λαχτάρα/輝かしい星のために
林檎飴
本編
今宵もあたりまえに星が輝いている。私・ラクラータの暮らす貧民街で見ていた幻想の煌めき、そんな夜。
それすら世界共通らしい───忘れてた─────
教育費も払えない、生活もままならない、そんな貧民街に暮らす子供は得てして無垢だ。どれくらい無垢かというとこんな夜空だけはどうか特別であってほしいと思っているくらいノ馬鹿さ加減だ。
(もっとも、私は他の子供と話した事がないので憶測の域を出ない)
けれど今日、私、偶々ここを出て、外で暮らしている人達の街を散歩してみて、思い悩まされて、そして思い出すはめになった。
(思えば私は昔、外の世界で生きていたから知っていた筈だった……。それでも貧民街で暮らすようになってからは、夜空の星を特別な景色だといつの間にか思い込むようになっていたのだ…………)
綺麗な街は大きくて良い。そう思っていたけれど、現実はもっと気持ち悪かった。私と星の視え方が違っている。
それでも夜には同じ星が灯る。こんな気持ち悪い世界でも、同じく星は輝くのだ。
この美しい夜色は、この街の人々は特別綺麗だと感じていないらしい。
その夜空をゆったり眺められるだけの生活水準は十分に整ってるというのに……
「…………」
だったら星は、こんな世界の人の手に余るものだ。あれだけ美しいモノを毎晩見られるというのに、何故気持ちの良い日々を送れないのか?でも、私はこの考えを大っぴらに言い出せないコトを知っている。
何故なら、世の常識というヤツは、多数派の意見によって形作られているからだ。
貧民街の人口は表の街の人々よりも遥かに少ない。だから、私のこの感性は、多数の意見に埋もれてしまうことだろう。
それだというのに、この綺麗な星は私だけのものだと考えていたなんて、恥ずかしい話だ。星は外の世界ではあたりまえの普通の景色でしかなかったのだから。
きっとこんな勘違いが続いていたのは、大人が私のような子供に教えていなかったせい。教える必要もない常識だから、外に夜があるなんてあたりまえだから。
与えられない常識はいつしか空想に雲隠れしてしまうのだ。だから私のような貧民街の子供は夜空の星々を、傷だらけの”貧民街だけの幸福”だって思っているしかなかった。願望で、世界を編むしかなかった。
─────けれど、この空は世界に永遠に伸びていて、私たちの生きる世界はそんな広大な空のたった一部分に過ぎない。今夜、私はそれを思い出した。どこにだって夜空もあれば星も浮かんでいる。特別でもなければなんてことのない輝き───それが世界の常識らしいのだ。
「───」
ではその世界とはどんなものなのか?詳しくは知らないけど、たぶん、ざっと以下の通り。
ここロリポップ王国では貧民と上流階級の身分格差が深刻らしい。異民族を受け入れるけれど、国土面積も大きくなければ働き口もそう多くない。治安は他国に比べて安全性が保障されている方だけれど、あくまで比較上での”安全”だ。安心はできない。なお私は亡命して来た身で、その表の世界の裏側に生きていた。命の保証はされていなかった。
「かわいそう」と、そんな私と今一緒に”歩いている人”は言うのだけれど、よく分からない。
その人の反応は、難しい感情での反応なのか、それともあたりまえで単純な反応なのか。
私程度の脳で分かる筈もなかった。というか、思考力が終わっていたのだ。
それにしても失礼な話だ。私としてはかわいそうなんて言われる筋合いはなかった。ただ、貧民街の外の街の夜が、あまりに清潔だっただけであり、つまり、外が綺麗すぎるだけなんだ。
外の街並みが異端的に整っているだけなのだ。夜の私たちの方が比べて汚いなんて、嘘だ。かわいそうなんて言われる理由がない。それに、ガワは清潔だけど、だったら昼間のア・レ・はなんだ!その点、傷ついてでも星を眺め続けていられる自分の方が、そんな生き方の方が美しいに決まっている。ここに生きる人たちより辛い人生だったって自覚はしているけど……それでも、それだけは否定したくは……
「私の世界ではこういう世界があたりまえなんです。星はそのためにある」と私は語る。そしたら、隣を歩いている女性は答えてくれた。
「でもねラクラータ、そのあたりまえは貴方たちだけなのよ。私たち普通の人にとってその考え方は異端的だよ」
「…………そういう、ものですよね」
自分は普通で貴方はおかしい、彼女はそう言う。まっしろで蕩けちゃいそうな長い髪の毛をたなびかせては彼女が苦笑いする。私なんかとは縁のない、甘い香り。もしもこんないい匂いが世界に充満しているんだったら、確かに私たちは狂っているのかもしれない、かな。手のひら返しは自分でも驚くくらい早かった。
私がこれまで見てきた貧民街の人達というのは、ここまで幸せそうじゃない。これがもしあたりまえなんて言われてしまえば、世界は思ったよりも平和なんだろう。
「私、やっぱり帰らなくちゃいけないかも」
「ン、どうして?」
「だって此処に私がいたら、平和な世界が狂っちゃうから」
世界はこんなにも頑丈だ。それが世界のあたりまえ。苦しまなくても、レールの上を歩んである程度の平和が保たれている、そんな世界。
けれど、そんなあたりまえさえ知らず、そんなあたりまえな暮らしとは正反対な暮らしをしている人がそこに混じってしまえば、それだけで秩序がおかしくなってしまう、と思う。私なんかが幸せに生きられる筈なかった。自信が、ない。
私一人の都合だけで汚してはいけない、もっとも平和なのがこの世界なんだって今なら分かる。
私のこれまでを否定するのは悲しいけれど、此処にいると、つい自分を殺してしまいたくなる。
***
◇朝/貧民街にて
貧民街はいつだって混沌としている。だから辛い。でも、故に星が綺麗なのだ。
苦しいから、日々が辛いから、甘えを許せないから、生きていたいから、でも世界は厳しいから───私は、暴力的に美しい星が大好きなんだろう。
私たちの暮らしは外の街に比べて貧しいらしい。だから、きっと夜空に浮かぶ星だけは特別なんだ。外の星なんてある筈ないよ。
お母さんとお父さんは外の街で働き口を探す毎日で、私はというと、ただこの街でぼーっとしているだけ。
子供にできるコトはない。どうやれば両親の助けになれるだろう。私はひたすら悩む。
貧民街は国の端にある。なんだか煙たくて、灰色な感じの世界が広がっている。
ボロい、布ばかり。家々。今にも崩れてしまいそうな、不安定な街並み。
雲の切れ間、の太陽の色。それは、だるい白色。まるで世紀末かしら。
町中、生活音、自殺衝動、義務感、心の躍動、寂寥、曇り空、見せかけの希望、一抹の不安、愛情、愛憎、嫉妬、諦念……「死にたい」「死にたい」「死にたい」つまり■■たい、「生きなきゃ!」「生きなきゃ!」「生きなきゃ!」「生きなきゃ!」■■なきゃ!!
