず吹き出した僕に、今度はサーバルちゃんがつられて笑いだす。
僕の上からごろんと回って、横に寝転んでからも、サーバルちゃんはずっと笑っていた。
やがて僕が笑いつかれて、目を閉じていると、傍からサーバルちゃんが僕を呼んだ。
「見てみてかばんちゃん!あそこのお日様、すっごくきれいだよ!」
目を開けて、サーバルちゃんの指さす先。
いつの間にか真っ赤になったお日様が、さばんなを同じ色に染めながら、空の向こうに引っかかっていた。
そしてその傍ら。目を輝かせながら、お日様に負けず劣らず明るく笑うサーバルちゃん。夕焼けに照らされた、眩しいほどの笑顔。その顔は、僕が見てきたどんな風景よりも―
「…うん、すっごくきれい。」
「でしょでしょー!でもなんでかな?ここでお日様は何回も見たけど、ここまできれいなのは―」
「カバン、チョットイイカナ。」
「あ、ボス!ボスが喋るの、私すっごい久しぶりな気がするよ!」
「ラッキーさん、どうかしましたか?」
「モウスグ遊園地デ博士タチニ来ルヨウイワレタ時間ダヨ。少シ急イデ歩カナイト着ク前ニ日ガ暮レテシマウンジャナイカナ。」
遊園地?
…遊園地。
「あああそうだよ!今日『無事セルリアンを倒せた&かばんちゃん何の動物か分かっておめでとうの会』があったんだ!早くいかなくちゃ!」
そう言ってサーバルちゃんは駆けだした。
さっきまでののんびりはどこかに飛んで行ったみたい。
はやくはやく!とかけられた声に引っ張られて、僕の体も動き始めた。
そのはずだった。
「うわあっ⁉」
前のめりになっていた体が、ガクンと後ろに持っていかれる。
慌てて後ろを振り向く。
「え、えっと…あなたは何のフレンズさんですか?」
左手が見たことないフレンズさんに掴まれていた。
他のフレンズさんより背が高い。ライオンさんぐらいはありそう。
羽織っている黒いジャケットを除いたら、ラッキーさんが見せてくれたミライさんにそっくり。
被ってる帽子が影になって、どんな表情かが読み取れない。
「あの…すみません。僕は今遊園地に行かないといけなくて…。放してもらえませんか?」
謎のフレンズさんは放してくれる気がなさそうで。掴まれた手が痛む程に力が籠められる。
そうこうしているうちに、サーバルちゃんの背中はどんどん遠くなっていく。
「待ってサーバルちゃん!…ッ、放してください!」
「一度サーバルを死なせても、貴方はまだあの子といたいの?」
「…え?」
はじかれるように振り返った矢先。
走っていたはずのサーバルちゃんが、今は歩みを遅らせて話をしていた。
脇には、見たことないフレンズが一人。やがてその数が二人、三人とどんどん増えて。
気づいた時には、数え切れないほどのフレンズがサーバルちゃんの周りにいた。
どの子も楽しそうに、そして嬉しそうに笑っていた。
その誰もが前だけを見据えて。
その誰もが後ろなんて向かずに。
「教えてよかばん。貴方はそこまでしてあの子が欲しいの?」
「あなたはあの子が大事なの?それとも【あなたといるあの子】が大事なの?」
開きかけた唇を遮るよう、背後から黒い手が伸びて、私の顔をすっぽりと覆った。
「あの子が心配?…ねえ、よく見てみて。あの子、十分幸せそうだよ。」
親切にも開いてくれた指の間から覗く世界。
嫌でも目に入るその景色は、背後からの言葉が偽りでないと教えてくる。
「あの子の素敵なコンビは、きっとあなたじゃない。」
違う。
そんなことないって。
間違ってるって、そう言いたいのに。
なのに。
サーバルちゃんの笑い声が、僅かにのぞく満面の笑顔が、変に頭に焼き付いて。
