第九話 夜営

 カマキリの頭と鎌を包みにくるんで、俺とザルカンは更に山を登っていった。

 荷物が増えて余計に上るのが大変になったが、日が暮れる少し前に六合目に到達することができた。そこには他の登山者が二十名ほどいて、虫狩りや参拝者などが野営の支度をしていた。そこはちょうど平地になっていて、俺たち二人分が増えても十分な広さがあった。少し離れた所には細いが小川もあり、飯の支度をするにも好都合な場所のようだった。

 俺が荷物の番をしている間にザルカンは少し離れた森に入りウサギを獲ってきた。普段は荷物に入れてあるが、ザルカンも弓は持っていて、こういう場合にだけ使うらしい。

 普通戦士と言えば弓や槍だ。剣は矢が尽き槍が折れた時の為のものだとも聞くが、ザルカンにとっては、いや、火の切っ先アトゥマイ氏族にとっては、剣こそが戦士の武器と言う考えらしかった。

 簡単に飯の支度をして、塩気のないウサギ肉のスープを食べる。ふと空を見上げると、日は暮れ紫色の空が広がり、明るい星がもう姿を見せていた。山を登ったせいか、いつもより星を近くに感じた。


 野営をする場合は、可能であれば誰かが寝ずの番をして周囲を警戒した方がいい。機械虫は夜の方が活発になる種類もいるし、他にも獣が襲ってくる可能性もある。しかし今日はこの六合目に虫狩りの団体がいて、そいつらが代表で寝ずの番をする事になった。おかげで俺達はゆっくりと眠れる。

 眠れる……そのはずだったが、月が天頂に上り、そして下り始めても、一向に眠れなかった。

 カマキリとやりあって気を張っていたせいかも知れない。或いは、もっと漠然とした不安によるものか。

 ここはカイディーニ山の六合目。ザルカンの故郷であるアトゥマイ氏族の村は八合目にある。ここから山道は更に傾斜がきつくなるそうだが、それでも明日の午前中には村に着くだろう。そこで何をどう切り出すのか、という大事なことをザルカンの野郎はまだ思いついていない。しかし俺も同じだから偉そうなことは言えない。

 俺はただアクィラを助けたいだけなのに、随分と面倒なことになったものだ。

 この三か月の間、ずっと嫌な苦しさがあった。今日の晩飯の時もだ。周りに人がいて、普通に生きている。ただそれだけで、それが間違っているように感じてしまう。それは、俺がアクィラを助けられなかったからだ。

 あいつは……アクィラは今どうしているのだろうか? デスモーグ族と一緒なのだから、幸せに暮らしているなんてことはないだろう。奴隷のように鎖にでも繋がれているのかもしれない。そして望まない力を使わされ、きっと苦しんでいるのだ。俺やアレックス達がアクィラを助ける事が出来ていれば、今頃もっと違う生活があったはずなのだ。例え故郷の村に戻れなくても、他人に利用され苦しみながら生きるような事はなかった。

 アクィラが失ってしまった物……普通の生活……普通に生きて、家族や友人と過ごし、笑い合う事。そんな当たり前のものが根こそぎ奪われてしまったのだ。

 その責任の一端は俺にもある……しかし、そう思うのは自分を過信しすぎかもしれない。俺がいようといまいと、アレックスはデスモーグ族と戦い、そしてあの研究所に辿り着いただろう。自分が足手まといになったとは思わないが、俺がいたことで何かが変わった可能性はある。それも、良くない方向に。

 だがそういう事は、全部考えても無駄なことだ。アクィラは助けられなかった……ただそれだけだ。

 俺は失ったものを手に入れたいのだろうか。それともまだ手に入れていない何かを探しているのだろうか。益体のない問い……ぐるぐると同じような事ばかりを考え、余計に寝つけなくなる。

「おぅ……ウルクス。まだ起きてんのか……」

 半ターフ0.9m程離れた場所で寝ているザルカンが小さな声で聞いてきた。寝たふりをしようかとも思ったが、俺が起きていることが分かっているから聞いているのだろう。俺は返事を返すことにした。

「……何だ」

「嫌な張り詰め方をしとるな……疲れるだけじゃぞ、何を考えているのか知らんが」

 気遣うようなザルカンの意外な言葉に俺は驚く。

「……そんな事まで分かるのか?」

「喧嘩は気の読み合いじゃからな……お前が妙な考えに取りつかれている事位は分かる」

「ふん……まるでまじない師だな」

「そんなもんと一緒にするな……例の……子供の事を考えとったんか?」

「そうだ」

 周囲で起きている者はなく、寝ずの番をしている虫狩りも静かに座っているだけだった。時折薪の爆ぜる音が聞こえる。森の中からは無数の虫の声が、風のざわめきのように聞こえていた。今なら何かを話しても、虫の声に紛れることだろう。

