第247話 どうしても通す

 フィルを抱いた姿勢で、月夜はソファに座っている。隣にはルーシがいた。彼は今は何も話していない。月夜も何も話さなかった。口を開くことで、人は世界にアクセスする。世界とは他者を含んだ空間のことだ。


 何か食べるかと尋ねてみたが、ルーシは何も食べないみたいだった。物の怪にはその傾向がある。フィルもときどきものを食べるが、食べなくても問題はない。月夜は物の怪ではないので、まったく食べないと問題だが、それでもあまり食べない。けれど、少し前にきっかけがあって、それから毎日朝ご飯を食べるようになった。


 今は朝だから、朝ご飯を食べる必要がある。必要がある、と考えている時点で、まだその習慣に馴染んでいないことが分かる。


 適当にご飯をよそってきて、一人で食べた。隣に座るルーシが不思議そうに見ていた。不思議そうに見られたから、月夜も不思議そうに見返したが、特に何も起こらなかった。


「まだ、痛む?」


 口の中のご飯を飲み込んでから、月夜はルーシに質問した。飲み込んだそれが胃袋へと入っていく様は、あまり上手く想像できない。見たことがないからだ。


「何が?」


「腕」


「痛くはない」


「直りそう?」


「分からない」


 月夜の膝の上で丸くなっていたフィルが、小さく息を漏らしたのが分かった。彼は、今のところ、ルーシに対してあまり良い感情を抱いていないらしい。しかし、フィルにその種の感情の発生源があるのか、そもそも怪しい。彼はどちらかというと冷静沈着な方だ。理性的な判断を好むし、そうでなくても、取り乱すことは好まない。


「たぶん、また狙われる」箸で白米を摘まんで、月夜は言った。「暫く、ここにいた方がいい」


「ここ、というのは、君の家?」


「そう」


「ここは、安全なの?」


「私がやめろと言えば、おそらく、ルンルンはその場では攻撃しない。説得できる余地が生まれる」


「なぜ、説得する必要がある?」


「怪我をしてほしくないから」


「僕が怪我をしようと、関係ないのでは?」


「直接的には関係はないが、間接的には関係がある、といえる」


「どうして?」


「何らかの心理的ダメージが予想される」


「心理とは?」


 月夜はルーシの顔を見る。彼は相変わらず茫洋とした眼差しでこちらを見ていた。何を考えているのか分からない。いや、何を考えているのか予想するのさえ難しい。


「分からないけど、歪みが生じると痛むもの」月夜は答えた。「痛むのは仕方のないことだけど、できるなら、痛まない方がいいと思う。それは、私の心も、貴方の身体も」

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