第二十七話 封印

 目を覚ますと、そこは森の外だった。俺は虫車にもたれるように座らされていて、もう夜が明けていた。

 体のあちこちが痛んだ。煙を吸ったせいか、喉も痛い。そして、心にまるで穴でも開いたかのような喪失感があった。

 あれは夢ではない。アクィラが炎に飲まれたのは、悪夢などではなく現実だったのだ。

 アクィラの姿をした誰か。エルザと名乗っていたが……一体どういう事だったのか、俺には理解できなかった。全ては旧世界の技術のせい。そう割り切るしかない。旧世界の技術が全ての元凶で、結局アクィラは最初から最後までその犠牲になったわけだ。

 立ち上がり周囲を確認するが、アレックスとオリバーの姿はなかった。いるのは借りてきたオサムシだけで、腹を空かせているのかその辺の石や草を盛んにほじくり返していた。

 俺は虫のために昆虫食の箱をあけてゼリーを与えてやる。すると二匹は喜んで食べ始めた。

 何も考えたくはなかった。何もかもが悲しい記憶につながる。虫がゼリーを食べているのを見ても……たとえば、アクィラもこんな風に食い意地が張っていたなと思い出してしまう。

 アレックス達は帰ったのだろうか。ここにいたデスモーグ族は、ジョンも含めみんな死ぬか逃げるかしたのだろう。

 森の上の方を見ると、白い煙がまだ上がっていた。あの施設が火事で焼けてしまったのなら、これ以上悪用のしようも無さそうだった。となるとモーグ族の仕事も終りだろう。部外者の俺は置いて帰った……薄情な気もするが、それでいいような気もする。奴らはもともと俺達とは違う世界を生きている。なし崩しに関わり合うことになったが、仲良くすべき相手ではないのだ。俺にとっても、奴らにとっても

 俺は五〇ターフ九〇mほど西に進み、そこの獣道から森に入る。俺たちが侵入した道ではなく、おそらくデスモーグ族が普段使っている道だ。道はまっすぐ施設まで続いているようだった。

 今の俺は丸腰だ。スリングもないしナイフもどこかに落としたらしい。もしデスモーグ族がいれば危険だが、恐らく大丈夫だろう。無根拠な安心だったが、今の俺は細かいことを考える元気がなかった。

 五分ほど進むと草の隙間から煙が見えるようになってきた。さらに進むと、次第に焦げた臭いが鼻をつき、崩れた瓦礫の様子が見えてきた。周囲の森は幸いにも焼けていない。乾季だったらそこらじゅう燃えていて、もっとひどいことになっていただろう。不幸中の幸いだ。

 そのまま近づいていくと、白い鎧の姿が見えた。左腕を布で巻いて首から吊っている。オリバーのようだった。

 向こうも俺に気づき、俺の方を向いた。

「目覚めたか。終わったよ、全て……」

 オリバーが疲れた声でそう言った。鎧もすっかり煤けて、白い鎧というよりは灰色という感じだった。瓦礫からはところどころ白い煙が上がっており、勢い良く燃えてはいないようだが、まだ下の方でくすぶっているらしい。地表だったはずの所が二ターフ3.6m程沈んでいて、表面の草木や土がずれて金属の屋根部分がところどころ見えている。炭鉱の採掘坑が落盤したのに似ている。この様子では、中にいた奴は全員駄目だろう。

 デスモーグ族を可哀そうとは思わないが、しかし哀れではある。だが旧世界の技術と共に死んだのなら、ある意味では奴らにふさわしいのかも知れない。

「アレックスは?」

「下に潜っている。生存者の確認と、残された機械の調査だ。まだ機能しているのなら、破壊して封印する必要がある。ちょっと待て、今呼ぶ」

 別に用件があるわけではなかったが、オリバーが呼ぶのに任せた。仮面で通話し、二分ほどでアレックスは地上に戻ってきた。アレックスも鎧がすっかり汚れている。

「無事だったか。すまないな、あの場所にそのままにしてしまって」

「いいさ……」

 俺は何を言うべきか迷ったが、アレックスに聞くことにした。

「例の技術は封印できたのか?」

 アクィラの事は聞けなかった。答えが聞くのが怖くて、俺は本当はどうでもいいことを聞いていた。旧世界の技術など、俺にとっては関係のない話だ。

「……ジョンはこの施設の電波発信機を使って、国中に指令を送ろうとしていた。そして実際に送られてしまったが、短時間であったため被害は軽微のようだ。飼っている虫が暴れたり、虫が森から一斉に移動を始めていたらしいが、混乱は短時間で収束した。怪我人は出ているらしいが、この国が亡ぶような大事にはなっていない。そして、この施設の規模の発信装置はそう簡単には見つからないから、ひとまずは安心だ」

「そうか。そりゃ……良かったな」

 沈黙が続いた。聞くべきことは分かっている。しかし、俺には聞けそうになかった。

「……悪い知らせと良い知らせがある」

 アレックスが言った。冗談の常套句みたいなことを、まさかアレックスが言い出すとは。しかし冗談ではないのだろう。悪い何かと、良い何かがあったという事だ。

「悪い知らせは、ジョンの死体が見つからなかったことだ」

「何だと?」

 ジョンの死体がない? 奴はあの虫だらけの部屋でくたばったはずだ。確かにとどめは刺さなかったが……。

「逃げたって事か?」

「そのようだ。あのスタッグ達がいた奥の部屋……潜って調べていたら、別の出入口があったんだ。入ってみると、この森の向こう側まで続いていた。避難用の通路だったらしい」

