第192話 隣国の国王
フルメリンタの国王レンテリオは、昼食後の一時を庭園の東屋で過ごしていた。
季節はすっかり春めいて、庭の木々も花をほころばせはじめていた。
「良い季節になったな……」
ユーレフェルトから、コルド川の東岸地域を切り取ることに成功し、フルメリンタはまさにこの世の春を迎えている。
新たに占領した地域の統治も順調に進んでいるようで、反乱などが起こっているという知らせも入っていない。
その一方で、敵対するユーレフェルトは政情不安が続いているらしく、コルド川を越えて領土を奪還しようとする動きはみられない。
そもそも、ユーレフェルトの政情不安はフルメリンタの工作によるところが大きい。
オルネラス侯爵領の独立騒ぎも、フルメリンタの調略に端を発している。
ユーレフェルトの西の隣国マスタフォが攻め入ったのも、フルメリンタが唆したからだ。
レンテリオ自身は、王都ファルジーニから一歩も動くことなく、思い通りに事が進んでいる。
「あまりにも思い通りにゆき過ぎているな。気を引き締めねばなるまい……」
このところ、レンテリオは事ある毎に自らを戒める言葉を口にしている。
周囲の者に謙虚であるとアピールするためとかではなく、そうしていないと自分を見失うのではないかと恐れているのだ。
「まぁ、ユドには我が暴走したら殴ってでも止めろと言ってはあるが……」
武術もたしなむレンテリオと、生粋の文官である宰相ユドでは、殴り合いなど成立しそうにない。
それでも、腕っぷしで止めるのが無理ならば策を講じて止めるだろうと、レンテリオはユドを信頼している。
「いざとなったら、あやつはどんな手を使うかな……」
レンテリオが、あるかどうかは分からない未来を夢想していると、その主人公ともいえる人物が庭園に入って来るのが見えた。
有事の際も顔色一つ変えぬ、氷の宰相などと揶揄されるユドは、いつもと変わらぬ足取りで東屋へと歩み寄ってきた。
「陛下、オーガスタが死去したようです」
「確かな情報なのか?」
「対立していた第二王女ブリジットが、ラコルデール公爵家より王城へと戻ったそうです」
ユーレフェルト国内の状況は、潜入させた工作員によって探り出され、知らされる。
現代日本のように電話やインターネットは存在していないので、当然タイムラグは生じるが、重要な知らせは瑠璃鷹を使って二日ほどで届けられる。
今回の知らせも、ブリジットが王城に戻ってから二日で届いている。
オーガスタが殺害されてから、ブリジットが王城に戻るまで数日かかったとしても、オーガスタが死んでから十日も経っていないはずだ。
「病死……であるはずがないか」
「おそらくは、ジロンティーニ公爵家の手の者によって始末されたのかと……」
「弟に殺されたのか、哀れなものだな」
「王位を巡る争いが起これば、珍しい話ではないかと……」
古今東西、王位を巡る争いは身内同士による骨肉の争いである。
親子、兄弟、親戚同士が権力を巡って足の引っ張り合いから、果ては血みどろの殺し合いまで行われるのも珍しい話ではない。
今回のユーレフェルトの王位継承争いも、第一王子アルベリクの暗殺に始まり、第二王子ベルノルトは見殺し、第一王女アウレリアは母親共々誅殺。
そして今度は、現国王であるオーガスタが実の弟の手の者によって殺されたのだ。
「ブリジットが王位に就くのか?」
「これまでに入っている情報では、その線が濃厚かと」
「それで話はまとまるのか?」
「ラコルデール公爵家、ジロンティーニ公爵の両方から王配を出すことで話をまとめたようです」
「どうせなら、うちの息子を送り込むか?」
レンテリオが冗談めかして口にした言葉は、即座にユドに否定された。
「沈む船に、わざわざ乗り込む必要はないでしょう」
「ほう、傾く程度では済まないか?」
「沈まずに済む可能性もありますが、ブリジットは傑物ではないようですし、不穏分子がいなくなった訳でもありません」
「まだ荒れるのか?」
「偏屈な男の出方次第ですが……」
「ビョルン・ザレッティーノか」
ビョルン・ザレッティーノが王家に反旗を翻し、オーガスタが討伐を命じたが、国軍が動かなかったという情報もレンテリオの下へ届いている。
「ブリジットは、ビョルンにとっては敵対していた派閥の主です。国王が変わったとしても、すんなり矛を収めるかどうか……」
「ビョルンを上手く懐柔出来れば船を沈めずに済むが、対応を誤れば船が傾いて沈む可能性が高まるということか」
ビョルン・ザレッティーノは、長年に渡って第二王子派として活動してきた。
その第二王子派の盟主であったエーベルヴァイン家への扱いの酷さに抗議しての挙兵だけに、ビョルンを支持する声も少なくなかった。
ただし、自らの家も挙兵するような積極的な支持ではなく、擁護する意見は口にするが挙兵はしない消極的な支持が殆どのようだ。
「それでは船が沈むほどの騒動は……」
言いかけた言葉を飲み込んで、レンテリオはユドの顔を見詰めた。
常に冷静で感情を表に出さないユドだが、よく見るとほんの僅かだが口許が緩んでいるように見える。
「なるほど……騒動を起こすのか」
「起きるかどうかは分かりませんが、材料が転がっているならば使わぬ手は無いでしょう」
これまでもユドは、ユーレフェルトの失策を拾い上げ、手を加え、押し広げてきた。
その結果が、コルド川東岸地域での政情不安と人心の離反に繋がり、フルメリンタの侵略が円滑に進む要因となった。
大きく領土を切り取り終えた後もユドがやる事は同じで、騒動の種があるならば、拾い集め、水をやり、大きく育てるだけだ。
「育ちそうか?」
「さて……ビョルンだけでは育たないでしょうが、他から栄養が送られてくれば、あるいは……」
「いずれにしても、フルメリンタの不利益にならないなら、どんどん進めて構わないぞ」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、こっちの方だ。恐ろしいまでに損耗少なくユーレフェルトの領土を切り取れているのだからな」
レンテリオは、一時的に手に入れたエーベルヴァイン領を放棄して、代わりに一人の少年を貰い受けるとユドが言い出した時には耳を疑った。
だが、その布石は隣国カルマダーレとの友好関係を強固にし、巡り巡って新兵器を手に入れることにも役立った。
今度もまた、ユーレフェルトの失策、内紛を利用して揺さぶりを掛けるというならば、止める理由など存在しない。
「陛下、ユーレフェルトへの弔意はどうされますか?」
「あちらから知らせてくるか、大々的な葬儀を行うまでは放っておけ。あまりに早急に使者を送れば警戒されるだけだ」
「かしこまりました」
報告を終えたユドは、一礼すると来た時と同じように静かに去っていった。
レンテリオは茶を淹れさせて、ゆっくりと味わった。
「まさか、ユーレフェルトを丸ごと支配下に置くつもりなのか?」
コルド川東岸地域の切り取りに成功し、ユドは次なる目標としてユーレフェルト全土の掌握に向けて動き出しているように見える。
ユドは練り上げた計画に基づいて、一手、一手、冷静に事を進めているが、それでも暴走しないという保証は無い。
「いざとなったら、私が殴って止めるしかないのか? まぁ、無理だろうな……」
レンテリオは、ユドを殴り飛ばす状況を想像してみたが、自分が気付くよりも早く事態が進行していそうで、思わず苦笑いを浮かべた。
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