第3話 逃亡と追走

一方、逃げたトラックの中では、ユリエが泣きながら研三に話をしていた。

「研三、もうこんなことやめよう」

「ああ、そうだな。 悪かったな。 こんなことお前にさせて。 俺も

待っている間ずっと心配だったよ」

「文夫さんが良い人だったから良かったけど、あんな人ばかりとは限らないわ」

「ああ、確かに危ないよな」

文夫は、ユリエをチラチラとみながらトラックを運転していた。

「追ってくるかな? 何処に向かってるの?」もう涙は流していないユリエが尋ねた。

「郵便局長がダッチワイフを買ってお金を騙し取られたなんて世間には言えないから警察には通報しないだろうし、追いかけて来る様子もなかったな。 もし追いかけて来たとしても南に向かってるから追い付かれないと思うよ」

「南に?」

「ああ、いったん南に向かってそれから西の方の天草島へと向おうと思う。 ぼくらは、大阪から来たと思ってるから追いかけたとしても北へ向かうと思うよ」

やがてふたりの乗ったトラックは、国道3号線を右に折れ、天草へと向かう道に入った。 辺りはすっかり暗くなり、家も段々まばらになって、益々暗く、車の中からも星が見えるほどになってきた。

ユリエが研三に 「文夫さんは、どうなるの? 私のこと気に入ってくれてたし、良い人だったのに。 お金まで騙し取られちゃって、可哀想だわ」

「そうだな。 彼も何も得なかったわけではないと思うよ。 今日、お前と会ったし、ダッチワイフに頼ろうとしていた生活が変わるかもしれない。 お前に惚れたとしたら、きっとお前を捜し始めるだろう。 お前のことは、捜し出せないかもしれないがそれをすること、行動することが彼にとって大事なんだ。 きっと今日をきっかけに行動してくれるだろう。 そう願っている」

「お金はどうするの? このままじゃ私たち犯罪者になっちゃうんじゃない?」

「お金は返す事にした。 明日振り込んでおくよ。 やっぱりこんなことはしてはいけない。 そう俺も反省したよ」

「良かったぁ。研三も良い人で」

そんな話をしながら三〇分も走っただろうか、今度は、暗い海が右手に見えてきた。遠くの対岸に見える灯りは、雲仙、島原の光である。 そう、ここは、有明海、恋人たちも車を走らすドライブコースである。 研三は、海に面した道路沿いの展望所にトラックを入れた。

二、三台恋人たちと思える車が停めてある中、やや不釣合いなトラックを停めてふたりとも車を降りた。 奥の方には二つのカップルも海を眺めてるようだ。 研三とユリエもまるで恋人同士のように暗い海と透きとおるような星空を眺めた。


しばらくお互い黙って、ただ眺めていたが、やがて、研三が話し始めた。

「ここ、昔、妻と来たことがあるんだ」

「そうなんだ。奥さんどこに行ったんだろうね?」

「そうだな、帰ってこないな」

「私のせいで奥さん出て行ったの?」

「そうじゃないさ。 お前は何も悪くない。 でも思い出すなあ、この潮風に当たると。帰って来てくれないかなあ」

「愛してたのね。奥さんのこと」

「ああ、でもお前も愛してる。 俺には、どちらも捨てられないよ」

「分かった、分かったから」

ユリエは、もう聞き飽きたとばかりに話をさえぎって研三に改めて

「私には潮風は良くないからもうトラックのケースに戻って充電するね。」

ユリエは、そう言うと薄暗い中をすいすいとトラックまで歩いて行き、荷台のホロを開けて縦に並ぶケースの117と書いてある方に横たわって半透明のフタを閉めた。もう一つのケースにも116モデルのダッチワイフが横たわっていた。 研三は、その後も海と空を眺めた。


一方、ユリエに逃げられた文夫は、警察に届けようにも届けられず、しばらく茫然としていたがやっぱり追いかけようと思いたった。 だが、文夫のいつもの癖で戸締りをしっかり二度確認したので愛車レガシィで追いかけ始めたのは既にユリエ達が逃げてから一〇分後だった。

―― くそーっ、どこ行ったんだ。 ユリエ可愛いかったのに。 絶対捕まえてやる。 文夫は、だんだん必死になっていた。 犯人を捕まえるという感覚でなくて、男と逃げた彼女を捕まえてやるっていう感じだった。

―― そうか、関西から来たと行っていたな。

文夫は、高速道路の熊本インターへ向けてハンドルをきった。

インターまでの道のりは、片側二車線のバイパスが走っていて比較的スムーズに進んだ。 周りの車をキョロキョロ見ながら

―― こんなにすいてたらもう高速乗ってるなあ。もう、北熊本サービスエリア辺りかあ? そこでトイレ休憩でもしててくれ。と心の中で願った。 文夫には、ユリエが昼前から夜になるまで文夫の家で一回もトイレに行っていないという微かな根拠もあったのだ。


文夫の車は、熊本インターのETCゲートを通り過ぎると登りのカーブから一気に加速し本線に合流した。 速度は、時速130キロ、それ以上は、もしレーダで捕まった時、免許停止になってしまう。 郵便局長という地位にある者として無茶は出来ない。 ここは冷静に追いかけた。 白いトラックを追い抜く度に横から運転席、助手席を確認したが見当たらないし、白い2トントラック自体少なかった。

ほどなくして、北熊本サービスエリアに着いて駐車場内を車で回ったがここにも白い2トントラック自体が少なかったし、ユリエたちを見つけることは出来なかった。

慌てて、そこを出た文夫は、そこから先のサービスエリアを同じように見回り、いないと分かるとまた130キロで次のサービスエリアへというパターンで、ついに九州と本州のつなぎ目、めかり公園パーキングエリアまでやって来ていた。

―― あぁあ、こんな所まで来ちゃったよ。 もう広島あたりまで行ってるのかなあ?

