第二十八話 噂(第一章 碧眼の魔性編 完)
あれから二か月が経った。
俺は今日も増えすぎたテントウムシの駆除だ。本物のテントウムシはアブラムシを食うが、機械虫のテントウムシはその辺の雑草や機械樹にまとわりつく蔦を好んで食う。しかし食い物が無くなると野菜などの作物も食べてしまうため、適度なところで追い払う必要があるのだ。
死なない程度に凍らせて、動かなくなった
しかし、デスモーグ族との戦いも遠い過去の事だ。やはり俺には、気ままな虫狩りの仕事が合っている。
俺はまだ凍っているテントウムシの背に腰掛け、空を眺めた。白い雲が風に流されゆっくりと動いていく。ほっとするような、気が抜ける様な、そんな毎日が続いていた。
結局、あれから二か月経ってもアレックスから連絡はなかった。顔を見せるとは思っちゃいないが、置手紙とか矢文でもあるのかと思ったが何も見かけていない。まさか風で飛んでいったとかそんな間抜けなことはないだろう。アレックスは必ず連絡してくれると言ったのだ。曖昧で不確実な手段はとらないはずだ。だとすると、結局アクィラはまだ捕まっていないという事だ。
あれから二か月。お前はどうしているんだ、アクィラ? エルザとかいうのが頭に入って、お前はいなくなってしまったのか。だとすれば諦めもつくが、まだアクィラとしての人格が残っているのなら、それは余計にひどい状況だろう。変な機械を頭に埋め込まれ、その上見知らぬ他人の記憶まで頭に入ってくるなど、考えただけでもぞっとする。
そのまましばらく空を眺めていたが、そろそろ帰らないとまたノーマンにさぼりだ何だと文句を言われる。まあ実際さぼっているので文句を言われても仕方ないのだが。
一輪車をいつものように駐機所の壁に立てかける。
「おーい、タルカスさん! 一輪車、置いておくぜ」
「あーい」
奥からタルカスさんの返事がくる。今日もうちのオサムシを磨く事に余念がない。
ペギーは死んだが、あの後マギーだけは自力で近くの街道辺りまで帰ってきていた。知り合いの虫狩りがマギーに巻いてあったうちの紋章入りのバンダナを見て、わざわざ連れてきてくれたのだ。タルカス爺さんは大喜びで、前以上にかいがいしく世話をしている。そしてペギーの代わりに新しいオサムシ、マーガレットが加わり前と同じように二匹並んでいる。
寄合所のドアを開けると、ノーマンがいつものように寝ていた。
「おい、帰ったぜ!」
どん、と床を踏み鳴らすとノーマンが小さく飛び跳ねて目を覚ます。
「はい、何か御用でしょうか?」
「帰ったって言ってんだよ。親方にどついてもらった方がいいんじゃねえか」
「いやだよ暴力は。まったく親方はすぐ殴るからね、おちおち寝てらんない……ええと、何だっけ? マンゴー酒の仕込みの手伝い?」
「違うよ。テントウムシの駆除だよ! なんでマンゴー酒の仕込みなんかを俺らが手伝うんだ」
「そうだね。最近僕ほら、マンゴー酒に凝っちゃってさ。寝る前に飲んでんだ。それでかな?」
「知るか。ほら、修了書。修了印を押せ」
「はいはい。テントウムシの駆除、と。確認終り。お疲れ様」
「ところで……誰か来てるのか? 上?」
二階の所長室の辺りから話し声が聞こえる。豪快な親方の笑い声が聞こえるから、どうも普通の客ではなさそうだ。知り合いでも来ているのだろうか。
「ああ、シドだよ。長期間警護の仕事が終わって、ようやく今日帰ってきたんだよ。ええと、結局九八日だったみたい。うちの仕事の中では史上最長かもね」
「ああ、シドか。へえ、ようやく帰ってきたのか。顔くらいは拝んでいくか」
「そうしなよ。すっかり日焼けしてたよ。別人みたいだった!」
二階に上がり正面の所長室のドアをノックする。
「何だ?」
親方の声が返ってくる。
「ウルクスだ。シドが帰ってきたと聞いてね」
俺は返事をしながらドアを開ける。すると随分日に焼けた男が客用のソファに座っていた。髪の左右を刈り上げ、帯状の中心部が逆立った特徴的な髪型。シドだ。肌の色が日に焼けて黒々としている。右耳のオレンジのピアスさえ日に焼けているように見える。確かにノーマンの言うように、遠目で見たらシドだとは分からないかもしれない。
シドの対面にカシンダが座り、親方は奥の自席に座っている。皆コップがあるが、この匂いはどうも酒のようだった。まったく、まだ日も落ちていないというのに。
「よう、ウルクスか。久しぶりだな!」
シドは破顔して顔をくしゃくしゃにする。その顔を久しぶりに見ると、随分と懐かしい気持ちになった。
「帰ってきたと聞いてな、うちの稼ぎ頭に挨拶位しとかなきゃと思ってよ」
バシンと互いの手をぶつけ合う。気のいい奴が返ってきたのは、嬉しいことだ。
「はははは、まあな! 向こうでがっぽり稼いできたぜ!」
シドの言葉を引き継ぐように、親方が言った。
「ウルクス。こいつは最初一日に
親方にそう言われ、シドが自慢げにほほ笑む。
「いやな、最初に虫を駆除したんだが、その手際がいいと褒められてな。それで何回目かの駆除の時に言ったんだよ。この辺はこの時期にしては虫が多い。異常な年だから危険手当が必要だってな。向こうは渋ったんだが、じゃあその分の働きしか期待するなよと言ったら頭を下げて頼んできたのよ。気の小さい商人で助かった!」
「へえ。そりゃ良かったじゃねえか。運が良かったんだな」
「ああ、まあな。しかし……途中で変な噂も聞いたからな。本当に危険だったのかも知れない。まあ、そうそう向こうに行く仕事があるとも思えんし、今となっては関係ないだろうが」
「何だ? 変な虫でも出たのか?」
俺の脳裏をデスモーグ族の事がよぎる。
「妙な女が出ると言う噂があってな……奇妙な虫を連れた女で、どこそこで虫が殺されたとか……」
「何?」
女。奇妙な虫。ひょっとして……?
