僕等の、赤。

中め

何色でもない。

 僕らの出会いは中二の春だった。


 クラス替えがあり、一番最初に仲良くなったのは、左隣の席の蘭丸だった。


 俺はクラスの中心のグループに入れるようなタイプではない二軍男子で、蘭丸は一軍に憧れを持つ、自分に自信のないやや三軍よりの少年だった。


 そんな蘭丸の視線の先には、俺の目の前の席に座る、女子モテそうな顔面を装備し、その自覚も確実にあるだろう、髪型・オシャレに余念のない、憧れの一軍・拓海がいた。


 そして俺の右隣の席には、なんとも掴みどころのない、奇妙な男・蒼汰が一人でスマホを弄っていた。


 蒼汰は本当に不思議な人間で、決してひとりでいるのが好きなわけではなく、たまにふらっと一軍の輪の中に入り、妙なことを言ってワイワイはしゃいだかと思うと、気まぐれな猫のように自分の席に戻ってまたスマホを触る。軍で言うなら一・五軍。


 俺は日頃、蘭丸とツルみながらも、一軍たちではなく一・五軍の蒼汰のことが気になって仕方なく、気付くと蒼汰を目で追っていた。


 その他大勢とは何かが違う、おかしな蒼汰。


 例えば、俺の前の席で拓海を囲み、一軍たちが騒ぎながら「うるせぇよ、禿げ」とツッコミを入れている声が聞こえると、「今さぁ、【禿げ】より【薄ら禿げ】っていった方がちょっとだけ面白く聞こえない? ツルッ禿げじゃない往生際の悪さがなんとなくさ。【お前の笑い方、気持ち悪いな】より【貴様の薄汚い薄ら笑い、薄気味悪いな】って言った方が若干面白いみたいなさ。ちょっと手を加えるだけで面白くなるからね、日本語って。まじ最強。そして【薄い】は超便利ワード」などと、独自のお笑い論を語ったりする。


 何そのダメ出し。と思いながらも「なるほどね」と蒼汰の言動には興味をそそられていた。



 ある日、蒼汰がいつも使っているスマホではなく、タブレットを指でなぞっているのに気付いた。


 なんでスマホじゃないんだろう? と蒼汰を横目で見ていると、俺の視線に気付いたのか、


「何?」


 と、蒼汰が俺に話しかけてきた。


「今日はスマホじゃないんだなーと思って」


「あぁ、昨日他界した」


 手に持っていたタブレットを机の上に置き、天に向かって両手を合わせ拝む蒼汰。


「お前が触ってる時に壊れたんだったら、他界っていうよりお前が殺したんだろ」


「故意じゃない。死んで欲しかったわけでもない。つか、むしろ生きていて欲しかったのに勝手にぶっ壊れたんだよ。まだ買って1年も経ってないのに」


 蒼汰が「人生が短すぎるだろうよ」と重ねていた両手を擦り合わせた。


 蒼汰に「おやおや、可哀想に」と同情しつつ、蒼汰の机の上のタブレットに視線を落とす。タブレットの画面には、文字がびっしり埋め込まれていた。


「何、読んでるの?」


 蒼汰のタブレットを指差すと、


「見る?」


 蒼汰が自分のタブレットを俺に手渡した時、英語の授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。


 俺は英語が昔から苦手で、真面目に授業を受けたとしても、理解も覚えることも出来ない。だから、この時間に蒼汰に渡されたタブレットの文章を読むことにした。


 ビックリした。あまりにも面白過ぎて。文章も読みやすい。スクロールする手が止まらなかった。話の展開が気になって、どんどん読み進めていくうちに最後の行に辿り着いた頃、授業が終わる鐘の音が聞こえた。


「ねぇ、この続きってないの? 読みたいんだけど‼」


 興奮気味に蒼汰に尋ねると、


「面白かった?」


 蒼汰が嬉しそうな顔をしながら質問をし返してきた。


「うん‼ まじで‼ この先の話、早く読みたい‼」


「じゃあ、早めに書くね。今のところはここまでしか出来てないんだ」


 蒼汰の返事の意味が分からず、


「書くって何を?」


 首を傾げる俺に、


「それ書いたの、俺だから」


 蒼汰が照れながら、でも少し自慢げに笑った。


「え⁉ まじか⁉ まじなのか⁉ これ、書き終わったら速攻で何かのコンクールに送りなよ‼ お前、天才だと思う‼ 凄い小説家になれると思う‼」


 お世辞でも何でもなく、本心だった。変わっている人間だなと思っていた蒼汰には、とんでもない才能があった。


「ありがとう。なんか恥ずかしいな。でも俺は小説家になりたいわけじゃないから。俺がなるのは、監督兼脚本家兼演出家兼編集だから」


『なりたい』ではなく『なる』と言い切る蒼汰の横顔を見て、『あぁ、こいつは本当になれてしまうんだろうな』と漠然とした確信を持った。


「でさ、この話を書き終わったら撮影したいと思ってるのね。がっくん出てくれない? マルオも‼」


 蒼汰が真っ直ぐな目で俺を見た。


「がっくんって俺? マルオって誰だよ」


「お前の名前【岳】だろ? がっくんの隣の子【蘭丸】だろ?」


 蒼汰が背中を仰け反らせ、俺の背後から蘭丸に視線を送った。


「イヤイヤイヤ、【蘭丸】で【マルオ】って。【オ】はどこから持ってきたんだよ」


 俺も身体を反らせ、蘭丸の壁になる様に蒼汰の視線を遮る。


「【蘭ちゃん】も【丸ちゃん】も可愛い過ぎるし、【丸】だけだと何かが足らないじゃん。ねぇ、一緒にやろうよマルオ‼ 乗り気じゃないなら別にいいけどさ」


 蒼汰が海老反りの様に背中をくねらせ、蘭丸を誘う。


「全然分かんねぇわ、その理論」


 と細い目をする俺を他所に、


「マルオでいいよ‼ 俺、やりたい‼ 一緒にやろうよ、がっくんも‼」


 蘭丸は目をキラキラさせながら俺の腕を揺すった。蒼汰の書いた話を読んだわけでもないのに撮影がしたいという蘭丸はきっと、ほぼほぼ一軍に属する蒼汰と何かが出来るということが嬉しいのだろう。


「……まぁ、いいけど。俺、【がっくん】かよ」


 こうして俺の呼び名は【がっくん】に、蘭丸のあだ名は【マルオ】になった。もう少し捻りのあるカッコイイ呼び方はないものかと思ったが、そんなことよりも撮影が楽しみでワクワクした。だって、仲の良いマルオと得体の知れない蒼汰とする撮影が楽しくないわけがないから。絶対に面白いに決まっているから。


 三人で盛り上がっていると、


「ねぇそれ、俺も混ぜてよ」


 前の席の拓海がくるりと振り向いた。


「お前、監督になるんだろ? 俺は役者になる。だから、俺も撮影に参加したい」


 蒼汰の様に『役者になる』と言ってのける拓海はきっと、イケメンが故に何でも思い通りの人生を送ってきたのだろう。


「イケメンの協力は大歓迎なんだけど、俺がなるのは監督だけじゃないのね。監督兼脚本家兼演出家兼編集ね」


「兼務しすぎだろ。強欲だな」


 蒼汰の指摘に拓海が困り顔を作りながら笑った。


「人生一度きりなんだから欲張るくらいで丁度いいんだよ。てことで、拓海も加入でいいよね? がっくん、マルオ」


 蒼汰がマルオと俺に同意を求める。


「もちろん」「異議なし」


 マルオも俺も笑顔で快諾。


「二人のことは何て呼べばいい? 蒼汰は蒼ちゃんとか? 拓海は?」


 一軍ともっと親しくなるべく、マルオが蒼汰と拓海にも愛称をつけようと提案した。


「俺は別に蒼ちゃんでいいんだけどさ。家族もそう呼んでるし。でも、拓海は拓海で良くね? 拓海のイケメンさを最大限利用した方がいいと思うんだよね。ニックネームをつけて親近感のあるイケメンもアリだとは思うけど、近寄り難い特別感は拓海が担当して、親しみ易さは俺らが担当した方が、二つ味があって美味しくね?」


