彼女が友達じゃなくなった日

霜月このは

彼女が友達じゃなくなった日

 ひとつの照明もつけない、真っ暗な部屋で、私は仰向けに横たわっていた。

 何もする気がしない。否、するべきではないと思った。

 できることなら、このまま一生眠り続けてしまいたかった。


菜瑠なる。入るよ」

「いやだ。来ないで」


 私を心配した実璃みのりが声をかけてくる。

 私の髪は乱れて、気力がなくて何日も風呂に入っていない身体は、どう考えても不潔な状態で。だから実璃には、ただ見られたくなかった。


「なにか、食べなよ」


 私の言葉を無視して、実璃は強引にドアを開け、私の部屋に侵入してくる。

 勝手に私のベッドの横に座り、私の髪を撫でる。


「やめて。もう、嫌なの。全部……」


 実璃はちっとも悪くないのに。私の言葉は止まらなくて、彼女を拒絶しようとする。


「菜瑠……お願いだから」


 実璃の声は震えていて、涙声だった。わかっている。辛いのは私だけじゃない。


「実璃……もう、やだよ……」


 身体を起こす。そのまま強引に彼女の手を握った。

 実璃はまるで待っていたかのように、そんな私を抱きとめる。


「菜瑠は、悪くないよ」


 優しく優しく、ささやきながら。次第に強く抱きしめられる。

 身体がたまらなく熱くなる。こんなときだというのに、私の火照った身体は、実璃の体温を求めていた。


 たまらずに首筋に口づけると、実璃は私の唇を探ってくる。お返しのキスは今までのどんな男のよりも優しくて甘くて、脳が溶けてしまいそうだった。


 