「虫を連れた変な女ってのは、おいウルクス。お前が言ってた奴じゃねえのか?」
親方が言う。
「ああ……かもな」
「何だウルクス? 心当たりがあるのか?」
シドが俺に聞いた。
デスモーグ族やアクィラに関する事は誰にも他言はしていない。だがアクィラの噂を探るためには何らかの条件が必要だった。それで俺は、サッペンの街の近くで旅の見世物小屋を見かけ、その一員である虫使いの女に一目ぼれをした……という話で虫狩りの仲間や行商人に聞いて回っていたのだ。頭の後ろに機械をつけているとか、年若い女だったとか、そういう条件も付けて。おかげで俺は少女趣味の変態だと思われているが、背に腹は代えられなかった。
「前に見世物小屋で見かけた女がすげえ綺麗でよ。もう一回見たいと思ってな……見たこともないような虫を使う女だったんだ」
「ふん。お前がそんなことを言うとは珍しいな? いい加減嫁を貰ったらどうだ?」
「大きなお世話だ! それで……その噂の女ってのは?」
シドが上を見上げ、思い出しながらしゃべり始めた。
「ああ……俺も自分で見たわけじゃないし、聞いただけだが……二か月前ぐらいから聞くようになった噂だが、平原や山の辺りの集落を点々としながら虫を殺して回ってる女がいるらしい。車用の虫とか、耕作用の奴をな。殺している所は誰も見てないが、その女を見かけたその夜には決まって虫が殺されているんだと。あと何とか族って所の大事な虫を殺したとか。それに奇妙な虫を連れているってな。それほど大きくない虫らしいが……とにかく変なのと一緒に行動しているという話だった。見世物小屋の女という話は聞かなかったし、毎夜虫を殺して回るってのは尾ひれがついてると思うが」
二か月前から聞くようになったというと、ちょうどあの騒動があった頃だ。
「その女は……目は青かったか?」
「目か? さあな、そこまでは知らん」
シドは記憶を探るように首をかしげていたが、それ以上の情報はないようだった。
「ウルクス。お前の探している女の特徴に当てはまらなくもないな。思い人かも知れんぞ」
カシンダが酒を一口飲んで言った。その目は俺を見透かすような目に見えた。恐らくカシンダは、俺が情報をはぐらかして人を探していることに気づいている。本当は何を探しているんだ? とでも言いたげな目だった。
「お、ウルクス! 今度はお前が長期警護か! この前ので慣れたから、お前にも出来るんじゃないか? ラカンドゥに行ってお前も日焼けしてこい」
「冗談じゃねえ。俺はちまちまカメムシを駆除しているだけで十分さ」
そう答えながら、俺は心の中で迷っていた。シドの噂は不確かな情報だ。しかし、変な虫を連れた女、なんて噂はそうそう出回るものじゃない。虫を殺すというのも、また何か実験をしているのかも知れない。
アクィラなのか。
アクィラでなかったとしても、モーグ族かデスモーグ族かも知れない。アレックスの名前を出せば、あるいは協力を取り付けられるだろうか。
二度と出会わないことを祈る。そう言ったアレックスの言葉を思い出す。
お前は今どこにいる、アレックス? ひょっとすると、お前にもう一度会うことになるかもしれない。
シドや親方たちの笑い声を聞きながら、俺は密かにそう思った。
碧眼の魔性編 完
※誤字等があればこちらにお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます