第9話 偽りの賑わい

 オレンジ一色のファッションは、着る時にはかなりの抵抗があったが、開き直って着てしまえば意識せずに街を歩けた。

 そもそも、街を歩いている人の殆どが、青一色だったり、黄色一色といった服装に身を包んでいるから気にならなくなるのだ。


 城のあるこの街は、エスクローデというそうだ。

 現在のユーレフェルト王国が出来る以前からある街で、いわゆる交易路のオアシスらしい。


 現在でも、東西を結ぶ街道の要衝で、多くの商隊がエスクローデを通過していくそうで、街には商品が溢れていた。

 南東の街道からは、塩や海産物を干した物、南からは米、北からは鉱物資源、西からは毛織物やチーズなどが送られてくるらしい。


 タリクに連れられて服を揃えた辺りは、エスクローデの地元民が暮らすエリアだそうだ。

 そこから離れると、徐々に原色一色以外の服装に身を包んだ人を見掛けるようになる。


 生成りの生地にシャツの合わせや襟に朱色の糸で刺しゅうを施していたり、短い丈のシャツで幅広の帯を締めていたり、毛皮のベストを着ていたり、民族によって服装が異なるそうだ。


「他の民族衣装も着てみたいな」

「何言ってんだ、ユート。他の民族の衣装なんか着たら、城に入れてもらえなくなるぞ」

「えっ? だって身分証があるじゃん」

「駄目駄目、みんな自分の民族衣装に誇りを持っているから、他の衣装を着るのは、その国の民になることを意味するんだぞ」

「マジか……そうか、俺は元の世界には帰れないし、この国の民になるしかないのか」

「だったら、その服で問題ない。オシャレをしたいなら、ボタンに凝るんだな」

「ボタン? おぉ、タリクのボタン、格好いいな」

「だろう?これはオークの牙だぜ」


 少し楕円に削りだしたアイボリーのボタンには、彫刻が施されている。


「ボタンの材質や細工の細かさなどで値段が変わって来るんだ、見に行くか?」

「行く、行く、ちょっと見てみたい」


 連れていかれたボタン屋には、当たり前だが所狭しとボタンが飾られていた。

 太陽や月、星などをモチーフにした物や、火、風、水などの魔法をモチーフにした物、獅子や狼、蛇などの動物をモチーフにした物など実に様々だ。


 サイズの大きいのが男性用で、女性用は少しサイズが小さい。

 ボタンホールの大きさは、男女でそれぞれ決まっていて、俺ならば男性用を購入すれば、今の服にそのまま使えるそうだ。


 買ったばかりの俺の服には、飾り気のない木製のボタンが付いている。

 服には、こうした何の変哲もないボタンを付けて売り、後で好みのボタンを付けるそうだ。


 ボタンの値段はピンキリで、買ったばかりの服に付いている木製のボタンは三ファルだが、高い物だと百ファル以上もする。

 値段の違いは、ボタンの材質や細工の細かさなどで変わるようだ。


 高いボタンは、オークの牙や天然石などから削り出した物で、加工に手間が掛かっているのだろう。


「どれにする? ユート」

「うーん……これだけあると迷うな。おっ、これなんか面白いな」

「どれどれ、あー……形は面白いけど、仕上げが雑だな」


 月をモチーフにしたボタンは、大きな円の中に半分ほどの直径の穴が開けてあり、三日月を表現しているようだ。

 表面には星屑を散らしたような模様が付けてあり、型押し鋳造で作った物のようだが、型取りが雑だったのかバリが残っていたり模様が潰れている。


 同じようなボタンに比べると、四分の一ぐらいの値段だ。

 店員さんに訊ねると、好きな物を選んで構わないと言われたので、比較的程度の良いものを選び出した。


「ユート、金あるんだから、他のすればいいのに」

「ちょっと思い付いた事があってね」