……などのくそったれなモノが肥溜めが溢れかえっている。
そんなたくさんのゴミのような単語が、ごちゃまぜに街を構成しており、此処は腐臭に満ちていた。これじゃあただのゴミ捨て場だ。
この街は毎日、お片付けしなくちゃならないらしい。一昨日もつい先日も、私たち家族の住む家のご近所さんの家にもゴミが出た。私の住む家にはまだ出てないけど、お母さんは「もうすぐだね」と苦笑する。どうにもそのゴミは出るとなにかと困るモノらしく、私はソレがこの街で一番臭いものだって知っている。できれば出てほしくないゴミだ。それでも毎日出ちゃうあたり、世の中うまくいかないものだ。
ここ貧民街は無法地帯で、たびたび暴動が起きたり、怪しいお薬を販売する人も少なくない。お父さんには「危ない場所には近寄るな」と言われている。この地に住む人はローカルルールが混在しているらしくて、絶対の正しさはないのだと云う。
だから私は、私と同じ子供でも距離を隔てて接するように心がけている。昼間にこうして暇しているのはそういう次第だ。
こうして硬くって亀裂の入った地面に座りながらぼんやりと呆けて、時々空を見上げる。空はたいてい濁っている。やっぱりつまらない。早く夜になればいいのにと思う毎日だ。
───きゅううーー……
「お腹すいた、かな」
それでも食べるものはもうちょい後。お母さんとお父さんが帰ってきてからの楽しみ。ハイカロリーなものばかりだけれど、家族で食べるんだったら辛くない。私の胃は人より強くできているのかもしれない。だから、どんな強烈なものでも味わえる自信が少しだけあったり。
動けばお腹がさらに減る。だから動かず人間観察をする。
仕方がないから体育座りのまま街歩く人々の重苦しい姿を窓から眺めて、此処は地獄ですらない、死の大地なんだって想った。
◇夜/貧民街にて
色あせたガラクタの景色。私は夜になっても其処に居続けた。両親の帰り、今日は遅いみたい。
この国に移民してきた身からすると、この地に住まわせてもらっているだけ天運に感謝しなくちゃ、なのだけれど。でも、それから先の進展がない。私たちは生き地獄を過ごしていた。
両親は帰らない。臭く果ててしまったのか、それともまだ生きているのか、分からないしどうでもいい。どうせこのまま死んでしまってもかまわない。死んでしまえばゼロになる。人間なんてもともと空っぽなのだから、生きている以外で必死になれないのだろうから、当然と言えばそうな結末だ。だから、死ねば諦めもつくだろう。
「───あ、星……」
いつも通りの虚無感を抱けば、いつの間にか夜。空は真っ黒。はっきりしない、不確かな色の朝よりも私は夜の暗闇の方が好ましかった。そして何よりも、あそこ、手が絶対に届かない、彼方の星々が大好きだった。
嗚呼、思い出した。私は人間に生まれたのだから、生きなくちゃならない。星を見ていると、いつもそう思う。そして、朝の愚考を反省してみる。朝の倦怠感と夜の反省を繰り返す、これが私の日課になっていた。
いつから私は人生に死をみるようになっていたのだろう。生きていて、歩いて、それだけでなんとなく楽しかった数年前に比べ、私にいったい何があったのだろう。……。……何もなかった。強いて言えば、生きるのに疲れたというコトだけだろう。
この国に異民族として入国するまでは、まだ毎日が楽しかった。一瞬一秒の出来事を永遠に記憶していたいだけの幸せな日々だった。
「─────」
それでも私はあの頃に戻りたいとは思わない。だってあの頃の私は、夜空に浮かぶ星なんて見たコトなかったのだから。ここまでの極限状態になってこそ、私達は星の輝きの尊さを知るコトができるんだから。
体育座りの中、ボロっちい布を被って眠りに落ちる。天井を見る姿勢で寝るのはなんだか恥ずかしかったから、このまま、微睡みに身を任せることにした。
───どうか、よい夜明けになりますように……
星明りは目を閉じても心に刻まれている。いつまでも、いつまでも───
◇朝Ⅱ/貧民街にて
朝、死ぬように起きて辺りを見回す。埃まみれの壁。隙間だらけの天井。とうにイカレタ鼻をなぶる空気。平常通りのつまらない朝。でも一つだけ違いところがある。私はこの違和感を確かめるべく二十分ほど家の中を探索して確かめた。
………………。
…………。
……。
お父さん、お母さん。臭くなっちゃたのかな───?
涙は流れない。辛いだけの現実は、知らぬ間に夢事のようにしか感じられなくなっていた。
「…………」
だったらもう寝ていいよね。二度寝。帰りを待つ理由もないのだから、それくらい、どうでもいいよね?
