第172話 中年騎士
※今回は中年騎士グエヒ目線の話です。
王城付きの騎士に任命された頃は、王族を守り、国を守る……なんて熱意に溢れていたものだ。
ところが、実際に王城で働き始めてみると、王族や貴族の平民を見下す選民思想や、給料は良いがロクに家にも帰れない勤務とか、思っていたのとは全然違っていた。
それでも、騎士道精神なんてものに脳みそを染め上げられた連中にとっては、そんな環境こそが好ましいようで、いつしか俺は騎士団では浮いた存在になっていた。
それでも確かに給料は良いし、何事も起こらなければ家に帰れないだけで、休息時間は与えてもらえるし、食事も美味いから我慢して務めようと思っていた。
俺の意識が変わったのは、ワイバーンが現れてからだ。
王族を守るために城に常駐させられ、城下に暮らす嫁や子供と会えない生活が続いた。
ワイバーンの討伐が試みられ、我こそはと志願した仲間はバタバタと倒れていった。
結局、殆どのワイバーンを倒したのは異世界から召喚された少年で、俺は自分の存在意義に疑問を感じざるを得なかった。
ワイバーンが討伐されて、久々に自宅に帰ってみると家が無くなっていた。
嫁と子供の行方も分からない。
ワイバーンに連れ去られたのか、それとも何処かへ逃げたのか、近所の人に訊ねてみても手掛かりすら掴めなかった。
王族を守るためというよりも、自分が生き残るために指示された場所で右往左往しているうちに、嫁と子供は消えてしまった。
ワイバーンに食われたとは思いたくなかった。
実際、騎士団の仲間が食われる様子を目にしているし、自分の家族があんな目に遭ったなんて考えたくもない。
一方で、ワイバーンに食われていなかったのならば、嫁と子供は俺を捨てて消えたことになる。
勤務によって家に帰れず、子育ての殆どは嫁任せ、帰宅する度に聞かされた愚痴も聞き流していた。
それでいて、家族が自分の生きる理由だ……なんて言うのは無理があったのだろう。
いっそ騎士道精神なるものに染まってみようかとも考えたが、次の王位を巡って殺し合い、足の引っ張り合いをしているうちに隣国に領土を奪われるような王族に、忠誠など捧げる気にはなれなかった。
俺よりも五歳以上若い隊長から呼び出された時には、いよいよお払い箱かと思ったが、言い渡された命令は、ソランケと組んでのオルネラス侯爵領行きだった。
オルネラス侯爵領まで行く目的は。三人の少女の護衛だ。
三人の少女は、シャルレーヌ王妃のお気に入りで、女性の肌の年齢を若返らせる稀有な魔法の使い手といわれている。
その三人を護衛してオルネラス侯爵領まで連れて行き、王都が安定したら連れ戻すのが今回の命令の内容だ。
今、王都では国王派と王女派の間でし烈な主導権争いが起きている。
王城に置くよりも、安全なオルネラス侯爵領に置いておこうということらしい。
コンビを組まされたソランケは、戦闘能力はそれなりに高いが、何を考えているのか良く分からないと言われている若手だ。
主導権争いが激しくなっている折に、有能な人材を安全地帯に向かう任務には充てられないということだろう。
「グエヒさん、一人は身籠ってるみたいっすね。どこの貴族のお手付きなんすかね?」
「あれは、ワイバーン殺しの子供らしいぞ」
「マジっすか、んじゃあ粗略には出来ませんね」
「なんだ、ワイバーンに憧れてるのか?」
「いやぁ、憧れとかはしないっすけど、でもあいつが頑張ってくれたおかげで死なずに済んだみたいなところはあるじゃないっすか。そこは感謝するべきかと思うんすよね」
「まぁ、確かにそうだな」
確かに、ソランケの言う通り、ユートとかいう少年が奮闘してくれていなかったら、俺達もワイバーンの餌になっていた可能性はある。
聞いた話では、ワイバーン殺しの功績によって爵位を賜ったらしいが、占領された国土を取り戻すのと引き換えにフルメリンタに引き渡されたそうだ。
異世界から召喚され、散々使われた上に捨てられる。
正直、話を聞いた時には同情してしまったが、今の状況を考えるとフルメリンタに引き渡されて良かったような気もする。
もっとも、フルメリンタでどんな待遇を受けているのか分からないし、手を付けた女を置いていかなければならなかったのだから、良いことばかりではないのだろう。
せめて、ワイバーン殺しの代わりに、俺らが恋人と子供を守ってやるか。
ほんの少しだが、やる気を出してみたものの、道中は平和そのものだった。
争いの渦中から遠ざかるのだから、当然といえば当然だが、少し拍子抜けでもあった。
緩みかけた意識を引き締めることになったのは、目的地であるオルネラス侯爵領に入ってからだ。
ソランケが、馬を寄せて囁きかけてきた。
「グエヒさん、ヤバくないっすか?」
「カズミたちが不安になるから、何も気づかない振りをしとけよ」
「ういっす。てか、俺ら二人じゃどうにもなりませんよね」
「まぁ、そういうことだ」
ソランカから訊ねられるとは思っていなかったが、領地境を守っている兵士の数が明らかに多い。
いくら国が不安定な状態だとしても、領地境の周辺に完全武装の兵士が配置されるほどではないはずだ。
導き出される答えは、王国への謀反しか考えられない。
ただし、まだ有事に備える……という言い訳で通るレベルではある。
オルネラス侯爵領の東に位置するアントゥイ子爵領とマクナハン男爵領は、マスタフォによって侵略を受けていた。
現在は国軍の支援を受けて押し返すことに成功しているそうだが、オルネラス侯爵が有事に備えると言い訳するには十分な状況ではある。
本気で王国に反旗を翻すつもりなのか、その場合、アントゥイ子爵やマクナハン男爵と連携する気なのか……などと考えていたら、カズミに顔色を読まれてしまった。
