第233話 自信の無い男

『これでユーレフェルトは私のものだ!』


 オーギュスタン・ラコルデールを捕縛した時、ベネディット・ジロンティーニは表面上は厳しい表情をしていたが、胸の内では歓喜の叫び声を上げていた。

 それほどベネディットにとって、オーギュスタンという人物は目障りな存在だったのだ。


 先々代の国王に男子が生まれなかったので、三大公爵家の力関係のバランスを取るためにベネディットの兄オーガスタが二人の王妃の婿となり王位に就いた。

 ベネディットにしてみれば、公爵家の跡を継ぐなどと考えていなかったので、兄の婿入りは晴天の霹靂であった。


 下級貴族の二男や三男だと、生活していくのも苦労するが、公爵家ともなれば財力も領地も屋敷にも余裕があり、ベネディットは気ままな生活を続けられると思い込んでいたのだ。

 なので、勉学にも、武術にも、政治にも余り興味は無く、旅行記を読んで旅する自分を想像するのを楽しみとする、いわゆるボンクラ息子だった。


 家督を相続する羽目になり、付け焼刃で政治や経済、そしてジロンティーニ公爵家が司る法務の勉強をさせられたが、他の侯爵家の跡取りと比べると自分でも見劣りがすると感じていた。

 ユーレフェルトの軍務を取り仕切っていたアンドレアス・エーベルヴァインに気圧されるのは仕方がないとして、財務担当のオーギュスタン・ラコルデールに嫌味を言われるのが精神的に苦痛だった。


 オーギュスタン本人は、元々嫌味っぽい話し方をするだけで、意図して貶そうという意思は無かったのだが、劣等感を抱えていたベネディットは悪意が籠っているように感じてしまっていたのだ。

 まだ二人の王子が存命中だった頃、文官であるオーギュスタンは、武官であるアンドレアスと互角の派閥争いを主導していた。


 アンドレアスの前に立つだけでも足が竦みそうになる自分とオーギュスタンを比べて、ベネディットは益々劣等感を募らせていた。

 一応、国王派の一員ではあったが、派閥の旗印は兄である国王オーガスタで、自分は補佐でしかなかったのもベネディットの自信を失わせていた。


 とは言え、ベネディットが絶望的に愚物という訳ではない。

 いくら勉学に身を入れてこなかったとは言っても、公爵家ともなれば家庭教師がついて世の中の仕組みを叩き込まれる。


 平均的なユーレフェルト貴族と比べれば、ベネディットは中の上ぐらいの才能は持ち合わせている。

 ただし、自己評価が低い故に、その才能も十全に発揮されてこなかった。


 もし、ベネディットがもう少し気の強い人間で、積極的に第一王子アルベリクを支持し、第二王子ベルノルトの愚行を諫めていたならば、状況は変わっていたかもしれない。

 だが、現実のベネディットは、ユーレフェルトを取り巻く状況が変わろうとも腹が据わらず、日和見的な行動をとり続けてきた。


 アルベリクが暗殺され、ベルノルトが戦死し、オルネラス侯爵領が独立を宣言しても、ベネディットが自ら積極的に動くことはなかった。

 あくまでも自分は国王である兄の補佐に徹する……と言えば聞こえが良いかもしれないが、実際には責任を背負いたくないだけだった。


 何か起こっても、それは国王である兄に押し付けてしまえば、自分が責任を取る必要が無かったからだが、そうも言っていられない程に事態は悪化を辿った。

 オルネラス領の独立を止められず、討伐に向かったオウレス・エーベルヴァインは惨敗を喫し、責任を押し付けるために処刑したが国民の非難の矛先を逸らすことはできなかった。


