期待はずれの転移魔法 ~移動距離たった1ミリだけど創意工夫で成り上がります~
篠浦 知螺
第1話 役立たずの臆病者
「ちょっと待ってくれ、出て行けって言われたって他に行く場所なんて……」
「うるせぇ! ここは戦う人間の宿舎だ。臆病者の居場所なんかねぇんだよ!」
「そうだ、さっさと消えろよ、臆病者!」
「臭ぇんだよ、カスが!」
一日の仕事を終えて宿舎に戻ると、クラスメイトから罵声と共に荷物を投げつけられた。
「いつまでもグダグダ言ってんなら燃やすぞ!」
「熱ぅ! ふざけんな、洒落になんねぇ……うひぃ」
川本が振り下ろした右腕の先から、直径三十センチほどの火球が次々と放たれる。
火球が顔をかすめ、髪が焦げる嫌な臭いがした。
直撃を食らったら、タダでは済まないだろう。
慌てて数枚しかない着替えを拾い集め、川本に背中を向けて駆け出した。
「見たかよ霧風の奴、悲鳴上げてチビりそうだったぜ」
「ぎゃははは、マジで臆病者だな、あいつ」
「役立たずの上に臆病者とか最悪だな、あははは……」
クラスメイトの嘲笑を振り切るように走ってみたものの、行く当てなんか無かった。
ここは日本ではないし、地球でもない。
「くそっ……魔法が使えるからって調子に乗りやがって、ゴブリンに食われちまえ……は、言い過ぎだよなぁ。あぁ、俺もまともに魔法が使えればなぁ……」
今から二十日ほど前、俺こと霧風優斗とクラスメイト三十六名は修学旅行の途中で異世界召喚に巻き込まれた。
観光バスで移動中に目も眩むような光に包まれたかと思ったら、全然知らない場所に放り出されていたのだ。
「おい、ここどこだよ?」
「なんで急に夜になってるの?」
「これって、もしかして……」
クラスメイト達が騒ぐのは当然で、さっきまで昼間だったのに空には巨大な満月が浮かんでいた。
俺達がいるのは切り出した石を敷き詰めた祭儀場のような場所で、周囲にはいくつもの篝火が焚かれていた。
「騒ぐな! 静まれ!」
一段高い壇上から金属鎧を着こんだ髭面の大男が怒鳴り声を上げるのと同時に、俺達を取り囲んでいた兵士達が一斉に槍を構えた。
篝火を鈍く反射する槍の穂先は、どう見ても本物にしか見えない。
こちらは丸腰、相手は完全武装の上に人数も多いのでは、逆らえるはずもない。
「これより、ユーレフェルト王国第一王女、アウレリア様よりお言葉を賜る、心して聞け!」
身長が二メートルぐらいありそうな髭面の大男が腰を折って脇に下がると、豪奢な衣装に身を包んだエメラルドグリーンの髪の女が椅子から立ち上がった。
年齢は二十代前半ぐらいだろうか、痩せていて神経質そうに見える。
「よくぞ参った異界の若人たちよ。この国のために命を賭して働くが良い」
それだけ告げると、第一王女はまた椅子に腰を下ろし、傲然と薄い胸を反らしてみせた。
まったく事情が呑み込めず、呆気に取られている俺達に再び髭面の大男ががなり立てた。
「貴様らには召喚と同時に言葉を理解する力と異能力が与えられているはずだ。その能力を使い、ユーレフェルト王国のために戦い、戦果を上げろ。そうすれば、戦果にふさわしい待遇を与えてやる。無論、貴様らに拒否する権利は無いし、元の世界に戻る方法も無い」
「ふざけんじゃねぇ! 勝手に呼び出しておいて、なにぬかしてやがんだよ!」
髭面の大男が言葉を切った途端に大声を上げて反発したのは、不良グループのリーダー山岸健二だった。
子供の頃から空手道場に通っているという山岸は、180センチ近い身長で鍛え上げられた体付きをしている。
山岸は、恐れる様子も見せずに髭面の大男へと歩み寄っていった。
「何が命を賭して戦えだぁ? 貧乳王女が寝言ほざいてんじゃ……がはっ」
