第208話 紫光影
午後の気怠げな時間が過ぎ去って、気がつくと夜になっていた。
月夜は教室の机に突っ伏して、眠っていた。もちろん、彼女自身は眠っているので、夜になったことに気がついたのは、彼女ではないということになる。では、誰なのかと考え出すと、話がややこしい方向に向かわざるをえないので、ここでその点について言及する必要はないだろう。
教室の扉がぎこちなく開き、扉とレールが擦れて音が響く。その影響で月夜の意識は現実へと上り、閉じていた目を開いた。
机にへばりつくように広がっていた髪を持ち上げて、片方の手で目を擦りながら顔を上げる。自然と欠伸が出た。出そうと思って出すこともできるので、自然発生的か否かを外部から判定するのは難しい。
教室の入り口に視線を向けると、黄色い瞳が二つ暗闇に浮いていた。確認するまでもなく、それが黒猫のフィルだと分かった。黒猫の、という言い方をすると、あたかも他人のようなニュアンスが生じるが、彼は月夜にとって他人ではない。では何なのかと訊かれても、上手く答えられる自信はないのだが。
「お前が眠りこけるなんて、珍しいな」
暗い教室に、同じく暗い声が響き渡る。前者の暗いは光について述べているが、後者の暗いは音について述べている。
「こけてはいない、と思う」月夜は応じる。「フィルが、教室の入り口から入ってくるのも、珍しい」
「窓を叩いたが、返事がなかったからな」
「昇降口は開いていたの?」
「開いていなくても、侵入なんて容易いものさ」
フィルは月夜の傍まで来ると、彼女の机の上に飛び乗った。彼女の机、といっても、机は彼女の身体の一部として機能しているわけではない。しかし、これが衣服や装飾品の類になると、強ちそうとは言い切れなくなる。
フィルは机の上で行儀良く座ると、月夜をじっと見つめる。
「何?」月夜は首を傾げて問う。
「お前は、平気そうだな」フィルがコメントした。
「何が?」
「気分が」
フィルに言われたことが正しいか、月夜は内省する。
「そうかもしれない」
「その回答では、内省した意味がないな」
なんとなく、思いつきで、月夜は目の前に座る黒猫を抱き締めた。今はブレザーを着ていないから、彼の感触がよく肌に伝わった。温かくもあるし、冷たいような気もする。彼も同じように感じているだろうか。
「今日は帰らないのか?」
「今日は、帰るものなの?」
「元気そうで何よりだ」
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