【短編】会津雪の推理観察

はたたがみ

会津雪の推理観察

 工具使ったのなんて技術の授業以来だ。DIY自分でやれよなんて趣味は無いから本屋でそっち関係の本も購入して猛勉強する羽目になったし、おまけに目的がバレないように別々の店で道具を購入する始末だ。世間は少しばかり首吊り自殺に厳しすぎやしないかと思う。まあ自殺志願者に世の中なんて、1億年後の思想を持ち合わせていない僕にとっては恐ろしさしか無いのだけど……ロマンティックな言い回しは得意ではないようだ。


 それはさておき僕は自殺した。では何故今こうしてナレーターみたいに振る舞えてるかというと……僕もよく分からない。

 正確に言えば認めたくない。生前オカルトを冷めた目で見ていた身(物理的なそれは失った)としては自分が幽霊になったなんて、そんなの認めたくない。しかしここで殻にこもってしまっては、かのガリレオ大先生を裁いてしまった昔の方々の過ちを繰り返すことになる。彼らよりは背の高い巨人の肩に乗ってる者の義務として僕は前に進むとしよう。だから宣言する。僕は幽霊になった。


 ……これからどうしよう。本当なら大家さんがびっくりしないように僕のご遺体をいい感じに処理したいのだが、生憎今の僕は物には触れない。地下鉄に行けば先輩幽霊のレッスンを受けられるかもしれないが仮定の話なのでそれは考えないものとする。

 でも他にやりたいことがあるかと言われると正直無い。幽霊となったもののこれといった未練は無いのだ。両親は僕が物心つく前に失踪してるし、お世話になった施設にもそこまで思い入れがあるわけではない。

 心の清い人間なので女湯を覗こうとも思ってない。万が一にも人がいたら修羅場になるのは目に見えてるし。あと僕の好みは年下なので年増の方がいたら非常に気まずいのだ。


「取り敢えずぶらぶらするか」


 玄関のドアをすり抜けて外出した。




 驚いたことに同志がいない。おかしいな。人ってそんなに死なないものだっけ?

 某推理漫画読んでると1日に何件かは殺人事件起きてそうなものだけど。近くに超有能な霊能力者でもいるのだろうか。もしも会えたら機嫌はとっておこう。強制的に祓われるのはなんか怖い。


 時は平日の午前中。生きてる人は見かけるけど、人通りはまばらで何か面白いイベントが起きているわけでもない。

 日頃の習慣から僕は本屋へ足を運んだ。生前休みの日に外出するとなったらそのくらいしか無かったのだ。


 お店の中はいつも通りグラスの中みたいに静かで、客が落ち着くような趣味のいい音楽が流れている。曲名は分からない。客の中に顔を知っている人なんて誰ひとりとしていないけど、彼らが概ねいつも通りの生活を送っていることだけは確かだろう。少なくとも身内で死人が出た人なんていないはずだ。

 自分だけが非日常であるという高揚感と、誰もそれを知らないという虚しさが同時に押し寄せてきた。


「せっかく来たんだし、少し見ていこうかな」


 今の僕は物を通り抜けられる。他の客とぶつかることも気にせずにいられる。まあそれでも無意識に避けて歩いてしまうけど。

 それともう1つ、試してみたいことがあった。たとえ物に触れなくても、本を読めるかということだ。方法は簡単。表紙に顔を埋めればいい。そうすれば本の上のページを透過してそこから先のページが読めるという寸法だ。表裏反対側のページが読みたい時は顔の向きを変えればいい。倒して置かれている本なら少し大変そうだけど、どうやら僕は浮いているようだから体勢ぐらいどうとでもなるだろう。


 新刊のコーナーで足を止めた。本棚に置かれた推理小説に目をつける。表紙の向きを確認し、ゆっくりと顔を近づける。やがて顔が埋まっていき……


「やめときなよ。上手くいかないから」


 変な格好で硬直した。


「あんただよ、

「ひぇっ⁉︎」


 今度は変な声が出た。と同時に本棚から顔を離した。


「それ試してる幽霊は前にも見た。透過してもページそのものに光が当たってないから暗くて何も読めないってさ」


 高校生ぐらいの少女だ。何かの本を立ち読みしていて、僕との会話中もこちらに視線は向かない。髪はショートで顔はかなり整っている。表情があったらどれだけの破壊力となるだろうか。制服の上から羽織られたパーカーと首にかけられたヘッドフォン。肌は白く、スカートの下から覗く足もスラリとしている。


