第107話 (閑話)孫堅その2
(はてはて、こりゃ困った)
孫堅は洛陽に置き去りにされている。
今を時めく
さて、要職にあるものが服喪だからといって官職を投げ出してよいのかという議論はずっとあった。
はるか古代、殷や周の王が不思議な宗教的な力で統治していた。
この世の中の時間がずっとゆったりと流れていた時期は王や宰相が数年仕事をほったらかしていても問題はなかった。
そもそもそんなに緊急で取り組まなければいけない仕事などはなく、民は古老の言う通り去年と同じ暮しをしていればよいだけだったからだ。
世の中が複雑になると人生は忙しくなった。
既に春秋戦国の世になると諸国はお互いに討伐しあい、武力や技術、知恵を競い合うようになった。
こうなっては孔子の弟子ですら3年を1年にすべきと主張したりするようになる。
ただ、孔子は「喪が3年なのは民に終わりを示すため」と言っている。
自然に任せると人間の悲しみは永遠に続くため、むしろ礼法で3年と決めて
孔子はまた弟子が姉を失って服喪が過ぎても喪を
こうしてみると、孔子はむしろ3年で十分に短くした、と考えていたようである。
秦が滅び、漢が興ったが、この帝国は始まって早々に功臣が次々に謀反し、匈奴に負けて属国にされ、外戚に国を乗っ取られるなど前途多難な状況であった。
そこに文帝という名君が出た。
税も軽くした。
新田開発を促進させた。
刑罰を軽くして足や手を切り落とすという残酷な刑罰をなくした。
自分が死んだあとの葬式の手順についても細かく書き残し、3年つまり36ヵ月は長すぎるとして服喪を36ヵ日に縮めた。
これは皆が助かるということで、漢では服喪は36日にするということになった。
皇帝が36日なのに、自分の親だけ3年やってはいられないだろう。
文帝とその次の景帝が内政に力を尽くした結果、次の次の武帝の代になってようやく匈奴を撃破して属国から脱出することができた。
さて、内政が落ち着いて外国の心配もないとなると余裕が出てくる。
人生に余裕があると、自発的に3年の服喪をやる人間が現れ、それがまた儒教的に聖人であるということで称賛される。
漢が儒教の聖人たる王莽に乗っ取られ、光武帝が漢を復興させてもそれは続いた。
特に章帝が儒教を国教として整備したため、孝行を示すのが人間として最も大事なこととされた。
よって、本人が腐敗していようが愚かだろうが関係がなく、3年間服喪するふりをやりとおせば、聖人として高位高官に推薦されるようになる。
さらに、二千石の高官が服喪する際は朝廷から百万銭の褒賞まで出るのである。
後漢のこの世では儒教の名高い高位高官はみなみな3年の服喪をきっちりやりきっている。
(世の中が治まって余裕があるから服喪するのは構わねぇ、一体いまはそんな時期だってぇのかね?)
つい先年まで数十万の大反乱が中原を揺るがしていたのだ。
名将が仕事を放り出して故郷に帰っていい時代なのだろうか。
孫堅は儒教が嫌いなわけではないが、失業は嫌いだったので不満がある。
「
「……おう、銭の心配はすんな!俺に任せとけ!」
孫堅は、
自分はともかく、自分を頼ってくるやつらを飢えさせるわけにはいかない。
さっそく就職活動をしなければ。
― ― ― ― ―
「おやおや、経典の基本的な言葉もご存じないのかな?」
「これは郷里では七歳の子供も知っておるような言葉であるが……?」
失敗した。
まず、孫堅は儒教はマジメに習ってないので文官での仕官は難しい。
すると武官として将軍の部下にしてもらう道しかない。
黄巾で活躍した将軍のうち、朱儁が帰郷し、皇甫嵩は長安に駐屯していて会いづらい。
洛陽で偉い将軍といえばあとは大将軍である皇后の兄の何進しかいない。
とはいえ、何進にも伝手がないので困っていた所、潁川や汝南で一緒に戦っていた曹操が帰ってきて宴会を開くと聞いた。
その曹操が何進派閥に参加するということで、そこの宴会に参加すれば何進将軍に推薦してもらえるかもしれない。
曹操は宦官の孫ではあるが、良い武将だった。
あとは戦の話をすれば分かり合えるだろう……と思っていた時期が孫堅に有った。
何進派閥は将軍の幕府とは思えないぐらい、名士と儒者の巣窟だったのだ。
宴会で話される内容も儒教の経典の出典当て遊戯のような玄妙な会話ばっかりである。
当然、孫堅には何を言っているのかチンプンカンプンだ。
曹操と話をする前に、近くの席に座った儒者から散々に知識のなさを
(いや、こんな宴会ならこなきゃよかったぜ……)
孫堅がげんなりしていると。
酒を飲んで真っ赤になった儒者がさらに追撃してきた。
「ははは、この様子ですと、
「いや、字が読めぬのかもしれませぬぞ?」
「ああ?なんだとてめぇこの野郎、言わせておけば
先進地域の中原とは違い、呉の人間は勇猛で純朴である。
気が付いたら儒者を締め上げている。
悲鳴を上げて逃げ散る名士や儒者たち。
(なんだこいつら、ちょっと大声をあげただけで……洛陽には勇者はいねえのか)
余りの弱弱しさに孫堅は余計にムカついていた。
「乱暴はどうかおやめください!!」
そこに
若者は董木鈴と名乗った。
涼州の董卓将軍の縁者らしい。
髭もまだ生えてないような年齢だが、立ち居振る舞いは立派だ。
儒者を吊り上げて締め上げている孫堅にものおじもせず語りかけてくる。
(おうおう、若いのに勇者がいるじゃねえか)
孫堅は一発でこの若者が気に入った。
若者の言う通り、吊り上げていた儒者を投げ捨てる。
こういう若者がいる一族を率いているなら、董卓将軍もきっと気持ちのいい人間だろう。
「董将軍に俺を使ってもらえるように頼んでもらえねえか?」
「わかりました、ちゃんと董将軍には伝えておきます」
さっそく口利きを頼んだところ、若者は少し考えて、にっこりと笑って快諾してくれた。
(幸先がいいぜ)
孫堅は密かに喜んでいた。
なお、宴会で暴れられて面子を潰された曹操は激怒しており、早々に宴席を追い出された。
※
・出典 漢書 文帝紀巻四
孝経 喪親
礼記 檀弓上
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます