Eternal
たくひあい
第1話 適当が肝心
201804111430
朝から、心臓がばくんばくんと鳴っている。
まるで全身が梅干しになったみたいだ。甘酸っぱく、きゅー、っと、苦しいような期待するような、そんな感じ。
お気に入りの水色に白い水玉が入ったスニーカーを履いて、ゆっくりとドアを押し開けて外に出る。
これ、お母さんやお父さんなら派手な色を身に付けてるっていうけど、私はこのくらい明るい色じゃないと、落ち着かないのだ。なんとなく。
自分の世界がふっと闇だけになって灯りがなくなってしまいそうな怖い気持ちになる。
なーんて言ったら、この前夢見すぎじゃないのと一同に爆笑されたんだけどね。
悔しいから通販で勝手に靴、買っちゃった。
外はいい天気だった。携帯のバッテリーもばっちしで、まだ85パーセントある。
お財布だって肩にかけた鞄に入れてあるから、道でお菓子も買える。
ドキドキする……
ドキドキする理由?
初めて、旅に出るから。まあ隣町だけどね。
中学生から高校生になる記念に、人生初の、プチ家出ってやつ。
期待と不安で潰されそうな気持ちのせいで、身体中がムズムズしてる……
足元のスニーカーを見ると、テレビで見た外国のカップケーキみたいに派手な色をしてる。
うん、少し元気が出た。
きょろ、と辺りを見渡す。何も……ない。よし。家の前が道路だから、田舎道と言っても、一応安全確認してから第一歩を踏み出さなくちゃならない。
楽しみだなぁ。
まぁ、かなりキョドりながら、バスの予約券を行った日を思い出すと、地面に埋まっちゃいたいんだけど。
駅に売っているものだと思って意気込んで入ったら窓口が違うと笑われ、うろうろして、やっと受付を見つけたのだ。
自由だ、自由だー。
たん、と強く飛び上がると、なんだか嬉しくって明日まで飛べそうな気がした。
弾む足取りで意気揚々とバス停に向かって、それからそこで待っていたときだった。
なにやら騒がしい。
騒がしいってのは、目の前のバスの雰囲気が異様で、列に並ぶ数人が、それを見てざわついてるということだ。
「……なに?」
ひょこ、と首を傾げつつ列にくわわり、視線の先を覗くと。
バスの中に、ひとり、変なのが居た。
なにやら、刃物を、じゃない。
おもちゃの水鉄砲みたいなのを持った――なんていうか、まんまるの奇妙な生き物……そう意思を持つ、タコみたいな。
それがバスを占拠してて、乗っているみんなが、戸惑いを隠せないでいる感じ。
えええ。
私が目を疑っているときだった。
何やら、目の前を私と同じ歳くらいの、長い銀髪の子どもが通過して列に入って行く。
うわあ、美少女だなぁ。目がぱっちりしてて、ピンク色。
まつげが長い。口が小さい。いいなー。
後ろからはパトカーの音。
なにこれなにこれ。
撮影かな。
っていうか、予約したバスの時間があるから、駅を目指すためにも(駅から家が離れてる)、これに乗りたいのにっ。
軽い動作で飛び上がった彼女?(性別不明)は、なぜかマイクを手にしていて、そしてバスの真上に立っていた。
それから。
「お眠りなさい」
彼女の声に合わせて周りが、ばたばたと眠っていく。数人の警察官さんまで。
私?