***
◇いつかの朝/貧民街にて
お腹がすいた。お腹がすいた。でもお父さんとお母さんが死んだ。
想像の域は出ない。でもたぶんここまで帰ってこないのであれば、そういうコトなんだろう。
あれから何日経ったのだろう。時折、お母さんのくれたお駄賃を眺める。
これだけあれば、いったいどれくらい物を食べられるのだろうか。わからない。わからない。
ポケットに仕舞われた銅貨は、ずずっと立ち上がるとシャンと音をたてた。このお金があればいったい何ができるのだろうか。でも、きっと、これだけじゃ一日分もないんだろうなって、予感は強かった。
立ち上がる気力はなかった。もはや生きていく気概もなかった。
生きる意味の分からない子供だった私は、何故生きなければならないのか分からなくなってしまった。
だったらこのまま野垂れ死んでしまえばいい。この臭い土地で、また新たな腐臭を起こしてしまえばいい。
いっそ死んでしまいたかった。
ここ数日の虚無期間は、そういった感想を作り上げるためだけの時間に消費されてしまった。時間の無駄。死ぬのがくだらないから、そういった考えに至るのはバカだ…………なんて言いたい訳じゃなくって、そんな、分かり切った結論を出すのに数日も時間を使ってしまったのが馬鹿らしかったのである。
なら死ぬまで私は黙っていよう。動かないでいよう。
どうせなら、体の感覚も不明瞭なまま、ゆったりと逝きたかった───
◇いつもの夜/貧民街にて
「…………ん……んんっ……」
死にたいという想いが心の奥底から湧き上がり、それから、意識は覚醒した。つまり、肉体的に目が覚めたのである。
こーこーっと音が聞こえる。環境音だ。私はだらけきった意識を持てあまして数秒間、ボーっとした。
その白昼夢のような感覚のまましばらくしていたところ、やがて体も正常な活動をし始め、熱が灯ってきた。ここで私の意識はようやくはっきりする。心も体も完璧に目が覚めた。
どうやらあのまま一日いっぱいうたた寝してしまったらしい。
意識はカタチを取り戻して、視界の輪郭は鮮明だ。私はたしかに息をしていた。
「でも生きているからってなんだ。私に生きる意味なんてある筈ない……」
手で目を擦る。ふと、随分と昔に両親から貰った誕生日プレゼント手鏡を懐から取り出す。相変わらず、汚れた面だった。
ピンク色だった縁も今じゃ色の核が壊れてしまったみたいで、パッとしないものになっている。
貰った当時は私だってそこそこ可愛くて、手鏡も、キュートだった。けれど、今じゃどちらも灰色って感じ。時間という重力に押しつぶされてしまった。腐っている。
日に日に曇ってゆく自分の顔や鏡を見ていると、これから先もたかが知れていた。
どうしよもないから私は、立ち上がるコトにする。曇天続きのくそったれな空が張り付いている貧民街を、私は歩き始めた。
この時間帯は、ほんとは家を出ちゃいけない。お外から怖い人たちがここ貧民街に押しかけて来るらしいのだ。その人達は、私のような幼子すら性の対象として見なす事もあって、だから、夜間に外を出歩いてはいけないのだ。
破滅願望三割の散歩。思えば私が今こうして夜空の下を散歩しているのは、子供ながらに自分の人生に諦めがついたから、なのかもね。
残り七割お気楽散歩。夜空の星々をこうして視界いっぱいに収められているのは、此処に来てたぶん初めてのコトだ。いつもは窓で切り取られた限りある輝きばかりだったけど、今日の空は無限大だった。何処まででもこの足は歩を連ねていける気さえする。いつの間にか、七割の希望は三割の絶望を殺し尽くした。そして出来た空きスペースに希望が灯るコトはなかった。
どうせなら、私は外の世界を見てみたかった。遥か昔の深淵のそのまた彼方のお伽噺、私はきっと其処を知っている。どこまでも綺麗な街並みが続いていて、どれだけ人々の笑顔が溢れていたのかを、たぶん私は知っていた。
それを考えると今までの私の暮らしがくだらなく退屈だったんだなって、嫌になるくらい悲しいのだけど……。
けれど、それでも、だいたい毎晩、星々が───それは、美しくって……─────
乱暴な輝き。満点の星、まるで海原みたいに正体不明の光は揺れる。海なんて見たことないけれど、イメージするだけなら簡単だった。
上を向いて歩けば視界は段々ぼやけていった。眠たくはない。ただ目頭と頬が不思議と熱かったのだ。
美しいモノを見たからって、生きていく上での痛みは永遠に癒えない。傷は残り続ける。その日の嫌だったこと、辛かったことは寝る前になれば思い出してしまうし、微睡みに溶けていく寸前まで、その心は抱えつづける。だから夜というのは泣きたくなる。だから私は泣いている。
この悲しみは一生ものの痛みだ。死ぬまで所有権は消えてなくならない。だから、私は夜に空を見上げるのかもしれない。
耽美な叙情───それは無限ではない。故に夜の痛みだけは誤魔化しきれない。
だってのに、私は星空を愛してしまう。星が浮かんでいるだけで、私は生きたいと思えてしまうからだ。純粋な人間を貫けてしまう。眠りに落ちる数十秒前、視界は蕩けて星の残像も脳裏に浮かばなくなってしまうけれど、星を眺めた時に覚えたココロの残り香が、いつまでも傍にいてくれる。限りある人生にお供してくれる。
───幸い、街を抜け出るまでの間、誰にも何にも出会わなかった。星だけが、私のココロを照らしてくれた夜だった。ありがとう、いつも、私のために……
***
◇昼/とある平凡な街
寝ないで歩き、辿り着いた街。いつかお母さんに読んでもらった絵本のようなお家が立ち並んでいた。太陽が頼もしすぎる時分、気持ち悪いくらいに明るく街は賑わっている。
雑踏に混じり、私は、腹を満たすべく屋台の値札を確認して歩いた。
「銅貨十枚で、食べられるもの……なにか、ないかしら…………」
己の醜い姿では此処に長い事いられないだろうから手短に済ませたい。なんて思っていたところ、ちょうど銅貨十枚で購入できる食べ物を発見した。
それは、たいそう不思議な見た目のもの。見た目だけでは何の肉かは分からないけれど、ぷつぷつと油の奏でる音が、肉の焦げ目を美味しそうに脚色していた。
お肉は、決して多くはなかったものの、一目でそれを気に入った私は購入することを決意したのであった。
「…………あの、これください……」
「はい、まいd…………あ?
