干物女と係長の怪物退治日誌
鈴木 桜
【前編】普段厳しい上司が、突然人が変わったように優しいから。だから、びっくりしてるだけなんだからね!
私の名前は
恋に恋する16歳の乙女だニャン!
……。
ごめんなさい。
嘘つきました。
私の名前は
処女を拗らせた
昼間は市役所で働く私には、重大な
* * *å
午前1:23。
明日の仕事のため、お肌の健康のため、既に熟睡していなければならない時間。
私は学校の屋上で、
カラオケボックスでマイクを握っているんじゃない。
ジムでスカッシュのラケットを握っているんじゃない。
彼氏の部屋でカレピッピの手を握っているんじゃない。
深夜の学校の屋上で、刀を握っているのだ。
──理不尽だ!
「どりゃあああ!」
乙女の喉から出たとは思えないほど気合の入った低い掛け声に、自分でもどん引く。
でも、このくらい気合を入れなきゃやってられない。
──だって、目の前にいるのは正真正銘の『怪物』だから。
身長は10メートルくらいか。
でかい。
人間の形はしているが、とても人間には見えない。
なんか、おどろおどろしい見た目。
一つだけの目玉がギョロギョロとこっちを見ている。
気持ち悪っ!
大上段に刀を構えて、学校の校舎の屋上から飛びかかる。
落下の勢いを使って、刀を振り抜いた。
「やったか!」
華麗な着地を決めて、化け物の方を振り返る。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃ」
「うそ!」
今の一撃で斬れてないなんて!
腕が鈍った?
違う。
今日は仕事帰りで直行したから、スカートだしパンプスだからだ!
なんでタイトな感じのスカートにしちゃったのよ、今朝の私!
「応援呼びますか!?」
遠くから、警察官の声がする。
「大丈夫!」
それには大声で応えた。
化け物の汚い叫び声と、私の口元を隠す
え?
甲冑を着て兜を被ったときに、口の周りと喉を守ためにつけたお面のことだよ。
わからない? じゃあ、ググってね!
素顔を隠すのにちょうどいいものが、これしかなかったんだよ。家に。
話が逸れたけども。
とにかく、この化け物をなんとかしないと。
「タカシくん! 援護!」
「承知!」
呼びかけると、上空から聞こえる良いお返事。
相棒のタカシくん──使い魔の鷹──だ。
「足を斬って、倒れたところで首を斬る。よし!」
刀を鞘にしまう。
左足を引いて、ぐって腰を落とす。
──ビリっ。
あ、スカート破けた。
でも、背に腹は代えられない!
さっさと退治して帰らないと。
私は明日も(正確には今日も)仕事なんだよ!
タカシくんの羽根爆弾による空爆で、怪物が怯む。
その隙を、逃さない。
「どりゃあああ!」
本日2回目、乙女の咆哮。
遅刻だけはしたくない! だって、職場では目立ちたくないからぁ!
* * *
「言い訳は?」
「ありません」
怪物退治が終わって、諸々の処理をして帰宅したのが午前5時。
それからシャワーをして、飲んだコーヒーのカフェインは大した意味もなく。
ちょっとだけ、ちょっとだけ……。
ベッドに入った私のアホ!
案の定、寝坊した。
目が覚めたのは午前9時。もちろん遅刻。
今は
「連絡もなく1時間超の遅刻はよくない」
「おっしゃる通りです」
シュッとした体型にシュッとした切長の瞳。
全体的にシュッとした雰囲気の、ザ・できる男。
モテるけど冷たい態度には定評がある。
言い寄る女を、バッサバッサと振っているらしい。
きっと理想が高いんだな。うん。
「……疲れてるなら、無理するなよ」
え。優しい。
なんで?
「なんだ、その顔は」
「いえ」
「課長には調子悪くて病院行ってたって言ってあるから。合わせとけよ」
「え」
「なんだ」
「優しいのが意外で」
あ、心の声が出ちゃった!
「意外?」
眉間に皺!まずい!
「すみません! ありがとうございます!」
言うだけ言って、回れ右だ。
ダッシュでトイレに駆け込んだ。
「なんだったんだ?」
心臓がバクバク言ってる。
これは、あれじゃない。
トキメキ的なアレじゃない。
普段厳しい上司が、突然人が変わったように優しいから。
だから、あれだ、それだ。
……びっくりしてるだけなんだからね!
* * *
「昨夜の怪物騒動は、
書類を持つ手。
節張ってて、かっこいい。
「現場となった石塚高校は午前を休校として現場検証。校舎内の安全が確認できたため、午後からは授業を再開します」
淡々と事実を説明する声。
低くて艶があって、かっこいい。
「
ちょっと、課長。
私、今、大事な観察中なんですよ。邪魔しないでください。
「今回も『名乗るほどの者ではない』と言い残して、立ち去っています」
周囲から湧き起こる失笑。
あ、やめてください。
本人ここにいるんで。
痛いセリフだってわかってます。
でも、他に何も思い浮かばなかったんです。
「何者なんだ?」
「全くわかりません」
「正体不明の怪物に、それを退治するのも正体不明の人間ときた。困ったねえ」
課長がため息を吐く。深い。深いよ、課長。
苦労してるもんね。
「……そろそろ怪物対策の新しい課ができませんか?
