今宵はハロウィン
柚城佳歩
1
「
「おつかれ様です」
バイト先の居酒屋を出たところで腕時計を確認すると、時刻は午後九時を回ったところだった。
急な団体客の予約が入ったとかで、本来休みだったところを、開店準備まででいいからと電話で頼み込まれて急遽出勤する事になり、結局ある程度落ち着くまで手伝っていたら、こんな時間になっていた。
いつもはあともう二時間ほど働いているので、早く帰れてラッキーと思うようにしよう。
駅に向かって歩いていると、魔女の仮装をした二人組とすれ違う。
怪訝に思ったのは一瞬、すぐに今日がハロウィンだと気が付いた。
ここのところ課題にバイトにとなにかと忙しかったので、日にちの感覚が少々曖昧になっていた。
よく周りを見てみれば、他にもゾンビのナースや漫画のキャラクターに扮した人があちこちにいて、普段の街の雰囲気とはがらりと変わっている。
今夜の街は化け物で溢れていた。
……もしかすると人間の方が少ないかもしれない。なんて事をぼんやりと考えていたせいかもしれない。
信号を渡ろうとした時、向こうから走ってきた人を避けきれずに思い切りぶつかってしまった。
「うわっ」
反射的に腕時計を確認する。
大丈夫、外れてない。
さすがにそろそろベルトが限界に近く、以前に一度落としてしまった事もあるのだけれど、そのまま使い続けている。
別に何かのブランド物ってわけじゃない。
むしろ値段にしたらそう高くはないだろう。
でもこれは三年前、俺が高校の陸上部だった頃に、卒業する先輩方がくれた大切な物なのだ。
大所帯の部活だったらまた違っただろうが、俺の所属する陸上部は部員が少なかったため、学年種目関係なくみんな仲が良かった。
この時計も俺一人がもらったというわけではなく、後輩一人一人に贈られたものではあるけれど、その中には密かに憧れていたマネージャーの先輩もいた。
だからこの時計は、直接的ではないにしろ、俺からすれば好きな人からもらったプレゼントとも言えるわけで。……さすがにちょっと強引か。
その先輩には結局何も言えないまま見送ってしまった。
未練が全くないと言えば嘘になる。
だって、先輩を追いかけるように同じ大学に進学してしまったから。
いや、でも前々から進学候補に入れていた学校だったからな。決して先輩目当てで受験したわけでは。
心の中で誰にともなく弁明していると、向かいの信号が点滅を始めた。
「やばっ」
慌てて踏み出した爪先に何かが当たる感触がして反射的に目で追うと、パスケースが落ちていた。
拾い上げて確認すると、どうやら定期券らしい……のだが。
「今時こんなん使ってる人いるのか?」
ICカードが普及して久しい現代に、紙の定期券。
しかも、紙も字もどこか古ぼけている。
落とし主は恐らくさっきぶつかった相手だと思うのだが、どこに向かったかわからないのでは追い掛けようがない。
まぁ、駅の窓口にでも届けておけばいいか。
そう思い直してすっかり赤に変わった信号を見上げる。……次の青こそ渡ろう。
駅構内もホームも人で溢れていた。
今夜街に繰り出す人と帰路に着く人の時間が重なってしまったらしい。
当然、電車の中も満員状態。
いつもなら別に立っていてもどうって事ないのだけれど、今日は昼間からずっと立ちっぱなしの動きっぱなしだったので座りたい気分だった。
そんな俺の想いが通じたのか、発車して一駅、目の前に座っていた人が立ち上がる。
ちょうど一人分空いた隙間にするりと入り込み、背凭れに深く体重を預けた。
今日は自分で思っていた以上に疲れていたらしい。落ちてくる瞼に逆らう事なく目を閉じてすぐに、意識は深く沈んでいった。
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