第9章

第81話 内外反転

 朝起きるとフィルがいなかった。どこかに散歩に出かけたのかもしれない。布団に不自然にスペースが空いていて、だから少し寒かった。着替えを済ませて机の前に座り、ノートと参考書を開いて勉強を始める。


 最近、どうして勉強するのかということについて、月夜は考えていた。大抵の場合、どうしてという問いを立てても、明確な答えが得られることはないし、問うている当人にもそのようなものを得たいという心づもりはない。ただ、そういうふうに問うところから始める以外にないというだけだ。あるいは、反語的な意味で言う人もいるかもしれない。勉強しなくても良い、したくないといった結論を導くために、どうしてと問うのだ。


 なんとなく、ヨーグルトが食べたくなって、月夜はリビングに向かった。少し冷えた階段を下り、洗面所で顔を洗う。給湯器の電源が入っていないから、水はそこそこ冷たかった。リビングに入り、隣接するキッチンにある冷蔵庫を開けて、パックに入ったヨーグルトを適量器の中に移した。


 ソファに座る。


 一般的な解釈としては、人間以外の動物は勉強をしない。一方、人間は勉強をする。勉強というのは、学習とは違うだろう。学習なら動物もする。学習と勉強の違いは、自然に習得されるか否かという点にあると考えられる。動物は自らが属する環境の影響を受けて、様々に物事を学習するし、それは人間も同様だ。けれど、人間は自然に習得されるのを待つだけでなく、半ば自らに負荷をかけるかたちで無理やり習得させようとする。ここで重要なのは、学習しようという意思があるということだ。動物は勉強しないように思えるのは、彼らにそのような意思があるように見えないからとする説明が最も納得がいく。


 勉強だけではない。人間は筋力トレーニングもするし、健康を維持しようともする。


 人間は道具を使うことで文明を発達させてきたと言われるが、その根底にあるのが、勉強という行為なのではないか、と月夜は思った。環境に適応するだけなら、きっと道具を生み出す必要もなかったはずだ。むしろその逆に見える。自らが望む環境を生み出すために、人間は道具を生み出した。


 もしかすると、人間は環境なのかもしれない。環境に属するのではない。それ自身が環境としてそこにあるのではないか。

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