あんた、なんだその汚い格好は」
───ア、まずい……。
「あんた、さてはアソコ、貧民街の餓鬼だな?……あーやだやだ。連中のお金の出どころなんて薄気味悪い。君には売れないよ」
「───っ!…………は、はぁ……」
弱弱しい腕で殴ってやろうかと考えたが、寸前でなんとか堪える。ここで手を上げても何の解決にもならないし、私なんかじゃ、そもそも返り討ちになって終わるだろう。親以外の大人は、子供をいつだって蹂躙する生き物だ。
諦めて私は屋台の群がりから出る。やっぱり、私は此処の人から見れば、だいぶ汚らわしいらしい。
人混みを眺めて、服を見て、ズボンを見て、そして、髪を見る。
それから視線を変え、私の服を見て、ズボンを見て、そして、髪を触る。───雲泥の差だった。
あの屋台のおじさんの言いぐさ的に、私はこの街にとって異端的で忌避されるべき存在らしい。せっかく、半日かけて来たのに、無駄足だったようだ。
とぼとぼ歩くと、住宅街に抜ける道の他に、裏路地へ続くやつが一本引かれていた。
「こんな清潔な街に来ても、結局私はこーいう所じゃなきゃ生きられないんだ」
やや自嘲気味に呟き、私は街の暗がりの一本線に入っていった。
「…………くさい」
けれどそれは貧民街故郷とは比肩し得ない軽い悪臭だった。今更どうというコトないよって、私は先に進んだ。
野良猫も通らない街の影。コクコクとシた歪な世界。貧民街が全体的に曇っているならば、此処は純粋な暗闇であった。私は恐怖を抱え続けながらも、それでもなお、進むしかなかった。
太陽は頼りない。まだ正午だというのに、夜の世界が其処にあった。当然、星は無かった。
奥へ奥へ、どれくらい進んだかと云えば、人の気配が濃くなるくらいには奥へと潜った。そしたら、
なにやらソコには多く人が居た。でも、
でも、
でも、
でも、でも、
でも、でも、でも、
でも、でも、でも、でも、
ちょっと変だった───
え……?
肌色。肌色。二つのありのままが、自由奔放に重なる狂気。意味が、わからない。あれは、なに……?
*☆*
アンサンブルですらない。二つの楽器の奏でる音は、もはや不協和音すら生まない。なにせメロディがもとより考えられていない、組まれていない。ただの獣ノ咆哮だった。その場だけの異形。その刻トキだけの快楽。
ソコに相互理解なぞ生じる隙もあるまい。あるのは一方的な暴力と、生存欲で編まれたヒトのカタチだけだ。
女は派手に声を荒げ、男は下卑た本能を開放している。
肌色の連鎖は、その実、一組だけではなかった。平面よりも立体の方が存在の根拠がある世界であるならば、うわべの清潔な街を保つにはかくも忌むべき影が必然なのかもしれない。
*☆*
意味不明で、けれど生きていくうえでは親近感のある景色が私の眼前で広がっていた。
生きていくうえで必要な、けれど決定的に目的がズレた咎ゴトが此処にはある。
───何処で、道を踏み間違えた───
……と、戸惑っていたところ、チカラが肩に、それは他者ノで……。
─────────振り向けば、……其処には屈強な男性がイタ…………ッ!
顔から地面に叩きつけられて、で、デ、お尻のとこ、ごつい岩みたいなノに、まさぐられてた。
「ヒッ───!」
ゾッとした。さっき見た、肌色の過剰染色。私はこれから数秒後に、アレの、アノ異形、怪物、ケダモノの仲間入りしてしまうの……?
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
キモイキモイキモイキモイ。
うげげげげげげげげげげげげげげげっげげげ!!!!
「やだあああああぁああぁぁああああああああああああああ」
生理的な嫌悪感は、嘔吐のような発狂を焚きつけた。暴れる。
逃げたいから、暴れた。けど、その分、私の力を制圧していくように、男の力はワタシを上書きしてしまう。体の所有権が、今だけは私にない。
嫌だ、何か失ってしまいそうで、嫌だ。私・ラクラータが冒涜そして蹂躙され支配され犯されて───
いずれ失ってしまうにしろ、まだ、殺してしまいたくなかった。もっと、大切に丁寧に奪われてしまいたかった。
私は物じゃない。これでも立派に人間様なんだ。
何が消えてしまうか分からないのに、本能では理解していた。それは、純粋の証。まだ、私は、それを、大切に所有していたいのに……っ!
───嗚呼、こんな時に限って頭の中で星がちらつく。
どこまでも綺麗なお星さまたち。これまでの私を支えてくれた個々の明かりたち。
今にも死んでしまいそうな星の残像。なおも輝く星灯り。
ほんと、コレが、走馬灯ってヤツなのかしら。数多の星の記憶が想起される。
(貫かれて、たまるか───)
意味も分からず、綺麗に揺蕩ってくれるお星さま。死にたい時、私に生きたいって思わせてくれた輝きたち。
おかげで私は今まで人でいられた。おかげで私は今まで自殺しないでいられた。
私は感謝しなくちゃならない。ヒトとして道を踏み違える前に、ありがとうを言わないといけない。
(穿たれて、たまるか───)
チカラ強くて毛むくじゃらな肉を見つめ、眇め、そして───
「ぐぎいぃいいいぃいぃぃぃいいいいい!!」
「うがああえああああげげああああ」
出血させてやる。最低限、腕を殺し尽くしてやる。
歯の一・二本折れたって構わない。
───せめて、貫いてこられた”これまで”のままで、夜空にお礼をしたかった。
***
絶望した。嬉しかった。なんで、なんで。
あれから裏路地を何とか駆け抜けた。気づけば辺りは真っ暗闇で、夜だった。そして、気づいてしまった。
「なんで、星が……」
空には綺麗な、あたりまえなお星さまが浮かび散らされていた。器から零れてしまったのかと思わずにはいられない、星の群れ。
いつも、貧民街で眺めていた究極の憩いの世界。それが、こんなうわべだけの街でも、浮かんでいるなんて───
めまいがした。途端、死んでしまいたくなってしまった。
だって、私にとって星というのは生きる希望で、そして、生きるのが過酷な貧民街にだけ存在する神様からのプレゼントだって想っていたのに。あの世界で、唯一、特別、美しいものだと思っていたのに。
こんな美しいモノが、世界にありふれていて良い筈がない。手に入らない、美しいモノはもっと限られて存在するべきなのだ!
