第39話 束の間の休息

 城の廊下を走り、隠し通路へ入り込むと、荒ぶるワイバーンの咆哮が小さくなっていく。

 細い階段を下りて扉を潜ったところで、先を行くラーディンが足を緩めた。


「ユート、どこにも怪我は負っていないか?」

「はい、作戦は成功ですね」

「あぁ、狙い通りにワイバーンを仕留めたのだ、大成功と言って良いだろう。ただし、後から来たワイバーンが気掛かりだな」


 今回の作戦では、俺の切断の転移魔法を使ってワイバーンを一頭仕留めるのが目標で、俺達以外のチームは他のワイバーンの足止めを行っている。

 ところが作戦の終盤、俺達の目標であるワイバーンの所に別の個体が飛来した。


 これは、足止めをするはずの他のチームの作戦が上手くいかなかったせいなのか、それとも……。


「まさか、また新たなワイバーンが……」

「よせよ、ユート。これ以上ワイバーンが増えるなんて考えたくもない」

「ですよねぇ……まぁ、広間に戻れば分かりますか」

「そういう事だ。全員無事だと良いのだが……」


 王国の盾と称されるラーディンは、顔の下半分がモジャモジャな髯で埋められているゴリマッチョなオッサンで、黙っていると子供が泣き出しそうな強面だが、話してみると気さくで細かな気遣いをしてくれるナイスガイだ。