 しかし蒼汰は拓海にあだ名を付けるのに反対した。


「イヤイヤイヤ、近寄り難い特別感担当と親しみ易さ担当の割合がおかしいだろ」


 すかさず蒼ちゃんにツッコむと、


「しょうがないだろ。俺らはイケメン枠ではないわけだから。がっくん、ブスじゃん。ぶっすんじゃん」


 蒼ちゃんに意地悪な返しをされた。


「ぶっすんやめろ。がっくんじゃ。つか、拓海も少しは謙遜しろよ。心にもなくとも『別にイケメンじゃないし』くらい言っとけよ」


 なのでツッコミの矛先を拓海に変える。


「『別にイケメンじゃないし』」


 役者を目指しているとは到底思えない拓海のやる気のない棒読みに、


「まじで心こもってない」「あからさまな後付け感」


 蒼ちゃんとマルオがゲラゲラ笑った。つられて拓海と俺も大笑い。


 ここから、俺らのずっと続く友情が始まった。



 俺に『天才』と言われたことに気を良くしたのか、蒼ちゃんはあっという間に残りのシナリオを描き終えてきた。が、すぐには撮影に入れなかった。と言うのも全員部活が忙しかったからだ。


「へぇー。マルオって美術部なんだ。女の裸体モデルとか見ながら描いたりするの? いいなー。俺も入っちゃおうかな」


 蒼ちゃんが下心満載の質問をマルオに投げかける。


「そんなことをしたらPTAがざわつくって。今、丸裸のりんごをいかに美味しそうに描けるか頑張ってるよ。がっくんは?」


 マルオが『次はがっくんの番です』とばかりに俺に話を振った。


「俺はサッカー部」


「なるほど。がっくんは女子にモテたいわけね。前髪長くもないのに調子に乗ってヘアバンド付けて三年に嫌われてみてよ。面白いから」


 俺の返事にまでいちいちボケる蒼ちゃん。


「あれは三年が引退するまで無理。しかも、よっぽど上手いかイケメンでない限りつけてはならない。ただチャラつきたいだけに見える、まじ危険アイテムだからな。じゃなくて、俺は純粋にサッカーが好きなの‼ 女子にモテたいわけじゃない……わけではないけど。そういう蒼ちゃんは?」


「俺は陸上部」


「蒼ちゃん、足早そうだもんね」


 拓海が蒼ちゃんを見ながら「陸上部っぽいもんね」と、イケメンをいいことに何のボケもかまさないから、


「分かる。逃げ足が俊足そう」


 俺がちゃちゃを入れてみるが、


「イヤ、俺はハイジャン」


 蒼ちゃんは拾ってくれず。


「【プ】まで言えよ。【プ】まで。【ハイジャンプ】だろうがよ。つか、走り高跳びって言えよ。日本人だろうが」


『いつもお前のボケを拾ってやってるんだから、俺にも乗っかれ』とばかりに今度はツッコミを入れてみる。


「別にいいだろ。陸上部のヤツらみんなハイジャンって言ってるし」


「じゃあ、棒高跳びは何て言うんだよ。【スティックハイジャン】って言うのかよ。言わねぇだろ」


 なかなか乗ってこない蒼ちゃんにちょっとムキになりながら言い返すと、


「スティックて。短けぇな。跳べねぇわ」


 拓海に呆れられ、


「棒高跳びは【pole vault】だよ」


 マルオに正された。


「イヤイヤイヤ、最早ハイジャンプでもなくなっとるやん」


 二人責めされて焦る俺を見て、


「ばかめ」


 蒼ちゃんが笑った。


「で、拓海は?」


 マルオが軌道修正を図る様に、拓海に話を振り、流れを変える。


「俺はテニス」


 期待を裏切らない拓海の答えに、


「イケメンは部活選びも間違いないんだな」


「もういいだろ、これ以上モテなくて。なんだよ【イケメンがテニス】って。キラキラしすぎだろ」


「だんだん腹立ってきたわ」


 俺も蒼ちゃんもマルオも白けまくる。


「てか、テニスのルールがいまいち分からない」


 マルオに至っては、テニス自体が分かっていない始末。


「分かる。俺も【チャレンジ】しか分からん」


 斯く言う俺もさっぱり分からない。


「あぁ、試合中にイライラしたら口走るヤツね」


 蒼ちゃんも同様だった。


「違ぇわ。イラついたからじゃねぇわ。審判の判定が怪しいと思った時に言うの‼」


 俺らの勘違いを強めに改める、イケメンキラキラテニスボーイ・拓海。


「おや、苛立ってますね。チャレンジ言っとく?」

 

 しかし、蒼ちゃんはふざけ続ける。


「チャレンジの解釈を歪めるな」


「ノーチャレンジ? いいの? ノーチャレで」


「ノーチャレて……」


 蒼ちゃんのしつこいボケに、根負けしたように拓海が笑い出してしまった。


「がっくん、代わりにチャレンジ言っとく? マルオは? おかわりチャレンジアリだよ」


 しかし、拍車のかかってしまった蒼ちゃんのおふざけは止まることが出来ず、マルオと俺まで巻き込もうとした。


「チャレーンジ‼」


 もちろん俺はすぐに乗る。こいつらと馬鹿な話をするのは、バカ楽しいのだ。


「いいよいいよ、がっくん。腹からいい声出てるよ‼」


 欲しがり屋の蒼ちゃんは「もっと頂戴もっと頂戴」とマルオを煽る。


「チャレーン……」


「いいの? マルオ。チャレンジは一試合につき三回までだよ。今使っていいの?」


 俺に続いておかわりチャレンジしかけたマルオに拓海が口を挟んだ。


「え、そうなの? どうする? 蒼ちゃん、がっくん」


 拓海の口から出た新たなルールに戸惑うマルオ。


「俺ならする‼」「迷わずチャレンジ‼」


 蒼ちゃんと俺とで「行け、マルオ‼」とマルオを嗾けると、


「チャレーンジ‼」


 マルオが元気良くおかわりチャレンジをした。


「後先考えろよ。本当にチャレンジしたい時に出来なくなるパターンやん。てか、何? どういうこと? 何のビデオ判定だよ」


 ふざけた挙句に話が逸れ過ぎたせいで、そもそも何の話をしていたのか分からなくなる拓海に、


「拓海、ラッキー。あと一回チャレンジ残ってる。使っていいよ」


 蒼ちゃんがダメ押す。


「お前ら、まじでテニス部に狙撃されても知らねぇからな。チャレーンジ‼」


 決して面白キャラではなかった拓海が遂に、拳を握った右手を突き上げ、勢いよくチャレンジしてしまった。


 壊れた拓海を見て、蒼ちゃんもマルオも俺も大爆笑。


 中身もなければ生産性もまるでない会話を毎日毎日していくうちに、俺ら四人の仲はどんどん深まっていった。



 そんなこんなで、大会やらコンクールやらでなかなか四人が揃えず、撮影に漕ぎ着けたのは夏休みに入ってからだった。


 蒼ちゃんからもらった脚本のセリフを覚え、待ち合わせ場所の河原に行くと、蒼ちゃんが美女と戯れながらカメラを向け合っていた。


「なんか裏切られた気分なんですけど」


 蒼ちゃんと美女を眺めながら唇を尖らせていると、


「モテないキャラ演じてるけど、実際人気あるもんね、蒼ちゃん」


 マルオが少し遅れてやってきた。


「アイツ、彼女連れてきたのかよ。何をちゃっかり楽しんで撮影しようとしてるんだよ」


 そして、拓海も到着。


 三人が揃ったことに気付いたのか、蒼ちゃんと美女が手を振りながらこちらへと駆け寄ってきた。走っている最中に美女が何かに足を取られ、転びそうになったところを、「危ない」と美女の手を握る蒼ちゃん。


