第7話 新しい護衛と不穏な空気
イリヤさんの新しい護衛が城館に到着したのは、マキシムさんとゴセックさんの揉め事を解決してから三日後のことだ。
名目上はイリヤさんの護衛とはいえ、場合によってはわたしの護衛を務めることもあるかもしれない。そういうわけで、その神殿騎士がイリヤさんと対面する時にわたしも呼ばれた。
それに、神殿騎士団といえば、先代の聖女であるわたしとも少なからず縁がある。
話はそれるが、セルゲイさんによると、ゴセックさんの店は馬の品質や扱いもよく、領主
ゴセックさんは、均質な馬を揃えるという、アルシーでは伝統的な手法で商売をしており、柔軟性のあるマキシムさんとは正反対なのだという。その分、主に軍馬を納入する御用商人には向いているとのことだった。
さすがイリヤさん。人を見る目がある。
扉の前までポーラに付き添われ、イリヤさんの執務室に入る。
「護衛はまだ来ていない。オデット、そこの椅子に座っていろ」
執務机の前に座るイリヤさんに促され、部屋の手前にある椅子にかける。四角いテーブルの脇に置かれた、来客用の椅子だ。イリヤさんの執務室は彼の人柄が反映されているせいか、威圧感がなく、とても居心地がいい。
新しい護衛には、是非ともイリヤさんの味方になって欲しい。
イリヤさんのもとで働いているパドキアラ団の元団員さんたちは、セルゲイさんのように揃って彼を敬愛し、守り立ててくれる。
でも、彼らの中に人族はいない。人族の使用人や兵たちはイリヤさんに従ってくれてはいる。それにもかかわらず、なんとなく隔意を感じてしまうのだ。もし、みながイリヤさんを信頼するきっかけに、その人がなってくれたら……。
期待を抱きながらイリヤさんと他愛ない話をしていると、扉を叩く音がした。イリヤさんが入室の許可を出す。
入ってきたのは、白地を基調とした神殿騎士団の制服を着た二十代半ばくらいの青年だ。短い蜂蜜色の髪に、どことなく険しい水色の瞳が印象的だ。
袖に留められている金地に赤を配した
彼は水平にした拳を胸に当て、イリヤさんに敬礼した。
「エヴァリスト・ジョアシャンでございます。神殿騎士団から出向して参りました」
イリヤさんは立ち上がり、机を回ってエヴァリストさんの前まで歩いていく。
「イリヤ・フェリックス・ローランだ。エヴァリスト卿、以後、よろしく頼む」
イリヤさんのような身分の人が、わざわざ目の前まで歩いていって挨拶をしたのだ。しかも、彼は右手を差し出して握手までしようとしている。普通なら感激するところだ。
だが、エヴァリストさんは違った。
「……よろしくお願いいたします。わたしのような一介の騎士のことは、どうかお気になさらず」
そう応えただけで、どこか冷ややかな目でイリヤさんを見返した。
イリヤさんも静かな目でエヴァリストさんを見ていた。やがて手を腿に戻し、視線をわたしに向ける。
「オデット」
わたしは起立し、机の手前に立つイリヤさんの隣に並んだ。エヴァリストさんに向き直る。
「エヴァリスト卿、お初にお目にかかります。イリヤ殿下の婚約者、オデット・ル・ベルジェでございます。どうかよしなに」
エヴァリストさんは柔らかくほほえんだ。先ほどとのあまりの態度の違いに驚くわたしの前で、彼は口を開く。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます、大聖女さま。……実は、わたしは以前、あなたにお会いしたことがございます」
「まあ……それは失礼いたしました。先代の聖女だった頃でしょうか」
「さようでございます」
あれ? なんだか普通に会話が続いているし、いかにも生真面目そうな彼がにこにこしている。さっきイリヤさんに見せた、めちゃくちゃ冷たかった表情と態度との差は何?
マキシムさんとゴセックさんの
イリヤさんも何かを感じたようで、じっとこちらを見つめている。うう、視線が気になる!
ただ、嫉妬している、とかそういう感じではない。イリヤさんはわたしを信頼してくれているんだ。なんだか嬉しい。
「エヴァリスト卿、オデット嬢とはまた話す機会もあるだろう。そなたの職務内容とどんな風に働いてもらうかについて話しておきたい」
イリヤさんが声をかけると、エヴァリストさんはすっと表情を消してしまう。
「……かしこまりました」
彼らをこの部屋に二人きりで残すのは少し心配だ。すっきりしなかったものの、肝心のイリヤさんが何も言ってこなかったので、わたしは退出の挨拶をして執務室をあとにした。隣の控室で待っていたポーラと合流する。
「オデットさま、新しい護衛の方、どうでした? いい男でしたか?」
恋に恋するポーラに執務室での出来事を話すと、彼女は人差し指を顎に当てたあとで目を輝かせた。
「それは、前に一目会ったオデットさまをお慕いしているからでは?」
「……言うと思った」
わたしが呆れ顔をしてみせると、ポーラは急に表情をきりっとさせる。
「冗談はともかくとして、それって、相当な獣族嫌いなんじゃないですか?」
「それはわたしも考えたけれど……でも、彼は国王陛下がお遣わしになった護衛よ。そんなことがあるのかしら」
「オデットさまは本当にお人がよろしいですね。神殿騎士団って、要は騎士であると同時に聖職者でもある集団なわけですから、獣族を嫌いというか……軽蔑している人が多いっていう噂ですよ」
確かにうっすらとそんな噂を聞いたことがあるような気はする。ただ、イリヤさんと出会う前から獣族に対して悪い印象を持っていなかったわたしは、そういう話を好んで耳に入れるようなことはしなかった。
「そ、そうなの」
「そうですよお。だって、何も不思議はないでしょう? 聖職者は基本的に聖典を、獣族に対する人族の優位性について書かれていると解釈していますから。神殿にいた頃は、そんなものかあ、と思っていましたけど、いざその外に出ると、やっぱり行き過ぎかなあ、って。ですから、神殿に所属するその方が、ガチガチの人族至上主義者でもおかしくはないですよ」
ポーラったら、何気に物事の本質を見抜く眼力があるから怖い。
神官を父祖とする国王陛下も以前は獣族を嫌っていたし、そういうこともあるのだろう。
厄介なのは、彼らの軽蔑の対象である獣族の血を引く者が、今は神聖なる王族でもあるという点だ。
リュピテール全土を覆う結界に魔力を注ぎ、強力な魔物の侵入を阻んでいるのは代々の国王だ。だからこそ、民衆は王室の方々を神聖な存在として崇敬している。
ちなみに聖女の役目は、国王が病床に伏した時や空位の時に、代わって結界に魔力を流し込んで維持することだ。本来なら国王の代理を務めるべき第一王位継承者がまだ幼い場合などに備えて、そういう制度になったらしい。
羊飼いだった両親が動物の扱いに長けた獣族の世話になっていたせいもあり、わたしは子どもの頃に彼らと頻繁に遊んだこともある。
その上、魔法においては無才だったから、神殿に居場所がなかった。おかげで、親しくしていたのは優しく素直なポーラくらいで、妙なことを吹き込んでくる取り巻きもいなかった。
今となっては、周りの差別意識に染められずに済んだのは、とても幸運なことだったのだと思う。
わたしのように、ちょっと普通の聖職者からずれた者ならともかく、並の人間がイリヤさんの内包する矛盾に耐えられるとは思えない。
もし、エヴァリストさんが獣族を嫌っているとすると……色々と面倒なことになりそうだ。
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