 一昨日の夜、私の彼氏の純平じゅんぺいが死んだ。バイクで居眠り運転をして、ガードレールに自分から突っ込んだのだ。


 純平は会社員の他に、夜はピザ屋の配達バイトをしていた。金遣いの荒い私のせいで、純平はいつも寝不足だった。


 だから、純平を殺したのは私なのだと思う。



 その日はバレンタインデーの前日だった。私は純平に内緒で、彼にあげるためのチョコ菓子を、親友の実璃と一緒に作っていた。


 私たちは三人でルームシェアをしていた。

 遅くなっても純平が帰ってこないものだから、落ち着かなくて心配で、実璃の部屋で二人で眠った。


 純平が亡くなっていたことを、私たちは翌朝のニュースで知った。

 それからまもなくして、警察官が二人で来て、私と実璃に話を聞いてきた。


 目の前が真っ暗になって、私はその後のことをよく覚えていない。

 多分、過呼吸かなんかで倒れたんだと思う。



 付き合っていたのに、私は純平の親の連絡先も知らず、純平の親は私の存在すら知らず、私と純平の関係を示すものは、この世になにひとつなかった。


 私は何もできなくなった。後悔してももう遅いことはわかっている。私の反省はもう意味を持たない。純平はもう帰ってこない。


 暗い部屋でひとり、絶望に浸っていた。



 そんな私を、実璃は強引に、それでいて優しくこじあけたのだ。とろけるように甘い唇で。



 実璃の唇は、次第に私の身体の上を滑り降りていく。自然と指も這わされ、下腹部にまで到達した。


 身体がびくりと跳ね、お腹の底が熱くなる。子宮がきゅっと収縮するような、女として致し方のない反応。


 じんわりと底が濡れる。そっと口付けられて、羞恥で顔が熱くなる。


「実璃……恥ずかしいよ」

「じゃあ、やめる?」


 意地悪な言葉が苦しくて、私は唇を噛む。


「やだ……やめないで。……壊して……お願い」


 そんな言葉が勝手に出てくる。

 だけど、実璃は言う。


「駄目。……菜瑠を壊したりなんかしないよ。だって……」


 その言葉の続きを聞くのが怖くて、私は実璃の唇をふさぐ。

 実璃もそれに反応して、唇の奥の、私の舌を絡め取ってゆく。

 甘い口付けが、また私の頭の中をドロドロにしていく。



 私と実璃の関係は、なんなのだろう。

 ずっと考えないようにしていた。



 実璃は同じ大学の同期で、専攻も一緒で、同じシェアハウスで、一緒に暮らしていた。

 出会ってほどなくして親友になって、いつも一緒にいて、いろんな話をした。


 親に言えないことも、彼氏に言えないことも。実璃には全部話していた。


 私はいつも彼氏をとっかえひっかえしていたから、同期の他の女達にはなんとなく嫌われていたけれど、実璃はそんなこと全く気にせずに、そばにいてくれた。


 私はダメ女だから、男とみればすぐに誘惑したくなるし、誘惑して落ちてくれたら、すぐに身体の関係を持つ。


 そうしていれば、他の嫌なことはなんでも忘れていられるから。

 そうしないと息が出来ないから。


 私は適当に男を誘惑して、やることをやる。

 簡単に依存して、性に溺れる。

 それでいて、相手の束縛がきつくなるころには、嫌になって放り出す。

 それの繰り返しだった。


 大学時代、純平に出会った時に、この子なら私と一緒にダメになってくれるかなって思った。


 だけど実際はそんなことはなくて。純平は思ったよりもしっかりした子だったから、逆に私の方が、彼にのめり込んでしまった。


 純平の、そういうところは、実璃に似ていた。


 だから、好きになったのかもしれない。



 私は、多分、バイセクシャルというやつなんだと思う。それも、世間から嫌われるタイプの。彼氏も彼女も、どっちも欲しい、みたいなタイプ。


 だけど、実際にそういう行動をとったことはない。わがままな私だけど、同時に複数の恋人を持つことで相手を傷つけるのは嫌だった。


 でも実際のところ、私は実璃のことを、実質的に恋人扱いしてしまっていたように思う。


 たとえば、クリスマスや、自分の誕生日。

 私が一緒に過ごしたいと思う相手は、まず一番に実璃だった。


 それは明らかに、ただの熱い友情を越えたものだったと思う。だけどそれを実璃に伝えるのはどうしても嫌だった。


 だらしない私。わがままな私。

 友達として以上に、恋人の前では、醜い自分の素顔が露わになる。私のそういう姿をみたら、きっと実璃は私のことを嫌いになるだろう。失望するだろう。


 それで離れてしまうくらいなら、初めから友達のままがいい。

 友達のまま、永遠に私のそばにいてほしい。


 そう願う心が、私のまわりに歪な関係を生んだ。


 私が実璃を何より優先することに対して、歴代彼氏から出た苦情は、一度や二度ではない。それはそうだと思う。クリスマスも誕生日も、ただの女友達にとられて、彼らがおもしろくないと思うのもわかる。


 だけど、私はそういう文句を言われる度に、面倒になって、彼らと別れることを選んできた。


 実璃は、知らない。


 私は実璃を優先するために、どれだけの男たちと喧嘩をして、どれだけの関係を解消してきたのか。


 鈍い実璃は、それらを全部、私が飽きっぽくてわがままなせいだと思っているけど。わがままなのは否定しないけど、ほんとうは飽きっぽくなんかない。


 実璃に出会ってから今までずっと、飽きもせずそばにいて。飽きもせず好きでいるんだから。


 純平と付き合いだしてからも、実璃との関係は変わらなかった。


 純平は優しい子だったから、私が卒業後も実璃と一緒にいたいと言ったら、三人でルームシェアしようって言ってくれた。


 実璃は「お邪魔虫になりたくないし、遠慮する」って言ったけど、私が強引に口説き落として、三人で暮らすことにした。


 食費とか生活費の類は、最初は学生の純平の分を、私と実璃がサービスして多めに払ってあげていたけど、純平が就職して、私と結婚したいと言い出してからは、純平と私のお財布が一緒になった。


 公務員の実璃は、定時退社できることが多いから、家事を結構やってくれていて。

 エンジニアの私は、普段は残業が多いことを言い訳に何もしなくて、プロジェクト終わりに、まとめてどーん!とふたりに美味しい食べ物をおごることで、いろいろごまかしていた。