「俺らは何を見せられているのだろう」


 うらやましすぎて眠たくなっている俺の肩に、


「帰ろうか」


 拓海がポンと手を置いた。


「待って待って」


 やる気を根こそぎ削がれた俺らを「来たばっかりでしょうが」とマルオが止める。


「よーし‼ 揃ったなー‼」


 そこへ、美女と手を取り合った蒼ちゃんが合流。


「『よーし‼』じゃないよね。そちらの美人さんはどちら様なのでしょうか?」


『お前だけだよ、気合入ってるの』的な視線を蒼ちゃんに飛ばす。俺にはもう、気合どころか気力がなくなった。


「俺の姉ちゃん。拓海の相手役を頼んだの」


「どうもー。蒼ちゃんの姉の花です。いつも蒼ちゃんがお世話になってます。今日は宜しくお願いします」


 花さんが蒼ちゃんの背中を押してお辞儀を促しながら、自分も頭を下げた。


『お姉さん⁉』


 どう見てもカップルにしか見えない蒼ちゃんと花さんに、拓海もマルオも俺も驚きと疑いが隠せない。


 だってこの二人、仲が良いを通り過ぎてイチャイチャしている様に見えるし。


 俺にも姉がいて、普通に仲は良いとは思うが、姉と最後に手を繋いだ日など、思い出せないほど遠い昔だ。


 蒼ちゃんと花さんは実は……。と疑いの目を向けていると、マルオも同じ目をしていることに気付いた。コイツも俺と同じ疑念を抱いているに違いない。


「つかぬことをお伺いしますが……蒼ちゃんと花さんって血は……」


「繋がってるわ‼ お前普段どんなAV見てるんだよ。気持ち悪いな‼」


 マルオが、俺が聞こうか聞くまいか迷っていたことを口にし、最後まで言い切る前に、質問の内容を悟った蒼ちゃんに嘔吐寸前の様な顔をされながら喰い気味で答えを被せられた。


 どうやら、蒼ちゃんと花さんはただただ本当に仲が良いだけらしい。


 良かった。訊かないでおいて。マルオが代わりに聞いてくれて。危うく花さんの前で蒼ちゃんに、俺の性癖を疑われるところだった。


 疑惑が晴れたところで、早速撮影に入ることに。


 覚えたセリフを言うので精一杯なマルオと俺とは違い、役者になると言っていた拓海はしっかり演技をしていた。蒼ちゃんはというと「俺は監督と演出とカメラ回しで忙しい」と言って、早々に死んだ。(もちろん役柄上で)


 河原のシーンが終わると、移動して色々な場所で撮影をした。


 蒼ちゃんのお母さんの知り合いのカフェだったり、蒼ちゃんのお父さんの部下のおじいさん所有のアトリエだったり。


 蒼ちゃんは、周りの大人のコネを総動員して撮影場所を確保していた。


 遊び半分のマルオや俺と違って、蒼ちゃんは本格的に取り組んでいた。


 何日間か撮り進めていくと、蒼ちゃん・拓海との熱量の違いに心苦しくなったのか、


「俺、足引っ張てるよね。演技、下手くそだし」


 休憩に入った途端に、マルオが暗い表情をしながら、俺らから離れようととぼとぼと歩き出した。


「マルオ、辛い? 楽しくない? 辞めたい?」


 蒼ちゃんが心配そうな顔をしながら、マルオを追いかけた。


「楽しいよ。でも、上手に出来なくて申し訳ない。邪魔したくない」


 マルオが俯く。


「俺だって演技なんか出来てないよ。まぁ俺は、登場数分で死ぬから演技する必要もあんまりないんだけど。てか、急に『演技して』って言われて出来るわけなくね? 初めてやるんだし。教えてくれる先生だっていないんだし。上手いに越したことはないんだけどさ、それより俺は、マルオとがっくんと拓海が楽しんでやってくれればそれでいい。俺だけ楽しんでるの、なんか悪い気がするじゃん。俺は、俺の書きたい脚本を書いて、好きなように演出して、自由にカメラを回してる。だから、マルオもやりたいように演じてよ。マルオがもうやりたくないって思っているなら、無理強いをするつもりはないんだけど、マルオがいなくなるのは寂しいよ」


 蒼ちゃんが「辞めるとか言わないでね。無理強いはしないけど、しつこく引き止めはするからね、俺」とマルオの顔を覗き込んだ。


「蒼ちゃん、ありがとうね。そんな風に言ってもらえるの、嬉しい。俺、冴えないしクラスでも目立たないタイプなのに、この輪の中にいていいのかなって最近思うようになってさ」


 蒼ちゃんの言葉に少し笑顔を見せたが、マルオの眉間には皺が入ったままだった。


「あぁ、拓海はねー。目立つもんねー。イケメンだし」


 蒼ちゃんが少し離れたところで、休憩中でも熱心に台本を確認しながら役になりきり、セリフを練習している拓海の方に目を向けた。


「蒼ちゃんだって目立ってるよ」


「それは俺がただ騒がしいからだろ」


「蒼ちゃん、面白いから一緒にいると楽しいんだよ、みんな。だから蒼ちゃんのまわりには人が集まるんだよ」


 マルオが蒼ちゃんを羨ましそうな目で見た。


「俺の場合は、人が集まってきてるわけではなく、人が集まっているところに首突っ込んでるだけだけど。つか、『蒼ちゃん、面白いから』の『面白い』の前に【イケメンではないけど】って言葉、絶対あったよね。飲み込んだよね、マルオ。だって、俺のことが拓海と同じ様に目立って見えていたなら、『蒼ちゃんも目立ってるよ、イケメンだから』って言っても良かったはずだよね、さっき」


 蒼ちゃんが不貞腐れだした。


「……不細工ではない。カッコイイ方だと思う。普通に。好きな人は凄く好きだと思う、蒼ちゃんの顔は」


 どう見ても拓海ほど整っているわけではなく、かと言って崩れているわけでもなく、爆モテはしなくともそこそこモテるだろう蒼ちゃんの顔のフォローは、正直俺でも難しく、だからマルオの弁解も微妙な感じになってしまった。


「『好きな人は凄く好き』ってさぁ、不味い料理が出てきた時の食リポの逃げセリフだよね」


 蒼ちゃんが「もういいよ、フォローしようとしてくれた気持ちだけ有難く受け止めとく」と半目になりながら拗ねた。


「イヤ、そういうことではなくて……」


「もういいって。つか、マルオはさぁ、クラスでは目立ってないかもだけど、おとなしいタイプじゃないって、俺分かってるよ。むしろ、色んなことに興味があって色々チャレンジしたい人間でしょ? だから、俺たちと一緒に撮影してみようと思ったんでしょ? 表に出してないだけで、基本的な性質は俺もマルオも一緒だと思う。マルオもはっちゃければ、俺になると思う」


「イヤ、それはない」


 マルオが蒼ちゃんの『俺とマルオは同類論』を秒で否定した。


「俺、蒼ちゃんみたいな才能ないもん。面白いことだって言えないし。……でもさ、この撮影はもう終盤だから、もしまた何か撮影する時はさ、何か手伝えないかな。俺、美術部だから物づくり得意だし、親が建築事務所やってるから廃木材とか手に

入るし、小道具とか、ちょっとしたものなら大きめの物もわりと作れるよ。そういう部分だったら、もしかしたら役立てるかもしれない」


 マルオのふいの申し出に、蒼ちゃんは目を大きく開き、漫画の主人公の様に黒目をキラキラ輝かせた。


「何が『足を引っ張る』なんだ、マルオ‼ 大助かりでしかないじゃん‼ また撮影するよ‼ 書き上げた脚本、他にもあるから‼ なんだよ、マルオー‼ まじ大好き‼ もう辞める疑惑匂わせて心配させないでよ‼」


 喜びを爆発させた蒼ちゃんがマルオに抱き着く。マルオが「苦しい苦しい」と蒼ちゃんの背中をタップするが、お構いなしに蒼ちゃんはそのままマルオを持ち上げてくるくると回り出した。その様子を『丸く収まって良かったな』と眺めていると、


「蒼ちゃん、よっぽど嬉しいんだろうね。蒼ちゃん、みんなのことが大好きだからねー。夕食の時とかずーっと喋ってるの。『がっくんが~』『拓海は~』『マルオと~』って。マルオくんが辞めそうになって相当焦ったと思うよ」


 花さんが俺の方に歩いて来て「これからも蒼ちゃんと仲良くしてくれると嬉しいな」と言いながら俺の隣に座った。


「蒼ちゃんって、人懐っこいですよね」


 花さんと二人で、マルオとじゃれ合う蒼ちゃんをぼんやり見つめる。


「好きな人だと特にベタベタしちゃうんだよね。うちの家族はみんなそう。よく家族で『馴れ馴れしくしすぎないように気を付けないとね』って注意し合ってる」


 花さんが「やばい家族だよね」と眉を八の字にして笑った。


「どうりで。実は俺もマルオと同じで『蒼ちゃんと花さん、怪しくね?』って勘ぐってました。蒼ちゃんの家族からしたら普通の距離感だったんですね」


「距離が近すぎて気持ち悪かったりしない?」


 花さんが、「直接蒼ちゃんに言いづらいなら、私から注意しておくよ」と、さっき蒼ちゃんがマルオにしたような心配そうな顔を俺に向けた。


「全然。むしろ蒼ちゃんって不思議な人だから、ずっと一緒にいても飽きない。でも蒼ちゃんは突然ひとりの世界に入っちゃって、逆に距離を置かれたりします。自分の世界に浸り終わったらまた俺らのところに戻って来るんですけどね。家でもそんな感じですか?」