それに、私が生きていない此処にすら浮かんでいるなら、それは、星は、私のために浮かんでいた訳じゃない……ってコト…………?
─────声が聞こえる……
「ああ、星が綺麗だね」
「そうね、なんてロマンチックなのかしら」
(ロマンチック?あんな暴力的に辛辣で、けれど尊いあの煌めきが、ロマンチック、だ……?)
─────声が聞こえます……
「ねぇみて、あの星とこの星を結べば太陽に見えるでしょ?あれをフェリチタ座って言うのよ」
(……は?なにそれ。よく分からないこじつけで、星が元来持ち合わせている美しさを上書きするな。その星はお前ら私らに届かない永遠の神秘なんだぞ!)
───よく、判らない
「馬鹿みたい、だ……」
自惚れていたにも程がある。いつから星は私のために輝いていると誤解をしていたのか。
朝焼けに誤魔化されていたけれど、きっと、貧民街とこの街の境界でさえ不規則に星は瞬いていたのだろう。
確かめたくて、私は疲れ切った足を酷使して、貧民街への方角へ歩いていく。
息はとうに上がっており、俗にいう肩で呼吸するとはこういうものなのだと体で理解した。整備され、歩くのに苦労しない道を進む。安全性は貧民街のノに比べようがない、文句も出ない完成度だったけれど、”もしも”一瞬一秒のその先に崩れてしまうのではないか、と不安に思った。
分かっている。多くの人々はこの石畳の強度を信頼して歩いているのだと。
それでも、私は信じきれない。世界は、だって、こんなにも、壊れてしまうそう。
───これまで妄信してきた夜空の在り方は違うって、その事実を認めてしまっただけで、私は、世界とズレて生きていると気づいてしまって。
”じゃあ、私、いったい何処に生きているの?”
気持ち悪い。気持ち悪いから走り出した。駆け出した。
体力の限界をキープしながら、誰も信頼できないグワングワンに渦巻いている世界の中心で走り続けるしかなかった。何処に行っても、何処にも行けない気がした。メリィゴーランドという知らない筈の言葉が頭の端で不格好に吊られていた。
嗚呼、それでも回転する視界に星は浮かんでいる。不気味なぐらい、ボウボウと輝いている。
「───ッ!」
嗚呼、私の信頼していた道が崩落している……。星を傍らに信じて辿ってきた人生の道が……かくもあっけなく…………。
私だけの星が、その実、誰の手にもありふれていた景色でしかなかったなんて───
世界と自分との齟齬。ソレに気づいてしまった私は、もう泣いて喚いて走るコトで精一杯だった。
けれど、それでも星が眩しい。私の知っている星は過去の姿のまま、変わることはなかった。
私はその輝きを抱き続けてイマを駆けるコトしかできない。なんて幼稚な葛藤。
これまで私が信じてきた星の姿はそのままで、けれど、その星の視え方がこの街の人と違っているだけ。
……もっとも、それに納得できるのは、街を出て平原に倒れて、少し気分が落ち着いた頃の話なんだけれど。
***
「───」
冷静になって考えてみる。私のために星は夜空に浮かんでいる訳ではなくて、ただ単純明快、其処にあるだけだったんだ。
ソレを私は自分だけの輝きだと勘違いしていただけの話で、つまり、私が狂っていたという些細な勘違いが問題だったのだ。馬鹿らしい、阿保らしい。唯一の生きがいが幼稚な誤解によるものだったなんて、それだけで私の人間としての質が知れてしまう。
そして、人間という生き物が如何に”生きるコト”に対して貪欲であるのかも、透けた気がした。
たった一つの思い違いで人は簡単に生きようと思えてしまう。どんなにつまらない楽しみであっても、心が生きるコトに素直であるなら、その楽しみさえ娯楽・生きがいにしてしまえる。
浅ましい。浅ましい。愚かだ、臆病だ、脆弱だ。
人間楽しみの一つとして、食べること寝ること交わることがあるのは、それを生きがいに生きるための、いわば、人間が生まれた時に組み込まれる初期設定なのかもしれない。はたまた、やらないと死んでしまうことを楽しみにしてしまえば、裏返しに生きようとしてしまえるから本能に位置づけされた、とも言えないか。
───ここまでくると自我は何処から何処までと領域を設定していけばよいのだろうか。
ここまで考えたけれど、それでも。肝心な、私が求めていた答えが出なかった。
「だったら、それさえ満足に満たせない私が”生きたい”と思えているのは、何故なの……?」
絶望的なココロは終わりを望んでいるというのに。
その答えは心の奥底に沈んでいる。答えがなきゃ、私は今こうして生きていられない。でもその深海の宝物は、生きている間、掴める気なんて到底しない奇跡の光。どうせ、判りっこないんだ、その”生きたい”というカタチ。
生きたいカタチを知りたいとは思うけれど、いかんせん、私は生きていた環境が悪い。自由気ままに暮らせる環境じゃなきゃ、この感情の始末をつけられない。
”生きる意味”なんて大それた意義を模索したいって、早いうちに思ったのは立派なコトだけれど、私には無理だった。
当たり前な話だ。ガキの頃は周囲の環境に甘えながら生きて、その生き方が、大人になって無理だと痛感するから初めて生きたいと願うようになるし、その過程で意味を追求するようになるんだろう。でも、私は甘えながら生きるってヤツができなくて、その過程をショートカットしてしまっている。それは甘える環境がなかったというコト。
───いくら早く気づけても、手遅れよりも絶望的な私の人生じゃ、どうしようもない。
「…………」
それでも生きたいと願う私は、この草原に生きて、シマウマのように食い物にされるのがオチなんだろ。だったら死んだほうがマシだってのにさ、それでも少しの可能性を探して生きていきたいって思っちまうんだ。
星の白色は点々としている。星の数だけ生きる意味があって、その実、その数だけ色んな人に勇気を与えているのだろう。私は、その誰かの希望を自分だけのものだって勘違いしていた。
なんて、恥ずかしい。
「うひゃー今日はよく星が見えるなぁ」
「───」
「ンじゃ、行くかな」