 楽しかった。三人の生活は。

 私の大好きな純平と、私の大好きな実璃と。

 大好きな二人がいてくれるなら、他になにもいらなかった。


 でも、そう思っていたのは、もしかしたら、私だけだったのかもしれない。


 端から見たら、バカップルに付き合わされているだけのように見える実璃。


 私は、実璃が同性愛者だということを知っていた。


「女の子には全然モテないんだよね」なんて言うのは建前だけで、しっかり魅力的な実璃が、そのくせにちっとも彼女をつくる気配がないのは、私のせいだと思っていた。


 実璃は、私のことを好きなんだと、思っていた。


 だから、余計に、私は。


 実璃に自分の想いを伝えるのが怖かった。付き合うのが怖かった。付き合って失望されるのが、怖かった。離れて他人になってしまうのが怖かった。


 酷いことをしてるってわかってたけど。どうしたらいいかわからなかった。


 実璃のことを好きすぎて、私は、どうしたらいいかわからなかったんだ。




 実璃の指先が私の奥をくすぐる。たまらなくなって身をよじるも、容赦してくれない。

 まるで、今までのことを責めるかのように、執拗に。それでいて私を包み込むように、優しく。


 実璃は私を抱いた。


 それは多分、私がずっと心の奥底で求めていたこと。




「菜瑠……だいじょうぶ?」

「……うん」


 真っ白になった頭を落ち着かせつつ、呼吸を整える。

 実璃が優しく私の髪を撫でてくれている。


「実璃……私……」


 いまだ快楽の渦の中にいながらも、少しだけ冷静になった心が、私の目に涙を溢れさせる。


「ごめんね」


 私が何か言うより先に、実璃はそんな言葉を発する。


「菜瑠が傷ついてるときに、こんなときに、こんなことして、ごめん」

「……謝らないでよ」


 涙声のまま、なんとか言葉を出す。


「実璃が悪いんじゃないから。……私が、してほしかったから。だから、こうなったのは、私のせい」

「菜瑠……」


 実璃は黙って私を見つめる。


「純平の代わりにしたんじゃないから……そういうんじゃないから。信じてもらえないかもしれないけど。私は、ずっと、実璃のことが、好きで……ずっと一緒にいて欲しい……離れたくない」


 言葉は、一回口にしたらもう、止まらなかった。


「実璃が、いいの……他の人じゃ、だめなの……好きだから、離れたくなくて、嫌われたくなくて、ずっと一緒にいて欲しくて、永遠にずっと、私だけの実璃でいてほしくて、それで……」


 わがままな言葉ばかり、溢れた。もう、終わりだ。

 これで実璃に引かれて、私はひとりぼっちになるんだ。

 そうなったら、どこかで、ひとりで死んでしまえばいい。

 そんなことすら、思った。


「恋人になんか、ならなくてよくて……いつか別れるくらいなら、付き合いたくなんかないから……実璃、ごめん……私もう、無理……純平もいなくなって、実璃もいつかいなくなるなんて、そんなの耐えられない……耐えられないんだよぉ……」


 涙をぼろぼろ溢しながら、泣きわめく。

 

 実璃はただ黙って私の言葉を聞いていて。

 ひととおり聞き終わった後に、私の肩にポン、と手を乗せて言った。


「……うん。ぜんぶ、知ってた」


 実璃の声も震えていた。


 言葉にならないうめき声をあげて、私は実璃に抱きつく。子供みたいにワンワン泣いた。


「ずっと菜瑠のそばにいるよ」


 実璃は耳元で、優しくそう言う。


「……ほんとに? ずっと?」

「ずっと」


 そう言って、また私の髪を撫でる。


「私がおばあちゃんになっても? しわしわになっても?」

「……その先も。骨になっても、灰になっても。生まれ変わっても、ずっとそばにいるから」


 これ以上、反論は許さないとばかりに、口づけられる。


「愛してる」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったまま、私たちはまた、布団になだれこんだ。


「私も」


 時間も空間も、身体も心も、なにもかもがどうでもよくなったその日、私の親友は、誰よりも愛しい、永遠のパートナーになった。


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