私はなぜか、起きていたの。
バスから、タコみたいなぐにゃっとしたやつが出てきて、バスの上に立っている少女に襲いかかる。
「ひゃっ!」
びっくりしたような声。 しかし、彼女は持っていたマイクを軽く振ると、今度はそれを短めの剣に変えた。
ばし、と宇宙人?の一部が切断される。
「んもー、危ないんだから」
唇を尖らせる彼女。
私はただ、ぽかんとして見ている。と、ふいに目が合った。
「うそ、なんで?」
「え、えぇ?」
天使みたいな子に、急に話しかけられてどぎまぎする。な、なに、なに。
「私の催眠がきいてない」
「もしかして」
彼女はそう言って、手にしている剣をまた振った。それから、なにやら呪文みたいなのを唱える。しばらくは、きょとんとしていたんだけど。
どうやら、私に何かしたみたい。
急にふわりと身体が軽くなって、気がついたらストン、と彼女のいるバスの上に居た。
そのとき、ちょうど、よくわからない生物が彼女を狙う。
下を見たら周りは寝てるし、時間が止まったみたいになってるし。
いや、私は動いてしゃべれるってことは、時間が止まってるわけじゃないの?
ああ、っていうか、彼女は!
パニックになっていると、またも声がした。
淡いピンクの髪をした、強気そうな女の子。
「おいおい、こいつを囮にすんのー?」
そう言って、いつのまにか、銀髪な彼女だけでなく私にまで伸ばされかけていた触手を、ぐるりと包帯みたいなので固定して縛っている。伸縮自在みたいだ。
「ありがと、アリン」
「エチルも、少しは周り見ろよなー」
その子は、ぺいっ、と剣で、謎の生き物を切り刻む。
私がぼんやりしていると、で、こいつはと聞いた。
「この子たぶん、私たちが探してた子じゃないかしら」
ひそひそ、エチルと呼ばれた子がもう片方の、アリンって子に耳打ちする。
「え、そーかなー」
彼女は、私にすたすたと近づいてくるなり、ばし、と剣で右手を掠めた。……。
気のせい?
当たったけどそんなに痛くないや。なんて思っていたら、急に、手の甲から、たらーっと血が。
「わ、わー……」
慌てているとアリンって方が、にこっと笑った。
「おいしそ」
「いやいやいやいや!」
血だよ!?
舐めそうな勢いだったんだけど、エチルちゃんが、セクハラはやめてと言うと、わーってる、と、くんくんとにおいを嗅ぐにとどめたみたいだ。
「な、なっ」
「ふん。まどろっこしーいな」
改めて私をみるなり、そんなことを言う。
なんなのっ。
「んじゃーお前ぇ」
お前呼ばわりされた私は、なんでしょうかと精一杯返す。
剣をさっと振ると、今度は、可愛いリボンのついたスプーンになっていた。
「新しい自分に目覚めさせてやるよっ」
スプーンの先が、くるりと円を描き私を囲む。
その間、こっちは任せて、とエチルさんが戦っている。
がくん、と身体が揺さぶられた気がした。
なに、なにっ。
私は急に眠くなっていて。目が覚めたときには……
肩までだった髪がばさりと伸びて、淡い水色に。そしてひとつに結んであって。
モノクルみたいなのを頭に付けてた。
「ひ、ひゃあっ」
それから。
「なにこの恥ずかしい服!」
いつもより断然短いセーラー服。しかもアイドルとかが着そうなやつ。
「恥ずかしくないっ!」
アリンが噛みついてくるように言う。
「あたしたちも着てるだろーが」
見てみると、確かに、エチルもアリンも、この際どいセーラー服だ。
「一蓮托生ってやつ?」
みんな一緒だから恥ずかしくないってこと?
いや、恥ずかしい。
「使い方間違ってると思うけどねぇ」
アリンが厳しい。
っていうか、この状況、いったいなんだ?
「ねえ、みんな、死んじゃったの?」
マイクを握っていたエチルをちらりと見て言うと、アリンは、手に持っているリボンのついた金色のスプーンを私に見せた。
「死んでないよ。寝ているんだ。そして、あたしたちは、普段は、この町を眠らせている間に戦っている」
「私は、起きてるし……、なに、あの生き物。あなたたちは?」
あまりに真面目に言われたが、理解はできてない。「驚かないで見てて欲しい」
アリンはそう言うと、飛び上がってエチルと戦うそいつの身体を包帯でしっかり固定して、それから。
手にしていたスプーンを、大きめの注射器に変化させて針を刺す。
エチルが引き付けるあいだに、しゅるるる、と、生き物は液体となり、注射器に吸い込まれていく。あの質量ありそうな生物が、一瞬で小さくなった。
それを見届けていると、くるりと、アリンが私を見た。
注射器をこちらに見せてくる。
「あ、あの……」
「お前のモノクルをつかえ」
「は、はぁ」
目にあわさっている、レンズで、注射器の中を覗く。
「なにが見える?」
「なんか、この液体、ぐにゃってなって、水と油みたいに、上と下に層がわかれてるよ?」
私は思ったことを言う。「不純物か」
理科の実験みたいなことを言われた。それからアリンは、エチル、と彼女を呼ぶ。
エチルはアリンからそれを聞くなり「やっぱり!」と笑顔になる。
そして、筒の中にぐっ、とスプーンをいれて、がしゃがしゃ混ぜたが、もちろん混ざらない。
仮初めな注射器がぐにゃりとゆがんで広がり、中身の液体がうねうねと動き出す。
「どうする?」
アリンが頭に手をやりながら困った顔。
エチルがふっ、とマイクで息を送ると、それは少しおとなしくなる。
それから私に言う。
「これは、人に寄生する物体なの。よく拡大するとわかると思うけど」
言われたとき、ふとモノクルの横に、なにやら歯車みたいなのを見つけて、私はそれをくるりと動かす。
これ、ルーペもついてんのね。見てみると。
「わぁ。なに、これ」
幾何学模様みたいな、呪文の言葉の固まった筆記体、みたいなやつが、液体の中に浮いてる。
「すごい、ね」
目を丸くするうちに、彼女らは『それ』を、投げた。
投げっ!?
それから、二人で左右に立ち、スプーンを鍵にして、空に翳した。
大きな扉みたいなのが現れてぱかっと開く。
すると急に強い風が吹いてきて……
不純物と、私たちは扉の中に引き込まれた。
なにここ、どこ。
辺りをきょろきょろする私。二人はきょろきょろすんなよなんて言ってる。落ちたはずなのに、全然、そんなんじゃなく、身体は浮いてた。
いや、透明な地面がある。
それは全部ガラス張りみたいな、変な場所。
まわりは空だった。
しかしあんまり観光気分にならない。
目の前には、大きな、黒い塊があるんだから。
これ、どうすんのよぉ!!
私があわわわっとなってると、メチルが任せて!と言ってスプーンを巨大化させた。
(あれ、エチルだっけ……わかんなくなってきたぞ)
そしてくるりくるりと縦に円を描くと、空間に、コーヒーカップみたいなのが浮き出てきて、その中から、ぽんと、小さな四角い欠片が生まれた。
角砂糖、じゃないよね……?
そしてそれは、黒い固まりに向かって、ぽんと投げられた。
それに吸い寄せられた黒い固まりは、次第に姿を変えていって、最後には手乗りサイズの犬になった。なんかチワワみたいなやつ。
「え、なに、これ……」
「お前らが我輩の眠りを妨げたのか」
ガラガラした声で会話するわんちゃん。
背中には、小さな羽があって、ふよふよ浮いてる。
「うん」
「そうだよー」
二人がのんきに返事。
私も慌てて「はーい」と言った。
「ねぇ。なんで、バスを乗っ取ったの?」
アリンが、ストレートに質問する。
「人間は、醜い」
わんちゃんが答える。
「汚い、がさつで、卑怯で、自分たちの種族が一番だと思い上がる」
私たちは平然と聞いていた。思い当たるふしは沢山。でもね。
「それでも私たち、人間だから。同じ種族が作る仕組みの中でしか生きることが出来ないのよ」
私は言う。
モノクルが、わんちゃんを映してる。
「許してちょ」
両手を三人で合わせたら、激昂された。
「ふざけるな!」
「ふざけなきゃ、やってらんないわよ」
エチルがそう言い、スプーンをナイフに変える。
「ほら、お前もふざけろー」
アリンもそうした。
私は武器がない……
わんちゃんはぷるぷる震えてて可愛い。
そっと手を差し出すと、左手のほうをがぶっと噛まれた。
「復讐しないと、気が済まない」
「私はそうでもない」
「あたしも」
「私も、帰って寝たい、かな」
言ってから家出をしたことに気付く。
帰る場所なんてないんだった。
そして、この状況が異様だってことを今更ながら思う。
なぜなの?