───だから、こーして私の近くで星を見つめている人間がいてもおかしな話じゃない。私なんてちっぽけな人間なんかに視られるよりも、星だって、もっと人生に夢のある人間に視られている方が心地よいに決まっている。
私なんかが、星に気に入ってもらえるような人間になれる筈ない。
───私は其処に立つ女性に声をかけた。
「星が綺麗ですね」
「ン?そうだね。星はいつだって綺麗だから今さらな話だけれど」
「そうですね。ですが、綺麗だからって今さらで片付けられない美しさだと…………私は思うのですけど……」
でも、だからって。これだけは言っておきたかった。私がこの星に対して想う気持ちを否定してしまえば、その気持ちはほんとの嘘になってしまう。
「……。確かにその美しさは一生ものの芸術だと私も思うね」
「───っ!そうですよね!!」
彼女の応答を聞き、ここで初めて私は彼女の姿をはっきりと見る。
まっしろな髪の毛。風の調べに白砂糖がまぶされたようにキラキラしていた。その輝きは星のような辛辣さがないけれど、これはこれでまた心奪われる代物だと感じた。
黄金が少しだけ濁った瞳は私を見つけると、への字に口を作った。
「君、名前は?」
「……ラクラータ、です」
「そうかい、とてもいい名前だ。私が見たところ、君は気持ち悪いくらいに星に執着しているみたいだけど、ナンカ病んでいるかい?」
「え……?」
気さくな感じで振る舞う彼女だったけれど、彼女の言葉からはどこか毒が香っていた。
「いやさぁ、だって星って綺麗っちゃ綺麗だけども。綺麗で済まないってコトは”歪な見方”をしてるんでしょ、ラクラータは」
「歪な、見方……?」
「そ。君ぐらいの歳の子だとか大人でもそうだけれど、星ってたいてー綺麗だなーって感想で終わるんだよ。そりゃそうだよな。例えば昔話だとか英雄譚とか伝承とかの話。君、観た感じ貧民街の子だろうから知らなくて当然かもだけど、本読んだことあるかしら?」
「読んでもらったことなら……随分昔は貧民街の外で暮らしていたので」
「ならいいさ、話を続けよう。例えば少年少女が絶望的な状況に追い込まれて、そこから希望を見つけていくような物語があったとしよう、で、最終的には彼ら彼女らはその絶望の中でも希望という名の輝きを見つけるコトになるんだ。
大衆のみんなは、絶望という状況から希望的なオチを迎えることを”楽しい”だとか”熱い”という感想をもって見終える。また、その過程で描かれていた残酷な描写のインパクトを好んだりする」
えーっと。つまりは「物語の流れやらシーンを楽しむ」のが大衆の在り方である、と言いたいのだろうか。彼女は饒舌に語っており、初対面だったけれど、心の奥底で彼女と私は共鳴していると直感した。
「でも、ある程度歪んだ<或いは>分かった人間は必ずしも作品をそのようにして楽しむことを第一と考えない。物語が我々読者に何を伝えたかったのかを考察し始め、各シーンのメッセージ性を妄想しては解釈していく。それが彼ら歪んだ者たちの習性だ。輝かしいモノガタリだからこそ、知りたくなる。ツギハギでもいいから”メッセージ性”を考えて、そのメッセージをモノガタリとして愛するようになる。それは話の域を出ないのにも関わらず空想してしまう。リアルでは何も起こらないのに……なんて乙女チック!
─────君も、そうなんだろ?」
「…………え、どういうこと?」
「───つまり、君は、君なりに星を愛しているだろってコトさ。私も星を愛する者だから、ぜひ話を聞いてみたいもんだって思ったのさ」
「でも!でも私、貧民街の人間だし……」
「?、おかしなこと言うね。同じ物を愛する者どうし語り合おうぜ」
この人ハイテンションだな、うん。……。しかし、確かに私、星が、あの辛辣な輝きが大好きだったけれど、この人の愛し方を理解できない。いや、文脈としては理解できている。「星に対して妄想した物語について語ろう!」という趣旨を彼女は説明したのだろう。まったく、雪のように上品な顔立ちだというのに、これじゃ勿体ない。
だけれど、何故、この人はこんなに私のこと知ったように語っているのだろうか。
私が戸惑った風の表情を彼女に向けると、私の意図をくみ取ったであろう雰囲気をみせて説明してくれた。
「君のさっきの言葉の感じからそんな気がしたのサ。だって、愛しているものを誰かが軽々しく知った風な気持ちで語っていると胸糞悪いだろう?あ、だからといって、自分の解釈を過信はしていないし、絶対だとは思っていないから他者の愛も受容できるのが私だ。それぞれによって視えている世界は違うのだから、そこは認めなくてはいけない。
それなりに自分で嚙み砕いて味わった結果の感想を述べてくれるのなら、どんなにツギハギでも、どんなに微弱でも、筋があるちゃんとした愛になる。軟弱でもそこに愛があってくれれば、どんなに筋が弱くても胸糞だとは言えない。だってそこに意味が生まれているのだから」
「いみ」
「そうさ」
まったく、勝手に喋ってくれて。でも、彼女の無駄口のおかげで何故彼女が勘違いしているのか分かった気がする。だって、私、彼女に私のコトをまるで言っていなかったのだ。言わなきゃ伝わらないものがあるってコト、ここ数年、私の事を理解してくれている家族以外との会話が皆無だったから忘れていた。
「そうなんですか」
「ですとも」
「けれど、残念ですが私は貴方のように星について妄想なんてした事ありません。ですから、つまり、貴方の言う胸糞なんです、私」
「───」
「だって、私が生きていて、すぐ上に、気が遠くなるほどの光が浮かんでいた。辛かった私の生活にソレはずっと降り注いでいた。私にとっての星は、ただそれだけの存在。あるだけで、私の傷口に沁みてくるだけの辛辣な、けれど美しい輝き。意味なんて、ありませんよ」
───生きる意味というヤツが分からないように、私は星に意味を見出せない
私の隣にいてくれた、否、そう勘違いしていただけの人生だった。
「それに私なんかがアレを語っては、愛してはいけないのかもしれません。だって私、ダメな子ですから」
***
コツン!
