第177話 (閑話)董青伝その3

中平二年(西暦185年続き)  董青の父董卓が涼州の反乱討伐を命ぜられる。



※歴史家の注 同名の兄、董木鈴が同行。反乱軍は董卓に反乱参加を説いたが木鈴が論破した。また反乱軍と羌・月氏の関係を見抜き、絹を贈って羌・月氏を帰国させた。異民族の支援を失った反乱軍は孫堅の軍に撃破された。


中平三年(西暦186年)     董青は洛陽でならず者に襲われ、河伯教団の教祖である徐晃に救われる。その縁で翌年徐晃に嫁いだ。



※歴史家の注 このころ、反宦官の何進・袁紹派閥と親宦官の董卓派閥が反目しておりその影響か。

       

※歴史家の注 このころ、河伯教団の教祖はもともと董青で、結婚後に徐晃が継いだともいわれる。

       


中平四年(西暦187年)    徐晃に嫁ぐ。河伯教団と泰山の山賊が青州で反乱を起こすが、青州都督孔融および西園軍を率いた劉備に鎮圧される。



光熹元年(西暦188年)    劉弁の即位により改元。何進・袁紹派閥が宦官討滅の兵を挙げる。洛陽の河伯教団も襲われ、董青は徐晃と共に猛津の劉弁のところに逃げた。猛津では劉弁の徳を慕った民が多く集まり、その中に教団信者も多く、劉弁に従って洛陽に帰る。洛陽に帰ると心労で倒れ亡くなった。享年16。

董卓は皇帝の帰還に功あったため、董青を皇后に立てようとしていたが、亡くなったためやむを得ず董青の姪の董白を皇后とした。


※歴史家の注 董青はすでに婚姻していたはずであり、皇后に立てようとしたのはその後の董卓独裁を批判するための捏造か。



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