第22話 追悼と昔話

 その日は、イリヤさんとわたしにとって大切な知らせがあった。イリヤさんの亡くなったお父さま、アレクサンドルさまの同僚だったという人の話を聞けることになったのだ。


 アレクサンドルさまは銀髪の狐狼族ころうぞくで、国王陛下に雇われた傭兵団の連隊長として王宮に出入りしていた。しかし、王女シャルロットさまと恋に落ち、全てをなげうつように駆け落ちしてしまった。

 その結果、産まれたのがイリヤさんだ。


 彼の所属していた傭兵団はその不祥事によって、国王陛下の怒りを買い、契約を打ち切られてしまった。

 そのため、路頭に迷うことになった傭兵団の元団員たちは、アレクサンドルさまのことを思い出したくもないらしく、なかなか思い出話をしてくれる人が見つからなかったのだ。


 アレクサンドルさまは故郷で色々あったために出奔して傭兵になったようで、ご両親とご兄弟は既に亡く、親類もいない。彼が存在した唯一の証はイリヤさんだけという、いわゆる天涯孤独の身だった。


 ついに話をしてくれる人が見つかり、イリヤさんは珍しく朝からそわそわしていた。


 ──俺は、父とは縁がなかったのかもしれない。


 一時はそんな風にこぼし、諦めるような素振りを見せていたから、喜びもひとしおなのだろう。

 少し前のイリヤさんは、無謀な駆け落ちをしたというアレクサンドルさまがどんな人だったのかを知ることについて、少し葛藤があったようだ。今回はそんな気持ちに区切りをつけるいい機会かもしれない。


 午後になって応接間に現れた狼族のヒョードルさんは、狼の耳と尻尾を生やした四十代半ばの男性だった。現役の傭兵らしく体格はがっしりしており、髪は白いものが交じった灰色だ。


「よくおいでくださいました。アレクサンドルの息子、イリヤと申します。こちらは婚約者のオデット嬢です」


 ようやくお父さまの話を聞けるとあって、イリヤさんの態度は丁重だ。国王陛下から賜った名は称さず、単にイリヤと名乗ったのは、公人ではなく私人としてお客さまと接するつもりだからだろう。わたしもかしこまって挨拶する。


「はじめまして。オデット・ル・ベルジェと申します。よろしくお願いいたします」


「こちらこそ、はじめまして。ヒョードルと申します」


「今日は彼女にも父の話を聞いてもらいたいと思い、同席させておりますが、構いませんか」


 イリヤさんの問いに、ヒョードルさんは頭をかいた。


「問題ありません。ご丁寧にどうも。そんなにかしこまってくださらなくても構いませんよ。何せ、こちらはしがない傭兵ですし。……しかし、アレクの息子が『銀狼のイリヤ』で、こんなに立派になっているとはねえ。しかも王子さまだったとは。『やんごとないひとと駆け落ちしてきた』って話は本当だったんだな」


 ざっくばらんな態度のヒョードルさんの様子に、わたしは安心した。この人なら、かなりアレクサンドルさまと親しくしていたようだし、いい話が聞けそうだ。

 イリヤさんも同じように思ったらしく、表情を緩めた。傭兵時代のことを思い出したのかもしれない。


 どかっと長椅子に腰かけたヒョードルさんは、わたしたちと向かい合って懐かしそうに話し始めた。


「アレクと出会ったのは、パドキアラ地方で傭兵をしていた頃ですよ。ちょうど、隣のハーズと小競り合いをしていた頃でね。訳ありだってのはすぐに分かりました。ま、ご存知でしょうが傭兵になる奴なんて、みんな訳ありですがね」


 イリヤさんは苦笑して頷く。


「ええ、そうですね」


「アレクとは種族と歳が近かったせいか、妙に気が合いましてね。カミさんを亡くしたばかりで気落ちしていたあいつの話をよく聞いてやったもんです。ただ、アレクは落ち込んではいたものの、生きる気力は失っちゃいなかった。まだ小さい息子を育てなきゃならん、とよく言っていたもんです」


「……わたしのことを?」


「はい。『今は人に預けているが、戻ったら真っ先に会いにいくんだ』と嬉しそうに話していましたよ。アレクにとって、あなたは希望だったんでしょうなあ」


 イリヤさんはその言葉を心の中で反芻しているのか、何も言わなかった。

 皮肉なことにアレクサンドルさまがイリヤさんを預けた相手は、人身売買組織の人買いだった。でも、もし、そのことにアレクサンドルさまが気づいていたなら、地の果てまで追いかけてイリヤさんを取り戻そうとしただろう。

 ヒョードルさんの表情が沈んだ。


「ですが、アレクはその直後に戦死しました。流れ矢にやられましてね。当たりどころが悪かった。俺なんかより遥かに強かったのに、呆気ないもんです」


 イリヤさんもわたしも言うべき言葉を見つけられなかった。ただ、イリヤさんと過ごせるこの日々が、今までよりもいっそう愛おしく感じられた。

 沈黙を破ったのはヒョードルさんだった。


「そうそう。今日絶対しようと思っていた話がひとつあるんですよ。あいつ、ガキができたと分かった時──つまり、あなたを授かった時ですな──急いでカミさんとの結婚式を挙げたそうなんですが、わたしらの神々の祭司にではなく、わざわざカーリ教の神官に頼み込んで儀式をしたらしいんですよ」