なぜ私はつっこみをいれようと考えなかったの。でぃすてぃにーだとでも、言うのだろうか。
そう思ったときだった、手のひらが熱い。
じわっと、生ぬるい。
なんだか硬質な感触さえある。ふと左手を見ると、手元には金色にかがやくスプーンが。
「うわぁ、手から出てきた」
私が驚いたってのに、二人は知らんぷりだし、わんちゃんも知らんぷり。
「ちょっと見て、スプーン私も!」
少ない語彙力で二人に自慢しに行くが、二人は話し合い中だった。
「敵意が感じられないわ」
「そうだね、憎悪レベルが低い」
「えっと……二人は何で見分けているの」
仕方なく話し合いに混じる。二人そろって、スプーンの先が曲がるんだと言った。
「憎悪を感じたらだけど。でも今はあんまり変形しないのよ」
エチルが頬に手を当てて悩ましそうにする。
「えーと。それがなにか問題?」
あらゆるつっこみどころを無視して私が聞く。
「使える武器、つまりチェンジがゆるされるものが、ナイフかスプーンくらいなのよね」
「ビームとか、解放したかったよな……」
ビーム出るのかよ。
「あ、変身ならできるんじゃないの?」
私が言うと、アリンがこの服の何が不満かと言った。
いや、そうじゃなくって。恥ずかしい……
「私、モノクルしか無いし、なんかこの制服と合わないよー」
「今欲しいものを、ためしに振ってみろ」
アリンが、びし、と私に指を向ける。
欲しいもの……
状況説明だよ!!!
そう願ったときだった。ふわりとコーヒーカップからいいにおいが立ち込めて……目を閉じたら、なにか研究所みたいな景色が浮かんできた。
そこにはほとんど浴衣みたいな姿のエチルたちが居て、私、も……?
え。なんで。
灰色のビルの中に、理科室があって、手術台に、三人ともならんで寝かされてた。
病院のお医者さんみたいな帽子とマスクをつけた、怪しい人がぞろぞろ、数人囲んで私たちを見てたんだけど。
三人は急に起き上がって、そこから飛び出した。近くにあったスプーンを握りしめたまま……
「なんも出てこないな」
アリンが言う。
エチルも不思議ねと言った。
「出てきたわよ」
私は言う。
私は目を閉じてスプーンを握りしめ、一心に祈る。私の欲しいもの。
お願い、スプーンさん。
『気持ちが知りたい』
そのまま、ふわふわういてきたコーヒーカップに近づいて、中身のよくわからない水をすくって、宙にふりかけた。
キラキラ、滴が舞い、辺りにざあああっと雨が降り始める。
じれたかのように噛みつこうと飛びかかってきたわんちゃんが、目を閉じる。
「なにをしたんだ?」
アリンが目を見開く。
エチルは、息があることを見ていた。
「あのね――」
わんちゃんが巨大化して、やがてあのバスになった。それから。
その中には、優しそうな髪の長い女の人……
彼女を連れたまま、走り出そうとする。
『行っちゃいやだ』
『つれていって』
誰かの声がする。
わんちゃんだろうか。
黒いもやもやした波が、バスにまとわりついてる。
「チッ、人がついてるなら、刺せないじゃない。あのバスを止めろ!」
アリンが物騒なことを言う。エチルがたしなめる。
「こーら。寄生したのがモンスターかどうかじゃないでしょう?」
私はどうしようかと迷ったが、とりあえずモノクルでバスを見た。
さっきまで見えなかったのに、モノクルをつけてから見るとバスにはちゃんと、行き先がかいてある。
「空間外」
「え?」
私が読み上げたそれに、アリンやエチルが反応する。
「この空間の外に行きたいみたいだよ」
「だめだめ」
アリンが言う。
「空間外に行かせたりしたらそれこそ、また逃げたらどこに行ったかわからなくなるかも」
「でもっ、空間外を通ってどこかに行きたいみたいなんだよ、ただ逃げるわけじゃ」
「アリンの言う通りよ、あれは姿が固定されていないの。見つけるにも被害を待つしかない」
二人が否定するけど、私は。このままじゃどうしても、違うような気がしてしまって。
「大丈夫、私が見つける。見つけてみせる!」
思わず言い切ると、アリンとエチルが目を丸くした。空間を解放した途端、私たちは高いビルの上に立っていた。
わんちゃんは、バスになったまま下に降りて走ってる。
「なぜ追う?
