第8話 夜
薄暗い教室の中。
時刻は午後十時。
暗闇月夜は自分の席に座って、一人で読書をしていた。一人で、と断っているように、当然周囲には誰もいない。生徒がいて良い時間ではなかったが、彼女は未だに学校に残り続けて、平然と本を読んでいた。
彼女が夜まで学校に残るのは、中学生の頃からの習慣だった。なぜそんなことをするのかと尋ねられても、たぶん上手く説明することはできない。強いていえば、眠くならないからということになるだろうが、それが学校という場所に限定される理由になっていないことに、彼女も自分で気がついていた。
場所に拘る者の気持ちが分からない、と少し前に考えたばかりだが、自分がその渦中にいるという、矛盾。
排除できない、矛盾。
人はどうして矛盾を抱えるのか?
窓の外で音がして、月夜は読んでいた本から顔を上げた。そのまま顔を横に向けて、窓がある方を見る。見ると、小さな黒猫が硝子の表面をかりかりと引っ掻いていた。きらきら光る黄色い瞳が、体表より目立って空中に浮いている。
月夜は椅子から立ち上がり、窓の傍に寄って鍵を開ける。扉をスライドすると、黒猫が勢い良く室内に飛び込んできた。彼が入ったのを確認して、月夜は再び窓を閉め、鍵をかけた。
「また、こんな遅くまで残っているのか、月夜」彼女を見上げて、フィルが言った。
「うん」月夜はしゃがみ込み、彼を抱き上げる。
「優等生らしくないな」
「優等生、とは?」
「宿直の人に見つかったりしないか?」
「宿直なんて、いないと思う」
「監視カメラに映りでもしたら、大騒ぎになるかもしれないな」
「映らないから、大丈夫」
フィルを抱えたまま、月夜はしばらく教室の中を歩いた。空気はひんやりとしている。ブレザーの固い生地がその冷たさを助長しているように感じられた。
教壇の前に立って、部屋全体を視界の中に入れる。
まるで、生物を形作る細胞のように、規則正しく配列された、机。
二度目の思考。
振り返れば、黒板があった。
漆黒の平面。
「フィルは、どうしてここに来たの?」自分の腕の中にいる彼に顔を近づけて、月夜は尋ねる。
「別に」フィルは少し顔を背けた。「なんとなく、と言ったら信じてくれるか?」
「信じるよ」
「じゃあ、そういうことにしておこう」
二人が話すをやめると、たちまち周囲は静かになった。今は二人がこの空間を支配している。
そう。
闇夜に浮かぶ月のように。
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