第17話 国王一家の訪問とイリヤの葛藤

 陽射しが次第に強くなり、カラッとした暑い日が続いた。生き物は活発さを増し、植物たちは今を盛りと鮮やかに色づいている。

 セルゲイさんがある知らせをもたらしたのは、八月に入ってすぐのことだった。


「国王王妃両陛下と王太子殿下、それに現聖女猊下がこのカリストをご訪問なさるそうだよ」


 ちょうど、わたしとイリヤさんの昼食が終わった直後だ。

 報告を受けたイリヤさんは、清潔な布で口元を拭いながら尋ねる。


「いつだ?」


「来月の上旬を予定なさっておいでのようだよ」


「そうか。今から準備すれば歓待は間に合うだろう。しかし、王室の重要人物が揃い踏みだな。聖女も王太子妃候補なんだろう? 警備に骨が折れそうだ」


 ため息をつくイリヤさんの負担を少しでも軽くしたくて会話に入る。


「イリヤさん、わたしにもお手伝いさせてください」


 イリヤさんは表情を和らげた。


「ああ、頼りにしている。だが、お前とは色々因縁もあった聖女も来るからな。無理をする必要はないぞ」


 現聖女ジェルヴェーズさまは神殿で一緒だった頃、わたしによく嫌味を言ってきたものだ。

 女性聖職者の最高位である聖女だったわたしが魔法をろくに使えなかったばかりか、彼女のほうが美人で家柄もよく、魔法においても優秀と見なされていたからだろう。


 だけど、魔力に目覚め、魔法の修行をするうちに、彼女に対しての劣等感もなくなっていき、今ではなんとも思っていない。一度、魔法勝負をして勝っているし。


「わたしはもう大丈夫ですよ。イリヤさんこそ、王妃陛下へのご対応を今から考えておかないと」


 イリヤさんが珍しく渋い顔になる。

 彼と、国王陛下の後添えである王妃陛下は義理の孫と祖母という関係になるわけだが、うまくいっているとは言いがたい。


 祖母といっても王妃陛下は、亡くなったイリヤさんのお母さま、シャルロット王女より少し年上なだけだ。

 これは別に国王陛下のお好みでそうなったわけではない。


 国王陛下は先の王妃陛下を早くに亡くされた。若くして引退する聖女と王室の一員との婚姻が慣例のこの国では、後添えをもらうとなると、どうしても相手は若い女性になる。リュピテールの王妃は、おおむね元聖女なのだ。


 イリヤさんは基本的に適応力と社会性の高い人だ。そんな彼でも、前の時間軸で自分を殺し、今の時間軸で自ら国王陛下の前に引っ立てた叔父の実母が相手では、接し方に難儀しているようだ。


 かく言うわたしだって、いかにも先輩聖女らしく、いつも厳しい態度を崩さない王妃陛下は苦手だ。

 それに、わたしの婚約者が王太子殿下ではなく当時の第二王位継承者だったロドリグ元王子に決まったのは、王妃陛下の意向が働いていたらしい。前の時間軸の記憶でも、親しみやすいお方ではなかった。


 もっとも、今では婚約者候補がロドリグ元王子のほうでよかったと思っている。わたしの魔力が目覚めた関係で彼との婚約が取りやめになり、結果的にイリヤさんと婚約できることになったわけだから。

 人のよい王太子殿下との婚約が決まっていたら、申し訳なさすぎて婚約を辞退できたかどうか。


 イリヤさんが眉間に皺を寄せたまま、ぼそりと言う。


「……向こうが俺を嫌っているんだろう」


 そうかなあ。イリヤさんは王妃陛下に恨まれていると思っているみたいだけれど、それはちょっと違うのではないだろうか。

 なんとなくだからうまく説明はできない。ただ、王妃陛下がイリヤさんを見る目は憎しみとは別の感情を宿しているような気がする。


「ふふ、相手によほど問題がない限り、誰とでもうまくやるイリヤにしては珍しいよね」


 セルゲイさんがにこにこと評した。イリヤさんが彼を軽く睨む。


「考えてもみろ。自分の母親と大して歳の変わらない女が、突然、義理の祖母になったんだぞ。接し方に困るだろう。しかも、俺は母親のことだって覚えていないのに」


「んー、そうかあ」


「なんだ?」


「もしかして、イリヤは王妃陛下とお母上を重ねているのかな、と思ってね」


「そんなわけがあるか! 俺の母はあんなにツンケンした女じゃな──」


 そこまで言いかけて、イリヤさんは斜め横に座るわたしを気まずそうに見た。

 イリヤさんはシャルロットさまを覚えていないから、その分、どんなお方だったのかを想像してしまうのだろう。肖像画と国王陛下のお話でしか知らないシャルロットさまへの想いに、思慕が混ざってしまうのは仕方のない話だ。

 わたしはにっこり笑った。


「大丈夫ですよ。たとえお母さまのことが大好きでも、わたしのイリヤさんへの気持ちは変わりませんから」


 イリヤさんは頭を抱えた。


「お前……」


「よかったねえ、イリヤ。オデットさまは心が広くて」


「……セルゲイ、お前、あとで覚悟しろよ」


「うわ、怖いなあ。昔のイリヤそのままだねえ」


 そうは言いつつも、セルゲイさんは余裕たっぷりの顔だ。イリヤさんが唯一勝てない相手って、実はセルゲイさんじゃないだろうか。セルゲイさんが表情を改める。


「冗談はともかく、これからは結界の調査や国境の警備の強化と並行して、歓待の準備も進めていかないとね。忙しくなるよ」


 イリヤさんが難しい顔で顎に手を当てる。


「ひと月後とはいえ、この不穏な時期に国王一家の訪問か……裏で何かが動いているのかもしれんな」


「その辺も調べていきますか」


 イリヤさんの右腕のセルゲイさんや師匠たちはともかく、わたしは一連の調査に加われないのがちょっと悔しい。その分、未来の妃として歓待の準備では役に立とう。


「イリヤさん、警備を万全にして、歓待をすばらしいものにしましょうね」


「ああ」


 微笑したイリヤさんに、セルゲイさんが思い出したように告げる。


「あ、そういえば、結界の調査で思い出したけど、もうすぐ調査結果が出そうだ、と今朝、報告があったよ」


「いつ頃になりそうだ?」


 セルゲイさんは可愛らしい顔に綺麗な笑みを浮かべた。


「それがね、早ければ明日にも報告できるって」

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