ただの遊びなんだから、ほっとけばいいだろ。周りが醜ければ醜いほど素晴らしいね!」
叫ぶと、スピードをあげて走り出した。
うーん……私も家を出ようとしてる身だから、その歪んだ感情が理解出来ないでもない。
「じゃあ、鬼ごっこだね!やられたらやり返すのが遊びということで、いっくよー!」
スプーンを胸ポケットに入れて、ビルから飛び降りようとしたら、アリンに止められた。
「待て」
「どうせ間に合わないもん。夕方になるだろうし家族が帰ってくる。家出がめちゃくちゃになったからには、付き合わせてもらわないと」
「飛び降りたら死ぬだろうが」
「あっ」
アリンが包帯をしゅるりと伸ばして、遠くの電柱に結ぶ。それから私たちにもそれをつけた。
「き、強度平気?」
「特殊素材、だっ!」
背中を押されてびゅーんと下に落下していく。
エチルは何がツボなのかさっきから笑いっぱなしだ。
「私、広い場所での鬼ごっこって初めて! わくわくするね!」
「わんちゃんの世界での遊びは、壮大みたいだぜ」
「二人とも、良い具合にふざけてるわね!」
エチルがくすくす笑う。
びゅーんとすごい勢いで落下してんだけど、これ止まれるのかな?「そうだなー、同じ条件にしてあげるのが遊びというもの! わんちゃんになった方がいい?」
「わんちゃんに人間になってもらう方が早いんじゃないかしら……」
「バスになればいいんじゃね」
「なれないよさすがに」
「細胞から違うわよ」
ようやく着地したときには、バスは見えなくなっていた。
でも、モノクルが、わんちゃんの居る方向を映す。
……うん。やっぱり、追跡出来るみたいだ。
示された矢印に向かって進んでいると、あのバスが見えてきた。
中の女の人が何か叫んでる。さすがに距離があって聞こえない。
「遊びということは、なにをしても罪悪感を覚えなくていいってことなら、興奮するな!」
「アリンだめよ、穏便に対処しないと」
「血は?」
「だめです!」
片方が片方とやりとりしてる間、私はバスを見つめる。
「あの人たち、どこいくんだろ」
「はっ。バスって血が無くない!?」
アリン、なぜそんなに流血したいのだ。
「エチル」
私はエチルを呼ぶ。
エチルは、きょとっとこちらを見るとなに?と聞いた。
「バスを止められないかな?」
「そうね、やってみる」
エチルがスプーンを振ると、またマイクになった。
「そこの車! 止まりなさい!」
そう言われても、バスは急に止まれない……
「そして、私を乗せて」
横から言った。
「ここから先の駅で止まるはずのバスだってこと、忘れてないっ? 乗りたいんだけど!」
わんちゃんは、あははと笑っている。
「私家を出る予定だったから、それじゃないのにしてよね! 車ならなんでもいいでしょ?」
バスの中の女の人が困った顔をする。
どんどん走るバスだが、私は突如いいことを思い付いた。
どうせみんな寝ているし、ちょっとくらい平気よね?