「あのさ、視界の外でも視線は分かるから」

「うおゎっ、す、すいません……」


 本屋という場所故か声は小さい。おまけに抑揚が無くて、言葉が等速で歩いてくる。

 にしてもまじまじと見つめすぎてしまった。彼女が小説で今初めて登場したキャラクターなら僕の心の声だけで容姿が説明できてしまうに違いない。


 彼女がまた淡々と話し出す。


「その感じだとなったばかり?質問があるなら聞くけど。できるだけ簡潔に、少なくまとめて」


 僕は追いつくのに精一杯だった。


「あの、えっと、何から訊けばいいのやら……」

「私は会津あいづゆき。霊感がある。視えるってだけでお祓いとかはできない。あんたは?」


 対応があまりにも慣れている。きっとこれまでに何人もの幽霊と会ってきたのだろう。そんなことを考えながら僕も自己紹介をする。


土佐村とさむらめぐるです。幽霊やってます……?ついさっき死にました」

「あっそ。ずいぶん若いね。かといって病人には見えないし、事故?」

「あ、いえ……自殺です」

「ああ、そっちか」


 興味なさげに会津さんは納得した。


「あの、会津さんって一体……」

「視えるのは生まれつきだけど理由は知らない。特別な家系に生まれたとか呪いの類とかじゃなくて純粋な特異体質。多分ね。それであんたみたいなのとは昔からよく関わってる」

「は、はあ……」


 ゆっくりと説明を飲み込んでいく。別にそこまで突飛な話じゃない。現にこうして幽霊がいるんだし、彼女みたいに視える人間がいても不思議じゃないだろう。

 それにこれはラッキーだ。幽霊になってから何をするべきかさっぱりだったので、彼女に色々と教えてもらうこととしよう。


「あのう、僕ってこれからどうすれば」

「知らない。適当に過ごしてたら何かのきっかけで成仏できると思う。それ以上は私にも分からない」

「そうですか」

「それよりあんた大丈夫なの?」


 会津さんの口調が少し強くなった。


「うーん……特に具合が悪いとかは」

「違うよ馬鹿。体は大丈夫かって話。飛び降りか入水か割腹かは知らないけど、公共の場で死体が出たらかなり迷惑がられるよ」


 それは聞いたことがある。例えば線路に身を投げた場合、その人を跳ねた列車は勿論、かなりのダイヤが乱れることとなる。1時間に1、2本しか走っていない田舎でも大変な事態だ。都会のラッシュを直撃したらどれだけのお金が血塗れるだろうか。


「それなら大丈夫ですよ。ちゃんと自宅で慎ましく死んだので。家族や友人もいませんから誰も悲しみません」

「なるほど。事故物件が増えたわけだ」


 言われてみれば確かに。大家さんごめんなさい。家賃取り立てに来たときにあまりびっくりしないでいただけると幸いです。


「顔、罪悪感が分かりやすい」

「あ、バレちゃいましたか」

「そんなに心配ならいっぺん見てきなよ。どうせ時間はあるだろうし」

「そうですね。ありがとうございました」

「ん」


 不思議な少女から素っ気ない挨拶を受け取り、僕は穏やかな道を帰宅した。




 こいつは穏やかじゃないな。この世に受けた生を失って1、2時間、まさか自宅のマンションに立ち入り禁止のテープが貼られているとは。玄関先では大家さんが真っ青な顔で誰かと話している。多分警察だろう。恐れていた通り、大家さんびっくりさせちゃったな。