 階段下の扉を潜ったところでは、獅子舞みたいにニカっと笑っていたのが、通路を進むほどに表情には心配の色が濃くなっている。


「他の者達は戻って来たか?」

「いえ、ラーディン様達が最初です」

「そうか……」


 ラーディンが地下の広間の入り口で警護をしていた騎士に訊ねたが、どうやら俺達が一番早く戻ってきたようだ。

 待ち構えていた給仕達から水の入ったカップを受け取り喉を潤していると、話し声を聞き付けた国王様が姿を見せた。


「戻ったか、ラーディン。首尾はどうだ?」

「ユートの魔法によって、ワイバーン一頭の腹に深手を負わせました。血が溢れ、内臓がこぼれ出ていたので、じきに息絶えるでしょう」

「そうか、よくやった!」


 ラーディンからの報告を受けた国王様は、満面の笑みを浮かべて俺に歩み寄って来た。


「ユート、よくやってくれた。これで、そなたが倒したワイバーンは三頭目だな」

「いいえ、今回もラーディンさんやマウローニ様、サイードさん、アラセリ、それに下準備を調えてくれた多くの方の助力があったからこそです」

「まったくユートは謙虚だな。それでも、そなたの存在抜きではワイバーンを倒せていない。この功績には必ずや報いてみせるぞ」

「ありがとうございます」


 国王様は、マウローニやサイード、それにアラセリにも労いの言葉を掛けた。

 これほどの気遣いや決断が出来るならば、さっさと王位継承争いにもケリを着ければ良いと思うのだが、国を二分するような派閥争いは簡単にはいかないのだろう。


 俺達が国王様から労いの言葉を掛けられている間にも、他のワイバーンに陽動を仕掛けていたチームが広間へ戻ってきた。

 先に戻って来たのはダンスホールの二頭に対処していたチームだったが、かなり消耗していたし、怪我を負っている者もいた。


「大丈夫か、ルーヴェン。全員無事か?」


 駆け寄ったサイードが、チームのまとめ役の騎士に声を掛けた。

 疲労困憊といった様子で戻ってきたルーヴェンだったが、笑みを浮かべて拳を握ってみせた。


「骨折した奴がいるが、命に別状は無い。無事だ」

「そうか、そいつは何よりだ」

「それより、仕留めたんだってな?」

「止めまでは刺せなかったが、もう瀕死の状態だったから助からないだろう」

「ならば、あと三頭だな」

「あぁ、ワイバーン共から城を取り戻すぞ」


 拳を打ち合わせるサイードとルーヴェンの姿を見て、広間にいる者からは歓声が上がり、パッと場の空気が明るくなったのだが、喜びはそこまでだった。

 埃にまみれた兵士が一人駆け込んできて、悲痛な声で報告をした。


「申し上げます。ハッセルト様以下四名、戦死が確認されました」

「なんだと……全員か? 間違いないのか?」

「はい、間違いございません!」

「そうか、ご苦労……下がっていいぞ」

「はっ!」


 報告を聞いたサイードは、右手で目元を覆って暫く動かなかった。

 玄関ホールのワイバーンに対処していたチーム四名は、全員がワイバーンによって殺されてしまったらしい。


 四人を殺したワイバーンが、俺達の担当したワイバーンの所に姿を見せた個体なのだろう。

 ワイバーンを一頭討伐するのに、騎士の犠牲が四人というのは多いのだろうか、少ないのだろうか良く分からなくなっている。


 広間に漂う鎮痛な空気を破ったのは、国王様だった。


「皆の者、今日はよくぞワイバーンを討伐してくれた。さぞや疲れているであろう。今後の作戦については、休息を終えて昼食を済ませた後に打ち合わせるとしよう」

「はっ!」


 国王様の一言によって解散となり、風呂場で汗と埃を流し、食堂で朝食をとった。

 残念ながら、今朝は男共がドドっと一度に風呂場に向かったので、アラセリとの時間はお預けとなってしまった。


 せっかくワイバーンを仕留めたというのに、なんでゴリゴリマッチョなオッサン連中と一緒に汗を流さなきゃいけないんだろう。

 騎士達と一緒だと、自分の体の貧弱さをこれでもかと思い知らされてしまう。


 しかも、良くやってくれたという労いの言葉と共に、バシバシと肩や背中を叩かれるのだが……もっと加減してくれ。

 拷問か、嫌がらせか、俺のこと嫌いなのかと思ってしまう。


「はぁ……ワイバーンとの戦いよりも風呂場でダメージ食らったよ」

「ふふっ、皆さんユート様には感謝しているのですよ」

「かもしれないけど……もうちょっと加減してくれないかな」


 アラセリと一緒に食堂で朝食を食べていると、トレイをもった海野さんが歩み寄って来た。


「霧風君、お疲れ様。ご一緒してもいいかな?」

「どうぞ……」


 海野さんは、四人掛けのテーブル席でアラセリと向かい合って座っていた俺の隣に腰を下ろした。

 すっと椅子をずらして海野さんが俺との距離を縮めて来ると、アラセリの眉がピクっと吊り上がった気がした。


「またワイバーンを倒したんでしょ?」

「周りの人の協力があったからね」

「でもでも、霧風君抜きでは倒せなかったって国王様からも言われたんでしょ?」

「ま、まぁね……」

「凄いよねぇ……みんな霧風君の噂をしてるよ。救国の英雄だって」