「うん。蒼ちゃんは昔からそう。何か思い付くとふらーっといなくなっちゃうの。本人は浮かんだアイデアを忘れたくなくて、何かに記録するために一時席を外します的な感覚なんだけど、小学校の頃は周りにそれが理解されなくてねー。協調性がない奴って思われて、蒼ちゃんを面白く思わない子もいたみたい。でも蒼ちゃんは物語を考えるのが好きな子だから、それを辞められないし。自分勝手なのかもしれないけど、悪気は一切ないの」


 花さんが「ごめんね」と苦笑いを浮かべた。


「蒼ちゃんは自分勝手なんじゃなくて、自由なだけですよ。蒼ちゃんは自由でいいんですよ。俺、蒼ちゃんが作り出す物語が大好きなんですよ。蒼ちゃんは天才だから、周りと違っていて当然なんです。誰にも迷惑をかけていないんだから、無理に周囲の空気に合わせる必要なんかないんです」


 蒼ちゃんを【変わった人】と思う。でも、蒼ちゃんは天才だから他の人と同じなわけがないと思っていて、だから蒼ちゃん自体を不思議に思っていても、蒼ちゃんが不思議であることを不自然に思ったことが今までなかった。不思議なのが蒼ちゃんなのだから。普通な蒼ちゃんは、蒼ちゃんではない。


 蒼ちゃんが天才であること。拓海がイケメンであること。マルオが心優しいこと。俺に何の取り柄もないことが俺らの日常だから、それがいつも通りだから、花さんが心配する必要など何もない。


「蒼ちゃんは幸せ者ね。自分を理解してくれて、やりたいことにも協力してくれる心の温かい友達が三人もいる。そりゃあ、毎日飽きずに三人の話をしちゃうわけだわ。蒼ちゃん、毎日楽しくて楽しくてどうしようもないんだと思う。変なことばっかり言う弟だけど、これからも宜しくね」


 花さんがホッと肩を撫でおろしながら笑った。


「楽しい思いをしているのはお互い様。四人でいるのがめちゃくちゃ楽しいんです」


 花さんに「こちらこそです」と笑い返し、談笑していると、


「がっくんがウチの姉ちゃんを狙い始めたので、撮影を再開しまーす‼」


 蒼ちゃんが手を叩き、集合を呼び掛けながらマルオと拓海と共にこちらへ走ってきた。


「蒼ちゃんのお姉さんじゃなかったら頑張ってたわ」


 蒼ちゃんに冗談を言いながら立ち上がる。


「蒼ちゃん、平気でデートとかにくっついて来そうだもんね」


 マルオが笑いながら俺に同調した。


「ぶっすんは頑張らなくていい。マルオも童貞のくせに分かったようなことを言わ

ないで」


 蒼ちゃんがぷうっと頬っぺたを膨らませた。


「マルオは童貞じゃないよ。俺、この前彼女とデート中のマルオに遭遇して、彼女さんとも挨拶したし。幼稚園からずーっと一緒なんだよね? 彼女さんとは」


 拓海が何の気なしに口にした驚愕の事実に、俺と蒼ちゃんが口をあんぐりさせながら目を合わせた。


 まさか、マルオが既に大人になっていたなんて。マルオ師匠だったなんて。


「嘘だ」「認めない」「無理」「受け入れがたい」「許せない」「信じない」


 蒼ちゃんと俺とで謎の否定を繰り返す。


「アレ。言ってなかったっけ?」


 などと、彼女の【か】の字も発したことのないマルオが「聞かれたことがなかったから、言ってなかったかもねー」と言いながら、恥ずかしそうにポリポリとあごを掻いた。


「現実を受け入れろ」


 余裕をかましながら俺と蒼ちゃんの肩をポンポンと叩く拓海もおそらくノーチェリー。『お前はどうなんだ?』と探りの視線を蒼ちゃんに送ると、蒼ちゃんも何か言いた気な目をしながら俺を見ていた。が、答えを知って傷つきたくないばかりに、お互いに聞きたいが聞けない。


 蒼ちゃんは俺と違って、全然モテないわけではないし、普通じゃないし、ダイナミックにチェリーをかなぐり捨てていてもおかしくない。


 俺だけなのか? オンリーチェリーなのか? ロンリーチェリーなのか⁉ そもそもなんで童貞が【チェリー】なんだよ‼ と頭を掻き毟っていると、


「イヤイヤイヤ、がっくんまだ中二でしょ。焦ることないって」


 花さんに『どんまい』とばかりに頭を撫でられた。


「その励まし、逆にキツイっす」


 拓海が「そっとしておいてやってください」と俺の頭から花さんの手を外した。


「マールーオーめー‼ 裏切り者がー‼」


 じっとしていられなくて、訳もなく走り出す。


「どこに行くの、がっくん‼ 裏切るも何も、何の約束もしてないじゃん‼」


 俺の後をマルオが追いかけてきた。


「なんか青春っぽいんで、とりあえず俺らも走りましょう」


 と、拓海と花さんが続く。


 その様子を笑いながら蒼ちゃんがカメラに収めていた。


 そんな感じで楽しく撮影を進め、撮り終わっても何だかんだ毎日四人で集まり、友情を深めたところで夏休みは終わった。


 新学期が始まって、いつも通り眠い目を擦りながら『何がこの文章から作者の意図を読み解けだよ。言いたいことがあるなら直で言えよ。なんで友達でもないお前の気持ちを長々しい文章を読まされて、挙句察しなきゃいけないんだよ、面倒臭いな』などという、情緒もクソもない悪口が口から飛び出さないように、しっかり唇を閉じて国語の授業を聞き流していると、