 取り敢えず家の中に入ってみた。犯人だって現場に戻るんだ。被害者(セルフ)の霊が戻ってきたって別にいいだろ。


「長州警部、お疲れ様です」

「おう。肥前、被害者と現場の状況は?」


 中年の男性が部下と思わしき若い男性に話しかけていた。前者は長州、後者は肥前というらしい。


「被害者は土佐村巡、20歳の大学生です。家賃をここ数ヶ月滞納してたらしく、マンションの大家が取り立てに来た際に遺体を発見したそうです。首を吊って死んでいたとか」


 肥前が情報を述べていく。うん、間違いない。にしてもこうやって第三者が自分の境遇話してるのって変な気分だな。勝手に語られることへの苛立ちというか。


「なるほど。自殺ってわけか。まだ若えのにな」


 うっさい。こっちだって色々あったんだ。どれだけこの先の未来に幸せの可能性があると言われたって、僕は僕の行動を全く後悔してないからな。

 そう悪態をついていたとき、また別の若い声がした。


「警部、ちょっと待ってください」


 まず1つ言わせてくれ。何故制服を着ている?いや、言わなくても分かる。あんたはどう見ても高校生だ。そう高校生。間違っても警察が仕事してるときに割り込んできていい人種じゃあない。


「おい薩摩ぁ、勝手に入ってくんなつったろがぁ」

「肥前刑事、今の情報は確かですね?」

「聞けや!」


 知り合いらしい。制服は少し着崩しており、会津さんとは大違いのキラキラしたオーラを放っている。これは学校でクラスの中心になるタイプの人間だろう。

 長州警部は怒鳴りつけているが、肥前刑事の方は映画のスターにでも会ったかのように目を輝かせている。


「はい、裏は取れてます。どうやら被害者は勤めていたバイト先をクビになり、家賃の支払いに苦しんでいたそうです」

「なるほど」


 薩摩と呼ばれた少年は何やら考え込む。よくドラマとかで探偵とかが考え事するときのポーズだ。顎に手を置くやつ。


「薩摩よぉ、こいつはどう見たって自殺だぜ?高校生探偵が首突っ込んでくる案件じゃねえんだよ。邪魔だからとっとと帰んな」


 高校生探偵って本当にいたのか。ていうかに首突っ込む探偵っていたのか。

 長州警部が野次を飛ばすこと10秒と少し、薩摩はハッとした様子で顔を上げた。


「警部、分かりましたよ」

「あぁん?」

!」


 …………不思議なことが起きた。首吊り自殺をしたところ、高校生探偵(らしい)人物に殺人事件と言われた。僕は彼が何を言ってるのかさっぱり分からない。

 待ってくれよ高校生探偵。これはどう見たって自殺だろ。あんたの言ってることは全部想像に過ぎない。証拠でもあるのか!


「殺しだとぉ?あのな、被害者はこの部屋で首吊ってたんだ。どう見たって自殺だろうがよ!」


 そうだ!もっと言ってやれ!


「いえ、それはおそらく犯人の偽装工作です」


 いえ、それは間違いなく僕のDIYです。


「肥前刑事、死因は窒息で合ってますか?」

「は、はい。鑑識もそう言ってます」

「なら絞殺でしょうね。首に引っ掻いたような跡は?」


 ああ、あれか。他人に首絞められると抵抗して首に引っ掻いた跡が出来るってやつ。


「いえ、ありませんでした」


 でしょうね。速攻で意識飛んだから。


「そうですか……」


 また考え込んでるよ。なあ探偵君、これで分かっただろ?僕は誰かに殺されたんじゃない。頼むからこれ以上勝手な憶測を並べるのはやめてくれ。

 そんな僕の願望はあっさりかき消された。


「分かったぞ!きっと犯人は睡眠薬で眠らせてから殺したんだ!」


 あくまでも殺すな。


「肥前刑事、この部屋に睡眠薬は?」

「……!ありました!被害者の寝室に!」

「やっぱりか。犯人はそれを使ったんだ」


 僕は不眠症だったんだ。


「ったく、さっきから聞いてりゃぶっとんだ推理聞かせやがって」


 長州警部がキレ始めている。いいぞその調子だ。なんかさっきから見てると肥前刑事は探偵の言いなりっぽい。今やあんただけが頼りだ。


「第一、死亡推定時刻の直前にこの部屋に誰かが出入りしたって目撃情報は無えんだ。どうやって殺すってんだよ」


 正論だ。そう、僕には交友関係が全くない。この部屋にやってくるのなんてそれこそ大家さんぐらいだ。これなら流石の探偵も認めるだろう。


「いえ、それには何かトリックがあるはずです」


 こいつ、強い⁉︎


「この事件は必ず俺が解決してみせる。名探偵と呼ばれた、親父の父方の祖母の従兄弟の孫の夫の弟の妻の兄の大学時代のルームメイトの妹の母方の曾祖父の名に賭けて!」


 その人物はかなり遠くて、もはや血縁関係すら失っていた。




 フラフラとした足取り(浮いてるけど)でマンションを後にした。そのまま街を彷徨う。

 これからどうすればいいのだろう。あの探偵気取りならどんな馬鹿げた推理を持ち出してくるか分からない。それが馬鹿げていると一蹴されたならまだいい。ただもしそれを信じる人がいたら、例えばあの肥前刑事みたいに彼を慕う者が警察の中に多くいれば、誰かが署までご同行願われてしまうかもしれない。それはいけない。すこぶるいけない。


