麻薬にしますか 人間にしますか

すどう零

第1話 洋食店‘かまど’で出会ったヤバい実年女性

 天気予報では、今日は一日中、曇りのはずだった。

 しかし、予報は外れ、夕方、突然降り出したにわか雨に、雨宿りするつもりで入ったチェーン店の洋食店‘かまど’

 午後四時だけあって、店内はまばらである。

 初めて入る店で、オムライスを頼んだ。


 オムライス四百円、庶民の味方のリーズナブル価格。

 しかし、そうコクがあるといった味でもなく、スーパーで買うのと同じような味である。

 ただ、デミグラスソースが上に少し乗っているのが、洒落た感じがした。


 私、佐伯 実緒。調理師学校を卒業したばかりの二十歳。

 高校を卒業してすぐ調理師学校に通い、免許は取得したが、就職の方はなんと給食会社の内定取り消し。

 まあ、現在の不況の世の中、飲食店がいちばん打撃を受けるが、第一、調理師という仕事は、二十五歳以下の男子以外は、ほとんど就職がないことを知らされていた。

 特に女子に関しては、ほとんど絶望的らしい。

 これじゃあ、なんの為に高い授業料を払ったのかわからない。

 私は、なんとしてでも就職しなければならない。

 実緒は、父が脳出血で倒れて、現在は母と二人暮らしである。

 現在父は入院中だが、ひょっとして、退院しても認知症になるかもしれないと、医者からは言われている。


 ふと、壁を見ると‘飲食店かまど アルバイト募集’の貼り紙が目についた。

 もしこうなったら、選択したり考慮したりする余地はない。

 ひょっとして、これって神がくれたチャンスなのかも・・・

 実緒は、カウンター越しの、少し太った中年男性に応募する意思を伝えた。


 奥のテーブルに案内され、店長らしき男性が向かいに座った。

「この仕事は、力仕事などあり、体力を必要とします。大丈夫ですか?」

 いきなりそう突っ込まれても、返事にとまどうばかりだが、躊躇しているヒマはない。

「はい」と無理やりにでも、肯定的な返事をした。

「長期募集となりますが、辞めていく人が多いです。とりあえず、ここに必要事項を記入して下さい。かまどは今、一か月契約になりますが、更新することは可能です」

 実緒は、目の前に置かれた履歴書に記入を始めた。


「おはようございます」

 初日、実緒はさっそくロッカー室で挨拶したが、みな、知らんふり。

 なんだか、暗いよどんだような空気が漂っている。

 実緒は、今までのOLの経験もあるが、こんな空気は初めてだ。

 ひょっとして、この店‘やばい店’? 陰ではアウトローが牛耳っているとか・・・

とすると、この店はフロント企業の小型版というところか?


 なんとなくやばい予感。

 実緒がそんな途方もない想像を、思いめぐらしてると、一人の中年女性が声をかけてきた。

「ねえ、あんたはさ、どうしてこの店に入店したのですか?」

「いや、ただ応募の貼り紙を見て、応募しただけですが」

 その四十歳過ぎくらいの女性は、ため息をついた。

 なんとなく、大変なところに紛れ込んだのではないかという悪い予感がした。


「ああ、言い遅れちゃったね。私は、海田というの。一応この店で半年間勤務している古株。わからないところがあったら、遠慮なく聞いてちょうだいね」

 最初の印象よりは、親切な女性だ。

「申し遅れました。私は佐伯 実緒と申します。よろしくお願いします」

 人間 初対面の挨拶が肝心。実緒は深々と頭を下げた。

 海田は、にやりと冷ややかな笑いを浮かべながら

「佐伯さん、たぶんあなたは新人だから、あの女と組まされる、いや力仕事の尻ぬぐいをさせられるのがオチね」

 えっ、あの女とは誰のこと? 力仕事の尻ぬぐいをさせられる?

 実緒は、さっぱり意味がわからず、ただポカンとしていた。


 営業時間一時間前になり、朝礼が始まった。

 店長から「紹介します。今日から勤務することになった、佐伯 実緒さん。指導教育してやって下さいね」

「佐伯と申します。一生懸命働きますので、よろしく御指導のほど、願います」

 ふと、忍び笑いがでた。

 面接の時点から、辞めていく人が多いという話は聞かされていたが、よほどおかしなことでも、強要されるのだろうか?


 この‘かまど’は、単なリーズナブルな洋食屋だよね。

 まさか、系列店に風俗営業があって、その隠れ蓑になってるなんてことはある筈ないよね。一応は、テレビCMにも出演している有名外食チェーン店の筈。

 そんな危惧感を抱いている実緒の耳に、バターンという乱暴にドアを閉める音が聞こえた。

 見ると、そこには赤いジャンパーにデニムパンツ姿、髪をひっつめた五十歳近い中年いや実年に近い、どことなくくたびれたような女性が入っていた。

 一瞬、シーンと沈黙が流れた。


 それにしても上品とは言い難い、冴えない容姿の女性である。

 しかし、実緒の方から元気よく挨拶した。

「今日から入店いたしました佐伯 実緒といいます。よろしくお願いします」

 するとそのくたびれた女性は、そばにあった小さなプラスチック製の箱を、両手に持ち上げ、振り上げるポーズを始めた。

「あんた今、はいと言ったなあ」

「はい」

 急にその中年女は目を吊り上げて、しかし半分は呆けたような口を開けて言った。

「あんたのはいーは、人の心を傷つけるのよ。今度、私の前ではいーと言ってみ」

 実緒は、返す言葉もなく、目を丸くして中年女の顔をまじまじと見つめた。

「うちがあんたに、手をかけないと思っているのか」

 なんだ、この女、頭がおかしいのではないか、精神障害というよりは、もしかして覚醒剤中毒?

 実緒は、二年前に電車の中で絡まれた、一目で麻薬中毒とわかる女を思い出した。

 

 

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