スプーンさんにお願いして見ると、あからさまな武器以外なら楽に出てくるようだ。
ペンキの入った小さな缶を三つ出して、ちょっとだけ、穴を開けておいた。
「アリン!」
「はいはい……」
重たい缶を包帯に結ぶと、それをバスの下の方にくくりつけてもらった。別の包帯が、スプーンから生まれてくる。
「それ、伸縮自在だし強いし便利だね」
「だろー?」
バスがマーブル模様を描きながら走っていく。
「あははは! 綺麗」
「まあ……道筋はわかるな」
わんちゃんは気がつかないのか余裕がないのか、そのまま走っていた。
「さて。現場レポートに向かうか」
アリンが言い、私たちはうなずく。
スプーンさんからは、乗り物は出せないみたい。
「歩くとどのくらいかかるかなー?」
「見失いそうだよね。車でも拝借する?」
「んー、免許が無いよ」
「魔法で出そう」
「捏造はだめだってー」
てくてくと歩いていたらこれじゃ、お散歩と変わらないよと気づいた。
でも。
「うふふ、遊び遊び! 遊びって大好き」
私はくるりとモノクルについてる歯車を回す。
「あ、まって」
エチルが何か言うが、気にせず回してから、身体が揺らいだのがわかった。
「わわっ!」
「あぶなっ」
地面が少し斜めになっていた。アリンが怯える。
私がモノクルのそれを逆方向に回すと、平面に戻る。
エチルは、スプーンをゆっくり地面に当てた。
みるみる隆起して四角いブロックになっていく。
「よし、えっと……あなた、名前は?」
「私? は。リセ」
私はとっさに名乗る。
本名でなくてもいいよね。
「さっきのを」
エチルが言うので、私は歯車……をまた回した。少し斜めになったところで「乗って」と言われてあわててそこに座る。乾いてる。
傾斜が急になるとたんに、三人とも地面を滑っていった。
「わー!」
「急すぎ」
「びっくりー」
適当なリアクションとともに、滑り降りていくと、あっと言う間に、バスの目的地についていた。
バスが着いたのは、県立体育館。外からもわかるようにドアが大きく開いていて、そこからバスケやバドミントンをする人たちが見えている。
楽しそう!
女の人が目的地で降りると、バスのわんちゃんがくるりと此方に向き直った。
「お前ら、どうやって!」
「滑り台で来ました!」
「褒めてくださぁいっ」
「ウフフ」
「やっかましいわ!! 」
怒鳴られた。「怒ることないじゃんかー! 私だって、プチ家出が鬼ごっこだよ!?」
むっとして言うが、わんちゃんはすでにスルーしている。
バスに乗っている人は髪が長くて、色白だった。わんちゃんの一部にしては、中で嫌そうにしてる。
これらすべてを構成するのが、さっきバスジャックしていた宇宙ダコの体だとは、思えない。不純物を取り除くには……
「これを濾過するためには、またさっきの注射器が必要なの?」
私が言うと、アリンがちっちっと指を振った。
「リセ、さっきみたいにモノクルを使え。ほんのちょっぴりだぞ」
私が、咄嗟にさっきみたいに回すと、また地面が斜めに凹んだ。バスがバランスを微妙に崩して足止めされる。
アリンの包帯がのびて、女の人に向かう。
彼女が窓を開けた。
「早くそこから、出てください!」
アリンが叫び、私たちは彼女を救出した。
とたんにバスが崩れて行く。
何かを、わんちゃんが喚く。
エチルが、すたすたと歩いてきて白にちかい銀髪を揺らしながら、姿が崩れつつあるわんちゃんの前でスプーンを振った。まるで催眠術みたいに、ゆっくり円を描く。
「ダザン……ソメイユ、ク、シャルメ、トニマージュ……」