小さく漏れた声に、会議室が静まり返る。
それ、言ったら、あかんやつや。
みんな思ってるけど、我慢してるやつ。
この街に『怪物』が出るようになって3年が経とうとしている。
当時は『ついにこの街にも……!』と話題になったものだ。
まあ怪物が出るのはいつも深夜だし、いつの間にか退治されているから、騒動も徐々に下火になっていったけど。
対応は基本的に警察と、謎の退治人。
騒動の後片付けとマスコミ対応を、市役所の環境課が担当している。
他の地域にも謎の退治人がいて、
お気づきのことと思いますが、私がその退治人の一員です。
この街に現れる怪物を人知れず退治しているのが、私ってわけよ!
「そう言うな。ま、我々には
課長の言葉を最後に、会議はお開きとなった。
「じゃ、片付けよろしく。原田ちゃん」
「課長、ちゃん付けはまずいです。セクハラです」
課長補佐の女性がボソッと指摘するが、課長はガハハと笑うだけだ。
「相手は原田ちゃんだぞ? カラカラに干からびとるのに、何がセクハラだ!」
「ははは。そうですねー」
いつものように乾いた笑いでサラッとスルー。
こんな風に笑われるのも、もう慣れた。
お茶を片付けて、長机を拭く。
下っ端女性公務員の役割だ。
わざわざ言われなくたって、ちゃんとやるわよ。クソ課長め。
いつも一人で最後まで会議室に残って片付ける。
そう、
「何か、ご用ですか?」
なんでいるのよ、江崎係長は。
今朝のことがあるから、ちょー気まずいのに!
「昼飯、外にするか」
「あ、はい。どうぞ」
「……お前、アホか」
え、なんで急にディスられてんの、私。
「誘ってるんだよ」
「ひょ?」
思わず変な声が出た。
恥ずかしい。
絶対に顔真っ赤だ。
「……行くぞ」
「ひゃい」
返事ですら噛んだ。
穴があったら入りたい。
* * *
「いつまで顔隠してるんだ」
だって、なんで真向かいに座るのよ。
四人席なんだから、斜向かいに座ってくれればいいのに。
なんで、真正面に!
「ほっといてください」
──クスッ。
え? クスッ?
笑った?
笑ったの? あの江崎係長が!?
指の間から、こそっと顔を見る。
──笑ってる。
いや、微笑んでいる。
目尻が下がっている。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
どこいった語彙。どころじゃない。言葉を失くしてしまったよ、私は。
「何言ってんだよ」
はははって。
笑ってるじゃん!
ガチで、笑ってるじゃん!
「ほら。飯来たぞ」
湯気を上げるパスタくん。
美味しそう。
空腹には勝てずに、顔を隠していた手でフォークを握る。
ふと、当然の疑問が浮かんできた。
「なんで誘ってくれたんですか?」
「好きだから」
……。
…………。
あ、幻聴か。
「幻聴じゃないからな」
うーん。
心を読まれたような気がするけど、気のせいよね。
幻聴幻聴♪
気のせい気のせい♪
パスタ美味しい!
「おい」
ひゃっ!
手を! 手を! 握らないでください!
現実逃避中なんだから、現実に引き戻さないで!
「急に悪い。でも、本気だから」
まじか。
マジかよ。
あの、江崎係長が!
照れてる!
頬を染めて、照れていらっしゃる!
尊い……。
でも。
「なんで、ですか?」
「なんで?」
江崎係長は、3ヶ月前の異動で
そこで初めて出会ったのだ、私たちは。
出会って3ヶ月だ。短い、短いよ。
それなのに私のことが好きとは、これいかに?
それに。
「私、地味だし」
「確かに」
あ、その相槌は地味に傷つく。
確かにそうなんだけど。
……地味なんだよね、私。
長い前髪に黒縁めがね。髪は黒いままで染めたことはない。
服も黒とか白とか茶色ばっかり。
こんな地味な私を、市役所きってのモテ男が好きになるはずなんかない。
今だって、よその席からチラチラ見られている。
『ちょっと、地味女が江崎様にちょっかい出さないでよ!』って感じの目線だ。
「干物だし」
「そうなのか?」
「処女だし」
「……それは、聞かなかったことにする」
「好きになる要素、なくないですか?」
しゅん。
多分、そんな音が聞こえているはず。
小さな頃から修行ばっかりで、女らしさを磨く時間なんかなかった。
正体を隠さなきゃならないから、昼間は地味に地味に生きてきた。
「……でも、かわいい」
くぁwせdrftgyふじこlp……!!!