「俺はそいつを助けられなかった。今度も……今この辺りにいるかどうかも分からない。助けられるかどうか分からないし、今俺がここにいることもすべて無意味かも知れない。そうしている間にもあいつは……一人で苦しんでいるのかと思うとな……」

「長い付き合いなんか?」

「いや……半日かそこらさ。出会って半日で連れ去られて……三日ほど追いかけた。そして見つけるには見つけたが……助けられなかった」

「……そりゃほぼ他人じゃのう……そんな薄い付き合いの子供の為に、ラカンドゥまで来たんか?!」

「薄いか……時間で言えばそうだが……込み入った関係だったからな。何人も死んだよ。守ろうとした奴、奪おうとした奴。そして肝心の悪党は逃げて、そいつに子供を連れていかれちまった……」

「ディスモーグか?」

「そうだ……所で、お前らはディスモーグって言うんだな?」

「化外もんをか? ……ああ、デスモーグの事か。わしらはディスモーグと言う古い言い方をしとる。デスモーグちゅうんは、モーグ族に死を与える者っちゅう意味らしいからな。モーグ族にとっては縁起の悪い言い方じゃから、わしらも使わん」

「そうか」

「……その子供は、一体何なんじゃ? ディスモーグが子供を攫っても今更驚かんが……たった一人の子供の為に何でそんなに何人も死ぬような事になったんじゃ?」

 何故か? と言えば、それはアクィラの頭に埋め込まれた機械虫を操る装置のせいだ。あんなものをデスモーグ族に埋め込まれたから、アクィラはモーグ族とデスモーグ族の戦いに巻き込まれることになったのだ。

 しかし、その装置の事は秘中の秘。モーグ族ではないが、明らかにしていい事柄ではない。

「旧世界の事は知っているか?」

「旧世界……ああ、ちくっとはな。大昔に機械の街があったとか……」

「そうだ。その当時の技術はほとんどが失われているが……ある技術を再び使うために大勢の子供が犠牲になった。頭に機械を埋め込まれて……何人も死んだらしい。そして生き残った子供が、俺が知り合った子供だ。その子の機械があれば、大昔の危険な技術を使えるようになってしまったんだ。だからデスモーグ族は彼女を必要とした。彼女は逃げるために連れ出されたが……その時にはもう何も覚えていなかった。自分の村の名前も、村がどこにあるのかも。家族の名前も、何もかもを忘れていた。自分の名前さえ……ひょっとしたら違う名前だったのかもしれない」

 ザルカンからの返事はなかったが、俺は言葉を続けた。

「食い意地が張ってたよ。そんな境遇なのにパンを見ると目の色を変えてな……ほんの短い間だったが、その時だけはあいつも笑っていた。俺はあいつと約束をしたんだ……必ず故郷の村に返してやると。だが……結局、あいつは奪われてしまった。約束は果たせていない……果たせるのかどうかも分からない……最早全てが無意味なのかもしれないが、諦める事が出来なかった……それが、俺がここにいる理由だ」

「ふん……!」

 ザルカンの寝返りを打つ音が聞こえた。

「それで命を懸けてカイディーニにまでやってくるとは……とんだお人好しじゃな」

 ザルカンは鼻声でそう言い、鼻を啜った。

「何だ……お前、ひょっとして……泣いてるのか?」

「誰が泣くかい! ボルケーノ族の男は赤子の時以外は泣かんのじゃ!」

 鼻声ではあまり説得力は無かったが、そういう事にしておいた。

「お前も随分なお人好しらしいな……」

 ザルカンから返事はなかった。しかし……いくらか胸のつかえがとれたような気がした。思えば、この三か月ほどはたった一人で秘密を抱え込んできたのだ。ガブレス親方相手なら或いは相談できたかもしれないが、やはり他人を巻き込める事ではない。

 ザルカンも他人ではあるが、少なくともモーグ族の事は知っている。その点においてはある程度までは話をしてもいい相手という事だ。そういう相手に出会えたのは幸運だったのだろう。

 風が吹く。東からの風だ。やがて太陽が昇り、その光を届ける風だ。狩りの神ケーリオスがその風を起こす。

 神頼みなどしない。だが今だけは、その風に手を伸ばし、祈った。






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