光が溢れて、わんちゃんの中から出てきた女の人の形をしたものだけが残される。
その女の人は幸せそうに笑うと、こちらに何か投げた。
そして、消えていく。
「おやすみなさい」
気がつくと、地面の歪みも無くなっていたし、人々も起き始めていた。
私が咄嗟にキャッチしたのは、きらきらした宝石。たぶん。
それは、三角で、綺麗な、水色だった。
「なんだろ、これ」
「結晶」
「結晶だな」
三人で背伸びをして、空にかざす。
空はもう橙色。
終わったとたんに、ふっと力が抜けて座り込んだ。そうだ。
私には、帰る場所が無い。
「ねえ。まだまだああいうの、居るの?」
二人が、うなずく。
どうしよう……
なんか、変なのに関わってしまった。
「敵地を探して、見つかったら、そんときはそこに家建てようぜ!」
アリンが適当なこと言ってる。
「敵地って……」
「敵地にも建てれば潰しづらいからに決まってるだろ」
「そうかなぁー。寝込みをおそわれそうだけど」
「んだと!?」
「あははは!」
エチルは一人笑っている。
「大体、みんな仲良くすればいいのよ。私には、敵も味方もない。
遊び相手であり、ライバルだよ。なにもかも!」
私が言うと、エチルもアリンもそうだね、と同意した。
みんなで、なんとも酔狂な話をしながら歩く。
タコたちと仲良くして、ついでにそこで食堂かなんか開いてタコを取り込むのだ、とかなんかおかしなこと言ってる。
話がカオスになってきた。
プライド?
あるとこにはあるけど。正直、楽しければ。
あははは!
どうでもいいよね。
「二人はどこから来たの?」
「どこだろう」
「さあ、ねぇ……」
聞いてみたらなんだか濁された。
夕焼けを眺めつつ、私はポケットにしまった宝石を思う。結晶、だっけ。
「私、どうすればいいの」
姿は前の格好になっていた。お気に入りのスニーカーと、いつもの服。
家に帰ればいい?
でも。でも……
鞄に入れていたチケット。これって払い戻してもらえるんだっけ。
せっかく、旅に出るはずだったのにな……。
急に泣きたくなった。
「待て」
アリンが言う。
「なぜ、みんな寝てたのに、あそこにバドミントンやバスケをしてる人が?」
急に、身体が冷えてくる。
あ……
やっと戻った身体。
なのに危機を感じたら急に、変身していた。
モノクルから見てみると、やっぱりそれは、人間には見えていない。
「もう、無理、疲れたよー」
私がしゃがみこむと、エチルとアリンは、じゃあそこで待っていてと向かっていった。
「あたしたちが、どうにかしてきてやるよ」
「まかせといて」
だんだん、姿が遠ざかる。
「ま、待ってぇ! やっぱり行く」
そのときちょうどポケットに入れていた水色の結晶が光って、転がった。そして、ふわふわと浮いて体育館にまっさきに向かっていく。
「ま……、ま、まってえ!」
三人で慌てて追いかけてみると、結晶は体育館に居た人々に憑いていた何かをすべて吸い込んでしまった。そして、ぱたっと地面に降りて転がる。
足もとでは、やすらかな表情の子どもたちが眠っていた。
結晶は、転がって私の手に戻ってきた。
「なん、だろ……」
ぼんやり見ていたら、結晶は分離した。ぴきぴきと、指に、飴細工みたいなのが張り付けられる。
「わ、わあぁ!」
それは、だんだん、腕へ広がり重みを増す。
結晶が、身体全体に回ろうとしていた。
「アリン、エチル」
二人が目を丸くしてる。私は、気がつくと結晶の中に取り込まれていた。
「なに、これ……」
息が苦しくない。
びっくり。
なんかね、きれいな、ガラスの世界?