「ほぇ⁉」


 右隣から、奇声がした。


「オイ、授業中だぞ」


 先生が蒼ちゃんに向かって注意をした。


「スイマセン。しゃっくりが……。ヒックヒック」


 蒼ちゃんが、しゃっくりをするフリをしてさっき奇声を誤魔化そうとした。


「あんなしゃっくりがあるかよ」


 しかし、やはり先生には通用しなかった。


「しゃっくりです。ヒックヒック」


 が、蒼ちゃんは押し通す。これを折れない心というのか、しつこいというのか。


「今度やったら職員室な」


 何を言っても『しゃっくりです』としか答えそうもない蒼ちゃんに、先生の方が折れた。


「はーい」


 逃げ切った蒼ちゃんは、机の下でスマホを見ながら、今度こそ変な声を出さない様にと自分の口を手で押さえながら、ニヤニヤ笑った。


 ニヤつきが止まらない蒼ちゃんを、ちょっとヤバいなコイツと思いながら横目で見ていた時、机の中でスマホが光った。


【蒼ちゃん、キモい。】


 拓海からのグループLINEだった。それに、蒼ちゃんもマルオもすぐに気付いた様で、即既読三になった。


【蒼ちゃん、コワイ。】


 そしてマルオから拓海のメッセージを真似た返信がきた。


 あ、マルオに俺が打とうとしていた【コワイ】を取られてしまった。語彙力はなくともノリは良い方でありたい俺にスルーという選択肢はなく、


【蒼ちゃん、臭い。】


 かろうじて韻だけを踏んだ適当な言葉を返信すると、


「ぶッ。ゴホゴホゴホ」


 拓海のツボに入ったらしく、吹き出してしまった。が、流石の役者志望。上手く

咳で誤魔化した。そして、


【がっくん、殺す。】


 突然の殺害予告LINEをされた。


 今度はそれにマルオがハマリ、肩を揺らしながら静かに笑い出した。


【蒼ちゃんが臭いばっかりに、がっくんが死ぬの?】


 マルオの一文に、蒼ちゃんと俺も笑い出しそうになってしまい、国語の授業が終わるまで、四人共奥歯を噛みしめて笑いに堪える事態となってしまった。


 授業が終わるチャイムが鳴り、先生が教室を出て行った瞬間に、


『オイ‼ 蒼ちゃん‼』


 拓海とマルオと俺とで『笑かすなよ‼』と蒼ちゃんの席を囲んだ。


「イヤイヤイヤ、がっくんも悪いだろ。なんで俺が臭いんだよ‼ キレそうになったわ」


 蒼ちゃんが「しっかり制汗剤付けてるっつーの‼ シトラスフローラルじゃ、コノヤロウ」と、俺の頭を鷲掴み、自分の脇に近付けると、


「確かにそう‼ がっくんがわけの分からんタイミングで【臭い】とか言うから、俺まで笑ってしまったんじゃん」


 拓海も加勢して、俺の顔を蒼ちゃんの脇に押し付けた。


「待て待て待て待て‼ マルオだって悪いだろ‼ 何だよ【蒼ちゃんの臭さで、俺が拓海に殺される】って。笑わせに来てるじゃん‼ 悪いのは俺じゃねぇ」


 と標的をマルオに変えようとすると、


「それは、拓海が急に殺害宣言するからじゃん‼」


 マルオが「元凶はあっち」と拓海を指差した。


「えー‼ 俺⁉ 違う違う‼ そもそもは蒼ちゃん‼」


 拓海がマルオの人差し指を握り、蒼ちゃんに向けた。


「そうだ。蒼ちゃんが授業中に、聞いたこともない声を出したのが悪いんだ‼」


 俺も人差し指を蒼ちゃんの方向へ。


「蒼ちゃん、何があったの?」


 マルオが蒼ちゃんに向かって首を傾げてみせた。


「これを見ろ‼」


 蒼ちゃんがニヤリと笑い、タブレットを机の上に置いた。それを三人で覗き込む。


 そこには【金賞・岳海蒼丸】と書かれた一文が載っていた。


『何コレ』


 蒼ちゃん以外の三人の声が見事にハモった。だって、何のことだかサッパリ分からない。


「夏休みに撮影したヤツ、コンクールに応募したら賞取った‼」


 蒼ちゃんが「やったな、俺たち‼」と言いながら、俺ら三人の肩を叩いた。


「【岳海蒼丸】って、まさか……」


 マルオが苦笑いを浮かべながら蒼ちゃんを見た。


「俺たちのグループ名」


『やっぱりね』な蒼ちゃんの返事に、


「だっさ」「クソだせぇ」


 間髪入れずに拓海と俺が反応。


「何で勝手にグループ名決めてるんだよ」「相談しろよ」「これはない」


 そして、拓海と俺とマルオで蒼ちゃんを責める。


「だって、このコンクールに気付いたの、締め切り一時間前だったんだもん。三人の意見聞いて纏める時間なんかなかったし。つか、言うほどダサくなくね? 漁船みたいでカッコ良くね? そんなに怒ることなくね?」


 と何の悪びれもない蒼ちゃん。


「そう言われればカッコ良く……ねぇわ。全然カッコ良くねぇわ」


 蒼ちゃんの言葉を一旦飲み込もうとしてみたが、やっぱり無理で、


「グループ名以前にコンクールに応募する話すら聞いてない」


 拓海に至っては、コンクール参加自体が引っ掛かるらしい。


「だから、締め切り一時間前にこのコンクールの存在を知ったんだって」


 しかし蒼ちゃんは『別にいいじゃん』的なノリで、俺らの抗議は意にも留めない。


「『優れた脚本とカメラワーク。編集・演出も秀逸』だってー。めっちゃ褒められてるじゃん‼」


 全部を自分勝手に決めてしまった蒼ちゃんを責める俺と拓海を他所に、マルオが選評に目を通した。


「どれどれ……」


 マルオにつられて拓海と俺も選評を目で追う。


「…………」


 俺の隣で、拓海が表情を曇らせた。


 そこに書いてあったのは、蒼ちゃんを賞賛する文章だけだったから。


 拓海の演技に関する文章は、一行もなかった。


 マルオや俺とは違い、役者になると心に決めている拓海にとって、何の評価もされなかったことはショックだったのだろう。


「……やっぱ蒼ちゃんって、才能あるんだな」


 拓海が悔しそうに呟いた。


「今回は映像コンクールだったから、次は演劇のコンテストとか応募してみる?」


 蒼ちゃんが拓海の様子を気にしてか、拓海が目立てそうなコンテストへの挑戦を企てた。


「それ、拓海は大丈夫だろうけど、俺らヤバイだろ」


 拓海を気遣った蒼ちゃんの提案は、拓海以外の三人には結構厳しい。マルオと俺は大根だし、蒼ちゃんはすぐ死ぬ役だったから、実力のほどが分からない。


「二人共、頑張れよ‼ 俺は次もすぐ死ぬ」


 蒼ちゃんが他人事の様に、マルオと俺の二の腕をパシンと叩いた。


「またかよ、蒼ちゃん」


 蒼ちゃんの横腹を「ずるいな、オイ」と 肘でど突き返すと、


「だって、見ただろ。俺が出てるシーン、姉ちゃんにカメラ任せたらなんかおかしなことになったし、カメラ固定したらみんなが枠から出ない様にって、動けなくなっちゃったし、あそこだけなんか変な絵面になったじゃん。そういうシーンを極力少なくするには、俺が死ぬしかないじゃん」


 蒼ちゃんが「俺の分まで生きてくれ‼」と俺の肩を抱くと、「お前らも来い」と拓海とマルオの肩も纏めて抱き寄せた。


「なんで無理矢理出演するんだよ。出ないっていう選択肢はないのかよ。そんなにカメラ回したいなら、完全に裏に回ればいいじゃん」


 と言いながら、拓海がするりと蒼ちゃんの腕から抜け出した。


「それじゃあ、俺だけ除け者じゃん。淋しいじゃん。ちょっとでもみんなと同じシーンに出たいのー‼」


 蒼ちゃんが、逃すまいと後ろから拓海に抱き着いた。


「何も、死ななくて良くない? 消え方が穏便じゃないんだよねー」


 と苦笑いを浮かべるマルオの意見も、


「エキストラじゃ、三人との絡みがないやん。それは嫌」


 蒼ちゃんは顔面を左右に振って拒否した。


「転校ってことにするとかは? 二回連続で早死にって、確かにちょっとねー」


 とマルオに同調すると、


「それは、俺の心の葛藤とかを書かなきゃいけなくなるから、話がごちゃつく。主役は拓海なんだから‼」


 蒼ちゃんが「却下」と俺に向かって両手をクロスした。


「イヤイヤイヤ、人が死ぬ方がごちゃつくわ。大問題だわ」


 拓海が、俺らの話を全く聞き入れない蒼ちゃんの額をペシッと叩いた。


「とーにーかーく‼ 俺はすぐ死ぬ。即死‼ 今度こそちゃんと泣いてよね、がっくん、マルオ。先回は俺が死んだっていうのに、全然涙出てなかったし‼ 拓海はちゃんと泣いてくれたのに。拓海の愛を感じてめっさ嬉しかったわー」


