第28話 スタートダッシュ

 真昼は地面に横たわったまま眠ってしまった。いつから眠っていないのか分からない。別に眠っていないということもないかもしれない。誰だって、横になる姿勢をとって、目を瞑れば、それなりに眠くなるものだろう。


 真昼の隣に腰を下して、自分の脚の上にフィルを乗せて、月夜もぼんやりしていた。ぼんやりしているというのは、頭がぼんやりしているという意味にほかならない。顔がぼんやりしているとか、お腹がぼんやりしているということはないだろう。強いて言えば、心がぼんやりしているとはいえるかもしれない。様々な方法で心という言葉を飾ることができるのは、すなわち、心がものではないからではないだろうか、と月夜は思った。


「フィルは、今日は、散歩は行かないの?」


 自分の脚の上で眠っている振りをしているフィルに、彼女は質問した。


「今、しているじゃないか」耳を少しだけ動かして、蹲った姿勢のままフィルは答える。


「歩かなくても、散歩といえる?」


「いえるさ。外に出て、ふらふらすれば散歩になるんだ。幽霊だって、脚はなくとも、一応散歩をしているんだろう」


「幽霊に会ったことがあるの?」


「俺自身、幽霊みたいなものだからな」


「フィルは物の怪じゃなかったっけ?」


「同じようなものさ」フィルは呟くように話す。「まあ、どっちでもいい。好きなように呼び給え、月夜君」


「分かったよ、ワトソン君」


 隣で眠っていた真昼が、突然勢い良く起き上がって、そのまま芝生の上を駆けていった。あまりの速さに、月夜は彼の動きを目で追えない。真昼は右方向に一直線に走っていくと、そこにある大木の前で急停止して、腕を振ったり、身体を回したりし始めた。何やら体操をしているらしい。


 体操が一通り済むと、彼はそのまま目の前の大木に勢い良くタックルし始めた。と思ったら、タックルは最初の段階だけで、勢いをつけて木の幹をよじ登ることが目的だったらしい。大木は幹の部分はあまり長くなく、上に枝が開けるようにして伸びている構造になっている。


 とりあえず、枝の上で安定した場所を見つけると、彼はそこに収まって、月夜に向かって大きく手を振ってきた。彼女もなんとなくそれに応じる。


「いい趣味じゃないか」フィルが言った。「お前は行かなくてもいいのか?」


「眠いから」そう言って、月夜は起こしていた上半身を後ろに倒した。「少し、眠る」


 三分後。


 月夜は勢い良く起き上がり、脚の上のフィルをふっとばすと、そのまま勢い良く走り出した。

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