「そっから……まんまと逃げられたのか」

「状況から考えれば、そうなる」

 奴が生きている。となればまた悪事を企みそうではある。奴の執念は……半ば狂気の域に達している。しかし、それはもう俺には関係のないことだ。俺はモーグ族じゃない。アレックス達に任せるべきことだ。

「それで、良い知らせってのは?」

「アクィラの……死体が見つからなかった。あの部屋、統合端末室のドアはひしゃげて通れるようになっていた。ドアをこじ開けて中に入って確認したが、遺体は見つからなかった。機械や装置が燃えた形跡はあったが、人一人が焼け死んだような痕跡はなかった」

「どういうことだ……まさか……?」

「ジョンがアクィラを連れて逃げた。という可能性が考えられる」

「本当かよ……」

 何という事だ。この四日間、散々ひっかきまわされて結果がこれとは。振出しに戻っている。

 俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「アクィラは生きている可能性があるが、もう追跡装置は壊れて何の信号も送っては来ない。探すのには時間がかかるだろう……」

 俺は溜息をつき、立ち上がった。

「希望があると考えるべきなのか……だが、エルザとか言ったか? 別の人間がアクィラの中に入り込んでいた」

「それに関しては我々も初めて経験する現象だ。アクィラの記憶、人格が消え去ったのか、それとも共存しているのか。それは分からない。今後も追跡はする。責任を持ってな。しかし君は……ここから先は我々の問題だ。こんなことになって心苦しいが、これ以上我々は君と行動を共にするべきではない」

「勝手に巻き込んでおいて、今度はお役御免か」

「そうだ。君に対してはいくら感謝しても足りないくらいだが、これ以上の例外扱いはできない。ここでお別れだ」

 探すのに時間がかかるというのなら、ずっと俺も同行するという事になるのは、モーグ族としてはまずいのだろう。梯子を外されたような気分だが……まあ、そういうものだろう。

「アクィラは……見つかるのか?」

「デスモーグ族がいるのなら、そこにいるはずだ。今の所算段はついていないが……必ず見つけ出す。見つかった時は君にも連絡する様にしよう」

「俺は俺で……探すさ。変な機械を頭に埋め込んだ子供……いれば噂になるだろう。俺の方からお前たちに会うにはどうすればいいんだ?」

「それは……無理だな。恐らく接触を禁じられる」

「ならいいさ……俺はカルトゥ市区のギンガマス虫狩り寄合所にいる。家もその近くだ」

「カルトゥ市区のギンガマス虫狩り寄合所だな。分かった。アクィラが見つかれば、必ず連絡する」

「五十年後とかは勘弁してくれよ。爺になって忘れちまってそうだ」

「ああ。見つけるよ。必ずな」

「じゃあ……このグローブも返すぜ」

「そうしてくれると助かる」

 グローブを外すと、急に手がさみしくなった。中々使い心地は良かったが、こいつともお別れだ。これがなければ死んでいた場面も少なくない。旧世界の技術さまさまだ。そのグローブを、アレックスに手渡す。

「俺は……もういなくていいんだよな」

「ああ。後は我々だけの問題だ」

 そう言い、アレックスは仮面を外した。オリバーもアレックスに倣い仮面を外す。

「さらばだ。ウルクス。別れの台詞には少々奇妙だが……もう二度と君と出会わないことを祈るよ。君を巻き込みたくはない」

「そうだな。これでお別れ、これで最後だ……虫車は俺が返しとくぜ」

「ああ、頼む。客車に金が置いてあるが、それは持っていってくれ。せめてもの気持ちだ」

 あの袋には数十銀クォータ数十万円がまだ入っている。四日分の稼ぎと考えれば破格だ。俺の命の値段にしてはまずまずだろう。

「じゃあな。死ぬなよ、アレックス。オリバーも」

「ああ。君もな、ウルクス」

「普段の俺は小物の虫しか相手にしねえよ。命なんざ懸けないさ、二度とな」

「そうか。ならば、ケーリオスの名の下に、君の平穏と幸福を祈るとしよう」

 ケーリオス。狩りの神の名前だ。名前ばっかりでなにもしちゃくれねということが、今回の旅でよく分かった。

「お前らもな。何の神に祈るのか知らんが、達者でな」

 俺は最後にアレックスとオリバーの顔を見て、そして元来た道を歩き出した。二人を振り返ることはない。モーグ族の戦士たちとは、ここでお別れだ。

 虫車に戻ると、オサムシたちはゼリーを食べ終えてすっかり元気になっていた。荷物を確認すると、アレックス達の持ってきた箱なども下ろしてあり荷物入れは空になっていた。残っていたのは金の入った袋と、果物とパン、それに水だ。アレックス達は最初から、もうこの虫車に戻る気はなかったようだ。

「さ……帰るか」

 俺はオサムシに信号を送り前進する。ひどいガタガタ道で体に響く。しかし直に街道に入り、そこからは順調に進んでいく。あとはしばらく虫に任せてもいいだろう。確か借りてるのは四十八時間、今日の夕刻までのはずだ。追加料金が必要になるが、もらった金があるからどうとでもなる。あの店主の相手をまたすることになるのかと思うと今から面倒だが、それもまた人生だ。

 俺は御者台で空を見上げた。

 アクィラもどこかでこの空を見上げているのだろうか? あるいは、エルザと名乗った何者かが。

 奇妙な縁で知り合い、そして見失ってしまった。縁がつながっているのなら再び出会うことができる。そう言われているが、その縁とやらは目には見えない。その時にならなければ分からない。

 俺は零れる涙を拭い、青い空を見上げ続けた






※誤字等があればこちらにお願いします。

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