「い、いやぁぁぁぁ!」
壇上にいた髭面の大男が一瞬にして間合いを詰めたかと思ったら、山岸は左の肩口から右の脇腹へ斜めに両断された。
二つに分かれた山岸の体から、血や臓物が溢れ出て女子の悲鳴が響き渡った。
髭面の大男は、剣先が尖っていない鉈のごとき大剣に血振りをくれると、大音声で叫んだ。
「静まれぇぇぇ! 逆らう者には容赦はせぬ。我々に協力するならば相応の待遇を与える。良く考えて行動しろ!」
これまでも信じがたい出来事の連続だったが、異世界召喚だと知って少し浮ついた気分でいたのだが、そんな甘い気持ちが一瞬で吹き飛んだ。
人間が一撃で両断される様を見せつけられて、それでも反発する者など一人もいなかった。
この後、王家の鑑定士によって異能力鑑定が行われたのだが、あの頃がこの異世界における俺の絶頂期だったかもしれない。
「次……おぉ、転移魔法だ」
鑑定士の言葉を聞いて、周囲にざわめきが広がっていった。
クラスメイト達が火の魔法や水の魔法、身体強化魔法など一般的な能力を手に入れた中で、俺が手にした転移魔法は珍しい能力だった。
個人で使うなら、一瞬で相手の背後に回り込んで攻撃したり、相手の攻撃を軽々と躱せる。
大きな質量を長距離転移させられるなら、相手のスキをついて味方の軍勢を送り込んだり出来る。
その有用性から『必勝の魔法』と呼ばれていると教えられ、正直かなり調子に乗っていたと思う。
俺が、この異世界召喚という物語の主人公で、クラスメイトを守ってやる、必ず日本に帰してやる……みたいに考えていたし、それに近いセリフも口にしていた記憶がある。
クラスメイトは、同じ能力や相乗効果が見込める能力の者が集められて訓練を行っていたが、俺は一人きりで集中的に訓練をさせられた。
それだけ王国側からも期待されていたのだろうが、一日、二日と訓練を続けていくうちに、俺の転移魔法には致命的な欠陥があると分かってしまった。
転移させられる距離が、たったの1ミリなのだ。
最初は小石程度しか動かせなかったが、訓練を重ねるごとに大きな物も転移させられるようになってきたのだが、移動距離は1ミリのままだった。
最初は丁寧に魔法を発動させるコツなどを説明してくれていた専属の指導教官も、日を追うごとに失望の表情を隠さなくなっていった。
「なんで出来ないんだ。これぽっちしか転移しないんじゃ意味ないだろう」
「すみません。もっと大きく動かそうとしてるんですけど」
「言い訳すんな、出来るようになるまで繰り返せ、この役立たずが!」
訓練を始めてから十日が過ぎた頃には、教官が己の腹立ちを紛らわすために、殴る蹴るの暴行を加えてくるようになった。
一緒に訓練をしていなくても、こうした状況はクラスメイトにも伝わっていった。
一人だけ特別待遇で訓練を受けていたのに、実は全くの役立たずだったと噂が広がるのに時間は掛からなかった。
別に俺だけ遊んでいた訳じゃないし、教官に罵倒されながらもひたすら魔法の練習を繰り返していたのだが、一人だけ楽をしているように思われたらしい。
過酷な訓練で蓄積したクラスメイトのストレスの捌け口として、俺に不満の矛先が向けられるようになるまで時間は掛からなかった。
鑑定を受けた頃の痛いセリフや行動も、クラスメイトの弑逆心を煽ったのかもしれない。
「おぉ、これはこれは転移魔法の使い手さんじゃないか、どのぐらい先まで転移させられるようになったんだ?」
「なぁ、いつになったら俺達を日本まで転移させられるようになるんだ?」
「まさか、まだ1ミリしか動かせませんとか言わねぇよな? なぁ?」
訓練場でも宿舎でも、毎日が針のむしろだった。
眠っている時間だけが気の安らぐ時間だが、ストレスで眠れなくなり、食事も喉を通らなくなっていった。
訓練開始から三十日後には森の中での訓練に移行して、実際に魔物と戦わせられると言われていた。
最初はゴブリンからだと言われて、俺を含めたクラスメイトは胸を撫で下ろしていたが、十五日ほど過ぎた頃生け捕りにされた実物を見せられて全員が震え上がってしまった。
「これがゴブリンだ。不用意に手を出すなよ……」
「ギャーッ! ギィィィ……ギャギャッ!」
ゴブリンが雑魚扱いなのはゲームやアニメの中だけで、実物は檻の中で牙を剥き、隙あらば鋭い爪を持つ手で掴み掛かろうとする危険極まりない野生動物だった。
日本でも、時々野生の猿が街に出没して騒ぎになるが、ゴブリンはニホンザルよりも二回り以上も大きく見るからに狂暴だ。
火の玉や水の槍、風の刃などを使えるなら戦えるだろうが、たった1ミリ物を動かす能力しか無い俺には、ゴブリンと戦って生き残る未来を描けなかった。
ゴブリンの実物を見せられて、俺は心を折られてしまった。
「はぁ? なんだと、もう一回言ってみろ」
「お願いします、何でもしますから戦闘以外の仕事に回して下さい」
専属の指導教官に土下座して頼み込んだが、当然のように殴られ、蹴られ、罵られた。
「ふざけてんじゃねぇぞ! 寝言を言う暇があるなら、さっさと訓練を続けろ!」
「無理っす、こんだけ練習しても全然距離が延びないし、こんな状態でゴブリンと戦わされたら死にます」
「だったら死ね! 戦って死んでみせろ!」
「お願いします、死にたくない、死にたくないんです!」
期待されていただけに教官の失望も大きかったのだろうが、こっちは命が掛かっている。
クラスメイトのような異能力を発揮できずに戦場に出るなんて、自動小銃で武装した現代の兵士に戦国時代の足軽装束で向かっていくようなものだ。
丸二日、恥も外聞もなく地面に額を擦り付けて懇願し続けて、俺は城の下働きに回されることになった。
命の危険が去った代りに、便所掃除、ドブ攫い、豚や鶏の世話など、あらゆる汚れ仕事を押し付けられた。
下働きに回されて三日経った昨日、俺が戦闘訓練から外してもらうように頼んだ事がクラスメイトに知れ渡り、問い詰められて罵られた。
「自分だけ助かれば良いのかよ!」
「能力が向上しないのは、お前だけじゃないんだぞ!」
「逃げてんじゃねぇよ、この臆病者!」
そして今夜、宿舎から追い出されたという訳だ。
みんなが怒る気持ちも分かるが、だったら自分たちだって頼み込んで戦闘職から外してもらえば良いのだ。
「能力が向上しないなら、見栄を張っている場合じゃないだろう。日本には帰れないけど死んだら終わりじゃないか……」
行く当てなく城の敷地を彷徨い歩き、清掃道具をしまってある物置小屋に辿り着いた。
満足に横になる場所も無いけど、とりあえず雨風はしのげそうだ。
扉を閉めると真っ暗になってしまうので、少しだけ隙間を開けておく。
地球の倍以上はある大きな月のおかげで、夜でも外は足元が見える程度には明るい。
道具を寄せて場所を空け、壁にもたれて座り込んだ。
「はぁ……明日寝坊しないで起きられるかな……」
下働きの仕事は、夜明け前から始まる。
戦闘訓練も同じ時間に叩き起こされて始まっていたので遅れずに済んだが、ここで一人で眠ってしまったら起きられそうもない。
「遅刻したら怒られるんだろうなぁ……嫌だなぁ、日本に帰りてぇ……」
憂鬱な思いと一緒に膝を抱えたら、昼間の疲れも手伝ってあっさりと眠りに落ちてしまった。
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