「いや、そんな大したものでは……」


 話ながら海野さんが更に椅子をずらして体を寄せて来て、無言になったアラセリからピリピリした空気が伝わって来る。

 なんだこれ……あのキスは、そんなつもりではなかったんだけど……。


「そ、そうだ、フルメリンタとの国境に行ったクラスのみんなの情報は入ってきてない?」

「うん、まだ何も……王都の近くまで来ていても、お城に近づけないのかも」


 ワイバーンがフルメリンタとの国境に飛来してから、もう何日も経過している。

 普通に馬を走らせたとしても、余裕で戻って来られるはずだ。


 にも関わらず、何の情報も届いていないのが気掛かりだ。


「アラセリ、こういう場合って、フルメリンタとの国境付近を治めている貴族からも報告が来るものじゃないの?」

「はい、その通りですが、あの辺りを治めているのはエーベルヴァイン侯爵ですので……」

「そのエーベルヴァイン家がどうかしたの?」


 家名に聞き覚えはあるのだが、報告が届かない理由が分からない。

 俺の問い掛けにアラセリは、ささっと周囲に目を走らせた後、声を落として囁いた。


「当主のアンドレアス・エーベルヴァイン様は国軍を指揮されていらっしゃるので、戦況が悪化した場合には知らせが届かないかもしれません」

「いや、それ駄目じゃないの?」

「そうなのですが……」


 国軍を指揮していると聞いて思い出したのだが、エーベルヴァイン家は第一王妃の母親の実家で、つまりはバリバリの第二王子派だ。


「でもさ、そういう事情だったら、状況が悪くても大丈夫だという嘘の情報が届くものじゃないの?」

「それですと、本当に状況が悪い場合には援軍が送られて来なくなります」

「そうか、ここは国の中心だから、一般の住民に知らされる情報とは違うか」


 第二次世界大戦当時、日本は戦況の悪化を大本営発表という形で一般市民に対しては嘘の情報で隠していたが、ここは王族がいる国の中心だから本当の情報が入ってくるはずだ。

 戦況が良いにしても悪いにしても、国軍を束ねるエーベルヴァイン家からの情報が届かないというのは、思っている以上に深刻な状況に陥っているのではないだろうか。


「ねぇ、アラセリ。考えられる最悪の状況としては、どんな事が考えられる?」


 アラセリは再び周囲に目を走らせ、頬杖を突く振りをして顔を寄せて来た。


「考えられる最悪の状況としては、ワイバーンの渡りに乗じてフルメリンタが反撃を行い、ユーレフェルト国内まで大きく侵攻している……それによってアンドレアス・エーベルヴァイン様が拘束されたか、もしくは戦死されて報告が行われていない……こんな感じかと」

「マズいじゃん……」

「あくまでも、想定される最悪の状況ですから、そうなっていると決まった訳ではありあせん」

「そうか……でも、それに近い状況になっているかも……と思っておいた方が良いのかな?」

「そうですね。備えておくことは重要ですが……」

「今の状態では難しいか」


 頭の上にワイバーンが巣を作り、地下に潜って反攻作戦を行っているような状態では、国境を越えて侵攻してくるフルメリンタに対処するだけの余裕はない。


「でもさ、王都とフルメリンタの国境の間には、エーベルヴァイン家以外の貴族の領地もあるんだよね?」

「はい、ございます。そうした領地も自家の騎士団を所有しておりますので、簡単に侵攻を許したりはいたしません」

「じゃあ、俺達は引き続きワイバーンへの対処に専念すれば良いんだね?」

「はい、そうなります」


 フルメリンタとの深刻な状況を話し合った事で、いつものアラセリに戻っている気がするが、今度は海野さんが苛立たしげに朝食を咀嚼している。

 海野さんが朝食を食べ終えてナプキンで口の周りを拭っていると、アラセリがふっと口許を緩めた。


 どやぁ……みたいな空気を感じた次の瞬間、海野さんが腕を絡めてきた。


「霧風君、明日もワイバーンと戦うの?」

「えっ、う、うん……そうなると思う」


 てか、海野さん当たってる、胸が当たってるって……。


「気を付けてね。ワイバーンを倒しても霧風君が怪我したら悲しいよ」

「も、勿論、無事に戻って来るつもりだよ……」

「霧風君……」


 えっ、なんで海野さんは目を閉じてるのかな……。


「ユート様、午後からの打ち合わせまで少しお休み下さい」

「そ、そうだね……」

「霧風君、私も一緒にいっちゃ……」

「ユート様がお休みになる邪魔はしないでいただけますか?」

「邪魔って……私はそんな気は」


 アラセリの声が抜き身の刃みたいに感じるのは、俺の気のせい……だといいな。


「海野さん、ゴメン、ちょっとトイレ……」

「あっ、霧風君……」


 これ以上ここに居ると胃が痛くなりそう……いや、もうなってるな。

 海野さんの拘束から抜け出すように席を立つと、滑るような脚さばきでアラセリが寄り添ってくる。


 いやいや、待って待って、このピリピリバチバチした空気は、ワイバーンに立ち向かう時よりも張り詰めてる気がするんですけど……。

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