──ドォン!!!!
「きゃー!」
私の心の悲鳴に、外から聞こえた轟音と悲鳴が重なる。
なんだなんだ!
「怪物だ!」
「こんな昼間に!」
「警察呼べ!」
慌てて店の外に転がり出る。
周囲は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
駅前の飲食店街。
ランチタイムで人も多い。
道の向こうから、怪物がこっちに向かってくる。
大きくはないけど、太陽の光の下でも活動できる個体だ。
多分、すごく強い。
「何やってるんだ!」
腕を引かれる。
江崎係長だ。
私を追いかけてきてくれたんだ。
「逃げてください」
「一緒に逃げるぞ!」
腕を引かれる。
力強い手だ。よく見たら、腕にも程よく筋肉がついている。ちゃんと鍛えてるんだ。
焦った表情。慌てているのに、シュッとしている。
腕を引いても動かない私に、困惑もしている。
私のこと、本気で心配してくれてるんだ。
「ごめんなさい」
女らしくなくて。
きっと、あなたの好きなタイプじゃなくて。
でも。
私にはやらなきゃいけないことがある。
私がやらなきゃ誰がやる。
「私、行きます」
私が、この人を守るんだ──!
「は? どこに?」
係長の腕を振り切り、怪物に向かってダッシュをかける。
「原田!」
呼ばれるけど返事なんかしてられない。
倒れた看板を持ち上げて、思いっきり投げつけた。
「ぎゃあああ!」
当たった!
周囲に視線を巡らせる。
だめだ、手頃な得物が見つからない。
「千春!」
不意に聞こえる、上空から私を呼ぶ声。
「遅いよ!」
タカシくんが飛んでいく。
その爪に握られていた刀が、落とされた。
「すまん!」
位置はドンピシャ、さすがタカシくん!
刀をキャッチして、すぐさまダッシュ。
──ガギィン!
ヤッバイ!
一瞬でも遅れてたら、私の身体はあの爪に引き裂かれてミンチになってた。
処女のままでは死にたくない!
「援護頼む!」
「任せろ!」
タカシくんの羽根爆弾が炸裂する。うまいこと怪物の足場を崩した。
怪物の身体が、小さくよろめく。
その隙を、逃さない!
左足を引いて、ぐって腰を落とす。
──ビリっ。
またスカート破けた!
もう!
でも、背に腹は代えられない。
私が! 江崎係長を守らなきゃ!
1、2、3歩、4歩目と同時に抜刀。
「どりゃあああ!」
乙女の咆哮。
同時に刀を振り抜いた。
横一文字に振り抜いた刀の、その軌跡に沿って怪物は真っ二つに切り裂かれる。
──ドォン!
上と下の半分に泣き別れになった怪物の身体が地面に落ちる。
ああ、あれの処理すんのか。これから。
「ふう」
深く息を吐いてから、袖で刀を拭って鞘にしまった。
──チンっ。
はっ!
鍔が鞘に当たる音と同時に我に返る。
あれ、私、面頬してなくない……?
「原田?」
ギギギギギ。
そんな音がしそうなくらい、ぎこちなく振り返る。
そこにはもちろん、当たり前に、江崎係長がいるわけで。
「あの、その、私」
「怪我は!」
「へあ!?」
驚く私を尻目に、江崎係長が駆け寄ってくる。
腕を握られて、あちこち検分される。
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい。丈夫なんで、私」
私の手を握ったまま──あ、刀を拭って怪物の血がついてる──江崎係長が深い深いため息を吐いた。
「……驚いた」
「すみません」
「原田だったんだな」
「はい」
「だから、今朝は遅刻したのか」
「まあ、そうです」
「……なんで、黙ってたんだ?」
「一応、正体は隠すように言われてまして」
沈黙。
気まずい。
「あの、手。汚れちゃいます」
「そんなこと……」
一瞬、すごく辛そうな江崎係長の顔が見えた。
でも、本当に一瞬のことだった。
なぜって、江崎係長が私を抱きしめたから。
くぁwせdrftgyふじこlp……!!!
「今度から、隠さないで欲しい」
「……ひゃい」
「あと、さっきの返事、欲しいんだけど」
「へ、返事?」
「好きなんだ。付き合ってくれ」
くぁwせdrftgyふじこlp……!!!
私の心の叫び声が聞こえたのか聞こえなかったのか。
江崎係長が小さく笑った。
「返事は?」
ぜったい、顔が真っ赤だ。
恥ずかしい。
──ぎゅっ。
江崎係長に抱きついて、その胸に顔を押し付けた。
恥ずかしいから。
顔を見られたくないから。
……だから抱きついたんだからね!
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