「まぁ、ユートが気に入ったなら構わないけど……そうだ、無くした時のために一個余分に買っておけよ。ここに来ても、売り切って無くなってる場合もあるからな」

「おぉ、なるほど……」


 買ったボタンは、手間賃を払うとその場で付け替えてくれる。

 裁縫は苦手だから、付け替えてもらったのだが、作業をしてくれたオバちゃんも微妙な表情をしていた。


 てか、おたくの店で買った品物なんだから、その表情はマズいんじゃないの。

 とは言え、細かいバリなどは近くで良く見なければ分からない。


 飾り気の無い木製のボタンよりは、見栄えは良くなったはずだ。


「タリク、何か食おうぜ。色々面倒見てもらったから、御馳走するよ」

「おぉ、いいのか? そんじゃあ安くて美味い店を教えてやるよ」

「いいね。そこに行こう」


 案内されたのは、エスクローデ版のカレーショップだった。

 日本で一般的なカレーほど複雑なスパイスは使われていないようだが、それでも白米に掛けてスプーンで掻き込んでいる様子はカレーと言って良いだろう。


 注文は、ご飯の量と肉のチョイスだけだが、テーブルには唐辛子の入った素焼きの壺が置いてあり、好みで辛さを調整するスタイルのようだ。

 深めの皿にご飯とトマトの風味が強いソース、緑、黄色、赤の炙ったパプリカ、それに鶏のもも肉がドンと乗っかって七十ファルなら安いだろう。


 テーブルに皿が置かれると、タリクが素焼きの壺から木の匙で唐辛子を掬ってバサバサっと自分の皿に掛け終えると、ニヤっと笑って俺に壺を手渡した。

 これはつまり、ビビっちまったか、坊や……と言われてる訳だな。


 当然、タリクを同じ量の唐辛子を振り掛け、更にもう一度唐辛子を掬って振り掛け、悠然とテーブルに壺を戻した。


「上等じゃないか、ユート……」


 再び壺を手に取ったタリクが、唐辛子を山盛りに掬って自分の皿に振り掛けた。

 心なしかタリクの顔が引き攣っているように見える。


 壺をテーブルに戻したタリクは、腕組みをしてドヤ顔をしてみせたが、あっさりとスルーさせてもらう。


「冷めないうちに食おうぜ」

「えっ、お、おう……」


 カレーは激辛レベルでも食えるから、別に張り合うつもりで二回掛けをした訳ではないのだ。


「美味い! 美味いなぁ……あぁ、後から辛みが結構来るな。でも美味い!」

「だろう? この辛みがぁぁ……うぐぅぅぅ……」


 黙り込んだタリクの顔が真っ赤になり、額からは玉のような汗が噴き出してきている。


「どうしたタリク、俺の奢りだから遠慮せずに食ってくれ」

「だ、だな……すぅ……ゴチになるぜ、ユート……ぬぁぁぁ!」


 三口目ぐらいからは辛さに負けているのを隠す余裕も無く、一口食べては奇声を発しているタリクを見て、店にいる客の多くがクスクスと笑っていた。

 五、六杯水をお替りして、ようやく完食した時には、タリクの唇はタラコのように腫れ上がっていた。


「ユート、口直しに甘い物食いに行く……あぁぁぁ、汁が跳ねてる……俺の一張羅が……」

「大丈夫だ、心配すんなタリク。ちょっと前かがみになって、シャツを引っ張れ」

「えっ、こうか?」

「そのまま、動くなよ……転移!」


 鍛え上げた染み抜きテクニックを使えば、跳ねたカレーなど一発だ。


「うっそ、マジかよ……おぉぉぉ、助かったぜ、ユート」

「じゃあ、次の店はタリクの奢りな」

「しゃーねぇな、でも、染み抜きの手間を考えれば安いもんさ」


 機嫌を直したタリクと甘味屋を目指して歩き出すと、これから向かおうとしている道が急に騒がしくなった。

 向こうに歩いていた人が、向きを変えて戻ってくる。


「二だ! 二だぞ!」

「気を付けろ、二だ!」


 何の騒ぎか分からず戸惑っていると、タリクに腕を掴まれて引っ張られた。


「こっちだ、ユート」