私の隣を歩いていた白髪の女性は私の頭を叩いてくれた。それは痛くて、それでも優しい拳。
「まったく───ラクラータ。君はどうしてそんなにも後ろ向きなのかなぁ。もっと自信をもって生きなくちゃならんぞ?」
「でも私はやっぱり思い返してみてもダメな子なんです。たしかに、先ほど草原で”自分なりに星を愛してみよう”と考えたのです。けれど、やっぱり私は普通の子じゃないんです。惨めな女なんです。やっぱり私は異端的です。この多数意見にこんな歪が混じってはいけないんだよ!」
「ラクラータよ、次で三度目だぞ?同じ子供に一日三回も暴力振るわせるとか、お前の神経はどこまで気持ち悪いんだ」
「でも、でも」
「あーもう!」
───ガチンッ!!
「いたーい!!」
「まったく、どれだけ言えば分かってくれるんだか……」
「……ごめんなさい……」
「───なぜ体罰が旧時代の教育機関で蔓延っていたのか、理解できた気がする。うん」
なんか今、色々と怒られそうなコト言ってた気が……
「まったく、君?死にたくないんだってね」
「はい」
「だったらラクラータとしての生き方は矛盾している。君は崩れそうな世界の中、ただ星だけを頼りに生きていた。他の物を生きがいになぞせずに、星だけが心から大好きだと言えた。ラクラータの人生の意味、ここまでの事を考えればやっぱり星無しには成立しない。生きていたいなら星を愛せ」
「ですが、私のような子が、異端者が───」
「生きたいんだろ?だったら周りの目なんて気にするな。好きなものを好きだと言えばいいし、軽率に愛を語る輩を見つけたら犯罪と秩序のボーダーラインぎりぎりの範疇で相手を後悔させてみせたまえ。死ねないなら、死ねない理由に頼っちゃうしかないんだよユー」
呆れた、と彼女は私を慰めてくれる。けれど、やっぱり私は私に自信がもてない。彼女が言ってる事はごもっとも。私は人間なんだから当然生きる道理がある。…………でも、やっぱり自分に胸を張ることができないのである。
「浮かない顔しちゃって。まったくラクラータはマゾなのか?自傷癖でもあるのか?」
「それは違うよ!」
「!?」
「あの、そこまで驚かれるようなこと、言ってないかと」
「知ってる知ってる。でさ、そこまで自分に自信持てないんだったらせめて持てるようにしてやるよ、私が。じゃなきゃ君を私の家までついてこさせる筈ないじゃない」
「え?あぁ……どうりでまた街に戻ってきて……」
そんなコト、一言も説明されてなかった。
「だいたいさ、感想なんて人それぞれだろ……。価値観なんてそれぞれだろ。ラクラータの人生の所有権なんてラクラータにしかない。誰かに勝手に盗まれてたまるかって話じゃねーのかよ、人間なら。私はそんな窃盗話モノガタリが大嫌いだ」
「ぬす、まれる?」
「それぞれに色があって、それぞれに認められない世界がある。だから意見を言うンは自由だ。他人の自分に対する総評は嫌悪できる権利はあるけど嘘だと唾棄する自由は許されるべきじゃない。だからってその意見に埋もれて自分という人間が潰れちゃ馬鹿だろ?つまるところ、ふつー、自分の事は自分が一番愛せるんだから、自分で自分を救わなくちゃならない。
───ラクラータは人間に生まれたのだから、自分の命くらいは面倒みてやりなよ。
自分でも自分が分かっていない。けど、自分のことは自分が一番愛せる。だってのにそんなキミがラクラータを愛してあげないと、彼女は永遠に迷子のまま。
どんなに頑張ってもラクラータはラクラータになれないのかもしれない。それは、手を伸ばしても届かない星のように遠くってそれはもう遠くって残酷なお話。所詮私たちは誰もが誰もを分かっていない。それでもナニカを愛そうとする。そうじゃなきゃ、立っていられないから」
「…………………………」
「星とラクラータはとっくに結ばれている。じゃなきゃ彼女の人生はとうに終わっているのだ。キミはソイツらの所有権を有している。だからまずは、その事実だけはしっかりと理解してもらいたい」
「───」
「でもキミが弱い女の子だってのはしっかりとここまでの話を聞いて理解してきたつもりサ。だから、私はラクラータがラクラータでいられるような環境を提供してやろうって思ってたのさ。キミがラクラータらしく生きられるために。まだ語る物語を所有していない彼女のために。
……と、これ以上私は何も語らないぜ?だってこれ以上なにか言っても冗長で冗漫で空っぽなコトしか尽くせなくなるから」
私が、私として……生きるために…………
「それは、有難い話ですが、けれど、貴方が私に優しくする理由が分かりません。だって、私と貴方は違う人間じゃないですか」
自分のことは自分が一番かわいい。誰かを救えばそれだけで自分の世界を一番にできなくなる。自分を一番自分が愛せるらしい。なら、彼女の誘いは少し筋が歪んでいる。
「ン?単純なコトだよ。私は化け物だからね、君ら人間みたいに食べ物に飢えたりしない。お金なんて全然使ってこなかったし、数十人分の人生を幸せにできるくらいの財産を持っている」
「え?」
「言葉通りだよ。私はね、”星喰い”なんだ。あーでも安心してくれたまえ。私は星を喰うけれど、なにも噛み砕いで消滅させたりはしない。君ら人間は体の機能を維持するために、つまりは栄養をとるために物を食べるけれど、私は違う。精神的な飢えを癒すために星を喰らうのさ。だから腹に余分な脂肪も付かないし、星という存在に変化はない。喰らうといっても概念に命を与えないように殺しているのさ。美しすぎる娯楽ってのは喰らい尽くしてやらんと、すぐ蛇足が伸びる」