 頑固な蒼ちゃんは死ぬと決め込むと、マルオと俺にダメ出しだした。


「演技だよ。嘘泣きに決まってるだろ。愛なんかねぇよ。愛してねぇよ」


 蒼ちゃんに冷めた視線を送る拓海。


「イヤ、演技であそこまで泣けない」


 最早蒼ちゃんには、自分の都合の悪い言葉は聞こえないらしい。


「演技なんか出来なくていいって、楽しくやればいいって言ったじゃん、蒼ちゃん‼」


 そんな蒼ちゃんにマルオが抗議。


「自然に涙出るだろ。俺、死んでるんだよ⁉ 演技なんかしなくても出るはずじゃん‼ そこは楽しんじゃだめなシーンじゃん‼」


 蒼ちゃんが反論。

「死んでねぇしな。蒼ちゃん元気にピンピンしてるじゃん。さっぱり泣けねぇわ。そもそも俺、ドライアイだしな。目、カラッカラ。目薬使っても、しっかり吸収しちゃうわ」


 次回作もおそらく泣けないであろうことを示唆する俺に、


「眼科に行け。がっくんが使ってるヤツ、医薬部外品だろ。病院からちゃんと医薬品の目薬を貰って来い」


 蒼ちゃんが目つぶしをしようと、俺の目の前に人差し指と中指を向けた。


「危なねぇ‼ バカ‼」


 蒼ちゃんの手を避けながらふざけていると、


「で、次の撮影はいつするの?」


 いつもの様にマルオが、いつもの様に反れてしまう俺らの話を本筋に戻した。


「うーん。部活、また大会控えてるしなぁ」


 蒼ちゃんが頬杖をついた。


「もうすぐ体育祭も文化祭もあるしねぇ」


 拓海が蒼ちゃんの背後にある予定表が貼られている黒板に目を向ける。


「修旅もあるねぇ♬ 楽しい行事が盛りだくさんだねぇ」


 蒼ちゃんと拓海の話に乗っかると、


「テストもあるけどねぇ」


 マルオが地獄のような現実を口にした。


「オイ、マルオを黙らせろ」「口にガムテ貼るか」「イヤ、俺がまつり縫いする」


 楽しいことだけを考えていたい蒼ちゃんと拓海と俺は、現実から背きたいばかりに「ひっ捕らえろ」と言う蒼ちゃんの指示に従い「承知‼」と拓海と俺とでマルオの両手をロックオンした。


「ヤメテヤメテ‼ 『色々あるから、撮影は冬休みだね』って言いたかったの、俺は‼ 冬休みだったら時間あるし、手が空いた時にちょくちょく道具作れるなぁって思っただけだって‼」


 マルオが「だから、撮影まだだけど脚本ちょうだいって話なのにー」と足をバタつかせる。


「オイ、お前ら‼ 何やってるんだ‼ マルオから手を離せ‼ 大事な大事なマルオくんが怪我でもして、小道具が作れなくなったらどうしてくれるんだ‼」


 蒼ちゃんが、拓海と俺からマルオを引き剥がし「大丈夫か? マルオ」と言いながら、マルオの腕を摩った。


「オイオイオイオイ。蒼ちゃんがひっ捕らえろって言ったんじゃん」


 拓海に「何を俺らを悪者にしてるんだよ。なぁ、拓海」と同意を求めると、拓海が「何なんだよ、蒼ちゃんの白々しい演技は」と白けながら頷いた。


「記憶にない。マルオを傷つけたら許さん‼」


 蒼ちゃんがマルオに抱き着き「マルオにはすぐに脚本渡すね。明日持ってくる‼」とマルオの背中を撫でた。


「どうでもいいけど、俺らの分も脚本持って来いよ。俺ら、すぐ死ぬ蒼ちゃんのセリフ量の十倍はあるんだからな。覚えるの、大変なんだからな。いつまで続けるんだよ、この茶番」


 今度は俺がマルオから蒼ちゃんを引っぺがす。


「そうだなー。君たちはオツムが小さいから、覚えるのにも時間が掛かるんだろうなぁ。しょうがないから、君たちにも脚本持ってきてあげるよ」


 と笑う蒼ちゃんに、


「すぐ記憶を失くす蒼ちゃんなんか、脳みそ無いに等しいだろ」


 拓海がすかさずツッコミを入れた。


「ひどーい。何でそんな酷いことを言うの? 涙が……」


『出てない』


 嘘泣きをしようとした蒼ちゃんに三人同時にツッコミを入れたところで、次の授業が始まるチャイムが鳴った。


 こんな平凡で楽しい毎日を四人で過ごしながら、体育祭や文化祭、修旅も勿論満喫し、何とかテストも潜り抜け、待ちに待った冬休みが来た。……のは良いが、


【死ぬ】

【瀕死】

【てか多分俺、既に死んでる】

【絶命】


 四人のグループLINEに飛び交う【死】の文字。


 まさかの四人同時にインフルエンザになってしまったのだ。撮影どころではない。


【誰だ、俺に移したのは】


 そして始まる犯人捜し。


【どうせ拓海が女からもらってきたんだろ】


 蒼ちゃんが拓海に妬み込みの疑いをかけた。


【それで言うなら、マルオかもしれないじゃん】


 拓海がマルオ犯人説を提唱。


【俺は拓海と違って彼女だけだし‼】


 マルオに思わぬ反撃をされる拓海。


【拓海・どの女の仕業か分からないの巻】【拓海・ヤった女自体、どこの誰だか分からないの巻】


 蒼ちゃんと俺とでマルオに被せる。


【俺をヤリチンに仕立て上げるな。インフルはキスでも伝染るけど空気で感染するからな】


 槍玉に挙げられ、言い返す拓海。


【知ってるよ】【常識じゃん】【何言ってんの?】


 しかし、マルオと蒼ちゃんと俺に一致団結され、


【黙って寝とけよ‼ クソが‼】


 拓海はこの日、何を送っても既読スルーを決め込んだ。


 そんなこんなで、俺ら四人の中二の冬休みは床に伏せて終わった。



 そしてあっという間に中三になった。


 俺の中学は、二年から三年になる時にクラス替えがない。つまり、今年も蒼ちゃん・拓海・マルオと同じクラス。


 また四人で騒いで、撮影したりし……ている場合ではなかった。


「高校、決まった?」


 蒼ちゃんの席に拓海とマルオと俺が集まり、四人で進路相談のプリントを眺める。


 中三の俺たちには、受験という地獄が待ち構えていたのだ。


「俺はA高。蒼ちゃんは?」


 拓海の言うA高は俺らが住んでいる地域では偏差値高めの公立校だった。


「何だよ、拓海。顔も良ければ頭も良いのかよ。俺は、去年はB高希望で進路相談してた」


 蒼ちゃんが希望しているは私立の進学校。


「蒼ちゃんも拓海とそんなにレベル変わらないじゃん。俺は、C工業」


 実家が建築事務所のマルオは、県内で一番偏差値の高い工業高校を志望していた。そして俺は、


「俺はD高」


 ランクで言えば中の下の高校を選んだ。俺は、三人の様に頭が良くないのだ。


「みんなバラバラやな。マルオはさぁ、どうしても工業高校がいいの? 男ばっかじゃん。そりゃあ、彼女さんは安心かもしれないけどさー。女子がいた方が楽しいと思うけどなー」


 四人出揃った志望校の中で、マルオが行きたいと言っている高校に疑問を持つ蒼ちゃん。


「うーん。家を継ぐならその方がいいのかなーってだけ。だから、大学から工学科に入っても別にいいんだけどね。別に、『絶対に継ぎたい』ってわけじゃなくて、他にやりたいことが出来たらそっちの仕事をするつもり。でも、それが上手く行くとは限らないじゃん。折角家業っていう保険があるんだから、その勉強はしておこうと思って」


 中三のくせにかなりしっかりとした考えを持っているマルオ。のほほんと何も考えずに生きていた自分との違いに驚愕した。マルオは、心も身体も大人だった。


「そっか。大学からでもいいんだ。だったらさ、みんなの志望校をA高にしない?」


 蒼ちゃんの提案に、ただでさえ驚愕していた俺の目がひん剥けた。


「は⁉ はぁ⁉ 何で⁉ つか、何言ってんの⁉ 無理だよ‼ どう考えても無理だろ‼ 俺の志望高、D高だぞ⁉」


 蒼ちゃんに激しく抗議。蒼ちゃんやマルオは大丈夫かもしれないけど、俺にA高はハードルが高すぎる。


「だってやっぱさぁ、四人同じクラスになれなくても、同じ学校にいた方が何かと良くない? 行事とかテストとか同じ日に行われるわけだから、予定合わせやすいじゃん。俺、高校生になっても四人で撮影がしたいんだよね」


 蒼ちゃんが「みんなと離れたくないのー‼」拓海とマルオと俺の手を握った。


「そうだねー。俺も来年もみんなと撮影したいな。俺はいいよ、A高。頑張るよ」


 A高に行ける学力を既に持ち合わせているマルオは、すんなり快諾。でも、


「イヤ、別にマルオは頑張らなくてもA高に行けるだろ。俺は無理だよ。頑張っても無理‼」


 俺は拒否。正直、D高だってちょっと頑張らなければ行けないくらいなのに。つか、進路希望に【A高】と書いた時点で「自分の脳みその具合を考えろ」って先生と家族に爆笑されるっつーの。