「なんだ、なんの騒ぎだ?」


 脇道に入りながら、タリクが声を潜めて教えてくれた。


「第二王子と取り巻き連中だ」

「えっ、王子が来るとヤバいのか?」

「あいつら、平民は人と思ってねぇからな……」


 脇道に入って人の流れに従って歩いていたが、前が塞がって動けなくなった。

 俺達の後ろからも人が続いていて、表通りを歩いていた人を脇道に押し込めた形になっている。


「どうすんだ、タリク」

「どうするって、動きようがねぇよ。まぁ、こんだけ中にいれば大丈夫だろう」

「つっても、まだ通りが見える所だぞ」

「いいから、黙ってろ」


 黙り込んだ人々が、満員電車並みの密度で裏道に立ち尽くしている状況は異様だ。

 それと気付いたのだが、周りにいる殆どの女性が布で顔を隠している。


 もしかすると、第二王子は宗教の戒律に厳しい人物だから人々に恐れられているのかもしれない。

 みんなが、表通りに背中を向けて立っているが、第二王子の顔を見たいという欲求が抑えられなかった。


 さっきまで隣を歩いているタリクの声が聞き取りにくいくらい賑わっていた街が、一転して水を打ったように静まり返っている。

 その中を、気だるげな複数の足音が近付いて来る。


 背中を向けているような振りをしつつ、セットポジションのピッチャーのように背後を覗いていると女性の悲鳴が響いた。


「駄目よ、坊や! あぁぁ……申し訳ございません、どうかお許しを」


 人垣の隠れていて何があったのか見えなかったが、たぶん、母親から離れた子供が、王子か取り巻きにぶつかりでもしたのだろう。


「お願いします、どうか、お許しを!」


 悲痛な女性の声を聞いて、脇道にどよめきが起こった。


「女、顔を見せてみろ」

「見苦しい姿ゆえ、どうかお許しを……」

「女、顔を見せよ」

「お許しを……どうか、どうか……」


 ネットリと絡みつくような声の主が、第二王子なのだろうか。

 女性の声は、怯えているように聞こえる。


「おい、布を取らせろ」

「はっ!」

「お待ち下さい。その者達は私の妻と息子でございます。どうか、お許し下さい」

「さっさと布を取れ」

「かしこまりました!」

「お許しを……どうか、お許し……」

「殿下、痣無しにございます」

「ふん、小賢しい真似を、連れて行け」

「お待ち下さい! 妻を連れていかれたら、この子は……ごふぁ」


 後を覗き見る格好だし、人垣の向こう側に隠れてしまって見えないが、聞こえてくるうめき声、鈍い音、子供が泣き叫ぶ声が起こっている出来事を伝えてくる。

 周りにいる全ての人々が、拳を握り、肩を震わせ、歯を食いしばり、涙を零していた。


 女性の悲鳴と複数の足音が遠ざかり、子供の鳴き声だけが取り残された。


「行ったぞ、おい、早く治癒士を呼んで来い!」

「ここじゃ駄目だ、戸板に載せて運ぶぞ!」

「子供は大丈夫なのか? 誰か、番所に連れて行ってやれ!」


 止まっていた時が解除されたかのように、慌ただしく人々が動き出す。


「タリク、さっきのは何だ、どうなってんだ!」

「落ち着け、ここじゃ話せない……」


 囁くようなタリクの声には、恐怖の響きが混じっている。

 何か事情があるのだろうが、それもここでは話せないのだろう。


 人垣の向こうの騒ぎが収まると、人々は脇道から表通りへと出て行く。

 その流れに乗って進むと、表通りは何事もなかったような賑わいを取り戻していた。


 というよりも、そこにいる全ての人々が、何事も無かったように振舞っているように感る。

 エキストラの演技のような不自然さを感じて、先程まで輝いて見えた街が色あせて見えた。

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