 僕の人生は決していいことばかりじゃなかった。寧ろ他人に馬鹿にされ、除け者にされる毎日だった。でもだからこそ、せめてものプライドで首を吊ったんだ。極力人に迷惑のかからない方法を選んだんだ。大家さんは別だ。家賃の取り立てが強引すぎたから。

 そんな僕の死を、誰かを悲しませることに使うなんて認めない。止めなくちゃいけない。物には触れないし、には何も出来ない。だがなら出来るんじゃないか。僕はさっきの本屋へと向かった。




 いた。今度は違う本を読んでいた。しかし彼女は一体何をしているのだろう。今は平日の昼間だ。制服姿の彼女は本来、学校にいるべきではないのか。定時制かな?

 そんなことを考えつつ、僕は彼女に声をかけた。


「会津さん、助けてください!」


 会津さんは相変わらず本に目を向けたまま会話する。


「土佐村さんだっけ?どうしたのさ」

「警察が家に来てたんです」

「だろうね。死体があるんだから。それで?」

「殺しじゃないかって疑った人がいて、誰かに濡れ衣が着せられるかもしれないんです」

「……」

「ただ視えるだけのあなたを頼るのは無理があるのかもしれません。ですが……僕にはあなたしかいないんです。誰にも好かれない人生だったけど、だからといって僕のせいで誰かに迷惑はかけたくない。お願いします。力を貸してください!」


 深々と下げる。会津さんはどんな顔だろうか。心底迷惑に感じてるだろうか。僕を見て蔑むような目をしているのだろうか。美人な会津さんのことだ。それはそれで絵になるかもしれない。

 ぽん、と本が閉じられる音がする。棚に戻したのだろうか。ふいに、彼女の声が出現した。


「訊きたいことがある」


 恐る恐る顔を上げる。初めて彼女の正面向いた顔を見た。無表情だ。


「殺しだと疑ったのはどんなやつ?」

「え?ええっと……」


 予想外の質問に僕は一瞬言葉が出ない。そんな僕を催促するかのように会津さんが予測を述べた。


「もしかして、薩摩終二しゅうじ?」

「え……?」


 何故か当たっていた。いや待て落ち着け。彼は薩摩と言われていたが下の名前が終二とは限らない。


「確かに薩摩って呼ばれてましたけど」

「高校生探偵の?」

「そ、そうです」

「名探偵と呼ばれた、親父の父方の祖母の従兄弟の孫の夫の弟の妻の兄の大学時代のルームメイトの妹の母方の曾祖父の名に賭けてた?」

「……」


 これはもう確定だろう。


「どうやらそうみたいね。ったく、あの馬鹿が」

「あのう、お知り合いなんですか?」

「知り合いじゃない。一方的に知ってるだけ」


 会津さんは随分と疲れたような顔で答えた。


「ねえ土佐村さん、そいつが『ゴースト』って人のこと話してなかった?」

「ゴースト……ですか?」


 僕のことだろうか。まさか彼にも視えて……


「多分想像してるのとは違うよ。彼がライバルって思ってる。度々殺人事件に干渉しては、自殺や事故に見せかけて迷宮入りさせていく正体不明の人物。呼び名は彼の発案」

「まさかそれって」

「私だよ。私がゴースト」


 誇らしげには見えなかった。嫌々やっている。お願いだからあんまり弄らないでほしい。そう言っているようだった。


「土佐村さん、あんたは運がいいよ。不幸中の幸いって言うべきかな?

 その殺人事件、私が殺してあげる」


 そう宣言する会津さんは美しくて、まるで勝利を告げる女神のようだった。

 これが僕と会津さんの、虚像から生まれた殺人事件を消していく物語の、最初の1ページである。

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