『あなたなら! わかってくれる!』
誰かの、高い声。
悲痛な声がどこかでしていた。
握ってたスプーンさんが、ぐにゃ、と曲がる。
「おおっと、こりゃあ……」
『あなたが私の声を聞いてくれた!』
「確かに、聞いた」
『寂しいよ』
透明な世界から、アリンとエチルが見える。なにか言ってる。わかんないよ。
ふっと意識が薄れそうになる。
『ここにいましょう。あなたなら、私を見届けてくれる』
なぜだろう。
なぜだか、また、泣きたくなった。
感情が、自分にも流れ込んでくるみたいだ。
きっと、とても理不尽なことがあったんだね。
あなたは。
でもね、此処にいたって変わらないよ。
「一緒に、外に出よう?」
『いや! 消えてしまう』
「ううん。大丈夫」
すっと息を吸い込んで、握っていたスプーンさんにお願いした。
どうか、ちゃんと、聞いていてください。
届けてください。
「大丈夫よ」
そして、私はにこっと笑う。
彼女の声が、わっと泣き出す。
『無防備、な、心が、閉じ込められて、』
スプーンさんに頼るか迷ったけど、やめた。
「私が以前のあなたに戻るための、魔法をあげます。だから、寄生されていたという記憶がしばってしまった心は、ちゃんと解放されますよ」
『ほんとう?』
「本当です」
静かに目を閉じて、覚えている言葉を唱える。
「ルオニュ……ブレシェ、ディシ、セリエト」
これは遠い昔に、誰かがおまじないに聞かせてくれたのだ。
大丈夫って意味を込めて……
スプーンさんは、聞いてくれてるかな。
彼女が、実体を持ち始める。バスの中にいたのと、同じ姿で、私の前に現れた。
モノクルを回すと、ゆっくりと、結晶が剥がれ落ち始めた。
あっ。もしかしてこれが用途だったかな……
『ありがとう』
最後に、そんな声がして、ガラスが弾ける。
世界に光がふり注いだ。
目が覚めると、二人が心配そうに私を覗き込んでいた。
「リセ、大丈夫?」
「心配したんだぞ」
「平気」
私は、結晶を握ったままいきなり倒れて動かなくなっていたらしい。
何があったのか聞かれたので、ぼんやりと考えながら答える。
「なんかね。取り込まれていたまま苦しんでいた心が、結晶化していたみたいなの。
あんな形で混ざっちゃったら、そりゃあ、苦しいよね」
『予期しないままわんちゃんに捕まった』ってところで、私に共鳴してしまったから、結晶になってしまうところだったみたい。
思い出すとなんだか胸が苦しくなって、ぶわっと涙が溢れてくる。
きれいな、純粋な想いの形だった。
夕暮れ時、アリンとエチルに支えられながら、帰り道を歩く。
滑り台は、元に戻ってたし、あの力は変な生き物が出てくるときしか解放されないんだって。
つまり、徒歩だ。
「相手にしないってことが、出来たらいいのになぁ」
二人のことは、わからない。
私のことも、まだ。歩きながら、二人の『普段』の格好をみていた。私と同じ学校の制服だ!
先輩かな……となんとなく思う。
「確かに、そうよね」
エチルがため息を吐く。アリンが、そういえばなぜあそこに居たんだ?
と聞く。
私は、ただしばらく出掛けたかったんだと言った。
「相手にしないことも、また戦いのひとつではあるよな」
誰彼構わず構っていたら、身体がもたない。
何かあったとしても、救えるのは、自分に救える範囲だけだから。
「うー、でも、目の前に居たら気になっちゃう!」
アリンが苦笑いする。
外は、夜になりはじめている。戦ってなければ、もう少し明るいうちに、旅行できたのに。
線引きは難しいなと思いながら、三人で歩く。
ああ、おなかがすいた。
「なんか食ってく?」
「そうね」
「うん……」
アリンに聞かれてエチルと私はうなずいた。
みんな思っていたらしい。
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