「頑張ろうよ、がっくん。一人欠けたら【岳海蒼丸】じゃなくなるじゃん」


 拓海が俺の肩に手を置いた。


「そのグループ名、『クソダセェ』ってバカにしてたくせに何言ってるんだよ。それに、俺だけ学校が別になったって、俺が三人に予定を合わせるから大丈夫だって。どうせバカ高なんだから」


 拓海の肩に「無茶苦茶言うな」と手を置き返す。


「でもさぁ、四人一緒の高校に行けたら、絶対楽しいと思うんだよね。また修旅とか一緒に行きたくね? 体育祭とか文化祭とか、四人で騒ぎたくね? 同じクラスにはなれなくともさ、休み時間とか帰り道とか、くだらない話したくね?」


 蒼ちゃんの怒涛の質問は、明らかに俺に向けてのものだったのに「そうそう」「分かる分かる」と、拓海とマルオが頷いた。


「……それは……そう思うけどさ」


 思ったことが現実になるほど、世の中は甘くないことを十五年も生きていれば流石に気付く。


「そう思うなら、がっくんもA高でいいじゃん‼ よし‼ みんなでA高行こう‼」


 しかし蒼ちゃんは、俺の気持ちも学力も無視して、俺の進路相談のプリントの希望高校の欄に油性ペンで【A高】と書き記した。 


「オイオイオイオイ、勝手に書くなって‼」


 慌てて蒼ちゃんの手首を掴んで止めるが、


「じゃあ、第二希望が【D高】で」


 今度は拓海が代筆。


「待て待て待て待て。いきなりランク下がりすぎだろ‼」


 拓海からプリントを奪い取ろうとしたが「マルオ、パース‼」と言いながら、拓海はマルオにプリントを回してしまった。


「そうなると、第三希望は【C工業】か」


 マルオが第三希望の高校まで埋めてしまった。


「何でだよ‼ 第二希望より偏差値高くなってるじゃん‼ 女の子も少ないし‼」


 マルオからプリントを奪い取り、ようやく手元に戻ってきたそれを眺めながら「これ提出したら、まじで職員室呼び出しじゃん」と頭を抱えた。


「がっくんてさ、受験の為に塾とか行かないの?」


 蒼ちゃんが俺の頭をポンポンと撫でた。


「行くに決まってるじゃん。俺はお前らと違って、塾通いしてやっとD高なの‼」


 蒼ちゃんと拓海とマルオに顰め面を向ける。


「塾に行くならA高狙えよ。金かかってるんだから」


 拓海が俺の眉間に入る皺を無理矢理伸ばした。


「まぁ、A高目指して勉強してれば、D高には受かるもんね。大は小を兼ねるよね」


 マルオが拓海に同調すると、


「じゃあ、やっぱり第一希望はA高でいいってことだよね。結果、D高には合格出来るわけだから」


 蒼ちゃんが強引に話を纏めた。


「『じゃあ』じゃねぇよ。何その結論」


 しかし、全く承服出来ない。


「あぁ、もう‼ がっくん、頭悪いんだから『はいはい』って言うこと聞いとけよ」


 俺を説得するのが面倒になった蒼ちゃんが、貧乏揺すりを始めた。


「素直に『はい』って返事すればいいだけなのに」


 拓海が「たった二文字」と言いながら、俺の目の前で人差し指と中指を突き立てる。


「ちゃんとお返事出来たら『いいこいいこ』って頭撫でてあげるのに」

 

マルオが「早く言っちゃいなよ」と俺の肩を揺すった。


「『はい』って返事したら、頭撫でられたら、俺はA高に行けるのかよ。行けねぇだろうが」


 それでも俺は意見を変えない。だって、無理なものは無理なのだ。


「イヤ、行けると思う」「うん。大丈夫」「ギリ行ける」


 しかし、拓海とマルオと蒼ちゃんはどこにも根拠がない断言で俺の言葉を打ち消す。三対一では勝ち目がない。


 俺だって、三人と同じ高校に行けたらって思う。A高に入れたら、家族みんなが喜んでくれるんだろうなとも思う。


「……落ちても責めんなよな」


 あまりにしつこい三人に根負けしたのもそうだけど、A高に受かれば漏れなく全員がハッピーな訳で。だから、恐らく人生最初の難関であろうこの荒波に、立ち向かってやろうと思った。


「落ちたらお仕置きじゃ」


 蒼ちゃんが笑うと、


「蒼ちゃんが落ちたりして」


 そんな蒼ちゃんを拓海が意地悪な顔をして笑った。


「それな。俺、私立狙いだったから、三教科しか勉強してないからな」


 蒼ちゃんが「捨てた理科と社会を拾わねばならん」と溜息を吐いた。


「俺、ゴリゴリの理系だから、国語と英語が実はやばいー」


 蒼ちゃんの隣でマルオも眉を顰めた。


「じゃあ、受験が終わるまで撮影はおあずけな。みんなで行こうぜ、A高‼」


 拓海が俺らの肩を抱くと、


「受かるぞ、A高‼」


 四人でスクラムを組む様に、互いの肩に腕を絡めた。


 そしてその旨を家族が揃って囲む夜ご飯の食卓で話すと、


「あはははははは‼ やめて、ご飯吹き出しちゃう‼ 飲み込めない‼」


 俺の隣で姉が腹を抱えて笑った。


「【デー】だろ? 【エー】じゃなくて、【デー】だろ?」


 父は、俺の言い間違い若しくは自分の聞き間違いだと思っているし、


「お熱でもあるのかしら」


 母は俺の病気を疑い、俺の額に自分の掌を乗せた。


「イヤ、A高。俺も今まで、D高の近くを通る度に『ここが俺の母校になるのか』って思ってたんだけど、どうやらそうではないらしい。俺の母校、A高らしい」


 母の手を「平常で正常」と言いながら下ろす。


「まぁ、A高を目指すことと願書を出すことは、どんな馬鹿にでも権利はあるからね。ただ、入学は誰にでもは出来ないのよ、残念だけど」


 姉が涙を出しながら笑うと「どんまい」と言いながら俺の肩を叩いた。


「うるさいな。絶対A高に受かって、姉ちゃんを見下してやるからな‼」


 俺の肩に乗っかっている姉の手を払い除ける。


「お姉ちゃんのを『見返す』んじゃなくて、『見下す』のかよ。まぁ、高見を目指すのは良いことだ。頑張りなさい。ただ、滑り止めは必ず受かる学校を受けること。世の中には『保険を掛ける様なヤツは大成しない』とかほざく大人がいるが、保険を掛けない様な人間は、失敗した時に周りに迷惑をかけやがるからな。保険はとも大事‼」


 姉ちゃんと俺のやり取りを見ていた父親が、『保険は大事』と熱弁しながら、俺のA高受験を応援してくれた。おそらく彼は、保険を掛けなかった無鉄砲な誰かに迷惑を掛けられた苦い過去があるのだろう。


「了解‼」


 こうしてA高を目標に勉強する日々が始まった。


 引退試合が終わるまでは部活を頑張り、それ以降は塾に通い、蒼ちゃんと拓海とマルオに追いつくべく、必死に勉強。


 元々勉強嫌いな俺は(勉強好きならD高を希望などしていないわけで)、幾度となく心が折れかけれてしまう。その度に蒼ちゃんと拓海とマルオが励ましてくれた。


 蒼ちゃんが「四人で勉強しようよ」と提案してくれたが、それは断り一人で黙々と机に向かった。四人で集まってしまうと、つい楽しくなって勉強などしなくなることが目に見えていたから。


