第三十七話 熾火(第二章 赫灼たる咆哮編 完)
静謐の中に時が溶けていく。真白きその施設の中では何もかもが当時のままだった。千年前に作られたその意味を忘れ、命じる者がいないままにただ時だけが過ぎ、虚空へと消え去った。
男はそんな施設の中で、一人だけ今という時を過ごしていた。
白い部屋。壁も天井も床も白く、机や椅子などの調度品までもが白い。椅子に掛けた男の肌は白いが、周りの白色の中でその生々しい質感が際立つようだった。
男は老いていた。かつては二十代の青年の体だったが、五十年以上の時を経て年相応に老いていた。何度かの手術で一部の内臓は失われていた。肌にはしわが刻まれ節くれだった木のようであり、その青い目もいくらか白く濁り始めていた。
「ようやくですね」
机の上のタブレットに向かって、男がしわがれた声で言った。その画面は暗いが、音だけは男の脳内インプラントを通し直接聞こえていた。
「我々の計画を実現するには機械虫の制御が必要不可欠でした。長年にわたる研究で一部の機械虫の制御が可能でしたが……もはやそれも無用。制限なく誰にでも操れるようになる。ジョンはよくやってくれましたね。少々性急な所がありますが、まだしばらくは役に立ってくれるでしょう。武門同様に、まだしばらくは存在価値がある」
黒い画面の向こうで声が答えた。その答えに、老いた男は顔をほころばせた。
「ええ、千年待った甲斐がありました。何度も体を入れ替えて、危うく人格データを失う所でしたが……こうして実を結んだのだから何も言う事はありませんね。私は間違っていなかった。これは天啓です。世界を新しくしなければならない」
男は机に手をかけ、大きく息をつきながら立ち上がった。そして両手を胸の高さにまで上げる。その両腕は肘から先が白いグローブに覆われていた。男は掌を上にして空気を撫でるように指を動かした。
「私のグローブの在りかもようやく分かった。それがそろえば完璧です。感応制御装置。そして緊急上位コードが残存した私のグローブ。その二つがあれば、旧世界の技術を思いのままに扱える……」
男は夢でも見ているかのように遠くを見つめた。
目に映るのは在りし日の世界……人類がその愚かさを最大限に発揮する少し前の時代。戦争が全てを焼き払う前の時代。
「我々は幸せになれる。現生人類もまた、その恩恵を享受するでしょう。モーグ族の愚かな計画は間違っている。人類はこの地球に栄えるべき……我々と共に……」
陶酔するように男は言った。男は半年ほど前から内臓の痛みに苦しんでいたが、今この時だけはその苦痛も忘れ去っていた。それに、その苦痛ももうすぐ消える。次の新しい体は用意できていた。再び人格データの複写を行い、その体で新世界を迎えるつもりだった。千年前から何度も繰り返した事だったが、それももうすぐ最後となりそうだった。
「ただちに計画を実行に移しましょう。私も衣替えの準備をします。では、また後ほど」
男はそう言い通信を切った。あとには静寂だけが残り、掠れた呼吸の音だけが聞こえていた。
男はシャツの襟からペンダントを取り出し開いた。その中に納められた写真を見て、男は過去を思い出していた。千年前の写真は白く焼け、最早写し取ったその姿は曖昧な輪郭だけになっていた。しかし、男ははっきりと見る事が出来た。自らが憧れ、愛し、そして憎んだ女性の顔を。道が分かたれ、そして千年の時を隔てた。それでもなお鮮やかに、その声を、その微笑みを思い出せる。最後に見た、彼女の裏切りの事も。
「どちらが正しかったか、これで分かりますね。あの時の賭けに勝つのがどちらなのか」
男はずっとその答えを追い求めていた。何度も肉体を乗り換え、少しずつ正気を失いながら。男の頭に残っているのが理性なのか狂気なのか、男自身にも分からなかった。ただ分かるのは、もう取り返しのつかないところまで来たという事だった。世界は否応無しに変わる。それがどれほどの悲劇を生んでも、もう自分にさえ止められない。
男はペンダントを閉じ、胸にしまった。千年間燻り続けていた
・予告
故郷への旅か、モーグ族の隠れ里に住むか。アクィラは選択を迫られていた。そしてデスモーグ族は計画を実行に移し始めた。投げられた石が波紋を生み、世界を揺り動かす荒波へと変わっていく……。
第三章 褐石の荒野編(アクィラは故郷への旅を選択する。アクィラルート)
第三章 銀鱗の鋼樹編(アクィラはモーグ族の隠れ里に住むことを選択する。アレクサンドラルート)
第三章以降は別の話にそれぞれ分岐する予定です。二〇二三年一月頃に再開予定です。お楽しみに!
※誤字等があればこちらにお願いします。
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