第三章A 褐石の荒野
A第一話 旅立ち
アクィラは決意した表情で言った。
「私は……故郷の村に行ってみたい。そこに何があったのか知りたい。お母さんや兄弟の事も……何か思い出せるかもしれない」
アクィラの表情には堅い決意があった。それと同じくらいに悲しみが。
「そうか……お前がそう決めたのなら何も言う事はない。行こう、お前の故郷に。俺もついていくぜ。流石に一人じゃ危ないからな」
「本当? ありがとう、ウルクス!」
俺が言うとアクィラは笑みを浮かべ答えた。楽しい旅じゃない。何せ死んじまった家族の下を訪ねるんだ。それに記憶だって戻るかどうか確証はない。だが……この旅は、きっとアクィラに必要な事なんだろう。俺がアクィラの事を放ってはおけなかったように、アクィラもまた自分の過去と向き合わなければならない。そうしなければ前に進むことが出来ないのだ。
「そうか、君たちの気持ちは分かった」
ルーカスが俺とアクィラに向かい言葉を続ける。
「しかしアクィラの検査にはもう少しかかる。そうだな、三日ほどだ。その間に準備をして四日後以降という事にしてくれないか。もちろんもっと先でも構わない」
「そうか、検査がまだ残っているのか。じゃあ……四日後以降ね。分かったぜ。いいな、アクィラ」
「うん、分かった」
「そうか。では昼食にしよう。そのあとアクィラは検査の続きだ」
「分かりました……今日のご飯は何ですか?」
「君の好きなフライドチキンだよ」
ルーカスの言葉にアクィラは顔をほころばせる。まったく、どんな時でも食い物の事が頭にあるらしい。
検査の日々は過ぎ、ひとまずアクィラの体には問題がないという事だった。頭に埋め込まれた感応制御装置を抜き取ることはできないが、アクィラ自身にも痛みや違和感はない。当面はそのまま様子を見るしかないという事だった。
そして、四日後、旅立ちの日。俺の足元には二つのリュックが置かれ、周りにはルーカス、アレクサンドラ、デンバー、ナイジェルがいた。
「さて……荷物は用意できたし……おい、いつまでパンを食ってるんだ、お前は!」
準備万端と行きたかったが、当のアクィラの準備がまだだった。両手にパンを持って口を膨らませもぐもぐと口を動かしている。
「ちょっちょまっへ! ん……うん。急かさないでよウルクス」
「朝飯でパンは食べ納めって言ってただろうが! 何でまたつまんでんだよ」
「だって名残惜しいから」
「リュックにも入れただろ。一週間分はあるぜ?」
俺が言うとアクィラはむしったパンを口に放り込みながら澄ました顔で答える。
「一週間は大げさよ。せいぜい三日分」
「いや、あれは十日分だ。標準的な食事量からすればな」
ルーカスの冷静な指摘にアクィラは言葉に詰まるが、ごまかすように咳払いして続ける。
「長旅になるんだからたくさんあったっていいじゃない。それにパンの入ったリュックは私の背負う分でしょ? 何入れたっていいじゃない」
「その分俺のリュックの荷物が増えてるんだよ! なんで俺がお前の下着まで運ばなきゃいけないんだ」
「ウルクスは荷物が少ないんだからいいでしょ! もう、細かいんだから」
「いいから早く食えよ! いつまで経っても行けねえぞ」
「はいはい。ちゃんと食べ終わりました! これでいい?」
アクィラは両手を払って俺の方に歩いてくる。そしてリュックを手に取り背負う。小さな体には少々大きいリュックだったが、半分はパンなので重さは見た目ほどではなかった。
俺のリュックはと言うとアクィラのものよりさらに大型で、こっちは見た目通りにぎっちり荷物が詰まっている。テントや調理器具まで俺の方に突っ込んであるから余計に重い。しかし宿を取れる場所ばかりではないだろうから、最低限の野営の準備は必要だった。あの白いグローブは荷物の中には入っていない。モーグ族で保管する必要があるから、あのグローブともお別れだ。
「食い過ぎで腹を壊すんじゃないぞ、アクィラ」
アレクサンドラが言うと、アクィラは不満そうに唇を尖らせる。
「アレクサンドラまでそんな事言う! いくら食べたってお腹なんか痛くならないよ」
「だといいが」
苦笑気味にアレクサンドラが答えた。
「やれやれ……」
俺も自分のリュックを背負いアクィラを見る。
「忘れ物はないな?」
「ないってば。何度も確認したよ!」
「どうも心配なんだよな。まあ、金とスリングさえあれば何とかなるだろう。じゃ、行くか」
「うん」
「世話になったな、ルーカス」
「ああ、こちらこそな。君がいなければ虫の鍋も守れなかった」
「ついでにアレクサンドラも、一応礼を言っておくぜ」
「ついでとは何だ! 一応じゃなくてちゃんと感謝しろ!」
「はいはい、うるせえな。アレックスと連絡がついたらよろしく言っといてくれ。グローブの事は任せた。行くぞ、アクィラ」
「うん。じゃあ皆さん、お世話になりました」
「ああ、君たちの幸運を祈るよ。ケーリオスの神の名の下に」