「????」
「終わらせる完結させることで星の意味が、誰にも所有権のないまま暴走しないようにしっかりと喰い殺してあげるのさ。だってそうだろ?一つ道を進み終えた輝きを、他の人間のエゴによって狂わせてはいけない。書き足してはいけない。上書きしてしまってはいけない。せめて一つの真実を冒涜してはいけない。どうかその生きた証は最後まで、永遠のその渦の中でさえ、誰にも渡してはいけない。じゃなきゃ、世界がやべーコトになるからよぉ」
「?????」
「ま、なんだ。自分の世界を自分で抱えきれるようになる事を、私は心から願っているんだよ。私だってマズい星は食べたくない」
「えーっと私もお星さまになるの?」
訳が分からなくなって私は意味不明な問いかけをする。
そしたらやっぱり「何言ってんだコイツ」と云わんばかりの表情で彼女は言った。
「そりゃ死んだ人間は星になるでしょ。よく聞く話だと思ったけれど」
「なるほど」
分からん。
いや、よくある話らしいけど。だからって、それだって根拠のない空想ゴトじゃないか。
「これが与太話かはさておいて。私はほんとにそんな理由でラクラータちゃんに自分を貫いてほしいと願っているのサ。これ以上は言いようがないんだ。だからまぁ、どうか勘弁してくれ、がっかりしてくれ。諦めて自分に自信をもってくれよ!」
「……、あーもうしかたがない、生きてやればいいんでしょ!!」
けど、まあ。ここまで私が生きていくのを願ってくれる変わり者がいるのはどうやら嘘じゃないらしく……。
私は都合よく、呆れて、折れることにしてあげた。
「そこまで願ってくれるんだったら生きてあげていいよ。でも、いくらお金があるからって私に財産をあげる訳じゃないでしょう?どうするの?」
「私のアトリエで雑用をこなしてくれればいい。後は自由に己を磨いてくれたまえよ。ラクラータは素材がいいんだから、服装整えたり風呂入って体を綺麗にすれば可愛い女の子になると思うぜ?」
「えぇ……アナタの目は節穴ですか」
「君、鏡で自分の顔見たコトないのかい?」
「そのくらいありますよ。手鏡、誕生日プレゼントの時に貰って、ソレを今も使ってます」
ほれ、と私は懐から例のピンクの手鏡を取り出す。すると、彼女は「見せてくれ」というジェスチャーをしてきたので、仕方がなく手鏡を手渡してやった。
「うわっ、きったねー」
「…………開口一番に言うことソレですか?」
ひどすぎ。
「これ、貰ってから数年は磨いてねーよな。うーん。ちちんぷいぷい!」
素っ頓狂な掛け声とともに彼女はハンカチを取り出して鏡の部分を丁寧にきゅっきゅと拭いてくれた。そのハンカチは虹色に発光していて不思議な代物だったけれど、綺麗だったからつい見惚れた。
「ほら、これで見てみな」
「───っ!」
手入れされた手鏡を顔の前に持ってきて、眺める。
すると、そこには。いつものような曇った顔なんかなくて、ちゃんとした、女の子が映っていた。
「───……っ!」
正直、意外だった。鏡に映る私は年々醜くなっていて、これは私が人間として落ちぶれたからなんだと今までそう結論付けていた。けど、実際ソレはただの勘違いだったらしい。あたりまえな話だ。物は手入れしていかないと徐々にホコリを被ってゆくものなんだから、私の顔がぼやけていくのが当然だ。
それにさえ気づけないくらい、私はネガティブ思考を拗らせていたのか……?
「今の君がソレには映っている。よく目に焼き付けておくがいい。そのルックスならちょいと髪を整えるなりしてやればきっと美しくなるよ。だから、まずは自分に自信をつけるために私が手助けしてやろう。ぞんぶんに、その汚れてしまった体を、自分の納得がいくまで磨き上げればいい。初回サービスってことで、今日から一週間くらいはタダで居候させてやろう。その間、しっかり体を休めるように」
「なりたい、自分……」
「君のこれまでの人生、鏡が曇っていたせいで自分のことさえ理解できていなかったのだろ。だから現実と虚構の狭間でズレたままの君をまずは矯正してやらんとスタートラインにすら立てない。ラクラータとして生きられない」
「愛せるような私───」
私のピンク色の薄汚れた髪の毛と、星喰いの神秘的な白髪を見比べる。
───もし、もしもの未来。私もこの髪の毛をしっかり手入れしてあげたら彼女程とまでは言わなくても綺麗な、それこそ自分に胸を自信を持てるだけの桃色になってくれるのだろうか。
春のような甘美な色彩を。
桃源郷のような神秘を。
秋の紅葉のように豊かな香りを。
よだれが垂れてしまいそうなほど、見惚れてしまうよな、魅力的な私に生まれ変われるんだろうか───
頭上で輝く星々を見上げてみると、彼ら彼女らは何も言ってはくれなかった。
これから歩いていく道は私が選択した可能性。
後ろ髪を引かれない、なんて嘘だけれど、それでも、生きたいという想いだけはどうしても嘘だと割り切れないのだから───
「うん、じゃあこれからよろしくね。名前も知らない誰かさん!」
誰のためとか関係なくって、
私のためとか知らなくって、
この人生は、
鏡に映った、
鏡の奥で寂しそうにしていた───女の子の─────
「気持っち悪いアナタのために生きていくわ!」
───生まれてしまったラクラータのためだけに───
λαχτάρα/輝かしい星のために 林檎飴 @KaZaNeMooN
★で称える
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