 このままでは、国は国王派と王女ブリジット派とに割れて内戦になる恐れすら出て来た。

 実際に内戦となれば、国王派の何割が残るかも怪しい雲行きに見えた。


 その結果、ベネディットはオーギュスタンに口説き落とされて、兄である国王の暗殺に同意してしまった。

 国を守り、家を守るため……といえば聞こえは良いが、オーギュスタンの弁舌に上手く反論が出来ず、兄を諫めることも出来ず、なし崩しに同意してしまったようなものだった。


 誅殺が終わったと兵士に告げられ、首から血を流した状態で椅子にもたれていた兄に歩み寄ると、開いたままの目を閉じようとした腕を掴まれた。

 その日から、ベネディットは度々悪夢にうなされるようになった。


 自分の気の弱さ、自信の無さから暗殺の申し出を拒めなかったにも関わらず、ベネディットはオーギュスタンに筋違いな恨みを抱くようになっていた。

 そもそも、国王を支えるのは全ての貴族の役目であり、オーギュスタンも負うべき義務であったはずだ。


 それを放棄して兄オーガスタに責任を押し付けたのは許せない……などと、自分の所業は棚に上げて恨みを募らせていた。

 その恨みが、積年の劣等感を晴らせるような事態が起こって、ベネディットは少々調子に乗っていた。


 もはや三大公爵家で残っているのは自分だけ、実質国の実権を握ったようなものだと思っていた。

 エーベルヴァイン公爵家を取り潰した時とは違い、今度は明確な証拠の下に取り潰しを行う。


 しかも、国が危機的な状況に陥っている時に、自分だけ助かろうとした裏切者を断罪するのだから気分が良い。

 ラコルデール公爵領を接収すれば、それは全て自分のものになるような錯覚すら感じていた。


「ラコルデール公爵領までの道中、オーギュスタンの裏切りについて喧伝して行け。接収の際は、民衆に手荒な真似はするなよ。公爵家の家族、使用人だけ取り押さえれば良い」

「はっ! かしこまりました!」


 接収のための編成を終えた国軍に対し、ベネディットは総司令官として訓示を行った。

 これまでは、オーギュスタンが総司令官として振舞っていたが、ベネディットは別段羨ましいなどと思ったことは無かったが、壇上に立って兵を見下ろして気持ちに変化が現れた。


『これが権力というものか……』


 居並ぶ屈強な兵士達が、自分の命令に従って行動し、敬礼によって敬意を示してくる。

 ベネディット自身が強くなった訳ではないのだが、それまでの自分に自信が無かっただけに、強くなったような錯覚をしても仕方なかったのだろう。


 その日以来、ベネディットは背筋を伸ばして歩くようになった……というより、ふんぞり返って歩くようになった。

 かつての三大公爵家はジロンティーニ公爵家を残すだけとなり、女王ブリジットの王配アルバートの実父として、ベネディットは国の権力の全てを手中に収めた。


 その実感が湧くほどに、ベネディットの態度は尊大になっていったが、大きな権力には大きな責任や重要な決断を担うことに気付いていなかった。

 ベネディットの頭の中は、ラコルデール公爵領を接収した後のフルメリンタとの交渉に向けられていた。


 迅速にオーギュスタンを捕縛し、領地を接収した手際には、フルメリンタもさぞ驚いて、手強い相手として交渉に応じるだろうと思い込んでいた。

 それだけに、接収部隊の出立から五日目に、早馬でもたらされた知らせにベネディットは驚愕した。


「馬鹿な! フルメリンタの部隊が守りを固めているだと!」


 オーギュスタンの悪行を民衆に喧伝しながら進んだ接収部隊が、ラコルデール公爵領との領地境に着くと、そこには噂に聞く新兵器で武装したフルメリンタ兵が守りを固めていた。

 明確な証拠を基に領主が捕らえられたのだから、残された家の者も大人しく接収に応じるだろうと聞かされていた隊長の方が驚いて、ベネディットに指示を仰ぐべく早馬をはしらせたのだ。


「ふざけるな! フルメリンタが入り込んでいるなんて聞いてないぞ!」

「いかがいたしますか?」

「はぁ? 何がだ!」

「フルメリンタ兵は、我々はラコルデールの領民の救助要請を受けて駐屯している。ユーレフェルト兵が立ち入ろうとすれば、明確な侵略の意図と判断し攻撃を行うと言っております」

「馬鹿を言うな! ラコルデール公爵領領はユーレフェルトの領土だ! フルメリンタこそが侵略行為を働いているのではないか!」

「そうなのですが……予定通りに接収作業を行うのですか?」

「当り前だ! フルメリンタに領土を奪われて、指を咥えて見ていろと言うのか!」

「ですが、あの兵器を携えて待ち構えている所に突っ込めば、オウレス・エーベルヴァインの二の舞かと……」


 独立宣言をしたオルネラス侯爵領の制圧に向かったオウレス・エーベルヴァインが率いた部隊は、フルメリンタの新兵器によって一日で全滅した。

 あの時は、制圧部隊といえども国軍ではなくエーベルヴァイン家の兵士が殆どだったので、その責任をオウレス・エーベルヴァインに被せられたが、今回は純然たる国軍だ。


 敗北すれば、その責任は総司令官であるベネディットに向けられる。


「ま、待て! 中止、一旦中止だ! 接収部隊には攻撃を行わずに、その場で守りを固めるように伝えろ! 早く!」

「はっ、かしこまりました」


 伝令役の兵士は、恭しく頭を下げたものの、ベネディットからは隠れた顔に冷笑を浮かべていた。

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