サーバルちゃんの呻き声が、痛みに歪む琥珀色の両目が、しかと頭にひびいて。
喉がくっついてしまったみたいで、まるで声が出ない。
世界がぐるぐる回っている。
真っ赤にごうごうと燃えている。
遠くの誰かに呼ばれている。
手を振り払うほどの気力も、声を振り絞るほどの余力もない。
足元が崩れて、地の底にのみ込まれていく。
脚が、腰が、胸が、顔が。
どこまでも体が沈んでいく。
「君の帰る場所も、きっとあの子の傍じゃない。」
その言葉を最後に。
目の前が真っ暗になって。
自分の名前だけが、どこからともなく聞こえてくる。
段々と手足の感覚もきえて。
このままでも悪くないのかな。
頭の中がほどけていく。
このまま僕も消えちゃうのかな。
そう思って、全部手放して、目を閉じて―
突然、全てが水に飲みこまれた。
✜・・・
「博士、幾ら何でもその起こし方はまずいと思うのです。」
「こ、こんなにゆすっても起きないなんて初めてなのです!それにあの苦しそうな声、助手にも聞こえたはずなのです!あのままずっとうなされていたら―」
鈍色の机。
仄かに灯る電灯。
散らかった書類の山に、雑然と並ぶ瓶の数々。
「あともう少しで本が読めなくなるところだったのですよ。」
「あともう少しでかばんが危なかったのです!」
そして、聞きなれた声が二つ。
「ん…博士―」
「かばん!大丈夫だったのですか!」
ゆっくりと意識が戻る中、白くて華奢な体が飛び込んできた。
「どうやらひどい夢を見ていたようなのです。唸り声が我々の部屋まで聞こえてきたのですよ。」
その横には、茶色の一回り大きな体。
「良かったのです…あのまま起きなかったら…どうなることかと…」
机に突っ伏すような形の自分の体。その背中を、羽根を広げた博士がゆっくりとさすっていた。研究の途中で寝てしまったのだろうか。思い出そうにも、先ほどの夢ばかりが頭に浮かんでくる。机に浅く広がる幾らかの水はおそらく博士がかけてくれたものであろう。
「我々が覚えている限りでは、少なくともここ1週間はベッドで寝ていないのです、かばん。最近少し根を詰めすぎなのです。」
「そんなことない…私は…」
「かばん、サーバルがいなくなって、気持ちは分かりますが―」
「分かるわけなんかない!!―っ?!」
叫び。
いやあるいは、嘆き。
怒りか何かで跳ねた体は、けれどもうまく動いてくれない。
足を滑らせて盛大に尻餅をついた目線の先に、二人の顔が浮かんでいた。
怯える博士と、たじろぐ助手。
滅多に押されることのない、いつも自信満々な二人。
その二人が。
今。
4つの目が。
私を見て。
怖がって。
「私、今なんて―」
持ち上げた手は小刻みに震えて、支えにして立つこともおぼつかない。
ふと、向こうの鏡に自分の顔が映る。
目の下のくすんだくまが頬まで垂れさがる。
その目もまた彩を失って、ぼんやりと眼孔の中に浮かぶのみ。
この目は。
無機質で歪な目は。
もう既に。
僕なんかじゃ。
「あ、あ、私、今、なんて…」
「…すまなかったのです。そんな軽々しく言うことじゃ―」
「違うの!!」
跪く体勢で、再び叫びが漏れる。
「違うの…博士たちは、博士たちは何も悪くないんだ…。謝るのはボクなんです…。ボクが…私がこんなだから…私一人じゃ…何も出来ないから…」
目の前が霞む。手の震えが一段と大きくなっていく。やがてその震えが腕に、肩に、足に体に頭の頂から指の先までガタガタと震えだして内と外が反転して目の前がくらくら回って真っ黒に塗りつぶされてドロドロに溶けて私の全てを食べていって―
「かばん。」
手。
誰の手?
