掌上見聞録

雨野榴

出シ置

ゆめや

 夢を売ってくれと言われたので、昨日見たのを千円で売った。

「はい、確かに」

 私の夢を鞄にしまいながら、スーツ姿の男はこちらを見ずに言った。そして鞄から抜き出した手には、一枚のA4サイズの紙。

「本日、売った夢の内容と、夢を売ったということは、他言無用ということで」

 妙にたくさんの区切りを付けながら男が言う。案の定、渡された紙は契約書だった。

 男が帰ってしまうと、さっき売った夢がいろいろと気になってきた。誰が買うのか、そもそもどんな内容だったのか。夢なのだから、当然のように憶えていない。何だか楽しかった気がする、ヤマザキ春のパン祭のシールが集まったのかもしれない。だとすれば、私の夢を買うのは案外お隣の加藤さんかもしれない。この前、今年こそは頑張るの、と息巻いていたから。

 取り敢えずお昼にすることにした。ジャージャー麺に塩にぎり。コーヒーと一緒に飲み込みながら、ふと思いついた。苦い、砂糖入れたい。違う。私も夢を買えばいいのだ、同じく千円で売れるくらいのを。それを見ればどんな程度の夢だったか思い出せるかもしれないし、運が良ければ私が売ったのを買えるだろう。

 食べ終わると、さっそくさっき帰り際に渡されたチラシの番号に電話した。『どんな夢も売ります!買います!眠りの友、ドリームパーク』夜空の背景に黄色い文字で書かれた宣伝は、ネオンのように浮き上がって目がチカチカとする。しかし眺め続けるうちに眠気がやって来て、受話器の向こうで「はい」と声がしたときにはいつの間にか目を閉じていた。

「んあっ……夢を買いたいのですが」

 それからどうにか気を確かにしてそう言うと、はきはきした声で返事が来た。市民球場のアナウンスと似た声をしている。

「はい、どんな夢をご所望ですか?」

「内容は何でもいいのですが、売れば千円くらいのやつでお願いします」

「では、八千円から一万円ほどの夢になりますね」

「それでお願いします」

 住所を伝えて電話を切ると、どうも懐が不安になり財布を確かめに行った。長財布を開くと、野口が四人に諭吉が三人、ぼんやりした目をして暗がりに沈んでいる。再来週バイト代が入るので、それまで少し辛抱しなければならない。もっとたくさんの駅前駐輪場を周れるよう、バイトリーダーに掛け合ったほうがいいだろうか。そういえば、どうして千円は野口と呼ぶのに一万円はあまり福沢と呼ばないのだろう。

 野口英世の功績を調べているうちに、電話して一時間が経っていた。時計から目を落とした途端にインターフォンが鳴り、今度は五十代と思しいスーツ姿の女がやって来た。

「ハァ……ハァ……お待たせ、しました……」

 私の部屋があるのはエレベーターのない団地だが、それでも三階なのでそんなに息を切らすものだろうか。椅子に座ってもらったものの、それでもあまりに呼吸が荒いのでたまらずに聞いてしまった。すると、

「すみません、生理痛がひどくって」

「え、いいんですか。働いても」

「はい、家に帰って教祖様の水を飲むので」

「そりゃよかった」

 それきり互いに黙ってしまったが、しきりに上下する肩を冷静に眺めているとだんだん感心してきた。この歳になってそれほどの重さ、教祖様というのも案外大したものなのかも。気付くと女は顔を上げてこちらを見ていて、急いで目を逸らしたが気まずい空気になってしまった。

「……八千円から一万円の夢をお求めだそうですが」

「……はい」

「では、こちらの中からお選びください。どれも一年以内の新鮮なものです」

 女の視線から逃れるようにテーブルに置かれた紙を見ると、番号を振り分けられた夢がずらりと十数個並んでいる。岩棚にバスタブを置きに行く夢(1201a)、キャンプ用品売り場の猫になる夢(1207a)、月の表面に灰形を描く夢(1211b)、などなど。私の夢らしいものはないと思うが、千円で売れる夢というのはこれくらい幅広いようだ。これではどんな夢を見ていたのか思い出せそうもない。落胆すると今度はだんだんむっとしてきて、「一万円以上のはどんなですか」と聞いてみた。

「でしたら、この夢はどうでしょう。見られてから一年を過ぎて、少し値引きしております」

 示されたのは、大量の本を日本刀で圧し切る夢だった。「場所は小学校のプールの中ですが、廃校なので空っぽですよ。一万五千円になります」女はそう言って整えられた笑みを浮かべている。それが何だか私を嘲笑っているように見えたので、私は投げやりになって財布を取りに行った。

「お買い上げありがとうございます」

 背中に投げられた声を聞いて、ああこれは市民球場じゃない、市民体育館だ、と思った。




 水の抜けたプールで本の山を切っていると、生ぬるい風が校庭の方から吹き抜けてきた。それを受けて、今まさに刀を当てようとしていた本がめくれる。一瞬、その中に見覚えのある風景が描かれている絵が見えた。あれは、私が忘れた夢ではないか。しかし当のページは既に随分過ぎていて、体重をかけた手元に伝わるのはザクリという小気味いい感触。風に巻かれた紙片が、タンポポの綿毛のように高く舞い上がった。そろそろお昼にしよう。

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