第3話 背中を押して

 少女の住んでいる家はとても一般的な家庭であった。

 一般的な家庭にこそ、闇は静かに根づくのだ。そんな確信も確証もない言葉を脳裏に思い浮かべながら、家の中へと足を踏み入れた。

 父と母はこの一週間は地方で仕事をしているらしく、俺がこの過去にいる間は帰ってこないらしい。

 なんたる偶然だろうか。


「それじゃお茶出すから、適当に座ってて」


 そう言って、まるで主婦のような振る舞いでお茶を用意しに行った。


 俺はどこへ座ろうか考えていた。

 座る場所は二つある。ひとつはテレビが正面に置かれているソファー、もうひとつはキッチンのそばに置かれている木製の四脚椅子。


 適当に、少女はそう言った。

 だから俺が思う適当な場所に座れば良いのだろうが、俺の適当が少女の適当とは限らない。

 さてどうしたものかーー


「早く座れよぉ」


 少女は脇腹をつつきながら耳元でボソッと呟いた。


「どこに座れば……」


「適当って言ってるでしょ。だから適当で良いって」


 そう言いながら、少女は俺の背中を押してソファーへと座らせた。その後お茶を俺に渡すと、少女は俺の隣に腰かけた。


「ねえ、どうしてお兄さんは私のお姉さんを救おうと思ったの?」


「仕事だからだろうな。俺には仕事がそれしかなかった。どんな仕事だって俺はやってきた」


「でも後悔しているみたいだよ」


「そりゃ、まあな」


 俺はこれまで多くの仕事をしてきた。

 時に人を救う救世主を演じたり、時に店長のふりをしてクレームに対応したり、時に後輩のミスをかばったりと、色々だ。

 だがそれらの経験は結局今には活かされていない。いや、活かそうとしなかった。

 ただ世界を嫌い、己を嫌い、だから全てを嫌悪した。その過程に後悔すると知らずに。


 だから俺がこの過去に来たのは、俺と同じように苦しむ人間がもう出ないようにと、そう思ったからなのだろうか。

 今となってはその答えは分からない。だから俺はこの道に苦悩する。


「そうか。やっぱそうだよね。私よりも長く生きているお兄さんは、私より多くの後悔を抱き、私よりも多くの悲しみを経験してきた。だから実際、私の痛みなんてなんてことはないんだろう」


「だが後悔なんて、しなきゃ良かったと思うことが多々あるし、実際それらは全て回避できたことだった」


「たとえそうだとしてもさ、やっぱ私は回避できないことだってある。だから私は何度も同じ後悔をし、その度に私は怒りに染め上げられる。どうして自分は無力なのだろう」


「俺がその後悔を消してやる。だからもう少し明るくいこう。その方がきっと、きっといい」


 暗くなっていた少女の表情は少し明るくなっていた。

 そして何を思ったのか、少女は俺の膝の上に座った。


「な、何を!?」


「どうせもうすぐ会えなくなるから、少しだけこうさせて」


 少女は儚げに言い、寂しそうな瞳を潤わせていた。

 その時、玄関が開けられ、ある女性がこのリビングへと入ってきた。


「あれ?この人は……」


「お姉ちゃん、もう帰ってきたんだ」


「この人……誰?知り合いで、良いんだよね」


 少女のお姉さんは明らかに動揺していた。

 それもそうだ。自分の妹が年齢の離れた男を連れてきたのだ。驚かないはずがない。


「大丈夫だよ。この人は、私の知り合いだよ」


「そ、そうなんだ」


 さすがに動揺していた。


「ところでお姉ちゃん、これからどこか行くの?」


「うん。ちょっと手紙出さなきゃいけないから」


「それじゃ私とこのお兄さんが着いていくよ」


「「え!?」」


 俺とお姉さんは同じ驚きをみせる。


「お兄さん、私のお姉ちゃんを救ってくれるんでしょ。だったらこの一週間、一度も目を離しちゃ駄目だよ」


 俺はお姉さんを救わなければいけない。

 だからここは勇気を出して行くしかない。


「そ、そうですね。では一緒に行きましょうか」


「ええええええ!?」


「お姉ちゃん、じゃあ行こっか」


「ええええええ!?」


 なんとしてでも過去を変える。

 いつ彼女が病む元凶が迫ってくるか分からない。というより、なぜお姉さんは病んでしまったのだろうか。一見普通のお姉さんだが、この人が病むとすれば……

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