握られた。
暖かい。
とくっ、て。
「我々は…我々は絶対に離れないのです。かばんは悪いことなど何一つしていないのです。そしてきっと、あの子も見つかるのです。いつかあの子とまた会えると約束するのです。この島の長の名と…かばんの助手の名に懸けて。」
視界が翼に包まれる。
柔らかい羽根が耳をくすぐってくる。
やがて肩の力が抜けて。
顔を上げると、そこには助手の顔。
ふっと笑って見せる顔は、けれどどこかぎこちなくて。
こちらの調子を察したのか、すぐさま翼を降ろしてくれた。
「…うん、ありがとう助手。それから博士も。起こしてくれて助かったよ。」
「なっ…礼には及ばないのです!我々は島の長なので!でももし、もしこの博士に感謝するのなら、明日の昼ごはんをカレーにするのですよ!」
「うーん、そうだね…でも今日の昼も夜もカレーだったから…。あ、じゃあ前食べたあの赤くて辛いのはどう?」
「「大賛成なのです!!」」
思わず口をそろえた二人を見て軽く吹き出してしまう。
それにつられてか、二人も僅かに、固まっていた顔をほぐしてくれる。
「…ゴホン。とりあえずかばんは今すぐべっどで寝たほうがいいのです。」
「後片付けは我々がしておくのです。とりあえずかばんは寝るのです。寝ないと賢くなれないのですよ。」
少々ためらわれたが、背中をぐいぐい押してくる博士たちに流されるがまま、寝室へと向かう。廊下の脇にいくつも並ぶドアのうち、もうどれが自分の部屋なのかも覚えていないようで。
「…ここだっけ。」
開きっぱなしのドアを押して中に入る。
灯りをつけると、こんな場所もあったと思える風景。
いつぶりの寝室だろうか。
上着を寝台際の椅子に掛けようとかがんだ時、椅子の上の額縁が目に入った。
よれた写真に二人の姿。
映っているのは私。どこか強張り、小さくて弱かった、何にも守れなかった私。
もう一人は…サーバルちゃん。強くて優しくて、何でもできて、笑顔の弾けるその姿は―
「―っ」
再びこぼれそうな涙に、慌てて額縁を伏せる。
少し埃を被ったベッドに身を投げ出した。
溜まった息を吐きながらぼんやりと考えを巡らせる。
どこで私は間違えたのだろう。
どこで私は踏み外したのだろう。
この建物に着いた時?
【せんとらる】に入った時?
ホテルに向かった時?
カント―ちほーに到着した時?
人を探す旅を始めた時?
サバンナを出た時?
サーバルちゃんと出会った時?
それとも―私が生まれた時。
指先が震えだす。
必死に違うと言い聞かせたくても、一度始まったら止まりやしない。
仄かに透けだした爪から、指から、手から、虹色の光が漏れだしていく。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
消えたくなんかない。
視界が再び白く染まる。
耳には突き刺す異音だけ。
嫌がる?
何様のつもりで。
崩れる瓦礫。歪な一つ目。垂れ下がった腕。
鼻を刺す臭い。裂けるような痛み。耳を貫く声。
動けない私。
動けない?
動かない?
怖気づいて、見捨てて、諦めたのは誰。
セルリアンを前に何もできなかったのは誰。
みんなのパークを自分の夢で崩したのは誰。
フレンズの皆さんを脅かした危機は誰。
パークの危機は、すぐさま消されるべきなら。
どんなことがあっても倒さなくちゃいけないものなら―
「かばん!まだ寝ていないのですか!」
意識が溶けてなくなる前に、梟の一声が視界に色を戻してくれた。
驚いて入り口の方を見ると、博士が頬を膨らませながら立っていた。
「光が漏れてバレバレなのですよ。片付けはとっくに終わっているのです。夜行性でもない人が夜更かしするのは、めっ、なのです!」
「…そうだ、そうだよね。…ありがとう博士。」
「それから、我々にはラッキービーストのコアの見分けがつかないのです!取りあえず引き出しの中に入れておいたので、明日かばんが元に戻しておくですよ!」
そのまま走り去った博士を追うことなく、よろよろと明かりを消して床に就く。
疲れが相当にたまっていたのだろう。すぐに意識が遠のき始める。
混濁する頭の中で、最後の質問が延々と巡っていた。
夢を見ることなく眠れたらいいそうであるが、そんな日は一度もなかったように思える。
目の前には何度見たかもわからない、代わり映えしない景色が広がっていく。
かつて私が過ごした日々。
身に余るほど幸せな日々。
もう戻ることはない日々。
上も下も一面真っ青。
ハンドルに手を乗せて、そよめく潮風に当たりながら。
ほんのり塩辛い匂いが鼻をつつく。
体は波に僅かに揺らされ。
後ろから聞きなれた声が届く。
全てはあの場所。キョウシュウチホーの船出から。
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