文夫は、車を降り、関門海峡と関門橋を眺めた。関門橋には、高速道路を走る車のライトが行き交っている。 航海の難所でもある関門海峡にもたくさんの大小の船が灯りをつけて航行している。 対岸は、下関のまばゆいばかりの灯り。 左奥の方にも小倉の明るい灯り。そう、ユリエと研三が静かな暗い有明海と遠く島原半島の淡い灯りを恋人同士みたいに眺めていた頃、文夫は、夜にしては、明るすぎる海と忙しなく行き交う車と船をひとりで観ていた。 そして、今日はもう遅い。 明日は、仕事だ。 ここで引き返そう。 でもきっとユリエを見つけ出してぼくが幸せにしてやる。 そう心に誓った。

翌朝、文夫は、いつもの通り郵便局へ出勤し、局員に向って朝礼をしていた。 みんなに仕事を頑張るようにと言いながらも自分はユリエ捜しを頑張ろうと密かに思っていた。


また一方、その頃、ユリエがケースに横たわってから何時間たったのかトラックの運転席で研三が目を覚ました。 辺りはもうすっかり明るくなり、お陽様は海を青く輝かせていた。

―― ああ、寝過ぎたかな?

研三は、再びトラックを走らせ、天草へと向かった。いくつかの橋を渡った途中の島の喫茶店で、朝食でも取ろうと看板のある方の脇道にそれた。 すると、道幅はどんどん狭くなり、山の中へと入って行った。しかし、看板にあった喫茶店はなく、間違えたかと思ったが、Uターンする場所もなかったので山を通り抜け、海の堤防に突きあたった。 そこは、島の裏側で対岸には、天草上島本島の港、フェリー乗り場があるとても静かで綺麗な海に面していた。 研三は、そこにあった広場にトラックを停めた。 辺りを歩いてみるとレンガ色で艶のある瓦と、白い塗り壁の「アージョ」と小さな看板のかかったカフェがあった。11時〜とあったが、腹が減った研三は、だめもとで民家を改造したと思える外階段を昇ってカフェの入り口をたたいた。

「すみません、すみません」

中から、色白ですらっとした中年美人がニコニコしながらドアを開けた。

「すみません、まだ開いてないんでしょうが、何か食べさせてもらえませんか? 昨日から何も食べてなくて倒れそうなんです」

「うちは11時からですが昼のメニューと同じで良かったらご用意出来ますよ。 どうぞ、どうぞ。 お入りください」

店の中は木の床と白い壁、海側には、小さめの窓がふたつ開いて、波の静かな海が見えた。研三は窓側に座り、その海の船の行き来を眺めていた。

しばらくして、ランチの予定だった料理が出され、研三はそれを美味しく頂いた。お腹が満たされ落ち着いたのか、研三はまるで中学の同窓生にでも会ってるかと錯覚してしまいそうなくらい、人なつっこい、ここの中年美人女性に何故かいろんなことを話しだした。

自分が、超ダッチワイフの開発をやっていて、仕事のためとはいえ、開発中のダッチワイフ、ユリエと自宅でセックスしているところを妻に見られた。 妻は、何も言わず、行方不明になったことや妻をまだ愛していること、今でも妻を捜していること、ユリエのことも愛しているかもしれないことなどを話した。 そして、コーヒーをもって来ながら今度は、カフェの女性が話しだした。「あなたや奥さんが好きだった花って何?」

「そうだな、ぼくは、チューリップが好きなんですけどね」

「奥さんも?」

「どうかなあ? ぼくが好きだったってことは知ってると思うけど」

「そうか、だったらあなたもカフェをつくればいいわ。 チューリップで有名なカフェをあなたたちが住んでいた近くにつくるのよ。きっといつか奥さんが現れるわよ」

「それは、いいアイディアですね。 どうせ会社も辞めちゃったし、丁度いいかもしれないなあ。ユリエにも手伝わせればいいし」

「やっぱり男は欲張りね」カフェの女性はやや呆れ顏で言った。

そして、研三は、少し元気になったような気がして、来た道を引き返し、その日のうちに高速に乗って関西方面へと帰って行った。


一方、熊本市内の郵便局で仕事をしていた文夫は、仕事をしながらでもユリエの顔が何辺も頭の中をよぎり、フワフワした状態になっていた。

――絶対捜しに行くぞ。 週末大阪へ行こう。 先ずはスウェック社だ。

会社へ行くなら土曜日の方がいいな。

文夫は、土曜日に休日出勤するのをキャンセルし、新幹線の朝一番、上りのサクラを予約した。 日曜日は、仕事なので、日帰りの予定だ。 ここ数年、土日とも休めたのは、数回しかない。 文夫は、長期戦になることも想定して、仕事に負担をかけないよう設定していた。

朝6時の新幹線に乗ると9時半には新大阪に着いてしまう。


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