普段いい加減すぎるオッサンが真面目な顔で考え事をしていれば、顔色を読まれても仕方がないと思うが、それに気付かないほど俺も動揺していたらしい。
「ソランケ、王都に帰れなくなったらどうする?」
「助かりますね」
「はぁ? 助かるだと?」
「酒場のツケが溜まってたんで、いっそ踏み倒してやろうかと……」
「はぁ、そういう事じゃなくて、家族とかは?」
「うちは実家が商家で、兄貴が後を継いでいるから問題ないっすよ」
どうやら実家は結構裕福なようで、そのせいでソランケ自身には少々浮世離れしたところがあるようだ。
「それこそグエヒさんのがヤバいんじゃないんすか?」
「うちの家族はワイバーンの渡りの時に行方不明になったままだ」
「そうなんすか……すいません、知らなかったもんで」
ソランケは、しまったという感じで頭を下げたが、別に謝るようなことではない。
「構わん、過ぎたことだ。それよりも、三人がどうなるかだな」
「まぁ、大丈夫じゃないっすか? むしろ必要だから疎開って理由を付けて連れて来たんでしょうし」
「そうだな、だとすると俺らか……」
「いや、だから帰れなくても大丈夫っすよ」
「そうじゃねぇ、護衛の用が済んだら……」
俺が首に手刀を当ててみせると、ソランケはギョっとしたように目を剝いて驚いてみせた。
「げぇ、マジっすか?」
「無いとは言い切れないだろう?」
「そうっすけど……だったら俺も寝返りますよ」
「まぁ、それが無難だな、受け入れてもらえるなら……の話だが」
まぁ、まだオルネラス侯爵本人に確かめてみないことには、実際のところは分からない。
いきなりバッサリやられる事は無いとは思うが、用心しておいた方が良さそうだ。
到着したオルネラス侯爵の館では、夫人が三人を満面の笑みで出迎えた。
侯爵夫人が平民の少女をわざわざ出迎えるのだから、どれほど重要視しているのか良く分かる。
侯爵夫人の出迎えを受けた直後に、カズミが俺に向き直って頭を下げた。
「グエヒさん、道中の護衛ありがとうございました」
「いいえ、何事も無くて良かったです。騎士団からは、侯爵家に滞在して引き続き皆様の護衛を担当するように申しつかっています。ですから……我々が皆様に無断で王都に帰還することはございませんので、どうぞ御安心下さい」
こう言っておけば、カズミ達の知らないところで処分される可能性が減るだろう。
ソランケも神妙な顔つきで敬礼してみせた。
カズミ達を見送った後、侯爵家の騎士団長と面談することとなった。
「騎士団長のグランベンだ。道中お疲れ様でした。どうぞ楽になさって下さい」
グランベンは俺とほぼ同年代のようだが、腕は遥かに立つようだ。
一応、我々が王国の騎士であるから、へり下った対応をしているように見える。
「グエヒと申します。よろしくお願いします」
「ソランケです、よろしくお願いいたします」
「早速ですが、お二方は王家からどのような指示を受けていらっしゃるのですか?」
「はい、王家からはオルネラス侯爵家までカズミ以下三人を無事に送り届けること、そして、王都の政情が安定した場合には、速やかに王城に三人を戻すように言われております」
「その間は、オルネラス領に滞在するように言われているのですか?」
「おっしゃる通りです。宿舎は侯爵家から借り受けるようにも申しつかっております」
「一般的な騎士に準じる待遇で良ければ提供させていただきます」
「よろしくお願いします」
俺とソランケには、オルネラス侯爵家の騎士と同等の部屋を用意してもらえる事になった。
別に豪華な部屋など必要ないし、横に慣れる場所があれば十分だ。
「我々は、基本的にカズミ、リョウコ、アムの三人の護衛をするように申し付けられておりますが、その他に関してはオルネラス侯爵家に従うように言われております」
「お二方だけで護衛を続けるのは大変でしょうから、我々のシフトに入っていただく形でよろしいでしょうか?」
「結構です、よろしくお願いします」
「何か、他にご質問はございますか?」
「いいえ、私からは特には……」
「あの……自分から一つよろしいでしょうか?」
手短に会見を打ち切ろうと思っていたら、ソランケが手を挙げた。
「何でしょうか、ソランケさん」
「オルネラス侯爵家は、独立を画策されているのですか?」
「馬鹿、お前何を言い出してるんだ!」
「いやいや、グエヒさん、騎士団長さんから直接伺っておいた方がいいですって」
俺の狼狽など見なかったように、グランベンは落ち着いた様子で訊ねてきた。
「仮にそうだとしたら、お二人はどうされますか?」
「自分は白旗上げますね」
「グエヒさんは?」
「私も無益な戦いはしたくありません。我々の任務は三人の身の安全です。それ以外のことは何も命令を受けていませんので、命令達成のために最善の選択をします」
「そうですか、我々オルネラス侯爵家騎士団も、お二人と事を構えたくはありません。お二人の任務遂行をお手伝いいたしますし、王都への帰還をご希望の場合には、お帰りいただいても構いません」
慎重に言葉を選んでいるようだが、グランベンからは確固たる自信を感じる。
「オルネラス侯爵家の意図は分りかねますが、事を荒立てる気は無いと思ってよろしいのでしょうか?」
「そうですね、同じ国であった者が争うことは避けたいと思っております」
「分かりました。滞在中はオルネラス侯爵家の指示に従うとお約束しましょう」
「自分も、お約束します」
グランベンとは笑顔で握手をして会談を終えられたが、ソランケは後で一発ぶん殴ってやる。
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