「……母がカーリ教徒だったからですか?」


「それもあるかもしれませんが、アレクはまだカミさんの腹ん中にいるあなたのことを考えてそうしたんだそうですよ。『女房はやんごとない身分の人族だった。もし、俺たちがその親族に見つかったら、俺は殺されるだろうが、問題は残される息子だ。森の神々の前で式を挙げたんじゃ、あいつはカーリ教徒にとっては私生児になっちまう。だが、カーリ教の神官に儀式を頼めば、嫡出だという記録と証拠が残る。そうなれば、カミさんの親族も息子を無下にはしないだろう』とね。まあ、結構思慮深い奴だったんですわ」


 イリヤさんは一瞬言葉に詰まった。


「……父がそんなことを……」


 国王陛下はイリヤさんに気苦労をかけたくなかったのか、彼が正式に王族と認められるまでの舞台裏についてはあまり語ってくださらなかった。


 リュピテールの国王は魔力の高い世継ぎが生まれない非常時に限り、愛妾を持つことができる。その例外を除けば、その他大勢のカーリ教徒にとって、子どもが嫡出か庶出かというのは大きな問題だ。

 イリヤさんが嫡出か否かは、彼の存在を公認するかどうかという議論の争点になったに違いない。


 イリヤさんが王族として迎え入れられたのは、国王陛下の尽力のおかげであると同時に、アレクサンドルさまが自分の信仰を曲げてまでカーリ教式の結婚式を挙げたおかげでもあったのだ。


 ヒョードルさんは他にもアレクサンドルさまの思い出話をいくつか教えてくれた。

 どれもアレクサンドルさまの温かいお人柄が分かる話で、今ではイリヤさんに受け継がれているペンダント以外の全てを捨てて、シャルロットさまが彼と添い遂げることを選んだ理由が分かる気がした。


 わたしにはイリヤさんしか考えられなかったように、シャルロットさまもアレクサンドルさま以外の人を夫に選ぶことはできなかったのだろう。


 ヒョードルさんが帰る際、わたしとイリヤさんは彼を城館の扉の前まで見送ることにした。わたしたちにとって、それはごく自然な行動だった。

 応接間の扉を開けると、そこには警衛に当たっているエヴァリストさんが立っていた。彼は戸惑いの色を濃くした視線をイリヤさんとヒョードルさんに向けた。最近、エヴァリストさんはそういう表情を見せることが多くなったように思う。


 ヒョードルさんは声が大きいから、多分、話の内容が聞こえていたのだろう。エヴァリストさんは何も言わず、わたしたちのうしろに付き従う。

 玄関広間から外に出ると、ヒョードルさんは思い出したように言った。


「最初に見た時はあなたのことを『髪や目の色、それに毛色以外はあんまりアレクに似てねえなあ、きっと母親似なんだろう』と思いましたが、こうして話してみると、やっぱりあいつに似てますなあ。こう、声や何気ない仕草なんかがね。覚えていなくても、親子ってのは似るもんなんですな」


 イリヤさんは柔らかくほほえんだ。


「ありがとうございます。何か困ったことがあれば、いつでもお訪ねください」


「や、そいつはありがたい。俺が傭兵稼業を引退したら、よろしくお願いしますわ」


 ヒョードルさんはニカッと笑い、去っていった。


「オデット」


 彼のうしろ姿を眺めながら、イリヤさんがわたしの名を呼んだ。


「なんでしょう?」


「祖父たちの歓待を終えたら、俺は父の棺を無縁墓地から回収して、弔い直したいと思う。母と同じ墓所に入れるのは無理かもしれないが、せめてこの地に墓を建ててやりたい」


 シャルロットさまは、いったんはアレクサンドルさまによって共同墓地に埋葬され、のちにそのご遺体は国王陛下によって王都の大神殿に納められた。

 対して、まだ赤ん坊だったイリヤさん以外には肉親もなく、無名の一傭兵として戦死したアレクサンドルさまは、パドキアラ地方にある戦死者用の無縁墓地に葬られているらしい。


 それを聞いた時は胸が痛んだけれど、わたしはあえて意見を言わないでいた。

 イリヤさんもアレクサンドルさまのお墓参りにいく覚悟はまだ決まっていないようだったし、墓を掘り返すというのは正当な理由があっても勇気のいることだからだ。

 だけど、イリヤさんの中で、ようやくお父さまに対する気持ちの整理がついたのだ。

 わたしはほほえんだ。


「賛成します。イリヤさんをこの世に生み出してくださった方のお墓ですもの。しっかり弔いましょう」


「ありがとう。元聖女のお前が祈ってくれれば、信じる神々が違っても、父も光栄に思うだろう」


 イリヤさんの満ち足りたような笑みを見ていると、こちらまで心が温かくなる。わたしたちは頷き合いながら、城館の中に戻った。

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