ルーカスが微笑みを浮かべ俺達を見送る。アレクサンドラは最後まで俺を睨んでいたが、うるさい奴がいなくなるのも意外と寂しいもんだな。俺は自分の感情に少し驚きながら、前を向いて進んでいく。
デスモーグ族はアクィラの頭の装置を複製したらしい。そうなるとアクィラの頭の装置そのものはもう必要がなくなり、これから襲われることもないだろうという事だった。
となるともうモーグ族の厄介になる必要もない。俺がここに戻ることはないし、ルーカスたちと会う事もない。アレックスに別れを言えなかったのは残念だが、奴はどうやら危険な任務で厄介なことになっているらしい。俺にできるのはせいぜい無事を祈る事だけだった。
白い通路を抜けて施設を出ると空は晴れていた。雲はどこにもなく眩しい蒼穹がどこまでも広がっている。乾いた風が吹き、熱気が足元から立ち昇ってくる。快適だった施設の中とは違い、この山の気候は暑く乾燥していた。だがやはりこっち側が俺の住む世界だ。人は弱い。しかし旧世界の技術などなくても俺達は生きてきた。それはこれからも同じだろう。アクィラもそうして生きていくのだ。
「さて……差し当たっては
「ザルカンって剣士の人だっけ?」
「そうだ。お前がジェーンだった時に虫の鍋で姿は見たかもしれないが……」
アクィラは首を傾げて思い出そうとする。しかし眉間にしわを寄せ困ったように答える。
「うーん、全然覚えてない。ジェーンだった時の記憶はやっぱり思い出せなかったんだよね」
「そうか。だったらもう一度会えばいいさ。気性は荒いがいい奴だ」
「うん」
俺とアクィラは棘のような岩の生えた山道を進んでいく。しばらく歩いているとじりじりと陽光に焼かれた肌に汗の玉が浮く。ここのところずっと快適なモーグ族の施設に中にいたから、久しぶりの日差しが体に応えていた。やはり楽をしていると体はなまってしまうものだ。
アクィラはと後ろを見ると、足元を見ながら少し覚束ない足取りでついて来る。重い荷物は俺の方に移してはあるが、やはり子供には少し重いのだろう。荷物に振り回されているような印象だった。
だが先は長い。アクィラにも荷物を背負っていてもらわないと俺の方が参ってしまう。それにこれからどう生きるにしても最低限の体力は必要だ。旅の仕方も覚えなければならないだろう。街の中だけで暮らすのなら体力も必要ないが、少なくともこの旅の間はある程度のきつさになれてもらわなければならない。
小一時間も歩くと整備された道が見えてきた。左手、斜面の上の方を見ると丸太で作った要害がみえる。アトゥマイ氏族の集落だ。今も修復中らしく、大勢の人が張り付いて何か作業をしているようだった。
「さて……俺はお尋ね者なんだよな」
「そうなの」
最初にザルカンと集落を訪れた時、俺は副族長の勘違いでデスモーグ族の仲間と思われて牢に入れられてしまった。ザルカンの手引きで無事抜け出すことはできたのだが、つまり俺は逃げた犯罪者と同じというわけだ。その辺のいざこざがデスモーグ族との戦いの中でうやむやになってくれていればいいのだが……まあ仮に捕まったとしても、ザルカンの名前を出せばなんとかなるだろう。
などと都合のいい事を考えていると人影が見えた。二人、剣を帯びている……アトゥマイの戦士のようだった。
「さて、向こうもこっちに気付いたよな……」
俺はアクィラを振り返るが、きょとんとした顔で俺を見つめ返す。やはり今更逃げるわけにはいかない。アクィラを連れてとなればなおさらだ。ここは堂々と名乗るしかない。
「そこの二人! 止まれ!」
剣士の二人は鋭い視線を俺達に向け近づいてくる。俺は深呼吸して気を落ち着ける。
「旅人か? 許可証は?」
「許可証? ああ……」
そう言えばこの山はボルケーノ族が仕切っていて、勝手によそ者が木や機械虫を獲ったり出来ないように見張っているんだった。入山するときには受付で身分を改められ、発行される許可証が無ければ山の中で行動することはできない。来た時はアトゥマイ氏族のザルカンと一緒だったからその辺の面倒な手続きはなかったんだが……参ったな。何も持っていない。
「あー……許可証はない。ないんだが……俺はウルクス。虫狩りのウルクスだ。こっちの小さいのはアクィラ。訳あって山に入ったが……ザルカンに取り次いでくれないか? ザルカンに聞けば分かる。俺の事も知っている」
「何?! ザルカン様? 何でお前のような虫狩り風情が……!」
「待て。ウルクス……?!」
剣士の一人が懐から丸めた紙を出す。それを広げて俺の顔を見て、そして小声で何か話している。ひょっとして犯罪者の手配書じゃないだろうな?
・予告
見回りの戦士に誰何されるウルクスだったが、無事ザルカンの下へと案内される。招かれた集落は復興の途上でまだ戦いの傷跡が消えてはいなかった。
次回「咆哮の戦士」 お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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