 夏休みも冬休みも講習で潰して頑張ったのに、入試前のA高合格判定は【B評価】だった。超微妙。ちなみに他の三人は【A評価】だったらしい。


 こんなに勉強したのに、俺だけ落ちたら……。不安の余り、入試前日にお腹を下し、当日は下痢止めを飲んで挑む羽目になった。


 お腹を撫でながらA高に向かうと、校門の前で蒼ちゃんと拓海とマルオが待っていた。三人の方へ歩いて行くと、


「おはよー、がっくん。お腹、どうした?」


 俺の様子に気付いた蒼ちゃんが、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


「昨日からビッチビチやねん」


 三人に両手を「漏らしたらゴメン」と合わせる。


「大丈夫かよ。薬飲んだ?」


 拓海が「俺、胃腸薬持ってるよ」と鞄の中を漁る。


「下痢止めは飲んできたんだけど……一応貰ってもいい?」


 拓海に「恵んで」と掌を向けると、拓海が「一回三錠な」と俺の手に薬を握らせた。そんな絶不調な俺の腹に、


「がっくん、コレ貼っておきな」


 マルオはカイロを張り付けてくれた。


 こんな時、仲間っていいなと思う。やっぱりこの三人と同じ高校に行きたい。


 どうしてもどうしても、A高に受かりたい。


 四人で受験会場の教室へ入る。


 試験開始時間になり、全員一斉に裏返されていたプリントを捲りあげた。


 腹の調子など忘れるくらい、間違いなく今までの人生の中で一番集中した。


 でも、全回答を埋めることは出来なかった。


 いっぱい勉強した。精いっぱい頑張った。これでダメなら仕方がないと思う。


 試験からの帰り道の四人の会話は、全員が『自信がない』だった。


 でも、俺の自信がないと他の三人のそれとは違う気がする。だって、そもそものレベルが違っていたわけだから。入試前になっても、俺は三人に追いつけていなかったわけだから。


 多分俺は、A高には行けない。


 家に帰ると、トイレに直行し、便器に腰を掛けながら泣いた。



 合格発表当日。ネットで合否確認出来るのに、蒼ちゃん・拓海・マルオと共に四人でA高の掲示板を見に行くことにした。


 最後に四人でA高の門を潜りたかったから。


 受験日と同様に四人でA高の校門で待ち合わせをすると、言葉少なに掲示板へと向かった。受験票を握りしめ、四人で掲示板を見上げる。


 拓海の番号は、あった。蒼ちゃんもある。マルオの番号も書かれていた。でも、


「やっぱ、そうだよな」


 俺の番号は見当たらなかった。


 みんなの前で泣きたくなくて、今にも零れそうな涙を堪えて無理矢理笑って見せた。そんな俺の肩を、無言で拓海とマルオが抱き寄せた。そこに、


「やったなー‼ みんな受かってたなー‼」


 近くにいたはずの蒼ちゃんが、何故か少し離れた場所から手を振りながら走って来た。


「……見間違いだよ、蒼ちゃん」


 あんまりな間違いをする蒼ちゃんにイラっとして、強く握り過ぎてクシャクシャになった自分の受験票を「良く見ろ」とばかりに蒼ちゃんの胸に叩きつけた。


「悪意がなくとも、その見間違えはやっちゃだめ」


 拓海も蒼ちゃんに注意をすると、


「ちょっと笑えないよ、蒼ちゃん」


 マルオも蒼ちゃんを責めながら、俺の背中を撫でた。


「視野が狭い奴らだなぁ、もう」


 蒼ちゃんが、肩を寄せ合う拓海とマルオと俺の背後に回ると、末尾の受験番号が貼られている掲示板の方まで俺らの背中を押した。


 俺らの受験番号は、担任が早めに願書を出した為に早番だった。


 だから、こんなところに連れて来られても、俺の番号はあるわけがない。なのに、


「ほら‼ あるじゃん‼」


 蒼ちゃんは『よく見ろ‼』と掲示板を指差した。


「……ほんとだ」


 拓海が蒼ちゃんから俺の受験票を奪い、掲示板と受験番号を見合わせる。


「……ある。あるよ‼ がっくん‼」


 マルオが拓海の手に持たれた俺の受験票を覗き込み、掲示板を確認すると、俺に抱き着いてきた。


「……でも、辞退者が出なかったら入れないじゃん」


 俺の番号は、補欠合格者の掲示板にあった。故に、俺のA高入学は確定ではない。


「隣の県の公立の発表も確か今日とか昨日とかだったんだよ。わざわざ県跨いで通う奴とかいるし、辞退者は毎年絶対いるんだって‼」


 全然喜ぼうとしない俺の肩を蒼ちゃんが揺らした。


「欠員が出たところで、俺の他にも補欠はいるじゃん。俺が選ばれるとは限らないよ。ぬか喜びさせないで」


 俺を揺する蒼ちゃんの手を握って止めた時、制服のポケットに入れていたスマホが震えた。右手をポケットに突っ込んでスマホを取出し画面を見ると【母】の文字が表示されていた。


 合否の確認の電話だろうか。自分の口から言うのが辛いため、ネットで調べてくれないだろうかと、自分の実力不足で不合格だったくせに、母に苛立ってしまう。


「ちょっとゴメン。電話出る」


 三人に断りを入れ、しぶしぶスマホの通話ボタンをタップする。


「……はい」


『岳、補欠だったでしょ』


 ネットで俺の合否を知っただろう母が、わざわざ俺にも確認の電話を入れてきた。


「……うん」


『結果が分かっているなら電話なんかよこすなよ』とイライラが増幅。


『さっき、担任の先生から電話が来たわよ。岳、繰り上げ合格だって。おめでとう‼ 補欠でも何でも、合格は合格だものねー‼ お友達はどうだった? 岳が補欠だったんだから、みんなも大丈夫だったんでしょう?』


 電話の向こう側の母は、今年一番のハイテンションだった。


「……うん。みんな受かったよ。てか、それ本当なの?」


 蒼ちゃんと拓海とマルオが俺の受験番号を見間違っていないか確認してくれた様に、俺も聞き間違ってはいないかを再度母に確認。


『本当だって‼ みんなでA高行けるねー‼ 良かったねー‼ 今、お友達と一緒にいるんでしょう? 遊んで来てもいいけど、早めに帰宅してね。今日は家族で岳の合格祝いするから』


 嬉しそうに【合格】という言葉を口にする母に、『あぁ、聞き間違いじゃないんだ』と、堪えていた涙が眼球から滴り落ちた。


 母の電話を切ると、母から連絡をもらっただろう父の【よく頑張った。おめでとう】というLINEメッセージと、姉からのおめでとうLINEスタンプが受信されていた。


 スマホの画面にぶつかって広がった涙を、制服の裾で拭っていると、


「がっくん、大丈夫?」


 心配したマルオが俺の頭を撫でた。


「……俺、繰り上げ合格だって。A高、みんなと一緒に行けるって‼」


 マルオに抱き着くと、


「やったー‼」「良かったー‼」


 蒼ちゃんと拓海も覆いかぶさって来た。そして、


「がっくん、おめでとう」


 マルオが泣き出すと、


「本当におめでとう」


 蒼ちゃんもつられて泣いてしまった。


「がっくんも勿論おめでとうだけど、俺らもおめでとうだろ」


 そんな二人を見て、拓海は苦笑い。


「確かに。がっくんもめっさ頑張ってたけど、俺らだって勉強しまくったもんな‼ がっくんも俺らにおめでとうって言えよー‼」


 さっきまで泣いていたくせに、急に笑顔になっては「早く言えー」と言いながら俺を擽り出す蒼ちゃん。


「そうだよー。言ってよー」


 マルオも蒼ちゃんに便乗して俺の横腹を狙う。


「言え言え」


 拓海に至っては、俺の脇の下を襲撃した。


「あはははははは。くすぐったいー‼ やめてやめて‼ みんなおめでとうって‼」


 三人に強制的に笑わせられながら『おめでとう』と言うと、


『ありがとう、がっくんー‼』


 と三人に更に擽られまくり、笑い過ぎて吐きかけた。


 やっぱり俺は、みんなと一緒にいる時は、泣いているより笑っていたい。


 こうして俺たちの受験地獄は、俺だけ補欠合格という形だったけれど、とりあえず有終の美を飾って終わった。


 受験が終わってしまえば、お待ちかねの中学最後の春休み。


 ここぞとばかりに四人で集まり、第二回・岳海蒼丸撮影会を開催。


 マルオが張り切って作った小道具やら何やらを存分に使い、今回も蒼ちゃんは早々に死に、拓海は完璧に役になりきり、俺は今度も覚えたセリフを吐き出すのがやっとで、先回と同様に蒼ちゃんが死んでも泣いてあげられなかった。


 久々の撮影はやっぱり楽しくて、ふざけすぎて(主に蒼ちゃんが。そんな蒼ちゃんにマルオと俺がいつも釣られる)撮影が止まってしまうことも多々あったが、その度に拓海にお叱りを受け、そのおかげもあり、何とか春休み中に全部撮り終わった。


 まだ二回しか撮っていないけど、前の作品より良い作品が出来た気がする。なんとなーくだけど、そんな気がした。


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