第15話 エヴァリストとタルト

「イリヤさんも一緒にみんなのところを回ってくださいね」


 わたしがそう告げると、イリヤさんは複雑そうな顔をした。


「俺もか?」


「そうですよ。でないと意味がありません」


「まあ、お前に大量の菓子を持たせるわけにもいかんか……」


 わたしを警護してくれる騎士に持ってもらうという方法もあるのに、イリヤさんは渋々呟く。彼はこういう時、本当に優しい。わたしはとびっきりの笑顔をイリヤさんに向ける。


「お昼を食べたら、二人きりでゆっくりしましょう」


「約束だぞ」


 話はまとまった。

 最初にキイチゴフランボワーズのタルトを受け取ってくれたのは、厨房で働いている人たちだ。彼らにとっては素人が作った料理かもしれない。それでも、みな柔らかな表情でお礼を言ってくれた。

 本当は城館で働く全員と対面してタルトを配りたいところだけれど、それはさすがに無理なので、それぞれの詰所に届けにいく。


 わたしたちができたてのお菓子を持ってきたので、みな、きょとんとした顔をしていた。その上で、これはわたしたちの手作りだと告げると、びっくり仰天する。唯一驚かなかったのは、イリヤさんと付き合いの長い獣族の兵たちだった。


 みんな「団長も丸くなったなあ」と嬉しそうに笑っていた。うつむいて照れるイリヤさんも可愛い。

 でも、女性の使用人たちがイリヤさんの手作りのお菓子と聞くなり、目を輝かせていたのには少し妬いてしまった。


 女性陣の人気を集めていることを知っても、イリヤさんはまったく動じる素振りを見せない。そんな彼が、廊下に出た時にわたしの頭に手を乗せ、気持ちを伝えてくれたことが嬉しかった。


 そんなこんなで、あらかた城館内は回ってしまった。ポーラの分は確保してあるし、残るは騎士団の詰所だけだ。イリヤさんが思い出したように言った。


「エヴァリストにも渡さんとな」


 わたしは思わず足を止めた。


「え、騎士団の詰所にいらっしゃる方にまとめて渡せばよいのでは……」


 わたしに合わせて立ち止まったイリヤさんは、真剣な顔だ。


「それでは意味がないんだ」


 何か目的があってこのカリストを訪れたエヴァリストさんに、善意の証であるタルトを渡すのは、少し気おくれしてしまう。でも、イリヤさんがそう言うからには、何か考えがあるのだろう。

 わたしは身長差のあるイリヤさんを見上げる。


「お考えを聞かせてください」


「そうだな、賭けのようなものだ」


 それだけ言うと、イリヤさんは再び歩き出した。

 よく分からない。だけど、エヴァリストさんにタルトを渡すことが重要な意味を持っているということは理解できた。わたしもイリヤさんについていく。

 騎士団の詰所にエヴァリストさんはいなかったので、その場にいた騎士に事情を話し、エヴァリストさんの分を除いたタルトを渡す。


 エヴァリストさんはイリヤさんの部屋を守っているとのことだ。二人で部屋に向かうと、彼が扉の前に姿勢よく立っていた。

 エヴァリストさんがこちらに視線を向ける。先日の気まずさがあるからだろうか。彼はわたしと目を合わせようとはしなかった。

 場の雰囲気を見て取ったイリヤさんが、エヴァリストさんに声をかける。


「エヴァリスト卿、ご苦労」


「いえ……」


「実はオデットと一緒にキイチゴのタルトを作ってな。城館のみなに配り終えたところだ」


 わたしはイリヤさんに囁く。


「ポーラの分はまだです」


「……ああ。訂正する。ほぼ配り終えたところだ。そなたにもひとつ渡しておく」


 イリヤさんは籠から布を取り出し、タルトをひとつ包んだ。

 エヴァリストさんが慌てて首を横に振る。


「恐れながらわたしは受け取れません」


「ほう、なぜだ? 獣族の施しは受けられんか?」


 挑発するようなイリヤさんの台詞に、わたしは息を呑んだ。イリヤさん、どういうつもりだろう。

 イリヤさんは低めた声を出した。


「これを受け取って食べたところで、そなたの出向元の上司に不義理を働くわけでもなかろう」


 エヴァリストさんが水色の目を大きく見開く。

 イリヤさんは不敵に笑った。布に包んだタルトを、ぐい、とエヴァリストさんの胸元に突きつける。


「安心しろ。毒は入っていない。そなたが倒れても、また新しい神殿騎士が出向してくるだけだろうからな」


「…………」


「捨てたかったら捨てろ。ただし、それはオデットと一緒に作ったものだ。もし、大聖女が作ったものを捨てれば、カーリ教の神々の罰が下されるかもしれんな」


 狐耳を除けばイリヤさんより少し背の高いエヴァリストさんは、彼を苛立ったように見下ろした。


「……どういうおつもりですか」


「なに、討伐の時の意趣返しだ。この前もオデットが何か言われたようだしな」


 口の端をつり上げたあとで、イリヤさんは真摯な光を金の瞳に宿した。


「そなたの過去に何があったのかは知らん。だが、これだけは言っておく。オデットや民を巻き込むな」


 エヴァリストさんはまた目をみはり、視線をさまよわせた。イリヤさんはエヴァリストさんに突きつけていたタルトを、彼が受け取りやすいように差し出す。


「これはオデットがそなたたちのために、と提案して作ったものだ。本来なら、わたしと二人で過ごすべき日に、手間も時間もかけてな。その気持ちだけは受け取るべきじゃないか」


 エヴァリストさんはうしろに組んでいた手をゆっくりと動かし、おずおずと前に出した。両手でイリヤさんからタルトを受け取る。


「……ありがとう存じます」


 それは、武人でもあり聖職者でもある彼には不似合いなほどの、消え入りそうな声だった。

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