第14話 観察される対象
窓の外は午後の陽光。室内には安定した空気。
教師の話し声が音響措置が成された天井に反響して、生徒の耳に入っていく様が見て取れるようだった。その内のどれくらいがきちんと脳内に留まっているだろうか、と想像。そんなことを考えている自分も、幾分意識がそれていることを認識。
教室の皆は眠たそうだった。実際に眠っている生徒もちらほらと見られる。中学生の頃から見慣れた光景だった。小学生の頃はどうっただろうか。内に残っている印象としては、皆が皆一心に先生の話に耳を傾けて、きらきらとしていたように覚えている。ただ、印象というものは当てにならない。あとからいくらでも改竄できてしまう。
目の前に掌を広げて、なんとなくその表面を見つめてみる。血管が反比例のグラフのように巡っているのが分かった。軸は一つしかない。ほかの人の場合はどうだろう、と思考。隣の席に座る生徒に見せてもらおうかと思いついたが、実行に移す一歩手前で自制した。
「数学というものは、結局のところ、世界をすべて数字で捉えようという学問ですからね。そういう点では、国語や英語と何ら変わりはない。国語とは、我々の国では日本語のことですから、世界をすべて日本語で捉えようという試みだし、英語とは、世界をすべて英語で捉えようという試みでしょう。だから、それ故に、したがって、英、国、数、と並べて提示されるのだと、私なんかは考えているわけです。それに対して、理科、社会というのは、それとは少し趣が違っている。その両者は、世界の、捉え方、ではあるかもしれないが、それより前に示した三者に比べると、世界そのものを反映している色が強いわけであります。ええ、ですから、こちらの方は実体といっても良いかもしれない。そうすると、英語、国語、数学は、インターフェースといえることになります。インターフェースって、分かりますか?」
数学の時間だったが、教師は数式の解読を放棄して、雑談をしていた。月夜は、どちらかというと、授業の内容より、こうした雑談の方が好きだ。けれど、そう考えてから、いや、どちらとも同様に好きかもしれない、と考え直して、それから、今度は、好きとは何だろう、というところに考えが行き着いた。
数字は表現だ。
文字も表現だ。
しかし、表現は世界ではない。
では、世界とは何か?
世界とは、地球のことか? それとも、宇宙のことか?
「インターフェースって、分かりますか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます